【葉山の散骨】墓守不在から自然回帰を選んだ神奈川の海洋葬体験談
30代女性 2022年10月に、私の義祖父の海洋葬をしました。
義祖父母と同居していた伯父夫婦には子供がいません。私たち夫婦が遠方に住んでいたことからお墓の建立と墓守り問題が持ち上がったとき、伯父夫婦と義祖母で話し合って決めました
義祖父の葬儀の2021年はコロナ禍で何もかも自粛方向でしたから、義父も主人も香典を送るにとどめて、葬儀自体には参加できませんでした。お寺で密葬のような形で葬儀をしたそうです。
2022年には世間が少しずつ落ち着きを取り戻してきたので、1年忌の時に法要が執り行われ、義父母と私たち夫婦と子ども2人が参列しました。
海洋散骨は天候次第で後日になることがあると聞いていましたが、当日は天気がよく、予定通りに出航できました。乗船したのは義伯父夫婦(70代) 義父(60代) 主人(30代)の4人です。
義母(60代)は乗り物酔いがひどいため乗船せず、私と未就学児の子どもたちの4人は陸で待機していました。
葉山港から出航し、散骨、帰港まで2時間強の海洋葬でした。前日の法要では喪服でしたが、散骨当日はカジュアルなモノトーンの装いでした。
義祖父は曾孫を見ることが出来なかったので、喪主の義伯父から「お嫁さんや子どもたちにも船の見送りをしてもらえてよかった」と言われましたし、主人からはこう言われました。
義伯父はお墓の建立と管理について、もしも自分たちが急に亡くなった場合、義父や主人に手間取らせることをとても嫌がっていたそうです。
義伯父夫婦はまだ元気ですが 『自分たち2人とも海洋散骨にすると決めている』…と主人が聞いたそうです。私自身も、
…と考えていたので、義伯父の潔い意見にとても共感しました。
【葉山の散骨】湘南の海で父の望みを実現した海洋葬体験談
40代女性 神奈川県 父は生前「自分が死んだ時は骨を海に撒いて欲しい」とよく言っていたので、2023年10月に父の海洋散骨をしました。
海洋葬当日は身内が15人集まり、クルーザーをチャーターして葉山港から出航し、湘南沖で散骨しました。
父は体が大きく骨も丈夫だったため、火葬後に関東風の大きな骨壷にお骨を入れている際「入り切らなかったらどうしよう」との考えが頭を過りました。
そんな大量なお骨でしたから、15人で散骨するには十分な量があり、撒く前に一人ひとりが父に言葉をかけ、最後はギュッと抱きしめて海へと放っていました。
当日は晴天に恵まれ、出航するには最高の日和でした。15人の服装は全員が至ってカジュアルでした。ジーンズやセーターを着て、足元はスニーカー。
風が強く船上は陸よりも寒いので、10月でしたが厚着をしました。ライフジャケットは子供用・大人用をそれぞれ準備していただき、安全の説明もきちんと受けました。
父は大袈裟なことが好きではなかったので、音楽で場を演出することは控えたのですが、散骨ポイントに着いたときには鐘を鳴らしてもらいました。
お骨の袋は数を指定できたので全員が撒けるように調整してもらい、粉骨から一週間後に散骨しました。粉骨作業には私が立ち会ったのですが、粉骨から出航まで同じ業者がしてくださったので、安心してお任せできました。
花をたくさん乗せたバスケットが用意されており、すぐに自然に還るよう花びらだけにしてありました。お骨は自然に優しい水溶性の紙で包んでいたので環境汚染を心配することはないとの説明も受けていました。
お骨を撒いた後に献花・献酒です。お酒は父が大好きだった銘柄を用意して撒きました。
散骨セレモニーでは誰も涙を流すことはなくて、それぞれが父に言葉を掛けながら海へ遺骨を放ちました。
その間にスタッフの方が写真をたくさん撮ってくれましたが、後から見みても全員がなごやかな表情を浮かべ、ほっこりした雰囲気でした。スタッフさんはみなさん大変親切でした。
父が望んでいたことを実現できた達成感と、最後に父を抱きしめることができた嬉しさがジーンと心に残る散骨式でした。
親族一同、和気あいあいとしたいい時間を過ごせました。最後にみんなで集まる時間を作ってくれた父に感謝しています。
【みんなの海洋散骨】神奈川エリアでの海洋散骨
湘南エリアは天気が良ければ富士山をも望むことができ、幅広い世代に人気のある海域です。
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