【福岡の海洋散骨】冬の博多湾から祖父を見送った海洋葬体験談
30代女性 私たち家族は祖父の海洋散骨をしました。
大腸がんを患っていた祖父は何度も入退院を繰り返し、かなり気弱になっていました。そんなとき海洋散骨についてテレビで見たようで「自分も博多湾で散骨してほしい」と言い始めました。
祖母は散骨に最初は反対したのですが、あまりにも強い意志だったのでその場では同意したと言っていました。
それからほどなくして祖父は亡くなり、海洋散骨について私の父が調べて業者やスケジュールを決めました。
私・両親・その他親戚で乗船し、西福岡マリーナから出航して博多湾で散骨しました。
海洋散骨は「天候に左右される」と聞いていたのですが、幸いその日はとても晴れていて、波も穏やかでした。
「とてもいい日になりましたね。故人様の願いが強かったんでしょうね。」と添乗員から言われて、祖母は泣いていました。
しかし真冬(1月)の海洋散骨…海は美しかったのですが、とても寒かったです。
祖母、私の両親、叔父、叔母、私を含めた孫3人、その他親戚で総勢10人。礼服ではなく平服でしたが、みんなモノトーン調の服を着ていました。
海洋散骨業者のスタッフの方は明るすぎず、でも暗くなりすぎないように気を遣いながら私たちに接してくれている感じでした。祖父が海洋散骨を希望したことやどんな思いだったのか…など祖母の話に付き合ってくださり、祖母はとてもうれしそうでした。
散骨に使ったのは貸切のクルーザーで、定員は15名とありましたが、それほど大きな船ではありませんでした。
事前にパウダー化した遺骨を散骨業者の方が持ってきてくれました。
ライフジャケットを着用して乗船すると、20分くらいで散骨ポイントに到着し、散骨セレモニーが始まりました。
穏やかなBGMが流れる中、事前に小分けされていた遺骨が一人ひとりに配られ、それぞれが海に撒きました。
波の音にかき消されてよく聞こえませんでしたが、散骨と同時に祖父に向かって声がけをしている人もいて、胸が熱くなりました。
そのあとに花びらと水・お酒を海に撒いて全員で黙とうし、祖父を大海原に還す散骨が終了しました。
祖父の海洋散骨、実は祖母はあまり前向きな考えを持っておらず、最後まで迷っているような様子が見られたのですが、陸に戻ってきた時には迷いが吹っ切れたようにさわやかな笑顔で「やってよかった。本人の最後の願いだから」と言っていました。
祖母のように迷ったり反対したりする人は少なくないと思うのですが、私は故人の意見を尊重してほしいと思っています。
それは、祖父の海洋散骨が強烈なインパクトのある思い出になったと同時に、すがすがしい気分にもなれたからです。最後に大自然に回帰するのは、とても自然なことに思えるのです。