【千葉の海洋散骨】【銚子】犬吠埼沖で親友を見送った合同乗船散骨体験談
20代女性の寄稿 2021年6月、私は身寄りのない親友の海洋葬をしました。
母親はすでに亡くなり、父親は音信不通。身寄りのなかった同郷の親友の遺言で 海洋散骨を頼まれていたため、私が喪主(世話役代表)となりました。
友人は当時末期の病気を抱えていました。私自身も昔から指定難病を治療しているので、彼女の痛みや苦しみは自分のことのように感じられて、叶えられるものなら彼女の希望を叶えてあげたいと思っていました。
そんな彼女は私にエンディングノートを託しました。
私は彼女の最後の願いを叶えるために、海洋散骨を決意しました。
海洋散骨当日は6月にしてはよく晴れた日で、風が心地よかったです。
海洋散骨に合同乗船散骨プランを選んだため、乗り合いの家族が3組いました。私は亡くなった親友の共通の友人2人と一緒にクルーザーに乗船し、銚子港を出発しました。
「この天気なら、きっと空の上から○○様(親友)も見守ってらっしゃいますよ」とのスタッフの言葉で緊張がほぐれていくのがわかりました。散骨する場所に到着すると、グループで順番に散骨を始めました。
私たちのグループも一人ずつ、お骨の入った袋を海に投げて、お花とお酒を捧げました。
お骨は白くふわりと広がりながら波の中へ消えていき、その様子を見ながら「ああ…もうこれで完全にお別れなんだな」と思うと涙が溢れて止まりませんでした。
しかし「これで彼女がゆっくり海で眠れるのだ」と思ったとき、ようやく彼女の死を受け入れることができた自分の心模様の微妙な変化に気づいて、少しホッとしたのを覚えています。
海洋散骨は家族や身内しかできないと思われるかもしれませんが、私たちのような友人グループでも問題なく執り行うことができました。
天気が晴れている日は海がとても綺麗で、落ち込んでいた心を優しく癒してくれます。自分の心も晴れやかになって前向きな気持ちを分けてもらえるので、海洋散骨は故人だけでなく、残された人のためにもあるのかもしれないと思いました。
故人の願いを叶えるだけでなく、自分の気持ちに区切りをつけることができる点が、とても良かったと思っています。
【千葉の海洋散骨】【船橋】散骨の後悔は遺骨を全部撒いてしまったことだけ…両親の海洋葬体験談
50代女性 私は同じ年に両親を立て続けに亡くしましたが、実家ではお墓を持っていませんでした。経済的な事情があったのかもしれませんが、生前の両親は一人娘の墓守りを心配していたのです。
結婚して遠方に住む私に「お墓の管理が大変だろう」との気遣いがあったと思うのは、両親がずっと「海洋散骨にしてほしい」と言っていたからです。
私は最初は両親の遺骨を樹木葬にしようと考えていましたが、この言葉をふと思い出し、海洋散骨にすることを決めました。
海はすべてつながっているので、海に還った両親にいつでも会いに行けます。私の住んでいる地域も海が近いことから、両親一緒に海洋散骨にすることにしました。
両親の海洋葬は千葉県船橋港から出港して、沖合の海洋散骨可能海域で行いました。散骨する際、献花・献酒とともに粉砕したお骨をまき、汽笛を鳴らして皆で黙祷しました。
最期にクルーザー上で親族で写真を撮り、小さなアルバムを作ってもらいました。親族だけのお別れはアットホームでとても良かったです。海洋散骨費用は二人でおよそ30万円でした(2018年当時)
ただひとつ後悔していることがあります。それはお骨をすべて散骨してしまったこと。散骨とはそういうものだと思っていたことから、手元供養まで考えが及ばなかったのです。
最近の海洋散骨は、手元供養のためにお骨を少しもらって手元に残す人が大多数だと聞きました。
仏壇がなくても手元供養でメモリアルコーナーを作れば、それは小さなスペースでも自由に飾ったり手を合わせたりできる「小さなお墓」…このことをもっと早く知りたかったです。
最近のお葬式は家族葬が増えてきていたりと簡素化が進んでいるため、今後はお墓を持たない供養がどんどん増えてくるのではないかと思います。
田舎の方では「自然葬」はなかなか理解してもらえない感もありますが、私も自分が死んだら海洋散骨にしてほしいと子ども達にお願いしています。
そのころまでに自然葬が珍しくない世の中になってほしいと思います。
【千葉の海洋散骨】【市原】安全な見送りのために散骨業者を依頼!通いなれた海で祖父を見送った
30代女性 2023年10月、祖父の死去に伴い、乗船の海洋散骨を経験しました。千葉県市原市八幡から出航して、東京湾で散骨しました。
祖父は海が大好きで、木更津沖に自分の船を持ち、東京湾での釣りやクルージングが趣味でした。
本来であれば、木更津沖から自分の船で出航して、通いなれた東京湾で散骨をしたかったのですが、海洋散骨専門業者に頼んで安全に見送ろうということになりました。
散骨当日、6名しか乗れない小型クルーザーだったため、両親と孫(私と妹)の4名で乗船しました。天候は穏やかな日が続いていたので、特に配慮なく予定していた日程で済ませることが出来ました。
「動きやすい服装で来てください」と言われたので、落ち着いた平服にスニーカーで乗船しました。
散骨業者がたまたま祖父の知り合いだったこともあり、乗船中は祖父の昔話を聞いて盛り上がったので、散骨エリアまであっという間に到着した感じがを受けました。
こんなに岸から近いところで散骨するんだ…と少し驚きましたが(おしゃべりに花が咲いたので、感覚では30分ほど。実際はどれくらいかかったのか覚えていませんが)
意外と近いな…という感覚でしたが「なるべく岸から離れたところや釣り場、漁場ではないことで行う」が原則としてあるそうです。
祖父が釣りをしているエリアを通り過ぎたので、「このあたりが好きだったなあ」という話も聞けて、感慨深い気持ちで散骨エリアに進んでいきました。
私たちが乗ったのは小型のクルーザーでしたが、船内にはトイレがついていたり、屋内で待つことが出来てソファーがあったり、散骨エリアにつくまでがあっという間で、とても快適に過ごすことが出来ました。
散骨だけのシンプルなプランだったので、献花や献酒を 亡くなった祖父の好みに合わせて用意し持参しました。BGMは祖父が好きだった歌を流して見送ることにして、スマートフォンから流しました。
船上での撮影も禁止という話はなかったので、普通に撮影もしていました。
事前に散骨業者にお骨を届けて、粉骨してもらいました。スケジュールによっては粉骨から散骨までの期間が空いてしまうこともあるようなのですが、タイミングがよく粉骨の翌日に散骨をすることが出来ました。
海洋散骨は祖父の希望だったと両親から聞いており、今回かなえられてよかったと思いました。
お骨を海に流すと あっという間に祖父が旅立ってしまったような印象を持ちましたが、心の整理がついたようなすっきりとした気持ちになり、私も祖父のように最後はどこかの海にまいてほしいと思いました。
海洋散骨がどのようなものか、いつぞやどこかで話には聞いたことがありましたが、海洋散骨はまだあまり一般的ではないような気がするので、今回体験できたのは貴重な機会だったと思います。
一般的な葬儀で火葬をして埋葬されるのであれば、海が好きだった故人なら 海で最後を見送れる海洋散骨は魅力を感じる選択肢に違いありません。
こんな表現が適切かどうかわかりませんが、ちょっとした「レジャー感覚」で船に乗れたことはいい経験になりました。
故人の願いもかなえられたと同時に「最後に楽しませてくれてありがとう」という想いでいっぱいになりました。
【千葉の海洋散骨】【銚子】望みどおりに父を海に還した合同乗船散骨体験談
20代男性 去年の初春、長らく闘病していた父が旅立ちました。
亡くなる直前、父から「自分の遺骨は海に散骨してほしい」と言われました。父は生前、暇さえあれば海に釣りに出かけていたので、海に還りたいと思っていたようです。
私は最初は「墓を建てて骨を納めなくていいのか!?」と思いました。しかし詳しく調べてみると、散骨なら高額な墓の建立費用や維持費が必要ないことや、散骨費用が意外に安いことを知りました。
何より父の最期の要望を叶えることにもなりますので、海洋散骨を決心。そして2023年5月、千葉県銚子港から出航し、銚子沖で合同乗船散骨をしたのです。
当日は快晴で初夏の陽射しを感じましたが、風が少し強く波が高かったので、船はそれなりに揺れました。
同じ船に3組の家族が集まり、乗船人数は9人、私は妻と2人で乗りこみました。海洋散骨業者のスタッフは3人添乗し、安全面や遺骨の投かんの仕方などを詳しく説明してくれました。波を気にしつつも、落ち着いた対応だったのを覚えています。
当日の服装は万一に備えて「動きにくい服は避けるように」と指示されていましたので、私も妻も平服にスニーカーのいでたちで参加しました。
乗船前に全員にライフジャケットの着用が求められ、乗組員が乗客1人ずつをきちんとチェックしていました。
海洋散骨には遺骨を事前に粉骨する必要があったため、私は海洋散骨業者が提携している別の粉骨業者に依頼し、当日船上に遺骨を自分で持っていきました。
遺骨を撒く際には、スタッフから丁寧に手順を教わりました。
船上に特設された祭壇に故人の遺骨と位牌を置き、焼香と玉串(の簡易版のようなこと)を行いました。そのあとに「安らかにお眠りください」と言葉を添えて、遺骨を海中に撒いていきました。
船上では写真や動画の撮影も自由にできたので和やかな雰囲気で散骨が進みましたが、私自身は遺骨を海中に撒く瞬間には想像以上に胸が詰まりました。
他の家族も全ての骨を撒き終えるまでに何度も途中で止まっていたようでしたから、私と同じ思いに駆られていたのかもしれません。
しかし、ゆっくりと海に還っていく父の姿に自然の摂理を感じて、悲しみよりも感慨深さを感じた気がします。
下船後、海洋散骨業者から散骨証明書を発行してもらい、父の海洋葬は無事終了となりました。
最近は海洋葬(海の散骨)が増加傾向とのことですが、まだ一般的ではないので、親族の反対にあうことも少なくないかもしれません。しかし最も大切なのは、故人の想いを尊重することではないでしょうか。
生前の故人が「海に還りたい」と望んでいたのであれば、できる限りその思いに沿うべきだと私は考えています。