在宅看取りで最期を自宅で過ごす「平穏死」を選んだ家族の体験談
平穏死と尊厳死の違いは?
尊厳死が患者本人の意思表示と末期状態であることを条件として延命治療を差し控えるのに対し、平穏死は終末期に栄養摂取ができなくなった患者に対し、医療によってその生命延長を図らない点で医療よりも介護に近く、在宅医療との接続が意識されています。
引用元:日本医事新報社
40代女性 これは終末期患者を在宅医療に引き継いだときの話です。私は病院看護師であり、在宅看護師と共にこの問題に遭遇しました。
在宅医療に移行したのは80代男性(Aさん)人工呼吸器装着中の終末期患者です。妻も80代で足を悪くしていました。
Aさんは終末期に移行しており、呼吸状態が悪化して人工呼吸器装着段階へと至ったものの、しっかりと意識があり、本人の意向も確認できる状態でした。
Aさん自身はこの状態で帰宅するのに不安があるため、はじめは病院治療の継続を希望していました。
高齢な妻に医療機器の取り扱いは困難と判断されたので 私たちは緩和ケア病棟への移動をAさん本人と家族に持ちかけたのです。
その時緩和ケア病棟に移ることに反対したのはAさんの妻でした。
それを聞いたAさん本人は「自宅に帰れるなら帰りたい」と自宅退院に前向きになっため、家族に必要な技術の説明を行いました。
意外に高い在宅用医療機器の取り扱いと介護保険の壁
昨今の在宅用医療機器の取り扱いは簡易的になっているとはいえ、やることは山積しています。
人工呼吸器の取り扱いや吸引の手技、思うように食事を摂れないため中心静脈からの輸液投与、緊急時の対応方法など、在宅看護で覚えることは多岐に渡ります。
それらを覚えていただくために奥さんには連日来院していただきましたが、足が不自由なので、それだけで既に疲れが見えていました。
また、現時点ではAさん本人も少しは動けるものの、状態悪化時には体動困難が予測されました。
そんな場合のオムツ交換や体拭きは80代の奥さんが行うことは体力的に現実的ではなかったので、訪問看護、訪問診療、訪問介護の全て導入の上で、在宅に帰す方針を固めました。
それにはまず介護認定調査を実施して、介護区分の査定を依頼します。
当時のAさんには理解力があり、多少は動かせる体でもあったため「要介護」に軽めの判定しか出ず、在宅医療サービスをフル導入するには、金銭的負担が大きいものでした。
そこで要介護認定が出た後、Aさんを地元の役所につないで、ケアマネージャーの選定を依頼しました。そこから介護認定調査の実施や訪問看護ステーションとのやり取りが始まったのです。
訪問看護ステーション決定後は、訪問看護師とケアマネージャーに来院していただき、Aさんの現状確認や奥さんの健康状態や理解力・技術の習得段階に関しての査定を共に行いました。
また認定調査の際にも彼らに立ち会いを依頼し、今後の状態悪化の早さを主張して、少し重めの「要介護3」を取得することに成功しました。
要介護3でも利用できるサービス時間が少ないため、訪問看護師に自宅調査を依頼して、在宅環境の確認を実施しました。
さらに奥さんの手技取得までに時間がかかることを見込み、その間に介護ベッドやポータブルトイレ、手すりの調整を行い、できるだけ介護負担を減らせるように調整していただきました。
排泄や清潔等の日常部分はできる限り奥さんに実施してもらい、訪問看護師に医療行為を優先してもらうため、点滴の終了時間や速度調整を実施。
奥さんには痰詰まりなどの急変時の対応を優先して覚えてもらいました。
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「努力して自宅に連れて帰れてよかった」
Aさんが退院する日がやってきました。介護タクシーの手配や、当日すぐに訪問看護師が来訪できるよう調整したうえで、Aさんは退院していきました。
しばらくして訪問看護師から、Aさんについての連絡をが来ました。初期は完璧な在宅調整が行えており、不慣れな中でも奥さんがAさんの日常生活を支えられているとのこと。
しかし数日でAさんの状態が悪化してきて「人工呼吸器は苦しいから外したい」との訴えが多くなってきました。
看護師ならそこで鎮静剤を増量して苦しさを緩和するところですが、在宅であるが故に奥さんが「苦しいなら…」と人工呼吸器を外したままにする時間が増えていったそうです。
そして退院から10日後に、Aさんをお看取りをすることになりました。それでも奥さんとしては
そう感じているとの報告もあったということです。
「救急車を呼ばない」選択をする家族
私のクリニックの外来に通院されていた97歳のおばあちゃんが、朝、家族が様子を見に行くと息はしているけれど返事をしない、ということがありました。家族からクリニックに電話をもらい、急遽私が往診に行くと、おばあちゃんはまったく意識がなく手足も動かず、うんともすんとも言わないままベッドに横になっていて、呼吸だけしていました。その様子から、おそらく重症の脳梗塞だろうと判断しました。
状況を説明し「どうしますか?今から救急車を呼んで病院に行きますか?」と訊ねると、家族はその場で話し合い、全員一致でこう結論を出しました。「もういいです。このまま何もしないで家で診てください」救急車を呼ばないということは、検査を行わず、詳しい診断はわからないままです。それでも急変とその先にあるだろう死を受け入れ、自然に任せる決断を家族全員でされたのです。
意識もなく、手足も動かさないわけですから、食事を摂ることも水分を摂ることもできません。もし飲まず食わずであれば1日くらいで亡くなるのではないか、と思うでしょう。ところが人間というのは不思議なもので、飲まず食わずでも1週間ほど生きるのです。
実際、その方は点滴も何もしないまま、ちょうど1週間生きていました。意識はなく、手足も動かないのですが、息はしていて、おしっこも出ていて、まるで眠っているかのような最期の一週間でした。家族や親せき、近所の人など、いろいろな人が入れ替わり立ち替わりおばあちゃんの様子を見に来ては、みなさん不思議がっていました。
そうして1週間が経った頃に、本当に静かにすっと旅立たれました。死亡診断書の死因の欄には「脳梗塞」と書かせていただきました。
引用元:119番と平穏死~「理想の最期」を家族と叶える
平穏死とは人生の最終段階以降に過剰な医療を控えて自然な経過に委ね緩和ケアを受け、その結果おだやかな最期を迎えることだ。自然死や尊厳死とほぼ同義語である。しかしより正確に言うと、尊厳死という言葉は、延命治療の非開始のみならず、延命治療の中止、たとえば今行っている胃ろうを中止するといった、やや広い概念である。平穏死とは枯れて死ぬことで、自然死・尊厳死とほぼ同義である。
平穏死の反対語は延命死で、溺れて死ぬこと。
平穏死(尊厳死)と安楽死は異なる。
肺がんでも枯れると呼吸苦も軽く酸素不要で、より長生きする。
終末期以降の脱水は友である。
引用元:「平穏死」の叶え方