名古屋闇サイト殺人事件 (愛知女性拉致殺害事件)

闇サイト殺人事件

2007年8月24日午後11時10分、愛知県名古屋市千種区で3人は帰宅途中のOL・Tさんに道を尋ねるふりをして近づいた後、口をふさいで後部座席に引きずり込み、手錠をかけて拉致した。

3人とは、川岸健治(当時40歳) 神田司(かんだつかさ・36歳) 堀慶末(ほりよしとも)である。
 
名古屋闇サイト殺人事件

via:事件現場(大島てる)

 

川岸たちはひと気のない駐車場へ車を移動させて、包丁をつきつけてTさんを脅した。

そして現金6万2千円とキャッシュカードを奪い、暗証番号をききだすと、神田と堀は車外でTさんを殺す相談を始めた。

その間に川岸はTさんに性的暴行を加えようとするが抵抗され、騒ぎになるのを恐れた神田と堀は川岸を止めつつ、その場でTさんを殺害することに決め、Tさんの頭をハンマーで殴りつけた。

血だらけで倒れたTさんの首を3人でロープで絞め、顔に粘着テープを巻いてレジ袋を頭にかぶせた。

その後、神田と堀はTさんが死亡するまで、頭をハンマーで何十回も殴りつけたという。

3人はTさんの遺体を岐阜県瑞浪市内の山中に捨て、ATMで金を引き出そうとしたが、聞き出した暗証番号が嘘だったため金を下ろせなかった。

虚偽の暗証番号は「2960」(にくむわ)…Tさんの最後のメッセージである。

金を引き出せなかった3人は「明日も別の女を襲おう」と約束して その場は解散した。
 
 
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川岸健治は多額の借金を抱え、夜逃げしたあと、妻子と別れて車上生活をしていた。

川岸は金がなくなると携帯電話の闇サイト「闇の職業安定所」で仲間を募り、盗みなどを繰り返し、2007年8月上旬、川岸健治は新たな仲間を募集した。

「愛知県の人で何か組みませんか」・・・そして川岸健治は神田司や堀慶末と知り合った。

そして8月24日午後3時頃、神田司が「若い女性を拉致して金を奪い、殺そう」と提案し、3人で強盗計画を練り上げた。
 
午後7時頃から車で名古屋市内を走り、5人の女性を尾行していたが 拉致に失敗していた。

午後11時頃に帰宅途中のTさんを見かけ、犯行に及んだのだった。

2007年8月25日午後1時半、自分かやったことが怖くなり、死刑になるのを恐れた川岸健治が警察に自首した。

その後、通話記録や川岸の供述などから、神田司と堀慶末も逮捕された。
 
 
公判の一審では、神田司と堀慶末に死刑判決、犯行直後に自首した川岸には無期懲役の判決が下った。

川岸は自首したとみなされて量刑が軽くされたのだった。

神田司は即日控訴したが、4月13日に取り下げて死刑が確定し、名古屋拘置所に収監されていたが、2015年 6月25日に死刑が執行された。

44歳没。
 


 
 
堀慶末と川岸健治は一審判決を不服として控訴した。

名古屋高裁が本人と検察双方の控訴を棄却し、川岸健治の無期懲役刑が確定した。
 
 
2011年4月12日、名古屋高裁では掘慶末の死刑判決を破棄し、前科がなく更正の余地があるとの判断から 無期懲役を言い渡した。

検察は上告したが最高裁が棄却し、堀慶末の無期懲役が確定した。

しかし2012年7月、掘慶末は1998年に起きた「碧南市夫婦強盗殺人事件」に関わっていることが判明し、再逮捕・起訴された。

現場に残されていた唾液のDNAが、掘のDNAと同一の可能性が浮上し、この事件で一審・死刑判決が下っている。

堀慶末は一審判決を不服として控訴するも棄却され、現在は上告中である。
 
  
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