鷲尾倫夫がオウム村井刺殺事件スクープ写真(宮嶋茂樹が嫉妬した一枚)を撮れたのはなぜか?

スクープ写真

惨劇の0.1秒前の一瞬をとらえた一枚

1995年4月23日に起こったオウム村井刺殺事件のスクープ写真も、1番政治家に嫌われているスクープカメラマン・宮嶋茂樹さんの魂が震えた一枚です。

小原玲!天安門写真からアザラシとシマエナガ写真集カメラマンへ!宮嶋茂樹との関係は?

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2017.05.23

オウム村井刺殺事件とは、オウム事件の真相を握るオウム真理教幹部ナンバー2の村井秀夫が、報道陣の目の前で突然 暴漢に刺されるというショッキングな事件でした。

FOCUS(フォーカス)に掲載され、宮嶋茂樹さんが嫉妬するほどすごいと思ったその画像は、惨劇の0.1秒前の瞬間をとらえたものです。

犯人の顔も 凶器も 村井の何が起こったのかわからないといったあっけにとられた表情も、すべてがこの一枚に収まっており、当時の臨場感と混乱が手に取れる秀逸な写真だと 宮嶋茂樹さんはこの一枚を高く評価しています。
 
 
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オウム村井刺殺事件のスクープ写真はどのように撮られたか?

1995年4月23日 10:00・・・事件撮影まで10時間35分

その日、オウム真理教総本部前には、200人以上の報道陣が詰めかけていました。

彼らの狙いは教団のナンバー2である村井秀夫。

ひと月前に起きた地下鉄サリン事件の詳細も、教祖の麻原の行方も不明になっていたことから、マスコミは連日、全ての真相を知っていると思われる教団ナンバー2の村井秀夫をマークしていたのです。

その報道陣の中にいたのが FOCUS専属カメラマンの 鷲尾倫夫(わしおみちお) 当時54歳。

宮嶋茂樹さんは当時「週刊文春」にいましたから、鷲尾倫夫さんはライバル誌の20歳年上の大先輩で、当然、度々現場で出くわす間柄です。

そして鷲尾倫夫さんこそ 宮嶋茂樹さんの魂を震わせる一枚を撮ったその人です。

鷲尾さんはいろいろな伝説がある人です。

当時はFOCUS誌上に鷲尾さんの名前が載っていなかったにもかかわらず、写真を見れば すぐに誰が撮ったかわかるというほど 有名な人でした。

鷲尾倫夫さんはスクープ写真にも自身の名前を一切載せませんし、これまでにメディアの取材を一切受け付けたことがありません。

でも今回の番組(1番だけが知っている)には、「宮嶋が言うのであれば」ということで「顔を出さない」条件で、オウム村井刺殺事件当時の経緯について回想し、あの日の一部始終を語りました。

鷲尾倫夫
1995年4月23日。僕は10時くらいに現場(教団本部前)に入りました。

そこで現場全体を見ていたのですが「よくここまで夢中になれるな」とすごく冷めた、意地悪な目でマスコミの人たちを見てました。

11:26・・・事件撮影まで9時間9分

当時は 上祐史浩が教団本部へ入るだけでもスクープになった時代でした。

上祐氏が本部に入ると、マスコミ陣はそれを追いかけ こぞって撮影をしていましたが、鷲尾さんだけは一歩引いて、現場を見つめていたそうです。

あの日、マスコミ陣から少し離れたところから周囲を見ながら教団本部付近に待機していたとき、鷲尾倫夫さんはふと一人の青年の存在に気づきます。

鷲尾さんの目に映り 気になったのは、そこにいる男が醸し出す独特の空気や違和感。

鷲尾倫夫
一人おかしい男がいるなと、自分にはそう映ったんです。

それでずーっとマークしてたんです。

「周りの人たちも、おかしいと気づいていましたか?」

鷲尾倫夫
いや、全然わかってなかったんじゃないですか。

僕はずっと人間を撮っていたから、人間にすごく興味があるんですよ。

鷲尾倫夫さんはもともとは芸術写真家で、下町で暮らす人々の表情を撮り続けていました。

その時に鷲尾さんが感じた奇妙な感覚は、人を撮り続け「心」を写真に写しだすカメラマンだったからこそ感じた違和感だったのです。

17:00・・・事件撮影まで3時間35分

この時間になると、集まった報道陣の中には帰っていく人も現れ始めていました。

この日、宮嶋茂樹さんも現場にいたのですが、この時点で帰ってしまったそうです。

20:33・・・事件撮影まで2分

教団側に動きがなく、報道陣がもう動きはないだろうと諦めかけていた頃、この日は一度も姿を現さなかった村井秀夫が突然、教団本部に現れました。

村井の顔を撮ろうと報道陣は一斉に駆け寄ります。

その時 鷲尾さんは・・・

鷲尾倫夫
教団本部の入り口に花壇があったんです。

それで花壇の上に乗って、上から撮ろうと思った。

ほかの人とは違うアングルの写真を撮りたかった鷲尾さんは、マンション入り口にあった花壇の上に乗って 高いところから撮影しようと考えました。

そして「報道陣に囲まれた村井」を撮影しようとしていたその時、目に飛び込んできたのは、昼間見かけて違和感を感じたあの青年。

その男性が報道陣をかき分けていく姿を見た鷲尾さんは「何かが起こる!」と瞬時に確信しました。

そしてその青年の姿を見失わないよう、ファインダーをのぞくのをやめ、男性と村井の位置を直接目で確認しながら、カメラを上に掲げてシャッターを切り始めたのです。

すると次の瞬間・・・村井が崩れ落ちました。

近くにいた報道陣でさえ、何が起きたかわからないほどの一瞬の出来事を、鷲尾さんのカメラは捉えていました。

鷲尾倫夫さんだけが事件を予測し、あの瞬間の一枚を撮影していたのです。
 
 
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オウム村井刺殺事件スクープ写真が第2回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞を受賞

そのスクープ写真は、FOCUS 1995年5月3日号に掲載されました。

人間を撮り続けてきたカメラマンの直感と冷静な判断力により撮られた奇跡の瞬間の一枚、鷲尾倫夫さんはこのスクープ写真で、第2回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞を受賞しました。

これは1年でもっとも大きなスクープに贈られる大賞です。ところが・・・

鷲尾倫夫
あの授賞式には行ってないです。

あまりにも自分の感が当たってしまった恐さ・・・。

こういったものは撮るもんじゃないなと思ったんです。

歴史的なスクープ写真を撮ったことよりも、死を前にシャッターを切り続けた自分に嫌悪感を抱いたといいます。

なんとなくその気持ち、わかります。確かに、もし自分が当事者だったら、多くの人がまったく同じことを考えるのではないでしょうか。

宮嶋茂樹の執念の一枚!「東京拘置所に移送される麻原死刑囚」

宮嶋茂樹
なぜ、鷲尾倫夫だけがあれを撮れたのか?

それを考えると悔しさで (寝てても)何度か目が覚めました。

その悔しさをバネに、宮嶋茂樹さんがその1年後に撮影したのは、東京拘置所に移送される麻原死刑囚の姿(週刊文春 1996年4月25日号掲載)

そのタイトルは「拘置所の麻原被告はまるでエレファントマンだった」

日本中に衝撃を与えたこのスクープ写真の撮影場所は死んでも言わないという、宮嶋茂樹執念の一枚。

>>「拘置所の麻原被告はまるでエレファントマンだった」

このスクープ写真で 当時35歳だった宮嶋茂樹さんは 鷲尾倫夫さんが受賞した雑誌ジャーナリズム賞の第3回目を受賞。

そして今。

遠いまなざしをして当時のことを振り返る宮嶋茂樹さんはこう言います。

宮嶋茂樹
できるなら今度は、私がほかのカメラマンの魂を震わせたいですね。
 

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