植松聖(うえまつさとし)生い立ちから事件まで【相模原障害者殺傷事件】

やまゆり園の近くで生まれ育った植松聖

相模原障害者殺傷事件の犯人、植松聖(うえまつさとし)は神奈川県相模原市生まれです。

事件があった津久井やまゆり園から東に約800メートルの、同じ千木良地区にある一軒家で、植松聖は小・中学校時代を過ごしています。

千木良地区は人口約1900人の集落で、植松聖が子どものころから「やまゆり園」はそこにありました。

植松聖は幼いころからやまゆり園のお祭りにも参加していたので、そこにどんな人が入所しているかも知っていました。

植松聖に兄弟はおらず、数年前に両親が都内に引っ越すまでは3人で暮らしていました。

父親は東京都内で小学校の教員を、母親は漫画家。

当時を知る知人は挨拶をすれば返してくるし、植松聖は普通に良い子だったと話しています。

中学時代には学習塾の講師とうまくいかずにガラスを割ったりすることはありましたが、特にマークされるようなぐれた子どもではありませんでした。

相模原市の小・中学校を卒業後、植松聖は東京都八王子市の私立高校に進学しています。

高校時代の植松聖も、高校で喧嘩して友人を殴ったことはありますが、やはり特に粗暴な人物として見られていたわけではありませんでした。
 
 
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父親と同じ教師を目指して教育系の大学へ進学

その後、植松聖は都内の私立大学の教育系の学部に進みます。

近所に住んでした知人男性は植松聖が「俺も父親のように教師になりたい」と話していたことを覚えています。

植松聖は大学4年生のころには、地元の千木良小学校で教育実習をしました。

プールの実習では上半身に広がるいれずみを隠すためにスイムスーツを着込んでいました。

子どもたちの面倒見はよかったようで、校庭で子供たちとよく遊んでいる姿が地元で評判になったといいます。

仲間内からは気さくないいやつでムードメーカー的存在だったといいますが、大学生活はあまり学業に身を入れておらず、成績はおしなべて低く、単位を落としたり、履修を放棄した科目も多かったといいます。

教育系の学部だったので周囲の学生は真面目な人が多く、そんな彼らは植松聖を「ドロップアウトした」とみていたらしいです。

植松聖の知人
事件を知って「ああ、あいつか」と思った。

大学には居場所がなかったのではないか

そんな植松聖は結局、教員採用試験は受けませんでした。

かといって、別の道を求めて就職活動を熱心にしたわけでもありませんでした。

逮捕後に植松聖はこう話しています。

植松聖
頭が悪いから、教員は諦めた
 
 
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植松聖の入れ墨がワンポイントから上半身全体へ

植松聖が初めていれずみを彫ったのは、相模原市の彫り師に頼んだことがきっかけだといいます。

彫り師
植松聖がはじめて店に来たときは短い黒髪で眼鏡をかけてる 地味な、どこにでもいる大学生だった。

植松聖は「就職があるので、目立たないように彫ってください」と頼まれた。

そして植松聖の両腕に金魚と唐獅子のワンポイントを、シャツで隠れるように入れた。

その彫り師のもとに何度か通った植松聖は、自分も彫り師になりたいから弟子入りさせてくれと頼んだのですが、彫り師男性は「誰でもなれるわけじゃないから」と諭したと。

ところがその半年後、どういうわけか植松聖は自分のsnsに「彫り師始めました」と投稿していました。

植松聖が実際に彫り師として働いたかどうかは定かではありませんが、植松聖の体の入れ墨はどんどん増えていき、ついには上半身全体まで広がりました。

植松聖被告から届いた「1枚の絵」

植松聖 うえまつさとし 入れ墨

2017年7月20日の消印が押された封筒には、3枚の便せんとともに1枚の絵が同封されていた。

相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件で、殺人罪などで起訴された植松聖被告(27)から神奈川新聞社に送られてきた3通目の手紙だ。

滝登りをするコイと、桜の花びらが舞う図柄。

手紙に詳しい説明は記されていないが、まるで入れ墨の下絵のようだ。

よく見ると、コイの目だけが青や赤、黄色で色づけられており、胸びれと背びれが傷付いている。

手紙にはこうあった。

「私は人間性が未熟であり、容姿も歪な為に、人を不快にすることもあるかと思います。せめて少しでも奇麗な絵を描くことで、私の考えをお伝えする助力になれば幸いです」(原文まま)

via:植松被告から届いた「1枚の絵」Yahooニュース

植松聖の同級生で遊び仲間だった友人男性は、ドライブしているときに植松からいれずみを見せられています。

植松聖の友人
後悔するから、入れ墨はやめた方がいいよ
植松聖
かっこいいから、いいじゃん!

その時はそう言い返されて、話は終わってしまったそうです。

植松聖の友人
不良ぶるというか、自分を強く見せたかったんだと思う。

植松聖はそれまで仲間内では、下っ端も下っ端だったから。

植松聖の薬物中毒は公然の秘密だった

大学生時代、植松聖が薬物に手を出していることは公然の秘密でした。

植松聖の友人
自宅で、目の前で、ハーブを吸ってましたよ

ハーブというのは「脱法ハーブ」と呼ばれている危険ドラッグのこと。

はじめは脱法ハーブを使っていた植松聖は、次第に大麻に手を出していったとみられています。

事件の5か月ほど前の2016年2月、植松聖は衆院議長公邸に「お願い」の手紙を持参していました。

そこには 日本でも医療大麻を導入してほしいという、大麻の合法化を訴えた内容も含まれていました。

植松聖
「向精神薬」は「心を壊す毒」だが、地球の奇跡が生んだ大麻の力は必要不可欠だと考えます

植松聖が大麻で緊急措置入院

その後、植松聖は相模原の北里大学東病院に緊急措置入院し、尿検査で大麻の陽性反応が出ました。

常にイライラしていて起こりやすく、興奮していて、反社会的な言動や妄想が見られたといいます。

その時にも「障害者は死ぬべきだ」と口走っていました。

その時担当した2人の医師はこう診断しました。

医師たち
大麻の影響によって精神を病んだ状態にある

植松聖はこの時 12日間入院しました。

そして退院前日に、大麻を絶ちたいと、外来診療を自ら希望しました。

そこで主治医は薬物の再使用防止を支援する施設に関する情報を盛り込んだ「退院療養計画書」を作って、看護師から植松聖本人と母親に説明をさせたそうです。

ところが、植松聖の治療は長続きしませんでした。

退院後に出席した友人の結婚披露宴の2次会では、喫煙所で大麻特有の甘いにおいが漂ったといいます。

植松聖の友人
結局、自分に自信がなかったんだと思う。

酒だって弱くてすぐつぶれるし。

意気がってハイになって、人との差を埋めたかったのでは。

 
 
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津久井やまゆり園職員としての植松聖

植松聖は逮捕後に「障害者は不幸だと思った」と供述していますが、植松聖の学生時代の友人知人によると、植松が障害者を貶めるような発言を聞いたことがある人がいませんでした。

ではいつからこういう差別的な考えを膨らませたのか。

それは植松聖が津久井やまゆり園に転職してから、言動に変化が現れたとみて間違いなさそうです。

植松聖は大学卒業後、数か月間 清涼飲料を扱う運送会社で働いています。

その後の2012年8月に、津久井やまゆり園の指定管理者である「かながわ共同会」が主催する就職説明会に参加しています。

その翌日に採用試験を受けて、実務試験や面接を経て、2013年4月1日付の内定を得ています。

学生時代の特別支援学校での実習や障害者支援ボランティアの経験、学童保育所での3年間のアルバイトを挙げて「福祉業界への転職を考えました」と植松聖は書いていました。

内定後、津久井やまゆり園では欠員を補充するため、働き始める時期を前倒ししています。

植松聖は2012年12月から1月まで非常勤職員として、2~3月に臨時的任用職員となり、2013年4月には予定通り常勤職員に採用されました。

津久井やまゆり園の家族会が発行した機関誌に、植松聖はこう書いています。

「心温かい職員の皆様と笑顔で働くことができる毎日に感動しております。1年後には仕事を任すことのできる職員を目指して日々頑張っていきます。」

ところが植松聖の態度は 津久井やまゆり園で働き始めてから 次第に変化していきました。

植松聖の友人
はじめは「慣れると障害者はかわいい」と言っていたのに、次第に「かわいそうだ。あれは生きているとは言わない」と話すようになった

2013年5月に 植松聖は入所者の手首に黒いペンで時計のいたずら書きをしています。

食後のテーブルの拭き方が雑なこと、就業時間前に帰ってしまうことなどを上司から指摘されるようにもなっていきました。

入所者がいない部屋で昼寝していたり、先輩が呼んでもテレビを見ていて来なかったりというだらしないところが目立ちだしたのです。

2014年の大晦日には、入居者の入浴の時に、植松聖の上半身いっぱいに般若などの入れ墨があることを 同僚に知られてしまいます。

ところが本人はどこ吹く風。

年が明けて、入れ墨が入った自身の裸の写真をツイッターにアップしてひと言。

植松聖ツイッター
会社にバレました

植松聖の入れ墨のことは津久井やまゆり園の上司の耳にも入り、総務部長は津久井署を訪れて、植松聖と暴力団の関係を尋ねましたが、

津久井署
暴力団との関係の有無は回答できない

かながわ共同会の顧問弁護士にも相談しましたが

顧問弁護士
入れ墨を理由とした解雇は困難

そして2015年2月6日と17日の2階、幹部5人が植松聖と面接をしました。

面接では入れ墨を確認し、それについての植松聖の考え方を訊ねると

植松聖
(入れ墨については)人生は一度きりだから

幹部らは植松聖に、■それは福祉に従事する園としては不適切である ■勤務中には一切見えないように工夫すること ■上司に報告した同僚を逆恨みしないこと …などを伝え、植松聖もこれを了承し、こう言いました。

植松聖
今後も仕事を続けたい

それ以降、ひと月に1回程度、幹部が植松聖を面接することになりました。
 
 
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相模原障害者殺傷事件までのカウントダウン

2016年2月 狂気の始まり。悪質なビラ配り

その1年後、2016年2月頃に、植松聖は勤務先の周囲でビラを配っています。

そこには「障害者が活きているのは無駄だ」などと書かれていました。

2月14~15日 衆院議長公邸に手紙

2016年2月14日、植松聖は東京・永田町の衆院議長公邸を訪れました。

植松聖は紺のスーツに同色系のコートを羽織り、午後3時25分、公邸のインターホンを押し、大島理森(おおしまただもり)議長に手紙を渡したいと申し出ました。

「休日なので対応できない」と断られても、植松聖は帰ろうとせず、詰所にいた警官に職務質問されて立ち去りました。

その翌日の午前10時20分にも、植松聖は公邸に姿を現しました。

公邸職員は「郵送してくれれば、金属探知機で調べた後に処理します」といいましたが、植松聖は門の前に座り込んで動こうとせず、挙句、土下座まで始めたのです。

そして2時間後、通行人の迷惑になるということで公邸側は仕方なく手紙を受け取っています。

手紙は便せん3枚に、手書きでしたためられていました。

■私は障害者470名を抹殺することができます。

■私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、および社会的活動がきわめて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死させる世界です。

■障害者は不幸を作ることしかできません。

中でもいちばん狂気に満ちていたのは「作戦内容」でしょう。

作戦内容

職員の少ない夜勤に決行いたします。

重複障害者が多く在籍している2つの園を標的とします。

見守り職員は結束バンドで身動き、外部との連絡をとれなくします。

2つの園の260名を抹殺した後は自首します。

作戦を実行するに、私からはいくつかのご要望がございます。

逮捕後の監禁は最長2年までとし、その後は自由な人生を送らせてください。

心神喪失による無罪。

新しい名前(伊黒崇) 本籍、運転免許証等の生活に必要な書類。

美容整形による一般社会への擬態。

金銭的支援5億円。

これらを確約していただければと考えております。

ご決断いただければ、いつでも作戦を実行いたします。

日本国と世界平和のために、何卒よろしくお願いいたします。

想像を絶する激務の中、たいへん恐縮ではございますが、安倍晋三様にご相談いただけることを切に願っております。

 

手紙の内容は異常でしたが、送り先が衆院議長だったことから「脅迫状」としては扱われず、立件はされなかったのです。
 
 
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2月15~18日 津久井署とやまゆり園で厳重警戒

2016年2月15日、警視庁からの連絡で手紙の内容を把握した津久井署はやまゆり園に 植松聖の様子や勤務シフトを訊ねました。

さらに植松聖が国会議員に手紙を渡したこと、入居者に危害を加える内容だったことをやまゆり園に説明したうえで、■植松聖を一人にしないこと ■この件を植松聖に言わないこと …を伝えました。

そして警察としてはやまゆり園付近の巡回を強化することを約束しました。

また18日には植松聖の言動を園が職員から情報収集しています。

2/12植松聖
障害を持っている人にやさしくすることに意味があるのか
2/18植松聖
(医療的なチェックをしている看護師に向かって)本当にこの処置はいるのか?

自分たちが手を貸さなければ生きられない状態で本当に幸せなのか?

2/18植松聖
(障害者は)生きていることが無駄だと思わないか。

急変時に延命措置をすることは不幸だと思わないか。

2月19日 植松聖が津久井やまゆり園を退職

この日、園内で植松聖と幹部3人が向き合って話をしています。

「障害者は生きていても仕方がない」「安楽死させた方がいい」という園内での発言について 幹部の前で植松聖はこうきっぱり言い切りました。

植松聖
自分が思っている事実。

自分の考えは間違っていない。

仕事を続けることはできないと自分も思う。

今日で退職する。

総務部長が辞職願の用紙を渡すと植松聖はその場で記入し、自分の荷物をまとめ、預かっていた園の鍵を返却して、津久井やまゆり園を去っていきました。

2月19日 津久井署が植松聖を保護

津久井署は「障害者を大量抹殺できる」と言った植松聖の発言から「他人に危害を及ぼす恐れがある」と判断し、警察官職務執行法に基づき、植松聖を保護しました。

2月19日~3月1日 植松聖が北里大学東病院に措置入院

そして午後8時半頃、植松聖は北里大学東病院で緊急措置入院ができるかどうかを判断する診察を受けました。

措置入院とは、精神障害が原因で自他を傷つける恐れがある場合に、本人の同意なしでも精神科病院に入院させることができる仕組みです。

担当医師は植松聖の手紙を読み、本人の話を聞いたうえで、これから殺人・傷害・暴行・脅迫を起こす恐れがあることを診断書で指摘し、植松聖の緊急入院措置を決めました。

植松聖は興奮状態だったので隔離病室に入れられましたが、ドアを蹴り、大声を出すなど精神錯乱が見られたそうです。

翌日2月20日には、とうとうあのセリフが飛び出しました。

植松聖
ヒトラーの思想が降りてきた!

そして2月22日、2人の医師の判断で植松聖は措置入院となりました。

尿からは大麻の陽性反応が出て、植松聖は「入院の数日前に使った」と説明しています。

1年前から週に1度から月に1度くらい、大麻を使っていたと。

ところが病院は大麻の陽性反応が出たことを警察に連絡しませんでした。

そして植松聖は「大麻の影響によって感情を抑えることができなくなっていた」と判断されました。

後の厚労省の検証では・・・
大麻による脱抑制だけで「刺し殺す」言動は生じにくいと考えられるのに、担当医は他の心理検査を実施することはなく、植松聖が抱えるそれ以外の精神障害についての検討を十分にしなかったとされています。

また当時のこの病院には、大麻に起因する症状を植松聖に認めたくせに、薬物関係の精神障害について十分な経験がある医師が一人もいませんでした。

この病院で行ったことは、他の医療機関で実施している「薬物再使用防止プログラム」の資料を植松聖と母親に渡しただけ。

薬物の再使用を防ぐ取り組みは不十分だったのです。

3月2日 植松聖が退院「医者をだまして退院してきた」

植松聖
入院時におかしかったのは、大麻が原因ではないか
植松聖
自分でもおかしいのはわかってるけど、外来でやれるし、ここに入院するほうがおかしくなる。
植松聖
早く帰りたい。こうしてはいられない。

やるべきことがまだまだたくさんある。

こう話す植松聖に対して主治医は「症状が消褪した」と診断しました。

そして入院から12日後の3月2日、相模原市は植松聖を退院させたのでした。

しかし植松聖は考えを改めたわけではなく、友人にこう打ち明けていました。

植松聖
医者をだまして退院してきた
植松聖
障害者の殺害計画を実行するため退院できるよう、おとなしくして取り繕った
植松聖
国が計画を認めてくれないことがわかったので、自分で実行しようと決意した

当時を振り返り、その友人はこう証言しています。

植松聖の友人
入院前のヤバさがレベル5だとしたら、退院後はレベルMAXだった。

植松は「UFOが見える」とか「お告げが聞こえる」と言い出したことを覚えている。

周囲が「お前、そんなこと本気で言うな」とたしなめると「なんで信じてくれないんだ!」と怒り出した

退院後、植松聖は東京都八王子市の両親の家で一緒に暮らすことになっていましたが、彼はそうはしませんでした。
 
 
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3月24日 植松聖が生活保護の申請

植松聖はこの日、相模原市の生活保護の窓口を訪問しています。

植松聖
預貯金が底をついてしまい、働いていないので生活できない。

親族の援助もなく一人で暮らしている

担当者が理由を尋ねると

植松聖
同僚とトラブルがあって、辞めざるをえない状況になった。

同僚にないがしろにされているようで、悔しかった。

辞めざるをえない状況に陥れた人たちは許せない

こうして一時期、植松聖は多額ではなかったですが、相模原市から生活保護を受けました。

植松聖の友人
植松は金がない、金が欲しいと常に話していた。

整形手術やクラブで遊ぶ金に使って、消費者金融で200万円くらい借金していた

3月には2回、措置入院先の外来を受診しましたが、それ以降は通院はやめてしまっていました。

5月の予約を6月28日に変更していましたが、植松聖は病院には姿を現しませんでした。

6月27日 ムエタイジム通い

植松聖は約2年ぶりに相模原市のムエタイジムを訪れています。

そのジムには事件4日前までに9回通っています。

植松聖
出なきゃいけない格闘技の試合がある。

7月25~26日 暴力団に狙われているから決行を前倒しした

植松聖は、当時凝っていた「イルミナティカード」で、事件を起こす日を10月1日決めていました。

ところが「自分は大麻の合法化を考えていたので、大麻を資金源にしている暴力団から狙われている。殺される前に早く事件を決行しなければ」と思い込んで、計画実行を前倒ししたといっています。

津久井やまゆり園には津久井署の指導で防犯カメラが16台設置されていましたが、防犯の抑止効果を期待したもので、常時監視する態勢はとっていませんでした。

そしてあの惨劇が起きました。

相模原障害者殺傷事件 植松聖(うえまつさとし)の現在と事件概要

事件から1週間後、植松聖の父親が勤める小学校では保護者会が開かれ「息子がとんでもないことをしてしまいました。申し訳ございませんでした」とする父親のコメントが 校長により紹介されています。

植松聖は逮捕後、こう供述しています。

植松聖
突然のお別れをさせるようになってしまって、介護を一生懸命していた遺族の方には心から謝罪したい

確かにこれは一種の謝罪ではあります。

でも、これは遺族に向けた謝罪であり、多数の死傷者へ向けたそれではなかったのです。
 
 
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植松聖 相模原障害者殺傷事件