スナック バロン 植垣康博が見た連合赤軍「総括」という名の殺人

植垣康博(うえがきやすひろ)が見た連合赤軍

八木澤高明
坂東さんはどこにいるんですかね。
植垣康博
どこなんだろうね。

「坂東さん」とは連合赤軍幹部の坂東国男(坂東國男・ばんどうくにお)のことだ。

坂東国男は連合赤軍事件の同志殺害や浅間山荘事件に関与して他のメンバーとともに逮捕・収監されていたが、日本赤軍が起こしたクアラルンプール事件の身柄釈放要求により解放され、海外に逃亡し、今も国際指名手配中だ。

坂東国男は日本を出国後リビアに向かい、中東を拠点に活動していたが、中国やネパールなどにも入国したことがわかっている。

学生運動が下火になってきた頃の1971年7月、共産主義同盟の赤軍派と日本共産党革命左派(京浜安保共闘)が合体し、連合赤軍が結成された。

連合赤軍は山岳を拠点にしながら革命闘争理論に影響を受け、群馬県の迦葉山や榛名、妙義などに山岳ベースを置き、軍事訓練をしていた。

榛名山にこもった連合赤軍は、森恒夫(委員長) 永田洋子(副委員長) 坂東國男、吉野雅邦らが選ばれた。

そして榛名山と迦葉山でのアジトで、連合赤軍は「総括」の名の下に、12名の同志を殺害した。

そこには植垣康博の姿もあった。
 
 


 
 

植垣康博は1949年、静岡県金谷町(現・島田市)生まれ。

父親は農場長で、町の有力者の一人だった。

植垣康博は1971年に赤軍派として坂東国男率いる隊に所属し「M作戦」と呼ばれる金融機関強盗を行っていた。
 


 
赤軍派が京浜安保共闘と統一して連合赤軍となると、兵士のリーダー的存在となり 山岳ベース事件にも加担。

榛名ベースの会議の席で相思相愛を表明した恋人・大槻節子の死に直面する。


その後 自身も総括要求をされ、一時は正座をさせられた。
 
 

しかしそれ以上の虐待やリンチには至らないまま放免となり、植垣康博は総括をされたが生還した唯一の連合赤軍メンバーである。

植垣康博
自分が生還できたのは運が良かったとしか言えないけど、僕は手先が器用で大工仕事ができたからだと思う。
 
幹部たちも僕がいないと小屋も作れない。技術が身を助けたのかもしれない。
 
 
植垣康博 連合赤軍 スナックバロン
via:http://agency-inc.com/

 
あさま山荘事件の直前に植垣康博は軽井沢駅で逮捕され、懲役20年の実刑判決を受けた。

そして1998年に甲府刑務所を出所し、現在植垣康博は静岡県静岡市葵区でスナック「バロン」を経営している。

スナック「バロン」のアルバイトの33歳年下の中国人留学生と結婚し、一男をもうけている。


 

 
 
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連合赤軍山岳ベース事件・榛名山ベース跡

植垣康博 連合赤軍 榛名ベース

via:https://ameblo.jp/shino119/ 植垣康博が書いた榛名ベース

榛名山の山岳ベース跡は、榛名湖からほど近い林道から歩いて20分ほどの場所である。

大久保清が被害女性を埋めたキャンプ場も近くにある。

生い茂る熊笹をかき分けていくと小川が流れる谷があり、そこがベースの跡地である。

この場所に小屋が建てられ、29人の連合赤軍メンバーが生活をしていた。

目の前の小川を利用し、メンバーたちは顔を洗ったり、食料を煮炊きしていたという。

連合赤軍がこういう場所に根拠地を築いたのは、彼らが毛沢東の人民戦争論に傾倒していたからだ。

人民戦争を行うゲリラが根拠地とすべきは、政府軍が近寄りがたい山村ということで、今でも左翼ゲリラが拠点とするのは山村である。
 
 
1972年1月に植垣康博が榛名ベースに着いたときにはすでに総括という名のもとで同志殺害が始まっていた。

植垣康博
ぴりぴりとした緊張感が漂っていて、重苦しい雰囲気だった。
 
縛られている者やすでに息絶えた者もいて、独特の甘ったるいにおいがしていた。

なぜ同志殺しをするようになったのか?

植垣康博
2つの組織が連合したことにより、主導権争いから、森恒夫さんの観念の世界に入ってしまった事が大きいと思う。
 


 
森恒夫とともに同志殺害の中心にいた永田洋子は 連合赤軍結成前に出会った彼女とは雰囲気が変わっていたと、植垣康博はいう。

植垣康博
永田洋子はニコニコした普通の女性だった。
 
威張るところがなくて人と分け隔てなく付き合う気さくな人というのが彼女の第一印象だった。

永田洋子のベースが丹沢の山の中にあって 爆弾の作り方を教えに行ったとき、夜にそこで寝ることになって。
 
みんなで雑魚寝して、永田さんにちょっかいを出しそうになったんだけど…連合赤軍が結成されるまでは、まだ穏やかな雰囲気があったよ。

ところが榛名ベースにはそんな牧歌的な雰囲気のかけらもなく、永田洋子は鬼婆になっていた。

最高幹部の永田洋子と、単なる一兵士の植垣康博の間には会話もなかったという。

ちなみに坂東国男は著書「永田洋子さんへの手紙」の中で「私や同志達に映っていた永田同志は、人間的感情のひとかけらもない“鬼ババア”でしかありませんでした」と書いている。


 
 

植垣康博
永田洋子には自分というものがない。
 
連合赤軍では森恒夫の言ったこと、逮捕後の連合赤軍に関する情報や裁判闘争では、僕の言ったことをそのまま鵜呑みにする。
 
他人が言ったことさえも、自分が言ったように言ってしまう。
 
あの榛名山では、森恒夫の影響が大きかった。
植垣康博
永田洋子はチェーホフの「かわいい女」だなと思った。
 
主人公の女は好きな男が変わる度にその男の考え方に染まり、さも男の意見が自分の意見のように言ってしまう。
 
永田洋子そっくりだなと思った。
 
 
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連合赤軍「総括」 同志殺害の理由

同志殺害につながった総括の理由は、森恒夫と永田洋子の両最高幹部が 革命を勝ち抜くために共産主義化し、立派な革命戦士にならなければならないという理想を掲げたことだった。

ほんの些細な生活態度などがやり玉に挙げられて、総括しろ!と名指しされた者には死が待っていた。

榛名ベースに加わった植垣康博自身も同志の殺害に加わった。

植垣康博
党を離れて何ができるか。党の存在というのが絶対的な存在だった。
 
こんなことやる必要があるのか?と思っても、それから逃げてはいけないと思っていた。
 
共産主義化に対しても、ちゃんとやらなければいけない。
 
そういったことが自分自身の行動を律していた。

ただ自分と党という形で対象化も、自分と党を一体化して物事を考えることもできなかった。

傍から見れば異常だとわかることも、その組織の中では当たり前になってしまっていたということだろう。
 
 

連合赤軍山岳ベース事件・迦葉山ベース跡

植垣康博 迦葉山ベース

via:http://blog.goo.ne.jp/nostalgia2014kk

 
迦葉山ベースは植垣康博にとって特別のところだ。

恋人の大槻節子さんが総括の末に亡くなった場所なのだ。

植垣康博
彼女の死を知ったとき、がっくりきた。
 
なんでそんなことをするんだよって思ってたよ。

植垣康博自身も総括に加わって同志を死に至らしめていて、それは党のためにやったと語っているが、恋人の死という悲劇には怒りがこみ上げるのだ。

勝手だなと思うけれど、でもこれが人なのだ。人は弱い。

連合赤軍という組織は思想や党という組織にとらわれすぎて、自滅の道を歩んでいったのだ。

彼らが革命を目指しているなら闘うべきは国家だったはずで、同志でも一個人でもないはずなのに、それが彼らにはわからなかった。

若気の至りではなくて、彼らは全員が未熟だったのだと思う。

結局、彼らが振り上げた刃は、自分に向かってしまったのだから。

連合赤軍トップ・森恒夫と永田洋子の最期

浅間山荘事件後に山岳ベース事件が発覚したあと、連合赤軍トップの森恒夫は拘置所で自殺している。
 

連合赤軍事件 森恒夫 自殺

森恒夫は 一連の連合赤軍事件の取調べで「全ては僕と永田洋子さんの責任です」と語っている。

そして1973年1月1日(逮捕11ヶ月目)に 森恒夫は「自らに有罪を下す」と自己批判をして、東京拘置所独房で首吊り自殺をした。

森恒夫には逮捕当時に妻子がいたが、逮捕直前に妻子との離婚を考えていた。

そして「革命のためにはそれがふさわしい」と、永田洋子との再婚まで考えていたという。

森恒夫の死を獄中で聞いた永田洋子は「ずるい!」と絶叫した。

その永田洋子は死刑が確定し、東京拘置所に収監されていたが、2011年2月に拘置所で病死している。


 

 
 

あさま山荘事件で逮捕された坂口弘や吉野雅邦らにも死刑と無期懲役が確定し、国外逃亡した坂東国男以外は相応の処分が下されている。

そして今年は連合赤軍事件発覚から45年目にあたるが・・・世間に衝撃を与えた連合赤軍事件の記憶が薄れつつある中、未だに指名手配中の坂東國男が逮捕されるまで、連合赤軍事件にピリオドは打たれていない。
 
 
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via:日本の凶悪犯罪100

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