上田宜範の生い立ちと大阪愛犬家連続殺人事件【120号事件】まとめ

上田宜範 大坂愛犬家連続殺人

「大坂愛犬家連続殺人事件」は「埼玉愛犬家連続殺人事件」と混同されることも多いですが、こちらはタイトル通り大阪府を中心に起こった事件で、遺体が長野県で発見されていることから「警察庁広域重要指定 120号事件」とされています。

上田宜範死刑囚の生い立ち

 


 
上田宜範死刑囚は1954年、大阪府堺市の老舗の酒屋の長男として生まれている。

経済的にも恵まれた家庭で 上田は祖母に溺愛されて育った。

少年時代の上田宜範はとてもお人よしで気が弱い少年だったという。

過保護に育てられたゆえに忍耐心にかけるところがあり、上田宜範は中学では剣道部、高校では野球部に所属したが、いずれも長続きせずにやめてしまっている。

上田宜範の学校の成績は中ぐらいで、特に目立つこともなかった。

私立興国高校卒業後は実家の酒屋を手伝っていたが、上田宜範はろくに仕事をせずに 趣味の車やバイクに熱中していた。

20代半ば、父親の援助により事業欲に駆られた上田宜範が会社を興したことから、彼の人生の歯車が狂いだした。

友人と共同で住宅販売会社を興こし、事業家気取りでいられたのは一時で、会社は3000万円の負債を抱えて倒産した。

この時の借金は上田宜範が両親に助けを乞うことで何とか切り抜けている。

その後に不動産会社と自動車販売会社を興したが、友人にその運転資金を使い込まれ、負債は7000万円まで膨れ上がった。

しかしこれは祖母が株を売却したりして、なんとか返済をしたという。

これらにたまりかねた両親が上田宜範に準禁治産者を宣告し、父親は宜範を勘当した。

以降、上田宜範は人間不信に陥り、騙す側から騙される側になっていった。

上田宜範は定職に就くことなく、金を持っていそうな人に近づいて金を騙し取るなどの詐欺人生を送るようになった。

「騙すやつより騙されるほうが悪い」これが上田宜範の人生哲学になっていた。

34歳のとき上田宜範は故郷を捨て、長距離トラックの運転手のほか様々な職を経て、静岡県御殿場市に居を構えた。

御殿場市を選んだのは、かつて結婚まで考えたS子が住んでいたからだ。

一つ年上のS子は2年間大坂で上田宜範と同棲し、上田の両親にも会っている。

昼間はゴルフのキャディ、夜はバーのホステスをしていたS子にはパトロンがいたため、S子は上田と結婚することはなかった。

S子
上田は私のためにずいぶんお金を使ってくれた。

いくら飲んでも2~3万の店なのに、一晩に10万も20万も使ったり、いろいろなものをプレゼントしてもらった。

上田はすごく暴力を振るうし、あちこちに女がいて、袋叩きにされた女もいた

上田宜範は御殿場市内の電機店でテレビとビデオを購入し、その店に足しげく通っていたという。

電機店の店主
上田宜範はいいとこの坊ちゃんみたいな感じだった。

夕方の4時か5時頃になると うちの店でお茶を飲んでいってた。

うちの母親を「おばあさん」と呼んでなついてた。

うちは結局、上田からステレオとビデオ代金の30数万円を騙し取られたけど、やつは家庭のぬくもりに飢えていたんじゃないかな

上田宜範の御殿場時代はちょうどバブル時代で、上田は仕立ての良いスーツに身を包み、赤いフェアレディZと濃紺のベンツを乗り回していた。

そんな上田宜範を周囲の人たちは大阪出身の成金だと思っていた。

セントバーナードを注文したペットショップでは、外車の販売会社を経営していると話していた。

ペットショップの店員
ベンツを2つに切って大きなリムジンに改造して、それにセントバーナードをのせて走りたいと言っていた。

でも犬を届けるために上田に電話すると「注文した覚えはなし。俺には双子の弟がいるから、弟が注文したんだろう」と見え透いた嘘をついた。

1990年5月、上田宜範は知り合いのパチンコ店の店員にスナックの開店話を持ちかけ、百数十万円を騙し取っている。

このときに店員に詰め寄られたため、彼を絞殺したものの、2年間 事件は発覚しなかった(富士山麓の樹海に埋めたと供述したが、遺体は発見されず)

1990年8月、上田宜範は精肉店から修理の依頼を受けた外車を勝手に売り飛ばす等で 横領と銃刀法違反で逮捕され、懲役1年3ヶ月の実刑判決を受けた。
 
 
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自称「犬の訓練士」

1991年6月、上田宜範は横領と銃刀法違反による10か月間の刑期を終えて仮出所した。

そして静岡県御殿場市から生まれ故郷の大阪府堺市に舞い戻ったが、実家から勘当された上田には帰る家がなかった。

そこで上田宜範は実家から2キロほど離れたところに四畳半一間のアパートを借りた。

1992年春、当時38歳の上田宜範は大阪南港にある物流会社の夜勤アルバイトをやめて失業中だったが、そのころから自称「犬の訓練士」を名乗るようになった。

御殿場時代の上田宜範は犬の訓練士と接触する機会があり、その様子を見よう見まねで覚えて、犬の訓練士を自称するようになったのである。

まともな訓練技術も専門知識も経験も持ち合わせてはいなかったが、犬好きだったのは間違いないようだ。

このころの上田宜範は、御殿場時代から飼っていた2頭のシェパードを大和川左岸の河川敷で散歩させていた。

そこでは朝夕にはいつも同じ顔ぶれの愛犬家が顔を合わせ、会話や情報交換をしていた。

上田宜範は血統書がついた純血種の犬を連れた女性を見かけるたびに「犬を訓練してやるよ」と言って近づいていたが、雑種を連れている人には見向きもしなかったという。

犬に金をかけない層の人たちは上田宜範にとってはアウトオブ眼中だったのだ。

畜犬業者と獣医師の黒い癒着を利用した殺人

1992年6月、上田宜範は大阪市住吉区で動物病院を開業する獣医師の知人を訪れ

上田宜範
安楽死させたい犬がいる

…と言って筋肉弛緩剤「サクシン」のアンプル2本と注射器を入手した。

犬の業界では当時、売れ残った犬を薬で処分することが横行していた。

処分というのは劇薬を使ってで安楽死させること。

それを支えていたのは業者と癒着する一部の獣医師の存在である。

獣医は上田宜範にこう言った。

上田宜範の知人獣医
1本打てば、馬でも倒れる

アンプルを入手した上田宜範は、早速それを大型犬のドーベルマンに打ってみると、その犬はあっけなく死んでしまった。

それを見た上田は「これは使える!」と思った。

2年前、上田宜範は18歳のパチンコ店店員を絞殺していたのだが、未だに自分のところに全く捜査の手が伸びてこなかった。

そんな状況から上田宜範には「人を殺したってそう簡単にバレたりはしない」という考えと「この劇薬を人体で試してみたい」というどす黒い欲望が渦巻いていたと思われる。
 
 
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第一の犯行…瀬戸博さん(23歳男性)殺害

1992年5月、いつもの通り上田宜範が河川敷で犬を散歩させていると、顔見知りの男がバイクに乗って通りかかった。

その男は物流会社で一緒にアルバイトをしていた瀬戸博さん(当時23歳)

瀬戸さんと上田宜範(当時38歳)はバイト時代、仕事上のことでトラブルを起こしたことがあった。

瀬戸
おっさん、会社の者に俺の悪口を言いふらしてるらしいな。

俺のことを暇な時だけバイトする奴で、学生のくせに生意気だって言っただろ。

上田宜範
そんなこと、言うてへん。

1992年6月下旬、上田宜範はいつもの河川敷で犬を散歩させているとき、再び瀬戸さんと出会った。

上田宜範が避けていこうとすると、瀬戸さんは罵った。

瀬戸
逃げるんは卑怯や!

会うたびに言った!言わない!で大喧嘩になる瀬戸さんに、上田宜範はサクシン(筋肉弛緩剤)を注入して殺害しようと決意した。

上田宜範は住吉区の獣医師に頼み込んで、さらにサクシンのアンプル5本と睡眠導入剤を譲り受けた。
 
 
数日後、上田宜範は仲直りを口実に瀬戸さんを呼び出し、堺市内の阪和線三国が丘駅付近で待ち合わせをした。

車には、筋肉弛緩剤と注射器を入れた薬箱をのせていた。

瀬戸さんを車に乗せて走っていると急に下痢を訴え始めたので

上田宜範
下痢止めを持ってるから、これを飲みな

…と言って 瀬戸さんに睡眠導入剤を渡して飲ませた。

そして意識がもうろうとした瀬戸さんをのせたまま、上田宜範は車を長野県へ走らせた。

上田宜範は犬の訓練所にする名目で、長野県塩尻市洗馬地区の畑地2500㎡を年間2万円で借りていた。

午後10時半頃にその農地についた上田宜範は、瀬戸さんの体をロープで縛り上げ、身動きが取れないようにした上で、筋肉弛緩剤のアンプル1本を瀬戸さんの左腕に注射した。

瀬戸さんはまもなく呼吸が止まって窒息死。

上田宜範は瀬戸さんを 借りている農地に埋めた。

第二の犯行…藤原三平さん(33歳男性)殺害

第二の犯行は愛犬雑誌の読者投稿欄がきっかけとなった。

上田宜範は愛犬雑誌「愛犬の友」で文通相手を求めていた女性と文通をはじめ、知人から購入したシェパードの子犬を贈っていた。

その後上田宜範は犬の様子を見る目的で淀川区にある文通相手の自宅を訪ね、そこで彼女の元夫に出会っている。

文通相手の元夫=第二の犠牲者が藤原三平さん(33歳)である。

藤原元夫婦と上田宜範との間でペットショップを共同で開業する計画が持ち上がり、上田は資金の当てがないにもかかわらず、こんな約束をしてしまう。

上田宜範
開業資金として、自分は三百万円を用意する
 
 
1992年7月上旬、藤原さんが上田宜範に開業資金を出すように再三の催促をしてくると、上田はこう言い放ち、自分の預金口座に金を振り込ませた。

上田宜範
店をやる気があるんなら、三十万円くらい ワシに送って誠意を見せろ
 
 
7月25日、上田宜範へ藤原さんから電話がかかってきた。

藤原
話がついてないから会って話をしよう。

金のことをきっちりしてほしい

上田宜範は執拗に資金提供を迫る藤原さんに嫌悪感を抱くだけではなく、愛犬家仲間に悪口を言われることを恐れたので、藤原さんの殺害を決めた。
 
 
7月26日、上田宜範は東淀川区内で藤原さんをレンタカーに乗せ、長野県塩尻市に向けて走り出した。

午前0時頃に農地に到着したとき、上田宜範は藤原さんに睡眠薬と称して缶ジュースを渡した。

上田宜範
寝られへんのやったら、これを飲みや

藤原さんが後部座席に横になって眠り込んだとき、上田宜範は藤原さんの右腕にサクシンを注射した。

藤原さんもまた呼吸停止になって息を引き取ったので、上田宜範は瀬戸さんと同じように藤原さんを農地に埋めた。
 
 
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第三の犯行…柏井耕さん(20歳男性)殺害

藤原さんを殺害した頃 若い男性が上田宜範とともにこの農地を歩いているところを目撃されている。

この男性は上田宜範と夜勤アルバイトで一緒だった柏井耕さん(20歳)である。

柏井さんは「神戸の方にアルバイトに行く」と家を出たまま行方が分からなくなっていた。

柏井さんが姿を消す3か月前に、犬好きな柏井さんに上田宜範は事業の話を持ちかけていた。

上田宜範
ワシは将来、犬の繁殖場や訓練所をしたいんやけど、この仕事を手伝ってみる気はないか

塩尻市の農地で上田宜範は柏井さんと一緒に 犬の運動場づくりのために農地の整地作業をやっていたのだが、6月頃になると柏井さんはしばしば上田にアルバイト料を請求するようになった。

柏井
俺は仲間と一緒にレーシングカートをやりたいと思ってる。

だからカートを買う金が欲しいんだ。

上田宜範はその気もないのに、気前のいい返事を帰した。

上田宜範
できる限りの援助をする

この言葉を信じた柏井さんは7月半ばころに仲間と共同で 約48万円のカートを買うことにした。

その際、上田宜範が購入費用の半額を負担すると約束したので、柏井さんは上田と顔を合わせるたびに アルバイト料を請求するようになったのだ。
 
 
7月30日、上田宜範と柏井さんが塩尻市の農地に到着すると、上田は薬箱を取りし出して 柏井さんに睡眠薬を渡した。

30分後、上田宜範は柏井さんがぐっすり眠っていることを確認すると、彼の右腕に筋肉弛緩剤を注射した。

そして畑に穴を掘り、柏井さんの遺体をごみと一緒に穴に埋めてしまった。

第四の犯行…高橋サチ子さん(46歳女性)殺害

1か月余りの間に3人の男を殺害した上田宜範だったが、それ以降1年間は何事もなく過ごしていた。

上田宜範は堺市の四畳半一間の部屋を引き払い、大阪府八尾市の一戸建ての借家に引っ越した。

1993年9月頃、上田は劇薬(致死量70人分!)を譲り受けた獣医師から、46歳の主婦 高橋サチ子さんを紹介された。

高橋さんはグレートピレニーズという純白の超大型犬を飼っていた。

この種はペットタイプで30万円、ドッグショータイプとなると50万円以上する高価な犬だった。

1993年10月上旬に、高橋さんが入院することになったとき、上田宜範は高橋さんから犬4頭の預かり先を紹介してほしいと頼まれ、うち2頭を上田が預かることになり、高橋さんと親しくなっていた。

上田宜範
いずれは犬の繁殖の仕事がしたい

こう言う上田宜範の話に高橋さんは関心を示し、二人で繁殖場を共同経営するところまで話がまとまっていた。

そして高橋さんは現金50万円と指輪などの貴金属を上田宜範に差し出した。

ところが一向に上田宜範は繁殖用の犬を仕入れない。
 
 
10月25日朝、不安になった高橋さんは上田宜範に電話をして、地下鉄花田駅付近に呼び出した。

待ち合わせ場所に現れた上田宜範の車に高橋さんが乗り込んで、犬の仕入れを繰り返し要求した。

高橋
私を騙したりしたら、犬の仕事ができなくなるわよ

こう言った高橋さんに上田宜範は睡眠薬を飲ませ、彼女が眠りにつくとそのまま八尾市の借家に向かい、筋肉弛緩剤を注射して高橋さんを殺害した。

上田宜範は高橋さんの遺体をマットレスごと自宅にあった金属ロッカーに押し込み、ガムテープで目張りした。

それを一人では持ち上げられなかったので知人女性の息子に手伝わせて、遺体入りロッカーをライトバンの後部荷台に積みこんだ。
 
 
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第五の犯行…志治信子さん(47歳女性)殺害

1993年10月29日、上田宜範はやはり犬の繁殖場の共同経営を持ちかけていた志治信子さん(47歳)と会っていた。

志治さんは2年前に大和川河川敷で犬の運動をさせていた頃によく顔を合わせていて親しくなった愛犬家仲間の一人。

志治さんは13回にわたって上田宜範に合計730万円を支払っていたが、上田は繁殖用の犬を仕入れるわけでもなく、だまし取った金を生活費や借金返済に使ってしまっていた。

志治
お金を出しているのは、慈善事業じゃないのよ。

私を怒らせたらひつこいよ

志治さんは上田宜範に、繁殖場の計画が進んでいないことをなじり始めたので、上田は志治さん殺害を決めた。

上田宜範は志治さんに睡眠薬を飲ませ、眠りにつかせたところで車の荷台から物音がしてきたため、上田はロッカーのことが気になり、車を移動させ、人けのないところで荷物を固定させることにした。

そのときに眠りから覚めた志治さんが「何をやってるの?」と荷台に上がり込んできた。

志治さんは死体の入ったロッカーを覗き込み

志治
何を入れているの?変なニオイがするよ

上田宜範はとっさに死体の存在を知られたと思い、志治さんの背後から頭にビニール袋をかぶせ、身体をガムテープでぐるぐる巻きにした。

そしてサクシン(筋肉弛緩剤)を志治さんに注射して殺害した。

その後、金属ロッカーとともに彼女を塩尻市の農地に埋めてしまった。

大坂愛犬家連続殺人事件の捜査と上田宜範の裁判

警察庁広域重要指定120号事件の捜査

5番目の被害者志治さんの家族が捜査願いを出したため、大阪府警が捜査本部を設置した。

失踪した46歳・47歳の2人の主婦は共に愛犬家であったところから捜査をしていった捜査本部は、やがて行方不明者たちが一人の「自称・犬の訓練士」と接点を持っていたことに行き着いた。

その犬の訓練士が上田宜範(当時39歳)で、彼の周辺ではほかにも3人の男性が失踪していることも判明した。

そして1994年1月26日、上田宜範を殺人・死体遺棄の容疑で逮捕したところ、上田宜範は「高橋さんの遺体が入ったロッカーを埋めた」と自供。

2月10日には、この事件を警察庁広域重要指定120号事件と指定。

2月10日には志治さんと瀬戸さんの遺体を発見。

2月12日には柏井さんと藤原さんの遺体が発見された。

一審

上田宜範被告は取り調べでは5人の殺害と遺棄を認めていたが 公判では一貫して「調書は警察官の暴行で強要されたもので任意性、信用性がない」などと無罪を主張した。

弁護側
5人に注射した筋弛緩剤は致死量でない。

上田被告の供述と少し異なる場所から遺体が見つかっており、自白は有罪の立証につながらない。

検察側が「筋弛緩剤を人間にも試したかった」などとした動機の証明は不十分である。

控訴審

大阪高裁では、一審で弁護側が申請して退けられた上田被告の精神鑑定も行われ、責任能力は問えることが確認された。

裁判長
死刑は合憲。

調書の任意性は、警察官の暴行、脅迫で自白したと疑わせる状況はない。

供述通りに土中から被害者の遺体が見つかっており、被害者が筋弛緩剤で窒息死した状況や被告人の動機にも不自然な点はない

上告

弁護側
警察官の暴行、脅迫によって作成された自白調書を証拠採用したのは違法で、被害者を殺害する動機もなかったから、被告は犯人ではない。

一審・二審が認定した筋弛緩剤の量で殺害は不可能。

自白調書の信用性も疑問がある

裁判官
記録を調査しても、死刑判決を破棄する事情は認められない。

何の落ち度もない5人を身勝手な理由で殺害しており、冷酷、非道な犯行。

安易に殺人に及ぶ傾向が著しく、死刑を是認せざるを得ない

2005年12月15日 上田宜範被告に死刑確定。

1994年8月31日、筋弛緩剤を上田宜範被告に渡した大阪府住吉区の獣医師(当時47歳)は 獣医師法違反の罪で50万円の罰金刑を受けた。

警察庁はこの事件を広域重要指定事件(120号)とした。

大坂愛犬家連続殺人の被害者5人とは別に 上田宜範は静岡県内のパチンコ店員の男性殺害の自供も引き出したが、富士山麓の樹海に埋めたとする遺体が捜索で見つからず、立件は見送られた。