通り魔 無差別殺人事件 まとめ (池袋・下関・土浦・秋葉原)

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池袋通り魔殺人事件  造田博・1999年


  
造田博(ぞうたひろし・23歳)は岡山県倉敷市生まれ。

岡山県立倉敷天城高等学校時代は成績優秀だったが、両親はギャンブルで多額の借金を作り、息子を残して蒸発してしまった。

造田博はアルバイトをしながら高校に通っていたが、生活苦から2年のときに中退してしまう。

自分が望む事務系の仕事に就けず、きつい肉体労働ばかりの生活に嫌気がさし、造田博は職を転々とした。

その後、都会に出れば何とかなるだろうと考え東京に出たが職は見つからなかった。

東京では自分と同世代の若者が遊んで暮らしている状況をみて不満を募らせ、学歴重視の社会に絶望し、精神的にもゆがんでいった。
 
 
日本に絶望した造田博はアメリカに渡って就職しようとしたが、アメリカでも雇ってくれるところはなく、行き倒れて領事館に保護された。

造田博は日系の教会関係者のもとに預けられ、手厚い看護を受けながら生活していたが、3ヵ月後にはビザが切れ、日本に帰国させられた。
 
 
帰国後、造田博は新聞配達店で働き始めたが、携帯電話に無言電話がかかってきたことをきっかけに不満を募らせ、なぜか「日本中の努力しない人間たちを殺してやろう」と思い立つ。

そしてアパートの部屋の扉に、こんなメモを貼り付けて飛び出し、5日後に池袋で通り魔事件を起こした。

メモ書き
わし以外のまともな人がボケナス殺しとるけえのお。
 
わしもボケナスのアホ全部殺すけえのお。
 
アホ、今すぐ永遠じごじゃけえのお。
 
1999年9月8日午前11時40分頃、東京都豊島区池袋のサンシャイン通りで、包丁とハンマーを持った造田博が 突然奇声をあげて通行人に襲い掛かった。

そして女性2人を殺し、男女6人に重軽傷を追わせた。

造田博は通行人に取り押さえられ、駆けつけた警察官に現行犯逮捕された。
 
 
2002年1月18日、東京地裁は造田博に死刑の判決を言い渡した。

造田は控訴したが棄却され、最高裁で死刑が確定した。
 
 
造田博は拘置所から知人に「造田博教」という宗教を造ったと手紙を出している。

そこに書かれていたのは造田博のゆがんだ願望やコンプレックスだった。

●造田博教では、親族・家族の関係をなしにしようと思っています。家族の借金なんて払わなかったらいいと思います。

●人の命は尊い、なくなったら戻らないとかよく言われますが、こんなことを言っていると社会に悪影響があると思います。

●今の日本や世界の状況で、私が死刑なんてないと思います。アメリカ大使館に伝えてください。
 
 
そんな造田博は2017年8月現在41歳、現在は東京拘置所に収監されている。

2009年に再審請求したが、東京地裁は棄却。

2015年12月16日、東京高裁にて即時抗告棄却。
 
 
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下関通り魔殺人事件  上部康明・1999年

 


 
上部康明(うわべやすあき・35歳)は両親ともに教師という厳格な家庭で育った。

秀才で、学生時代は勉強に明け暮れた上部康明は名門高校を卒業後、一浪して国立大学には入った。

ところが勉強ばかりで他人とまともに接してこなかった上部康明は、いつしか対人恐怖症になっていた。

大学卒業後も対人恐怖症は変わらず、人間関係を嫌って1年就職しなかったため、見かねた両親が病院に入院させて治療をさせた。

そのおかげで、なんとか就職し、会社づとめができるところまで回復したという。

所長と自分2人だけの設計事務所に勤め始め、1級建築士の資格を取得したことを機に、父親の援助で独立。

この時期に結婚相談所で出会った女性と結婚もしている。

しかしもともと対人恐怖症であるため営業ができず、次第に仕事が減っていき、1998年に設計事務所を閉鎖。

その後は妻の収入や両親からの仕送りで生活をしていた。

上部康明は知人が誰もいない土地でやり直したいと考え、新婚旅行先だったニュージーランドへの移住を目指し、その資金を貯めるために妻を先にニュージーランドに行かせて自分は実家に帰り、運送業を始めた。

ところが数ヵ月後に妻から突然離婚を切り出され、1999年9月の台風でトラックが冠水し、使えなくなってしまった。

親に頼んだ借金を断られ、度重なる不幸に上部康明は絶望して自暴自棄となり、通り魔事件を起こした。
 
 
1999年9月29日午後4時25分頃、山口県下関市で上部康明がJR下関駅の東口からレンタカーで構内に突っ込み、約60メートル暴走して7人をはね、うち2人を殺害した。

改札口前で車から降りた上部康明は、包丁を振り回して改札口を通り、階段で一人、ホームで7人に切りつけて、3人を殺害した。

上部は駅のホームで駅員たちに取り押さえられ、警察に逮捕された。

取調べでは「社会に不満があり、誰でもいいから殺してやろうと思った」などと供述した。
 
 
上部康明の弁護団は犯行当時の上部には責任能力がなかったと主張したが、地裁、高裁ともに死刑判決が言い渡され、2008年7月11日、最高裁で死刑が確定した。

この事件をひとつのきっかけとして「犯罪被害者給付金支給法」が改正され、支給額が引き揚げられることとなった。

そして2012年 3月29日 上部康明の死刑執行。48歳没。
 
 
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土浦通り魔殺人事件  金川真大・2008年

 


 
2008年3月23日午前11時頃、JR荒川沖駅付近で通行人ら8人が男に次々とサバイバルナイフと包丁で切りつけられた。

最後に刺されたYさんが死亡、7人が重軽傷を負った。

犯人は3月19日に土浦市内で刺殺されたMさんの殺害容疑の金川真大(かながわまさひろ・24歳)だった。

警察はMさん宅に放置されていた自転車から金川真大を割り出し、全国に指名手配していた。

金川真大はMさん殺害後、秋葉原に逃走し、都内のホテルに宿泊していた。

そこでは髪を切るなどして変装した。

また警察に「私が犯人です。早く捕まえてごらん」と警察に電話をかけて挑発していた。

指名手配中、茨城県警は捜査員170人を投入して、常磐線各駅に捜査員を配置していた。

特に荒川沖駅には8人を配置し、重点的に警戒態勢をとっていたというが、それにもかかわらず荒川沖駅で再び凶行が行われ、被害者8人の中には土浦警察署の巡査も含まれていたという。

荒川沖駅で8人に切りつけた後、金川真大は血のついた包丁を持ったまま駅近くの交番に赴き、備え付けの電話機から「私が犯人です」と自ら通報した。

午前11時16分、金川真大は駆けつけた警官に逮捕された。
 
 
金川真大は高校時代は弓道部に所属していたが、引退後に何もする意欲がなくなったという。

そして高校卒業後は定職に就かず、コンビニなどでバイトをしていた。

ゲームに熱中し、家族とのかかわりさえ避け、食事も常に一人でとっていた。

そんな生活の中で金川真大は「生きていても仕方がない」「人を殺して死刑になろう」と考え、犯行を計画した。

初めの計画では殺害対象は実の妹や小学生、中学生だったのだが、標的にしていた小学校がその日は卒業式で保護者がいたために断念した。

そしてたまたま付近で見かけたMさんを狙い、殺害した。

金川真大は携帯電話を2台所持しており、メールで「俺は神だ」「俺のやることが全てだ」などと一人でやりとりをしていたという。

土浦通り魔殺人 金川真大

via:http://www.hazardlab.jp/

 
逮捕された金川真大は取調べで「7~8人殺せば死刑になれると思った。自殺は痛いから嫌だった」と供述した。

また、早期の死刑執行を望み、こう言った。

金川真大
謝罪の思いは感じない。
おれを殺さなければ、死刑になるまで殺し続ける。

2009年12月18日、水戸地裁で金川真大に死刑が言い渡された。

金川真大
完全勝利といったところ。
あとは執行までの時間をいかに短くするか。
国が執行に動かなければ、裁判に訴える。

自身の願望が成就したことに対し、死刑執行確定に笑みを浮かべた。

そして2013年2月21日 金川真大の死刑執行。29歳没
 
 
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秋葉原通り魔殺人事件 加藤智大・2008年

加藤智大

via:https://matome.naver.jp/

加藤智大(かとうともひろ・当時25歳)は青森県生まれ。

教育熱心な母親の元で幼少期から勉強するように厳しくしつけられて育った。

そのため中学までは成績優秀で県内トップ校に入学したが、高校では授業についていけず落ちこぼれた。

その後、岐阜県の自動車整備の短大を卒業し、各地を転々としながら派遣社員や警備員として働いていた。

犯行当時は静岡県内の自動車工場に派遣されていたが、加藤智弘はリストラの話に怯えるあまりに「自分のつなぎを会社が嫌がらせで隠した」などと被害妄想を強めていた。

そういう愚痴を加藤智弘は自分が管理する携帯サイトの掲示板に書き込んでいたが 愚痴が次第に殺人を予告する書き込みに変わっていった。

そして「仙台アーケード街トラック暴走殺傷事件」(2005年・大友誠治受刑者・無期懲役刑)や「土浦通り魔殺人事件」(2008年)を参考にして、大量無差別殺人を計画した。

そして2008年6月8日午前5時21分、「秋葉原で人を殺します」というタイトルで「車で突っ込んで、車が使えなくなったらナイフを使います。みんなさようなら」と掲示板に犯行予告の書き込みをして犯行に至った。

東京都秋葉原の歩行者天国で、加藤智大は運転する2トントラックで交差点に突っ込み、横断中の歩行者をはね飛ばした。

その後車から降りた加藤智大はタガーナイフで通行人や警官に襲い掛かった。

加藤智大は奇声を上げながら通行人を襲い逃亡したが、駆けつけた警官に銃で威嚇され、ナイフを捨てたところを取り押さえられた。

わずか2分で死亡者7人、重軽傷者10人を出した。

この事件が世間に与えた影響はいろいろあった。

加藤智大が凶器に使ったタガーナイフは、全国のショップや通信販売サイトで販売中止となった。

また2009年1月5日には銃刀法が「刃渡り5.5センチ以上の剣が原則として所持禁止」に改正された。

さらにこの事件を受けて秋葉原の歩行者天国が一時中止されたこともあった。

秋葉原連続通り魔 加藤智大(かとうともひろ)【秋葉原無差別殺傷事件】

 
 
加藤智大は精神鑑定にかけられ「完全な責任能力あり」との結果が出たことから起訴された。

2011年3月25日、東京地裁は求刑通りか加藤智大に死刑判決を下した。

東京地裁
白昼の大都会で、多数の通行人の命を奪った責任は最大級に重い。
通行人らをはね飛ばし、躊躇することなく目に付いた人をタガーナイフで刺すなど、人間性が感じられない。

被告側はこれを不服として控訴・上告したが、2015年2月2日、加藤智大被告の死刑判決が確定した。

加藤智大は2017年8月現在34歳、現在は東京拘置所に収監されている。
 
 
 
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