津山事件の謎と都井睦雄(といむつお)に消極的共犯者の影!?

都井睦雄が徴兵検査に落ちて自暴自棄になったのは嘘!?

通説では 都井睦雄の津山事件の犯行を決意したそもそものきっかけは、肺病で徴兵検査に落ちたことによる自暴自棄であるとされています。

ところが「徴兵にふさわしくない」と医師に迫ったのは都井睦雄の方だったという説もあります。

都井睦雄
自分は肺病だから兵役にふさわしくない!

このときに医師に向かって都井睦雄がこんな抗議をせず、黙って兵役検査を受けていたら、少なくとも乙種には合格していただろうという話があります。

徴兵検査は 甲種乙種に合格すれば出征、丙種なら現役に適しないが国民兵役に適する(昭和13年の時点では出征不可能ではない「補欠」的存在だった) 丁種が不合格,戊種(ぼしゅ)は翌年再検査というものでした。

都井睦雄が「俺は肺病だ!」と主張しているにもかかわらず、医師は彼を「丙種」と認定し、他の人にうつりやすいであろう肺病を持つ睦雄を丁種や戊種とは認めず、徴兵検査の「完全」不合格にはしなかったのです。

それは都井睦雄の肺病が比較的軽かったことを示唆しているわけで、本人が思い込んでいるほど病状は重くなかった可能性があると言われています。

両親ともに結核で亡くなったから自分は「ロウガイスジ」なのだという思い込みが、彼の絶望感に拍車をかけたのでしょう。

さらに当時の警察の調べでは徴兵検査に落ちた夜、都井睦雄は友人と一緒に津山市材木町の遊郭で派手に遊んでいたことがわかっています。

これは徴兵に落ちた悲しみで羽目を外したとは思えないですね。

どちらかというと落ちてラッキー♪に近い感じを個人的には受けます。

徴兵検査は都井睦雄が自ら積極的に医師に「徴兵は無理」アピールをして徴兵検査で不合格になりたかった…とみるのが自然かもしれません。

ちなみに、この時に一緒に遊郭に遊びに行ったのは、持病(心臓病)を持っているために徴兵検査で不合格を受けた友人(今田勇一)です。
 
 
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貝尾集落の電線を切ったのは都井睦雄ではなかった!?

都井睦雄は村人を襲撃するために、送電線を切断して集落を真っ暗闇にしたとされています。

が、ここにも腑に落ちない謎が残っています。

まず、貝尾集落だけを停電にするためには、かなり詳しい知識がないとできません。

隣の集落はそのままに、貝尾集落だけを停電にさせるためにはピンポイントに2か所を狙って切断しなければなりませんでした。

その通りに電線は2か所を切断されていたために、寺井元一(電気に詳しい都井睦雄の叔父)にも応急措置ができなかったそうです。

村の秀才といえど、そこまでの知識を果たして都井睦雄が持っていたのかどうか…。

ただ「都井睦雄は村が停電になった時によく修理を頼まれていた」という証言もあって(週刊朝日2008年5/13号)・・・これは事件を生で見たかなり高齢な方の証言ですのでどこまで正確なのかはわかりませんが、もしもこの証言が正しいのであれば、都井睦雄にはかなりの知識があったということなのかもしれません。

また、送電線を切断したとされる道具も、都井睦雄の周囲からは発見されていません。

電線は大型のハサミか鋭利なペンチで切断されたのではないかと想定されています。

津川事件報告書
右切断サレタル電線ハ其切口ヨリ考慮シテ鋏ノ如キモノニテ切断サレタルモノト思考サル

しかし犯行現場、都井睦雄の自宅とその周辺、都井の持ち物の中から、それらしきものが発見されませんでした。

都井睦雄は几帳面な性格で 他の持ち物や遺書などをきちんと整理して残しているのにもかかわらず、送電線を切断したときに使われたであろう刃物がどこを探しても見つからなかったのです。

最終的には犯人の都井睦雄が自殺しているため、発生から3日程度で事件の捜査は終了しており、この送電線切断事件についても詳細が不明のまま事件は幕引きになり、結局 電線切断も都井睦雄の単独犯行として片づけられてしまいました。

電柱によじ登っている人影の目撃者も現れましたが、それが都井睦雄だったと断定することはできませんでした。

これらのことを考えあわせると、状況的には都井睦雄が送電線を切断したと考えるのが妥当ですが、物的証拠が一つもないことが謎のまま残されています。
 
 
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殺人ほう助!?都井睦雄の凶器を調達した今田勇一の存在

都井睦雄にはかなり親しかったと思われる今田勇一という友人がいました。

今田勇一は警察の取り調べを受けたときには

今田勇一
昭和13年3月(津川事件が起こる2か月前)に、初めて都井睦雄と会った

・・・と供述していますが、これは真っ赤な嘘です。

昭和12年10月にはすでに二人はかなり親しい関係になっていましたから 数年来の付き合いだっただろうと推測されています。

前出の徴兵検査は昭和12年5月22日で、この時に都井睦雄は「丙種」(徴兵検査の事実上の不合格)となっていますが、この時一緒に遊郭に行った友人が今田勇一です。

今田勇一は当時30歳で、貝尾ではなく 近隣の西加茂村楢井に住んでいました。

年が離れていても妙に気が合ったのは、二人には共通点が多かったからかもしれません。

都井睦雄は肋膜炎(軽い肺病)を患っていましたが、今田勇一は慢性心臓病を患い、ともに「病気もち」であり「兵役逃れ」経験者でした。

心臓病とはいえ、今田勇一は山奥での狩猟を生業としていたので、病気がそれほど重くはなかった可能性があるようです。

実は昭和12年ころから挙動不審だった都井睦雄は 警察から「危険人物」としてマークされていました。

その時に今田勇一が 都井睦雄の代わりに銃弾の買い付けを手伝った疑いがあったのです。

昭和12年から13年にかけて、都井睦雄は村人を殺害するために着々と銃や弾丸を収集しつつ、射撃の練習を重ねていました。

そのころに都井睦雄に弾丸類を買って渡していたのが今田勇一です。

様子のおかしい睦雄に気づいた祖母や周囲の人たちが警察に相談したため、都井睦雄は警察の摘発を受けて 集めた凶器を全部没収されたりもしました。

そんなことがあっても都井睦雄は憎しみの対象となった近隣住民への復讐の炎を鎮火させることなく、殺人を決行するために 再び銃や日本刀を入手しています。

財産をほぼ使い果たし、借金をしてまでもです。

もう後戻りはできないと思っていたのかもしれません。

そして津山三十人殺しは「女性関係の悩みや風紀の乱れによる都井睦雄の単独犯行」とされた…

 

昭和12年6月この頃から都井睦雄は津山の片山銃砲店を訪ねて、銃の仕組みを調べていた。
7/25都井睦雄が津山市の銃砲店で、ベルギー製十二番口径ブローニング五連発銃を購入(55円)
10/27都井睦雄が津山警察署から狩猟免許を取得。
火薬の購入。射撃練習の開始。
11/26今田勇一が津山の片山銃砲店で取引(都井睦雄の代わりか?)
昭和13年1月都井睦雄は財産をほぼ使い果たし、西加茂内の金貸しから600円借金する。
2/28神戸の銃砲店で五連発のブローニング銃を購入。
3月都井睦雄はこの頃から「殺してやる」「生かしてはおけぬ」発言を連発するようになる。
3/7寺井勲(都井睦雄の伯父)と寺井勝の2人に対し「君の家に鉄砲があるそうだな。見せてくれぬか。売ってくれぬか」と申し入れ。
3/10親戚と近所の者が、都井睦雄の挙動不審を警察へ告発。睦雄の対策を要請。
3/12津山警察署による都井睦雄宅への家宅捜索。都井睦雄の猟銃や弾丸多数を警察が押収。
都井睦雄は夕方に鉄砲・匕首・日本刀を再び購入する。
3/13いね(祖母)が寺井勲(睦雄の伯父)に対して不安を吐露。「睦雄の態度が変。殺されそうな気がする」
3月
下旬
津山猟友会から神戸の銃器店へ「都井睦雄は危険人物なので、以降彼への販売は控えてほしい」との通告を出す。
4/24都井睦雄は大阪で銃や弾丸を購入。
5/1都井睦雄は大阪で、火薬と12番口径ブローニング五連発銃を購入し、これを九連発に改造。
5/4天狗寺山の村有林の松の木に、散弾12発、もう重要弾44発の弾痕があるのが、村人により発見される。
5/8都井睦雄は加茂町の伊藤歯科医から日本刀を購入。
5/18寺井ゆり子と西川良子が貝尾に里帰り。
都井睦雄が遺書を執筆。
5/20都井睦雄が役場付近まで自転車で徘徊。夕方に貝尾への送電線を切断(?)
5/21午前1時半頃~貝尾集落での大量殺人が始まる。
午後3時頃、睦雄が最後の遺書をしたためる。
午前4時半~5時に都井睦雄自殺。
午前10時半頃、都井睦雄の自殺体発見。
 
 
今田勇一は都井睦雄事件のあと、都井に弾丸を与えた容疑で警察で1か月ほど取り調べを受けていましたが、被疑者死亡で確定的な証拠もないため、微罪で済まされています。

警察は都井睦雄事件を「女性関係の悩みや風紀の乱れによる都井睦雄の単独犯行」としました。

ところが「その警察の見立ては間違っている!」と貝尾集落の住民有志が連名で申し立てをしていたのです。

申し立てという形で 貝尾の住民たちは都井睦雄事件の真相を究明してほしいという要請を出しましたが、警察は確定犯が自殺してしまって起訴ができないために、津山事件は前代未聞の大事件でありながら、早々に幕を引くことにしたのです。

  
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熊取町連続自殺事件