都井睦雄(といむつお)と極秘の津山事件報告書【津山三十人殺し】

※登場する人物の名前はすべてが実名ではなく、一部は仮名です。

国内で最悪のマスマーダー。津山三十人殺し

1938年(昭和13年)5月21日の丑三つ時。

岡山県北部の山間の寒村で、2時間弱の間に30人の村人が殺害されました。

「津川三十人殺し」と呼ばれる事件です。

一人の青年によって短時間に大量殺人が引き起こされたこの事件は前代未聞でした。

単独犯によるマスマーダー(1カ所で大量殺人を犯す)としては他に類を見ない規模の事件です。

1996年4月までは、この津山事件の殺害数30人は世界最悪だったのです。

ちなみに現在の国内では、1位は津山30人殺しで 2位は相模原障害者殺傷事件(19人)

津山事件が起こったのは岡山県苫田郡西加茂村の貝尾集落(現在の津山市加茂町)です。


 
事件当時の集落の戸数は22で、人口は111人でした。

この半数が一人の男による襲撃を受け、2時間足らずで村人の4分の1強が殺されてしまったのです。

被害者はすべて犯人と顔見知りで、家族全員の命を奪われた家もありました。

犯人の名は 都井睦雄(といむつお) 事件当時22歳。

都井睦雄は村に通じる電線を切断し、村を真っ暗闇にしてから犯行に及びました。

凶器は日本刀と、自分で改造した特殊猟銃に弾丸。

黒の詰襟に身を包み、両足元にはゲートル(脚絆)を装着して、走りやすいように身を固め、頭には鬼の角のように2つの懐中電灯を装備しました。

推理作家・横溝正史は津山事件をモデルに「八つ墓村」を著しています。

これ↓が津山事件をモチーフにした有名なワンシーンです。

津山三十人殺し 津山事件 八つ墓村
via:http://uranaka-shobou.com/

八つ墓村は「祟りじゃー!」というセリフも有名ですね。
 

 

 
 
フィクションですが、登場人物が都井睦雄そのもので、津山三十人殺しをリアルに再現しているのがこちら↓

 
 

幻の津山事件報告書はアメリカに現存していた!

都井睦雄 津山事件 津山三十人殺し
via:産経ビズ

アメリカ・スタンフォード大学の図書館に、津山事件の捜査資料が保存されていました。

終戦直後、占領国統治のために、日本の犯罪や革命に関する資料がここに集められたのです。

その中に日本では既に散逸してしまっていた捜査資料が含まれていました。

この「津山事件報告書」は当時の司法省が作成した極秘資料であり、原本の閲覧が国内ではできなくなって「幻の資料」となっていました。

当時22歳だった津山事件の犯人・都井睦雄の顔写真をはじめ、凶行に及んだ背景や、事件で用いた武器なども全て画像に残し、つまびらかにされています。

2010年、この資料がアメリカで発掘されたことによって、都井睦雄事件は完全ではないものの、ほぼ全容が解明されています。

※これ↓はスタンフォード大所蔵の「津山事件報告書」ではありません。

津山事件 都井睦雄 津山三十人殺し
via:http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47

津山事件報告書
頭脳明晰にして将来を嘱望された青年を凶暴・凄惨極まりない犯行に駆り立てた理由は「孤立無援」の生活にあった。
 
 
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シリアルキラーではなかった!?都井睦雄の素顔

都井睦雄事件があった集落には当時を物語る痕跡が・・・集落の墓地にひっそりたたずんでいる墓石の多くに「昭和十三年五月二十一日」の文字が刻まれています。

都井睦雄事件当時5歳だった女性は、間近に暮らしていた犯人・都井睦雄と同じ集落に住み、会話をしたこともあるといいます。

都井睦雄を知る女性(83歳)
(都井睦雄は)色白で目の細い、女形みたいな人だったのを覚えています。

鬼ごっこやかくれんぼで遊んでいたころんだ時に「ありゃりゃ」と言って、起こしてくれて泥を払ってくれたのを覚えています。

凶悪犯とはだいぶイメージが違う都井睦雄の素顔。

当時19歳で事件直前まで都井睦雄の日常を見ていた女性も、都井に好印象を抱いていました。

>>都井睦雄は、悪魔のような男だったと思いますか?

都井睦雄を知る女性(96歳)
私はそうは思わない。

悪魔みたいに怖いなんてことは全然なかった。

都井睦雄を教えた先生が「学校教員にさせたいと、わしが希望しとったんじゃ」と言って、つらそうにしていた。

周囲から慕われ、将来を期待されていた都井睦雄が、一体どうしてあんな事件を起こしたのか?

そこには都井睦雄を追い詰めていく、いくつもの曲折がありました。

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結核が都井睦雄を自暴自棄にさせた!?

津山事件の舞台となった地は農業と養蚕を生業とする100人ほどの小さな集落で、誰もがお互いを知っていました。

村人たちは、幼いころから学業に秀でていた都井睦雄を頼もしく見ていたそうです。

そんな都井睦雄には思いを寄せる女性がいました。

相手は幼馴染の寺井ゆり子(仮名)

都井睦雄と寺井ゆり子は将来を誓い合っていました。

都井睦雄を殺人鬼へ変貌させていく最初のつまづきは「結核」でした。

津山事件の3年前の冬(昭和10年12月31日) 都井睦雄は軽い結核の診断を受けていました。

都井睦雄は両親とも結核で亡くしていたので、

都井睦雄(といむつお)の生い立ち【津山三十人殺し】

自分も結核になったときに「自分ももう終わりだ。もう死ぬしかないんだ」と考えていたのです。

津山事件報告書には「結核の発病が都井睦雄を自暴自棄にさせた」としています。

当時、結核は不治の病で、結核に有効な治療法がそのころはまだなく、遺伝する病気だとも考えられていました。

都井睦雄の日記
今日、誰だったか、僕に聞こえよがしに「都井の親は両人とも肺で死んだ」と声高に話して行った。

僕の生命もそう長いものではない。

僕は今日を期して百八十度の転換だ

村八分と失恋と

都井睦雄が抱えた絶望はやがて憎悪に形を変えていきました。

さらに 投げやりですさんだ都井の生活に追い打ちをかけた出来事が。

寺井ゆり子
ごめん。どうしても結婚を父が許してくれないのよ。

うちもつらい。堪忍や。

病を恐れたこともあり、寺井ゆり子は都井睦雄に別れを告げて、別の家に嫁いでいきました。

その他の口さがない人々も結核の感染を恐れ、あからさまな言葉を都井睦雄に投げつけました。

村人
肺病の一族や。近づいたらあかんぞ。

都井睦雄に対する態度は村八分も同然でした。

当時の共同体は掟や秩序を破ったものに制裁を加えました・・・葬式と火事を消す以外は一切の手助けはしない。

都井睦雄はそのすべてを悪意と捉えました。

都井睦雄の日記
周囲の者は皆、鬼のようなやつばかりで、あれほど深くしていた女でさえ、病気になったと言ったら すぐ心変わりがする。
都井睦雄の日常を知る女性(96歳)
結局、都井睦雄はのけ者だった。

もう少し手を伸ばして囲ってあげたら、あんなこともなかったと思うのだけれども。

1937年(昭和12年)日中戦争がはじまると、集落の若者たちは戦地へ駆り出されましたが、都井睦雄は病気のために徴兵検査にもはねられてしまいました。

そして都井睦雄の鬱屈はますます増幅していきました。

都井睦雄が猟銃と日本刀を集め始めたのはこの頃です。

手に入れた5連発の猟銃を 都井睦雄は自身の手で9連発に改造していました。

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都井睦雄事件!破滅へのカウントダウン

事件の引き金は寺井ゆり子との再会

都井睦雄の理性の堤防が決壊したのは、昭和13年5月に寺井ゆり子と再会したときでした。

都井睦雄
戻ってきてくれたのか?
寺井ゆり子
弟が結婚するから里帰りしたのよ
都井睦雄
俺に会いに来てくれたんじゃないのか。
寺井ゆり子
違うわ。あんたとはもう会えない

電線を切断し村を停電に

津川事件を起こす直前の都井睦雄を、彼の日常を知る女性はくっきりと覚えていました。

都井睦雄の日常を知る女性(96歳)
あの日の夕方、私が用事で出かけていて奥から帰ってきたときに、道で都井睦雄とばったり出会った。

むつやん(都井睦雄)は反対側から自転車で帰ってきて「帰りました」って言うから『お帰りなさい。えらく遅かったね』って返したんです。

そうしたら都井睦雄は「今日は何やらをしていたから遅くなって」と言ってた。

それから「じゃあ、さよなら」と言って別れて 私は家に戻ったんだけども。

その後 むつやんは帰りがけに電信棒(電柱)に登って、電線を切ったのかもしれない(←この女性はその現場を目撃はしていませんので、これはこの方の推測です)

犯行を決意した都井睦雄は周到に集落に通じる電線を切断しました。

どの電線を切ればどの地域が停電するか、都井睦雄はあらかじめ調べをつけていました。

貝尾集落だけを停電にさせるように注意深く電線を切っていたのです。

※実は 夕方に正体不明な人(黒ノ洋服ヲ着用シタル一名ノ男)が電柱に登っていたのを遠目で目撃した人がいたのですが、それが都井睦雄だと断定はされていません。

しかも電線を切断したのは鋭利なペンチか大型のハサミとされていますが、犯行現場や都井睦雄の自宅やその周辺、睦雄の持ち物の中から電線を切断したとみられる道具が発見されていないのです。

なので本当に都井睦雄が電線を切断したのかどうかははっきりしていないのが実情です。

第一の犠牲者は都井睦雄の祖母

夜を照らしているのは月明かりだけ。

真っ暗闇の未明、村人が眠りに落ちる時間まで、都井睦雄はじっと待ち続けました。

この時のために用意しておいたのは白いシャツと黒の詰め襟。

脚には兵隊のようにゲートルを巻き、頭には鬼の角を思わせる懐中電灯を2本くくりつけました。

そしていざ決行!というとき、最初に手を下したのは同居していた祖母でした。

両親を亡くした都井睦雄にとっては親も同然の祖母でしたが、都井は祖母を斧で殺害しました。

殺人鬼の家族が後にどんな目に遭うか…祖母を殺したのはそれを恐れての身勝手さからでした。

とはいうものの、この祖母は祖父の後妻だったので、実は都井睦雄との血縁関係はありません。

そのことが津山事件で都井睦雄が真っ先に祖母を殺したことと関わりがあるのではないかとも推測されています。

ちなみに都井睦雄は遺書の中で この祖母のことをあえて「育ての祖母」と書いています。

いかにも「血を分けていない」ことを強調するかのように。

丑三つ時に村人の襲撃を開始

のどかな昔の農村には厳重に戸締りをしている家などなく、家に忍び込むことはたやすかったのです。

自宅を出た都井睦雄は、まずは向かいの家に足を向けました。

そこには日ごろから都井睦雄に辛辣な言葉を浴びせる女性が住んでいましたが、その一家3人を日本刀で殺害しました。

都井睦雄が日本刀を使ったのは初めの1軒だけで、次々に民家を回った先では 村人は銃殺されました。

津山事件の被害者30人

※都井睦夫と男女関係にあったと言われている者にライン引き
※ここに出てくる都井睦夫以外の人物には実名を出さずに仮名になっている人もいます。

【1人目】斧で殺害
都井いね(75歳・都井睦夫の祖母)

【2~4人目】日本刀で殺害
岸田つきよ(50歳) 岸田吉男(14歳) 岸田守(11歳)

【5~8人目】5人目以降はすべて銃殺。
西川とめ(43歳) 西川秀司(50歳) 岡千鶴子(22歳) 西川良子(22歳)
都井睦夫の遺書の中で名前をあげている西川とめの家は全滅している。
津山三十人殺しの新証言に出てくるのは 西川良子の夫。

【9~11人目】
岸田高司(22歳) 西川智恵(20歳) 寺上猛雄(18歳)
※西川智恵は岸田高司の内妻で、5人目の被害者・西川とめの次女。智恵はこのとき、妊娠6ヶ月だった。

【12~16人目】寺井ゆり子の実家。
寺井政一(60歳) 寺井貞一(19歳) 寺井とき(12歳) 寺井はな(12歳) 三木節子(22歳)
※寺井ゆり子は寺井茂吉宅へ逃げ込んで難を逃れた。

【17人目】
寺井孝四郎(86歳)
※この家は都井睦夫の襲撃計画の中にはなかったが、寺井ゆり子が逃げ込んだことで巻き添えとなった。

【18~19人目】
寺井好二(21歳) 寺井トヨ(45歳)
※トヨは都井睦夫を裏切った西川良子と寺井ゆり子の結婚媒酌人を買って出て、都井の恨みを買った。

【20~22人目】
丹波つる代(21歳) 岸田みさ(19歳) 平岩トラ(65歳)

【23人目】
丹波イト(46歳)
※一時期、寺井ゆり子と結婚していた丹波イトの息子の丹波卯一が銃声で目を覚まして脱出し、駐在所に事件の発生を知らせた。

【24~27人目】
池沢宮(34歳) 池沢昭男(5歳) 池沢ツル(72歳) 池沢勝市(74歳)
※都井睦夫が憎んでいた寺井マツ子の親戚筋。

【28人目】
寺井はま(56歳)
※集落の高台にある村一番の財産家の家。はまの夫が寺井倉一で、倉一は金にものをいわせて、村の複数女性と関係を持っていた。寺井倉一は殺害されなかったが、都井睦夫の遺書の中で名指しで非難されている。

【29~30人目】
岡本和夫(51歳) 岡本みよ(32歳)

※都井睦夫が強い愛情と憎悪を抱いていたといわれる寺井マツ子は事件の直前に京都に引っ越していて難を逃れているが、都井睦夫は遺書の中でそれを非常にくやしがっている。

約1時間半に及ぶ強行による被害者は、死亡者30人(即死28人、後に死亡2人) 重傷者1人、軽傷者2人。

なぜ寺井ゆり子だけが助かったのか?

都井睦雄は彼の憎しみに火をつけた女の一人、寺井ゆり子の家にも迫っていきました。

ところが騒ぎや銃声に気づいた寺井ゆり子は 都井睦雄の一瞬を突いて 外に逃げ出すことに成功しました。

寺井ゆり子は近所の家に飛び込み、床下に隠れて この時 九死に一生を得ています。

都井睦雄の標的は自分一人だけで、まさか家族全員が犠牲になるとは思っていなかったのです。

だから襲撃の時に 自分一人だけ真っ先に外に飛び出して逃げたのです。

2010年・94歳の寺井ゆり子
誰にも言いたくないし、思い出したくないけど。

あの人(都井睦雄)は中の間から入ってきたので、私は奥の間から飛び出して逃げたんです

そして寺井ゆり子は近所の家の床下に逃げ込んで命拾いをしたのです。

次々に村人を襲撃したとはいえ、都井睦雄は全員を見境なく殺したわけではありませんでした。

狂気を爆発させながらも都井睦雄の中には敵と味方を分ける明確な分別があり、都井と鉢合わせた住民の中には「お前は悪口を言わなかったから見逃してやる」と言われて難を逃れた者もいました。

これら一連の凶行への経緯を、津川事件報告書はこうまとめています。

津川事件報告書
将来の希望蹉跌(さてつ)し、純情は偏狭の一途をたどり、隣人の敬遠を怨嗟(えんさ)の的とし、計画を決行するに至りたる

都井睦雄はわずか2時間足らずのうちに、自宅を含む12軒を襲い、30人を殺害し、2人に重傷を負わせたのです。

難を逃れた男性が、たまたま都井睦雄の日常を知る女性の家に駆け込みました。

都井睦雄の日常を知る女性(96歳)
(逃げ込んできた男性が)「むっちゃんが今、暴れまわっているから、これから警察に行ってくる。自転車を貸してくれ」と言ってきた。

それで私たちも目が覚めて「なぜむっちゃんは暴れているんだろう」という騒ぎで起きて。

そうしたら警察がたくさんやってきた

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都井睦雄の自殺

夜明けとともに、都井睦雄は山に逃れました。

そして黒詰め襟のボタンをはずし、ブローニング9連発猟銃の銃口を心臓部に当てて引き金を引きました。

山に逃げ込んだ都井睦雄を追って、警官隊・消防隊などの千数百人が山狩りに動員されましたが・・・

都井睦雄の日常を知る女性(96歳)
警察は(猟銃を抱えた都井睦雄が)こわいから すぐに山に行かずに、グズグズしていた

凶器を手にしていた都井睦雄に、誰もが怯えていました。

都井睦雄の日常を知る女性(96歳)
何時頃だったか 朝早く、バーンと音がして。

そうしたら「今、むつやんが死んだよ」と皆が言って。自殺したんだろうって。

村から4キロメートルほど離れた峠の山頂で、自殺している都井睦雄の姿が発見されました。

遺体発見現場からは、懐中電灯、鉢巻、日本刀、匕首(あいくち)、自転車用ナショナルランプ、雑嚢(ざつのう)が並べられ、地下足袋が揃えて置かれていました。

自らの心臓を撃ち抜いた都井睦雄は、遺書を残していました。

都井睦雄の遺書
決行したにはしたが、撃つべきを撃たず、撃たなくてもよい者も撃った。

撃つべきして撃たずは、元恋人の寺井ゆり子のこと。

都井睦雄がいちばんの標的にしていた寺井ゆり子は隣家の床下に隠れて九死に一生を得ましたが、彼女の親、弟、妹は殺害されました。

その他にも都井睦雄の遺書からは、特に他の2人の女性に対する強い恨みが窺えます。

都井睦雄の遺書
病気は悪くなるばかり、とても治らぬような気分になり、世間の人の肺病者に対する嫌厭白眼視、とくに西川とめ(仮名)という女のつらくあたること、僕はついにこの世に生くべき望み、すべての希望を捨てた。

そうして死んでしまおうと決心したときの悲しさは筆舌に尽くしがたい。

悲しみのうちに芽生えてきたのは 西川とめに対する呪いであった。

これ程までにかくまでに、僕を苦しめ憎むべき奴にさげすむ彼女に、どうせ治らぬ身なら、いっそ身を捨てて思い知らせてやろう。

憎めば憎め、よし必ず復讐をして西川とめをこの社会から消してしまおうと思うようになった

西川とめは都井家から数十メートルしか離れていない農家の主婦で当時43歳。

西川とめ以外にも、この凶行の主因となったと言われている女性のことも遺書には書かれています。

都井睦雄はこの2人ともと男女の仲になっており、彼女らから恥をかかされたり嫌がらせをされたりしたことから特にこの二人を恨んでおり、日本刀で都井睦雄から襲撃された西川家は一家全滅。

この集落内には都井睦雄と関係を持った女性が数人いたらしく、彼女らも他の村人と同様に 肺を患った都井睦雄を避けていました。

都井睦雄には姉が一人いて、彼は姉宛てにも遺書をしたためています。

都井睦雄から姉に宛てた遺書
祖母の死体は倉見(元の出身地)の祖父のそばに葬ってあげてください。

僕も父母のそばに行きたいけれど、何しろこんなことを行うのですから、姉さんの考えなさるようでよろしい。

けれども僕はできれば父母のそばにゆきたい。

何しろ2~3歳で両親に死別しましたから、親は恋しいです

でも殺人事件決行後には、都井睦雄は遺書にこんな風に追記しています。

「このようなことをしたから(たとい自分のうらみからといいながら)決してはかをして下されなくてもよろしい。野にくされれば本望である」

都井睦雄の遺書
もはや夜明けも近づいた。死にましょう

これが 世の中を震撼させた大量殺戮犯、都井睦雄の最期の言葉でした。

都井睦雄の遺体は貝尾集落の自宅に連れ帰られて検死され、その後 姉のみな子が睦雄の遺体引き取り人となりました。

都井睦雄の墓

都井睦雄が眠っている墓は 集落の里山の斜面にあります。

そこに並んだ数基の墓石を見るとどれも「都井」姓で、それらの墓の間に都井睦雄は葬られています。

が、睦雄の墓石は人の頭より少し大きいくらいの自然石がぽつんと置かれているだけ。

都井睦雄 津山事件 墓
via:事件

世間の目もあり、親類縁者は都井睦雄にまともな墓を建てるわけにはいかなかったのかもしれません。

最近は都井睦雄のお墓に、お参りなのか好奇心なのかわかりませんが、観光気分でやってくる人も多いそうです。

ここは心霊スポットというわけではないですが、やはり津山事件を知ると興味を惹かれるのかもしれません。

子どものころに事件現場近くに住んでいて その後都井家の親類筋に嫁いできた女性(=事件当時小3だった女性)は都市伝説と犯罪の中でこう言っています。

>>都井家の親類筋に嫁がれることを ご家族の中で反対する人はいなかったですか?

事件当時小3だった女性
それは別になかったです。

睦っちゃんは女に騙されてあんなことになったんやいうて、同情する人も多かったですし、私もそんな風に聞かされとりましたし。

今でもあのお墓を見るたびに、ああ可哀想な人じゃと思いますよ。

一度、あっち(貝尾集落近くの)山道で、睦ちゃんが鉄砲を打つ練習をしていたという木の幹を見たときは、背筋が寒くなりましたけどね。

弾丸の跡が蜂の巣みたいになっていましてね

 
 
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都井睦雄事件関連の画像

以下4枚の引用元はこちら↑

都井睦雄 津山事件 津山山十人殺し 都井睦雄 津山事件 津山山十人殺し 都井睦雄 津山事件 津山山十人殺し 都井睦雄 津山事件 津山山十人殺し

 
都井睦雄 津山事件 津山三十人殺し
via:事件

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上の3枚の引用元:加茂の三十人殺し

 
 
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