東電OL殺人事件

東電OL殺人事件

via:https://matome.naver.jp/

東電OL殺人事件

1997年3月19日午後5時55分、渋谷区円山町の古ぼけたアパート「喜寿荘」の101号室で、一人の女性の変死体が発見された。

第一発見者
窓から中をのぞくと、六畳間に仰向けで寝ている人の上半身が見えた。
 
玄関のドアを開けるとたたきには女ものの靴がきちんとそろえて置いてあって、女の子だからと大目に見て、その日は立ち去った。
 
翌19日、部屋の中に入ってよく見ると、髪の長い女性が仰向けで目を閉じている。 
 
死体なんてみたことがなかったけど、なんだか生きてる感じがしなかった…
 
東電OL殺人事件
via:【東電OL殺人事件】事件現場(大島てる)

 
被害女性Y子(当時39歳)は 昼は東京電力東京本社に勤務するエリートOL、夜は売春婦という二つの顔を持っていた。

大手企業のエリート社員が売春婦として街角に立っていたという事実は世間に衝撃を与えた。

Y子は東京電力本社で経済調査室副長を務めるエリートだった。

彼女の死因は窒息死で、あと3ヶ月で40歳になるところだった。

164センチの長身でガリガリの痩せぎす体型。

コートの下はブラウスとスカートで、着衣の乱れや室内に争った形跡はなかった。

ただ、彼女の財布から現金が抜き取られていた。
 
 
円山町はかつての花街・渋谷三業地で曲がりくねった道に小さな飲み屋が軒を連ね、すぐ隣はラブホテル街だ。

Y子はこの界隈ではちょっとした有名人で、この近辺では彼女の顔を知らない人はいないくらいだった。

Y子はいつも顔が真っ白に見えるほど厚化粧し、腰まである長い髪のかつらをつけ、服装は比較的地味だった。

その姿で周辺を歩き回りながら、あたりかまわず客に誘いをかけていた。

Y子が殺害されたときに所持していたメモ帳には、常連と思しき十数人の男性の名前と連絡先、「○月○日、E氏2万円」などという書き込みがびっしりだった。
 


 
 
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東電OL殺人事件被害者Y子の生い立ち

独身のY子は母と妹の3人暮らしだった。

区立中学時代の成績はオール5で、高校は都内最難関の慶応女子高校に進学している。

高校の友人
勉強はよくできたし、まじめだったけど、友達はあまりいなかった。
 
高校の同窓会にも出てこなかった。

Y子はアイススケート部に所属し、成績は学年で常に5番以内であり、慶応大学では最難関の経済学部に進んだ。

恋愛には無縁な大学生活を終え、東京電力に入社したY子は 数年後には企画部経済調査室の副長(係長に相当)という肩書きを得た。

3000人の本社社員のうち女性管理職はわずか6人という、エリート中のエリートである。

経済調査はY子の得意分野だったため、仕事をてきぱきとこなしていたという。

Y子の服装は地味というよりも野暮ったい感じで、化粧もほとんどしておらず、社内では浮いた噂はまったくなかった。

同僚のイメージ
仕事はできるけど、変わった地味な人。

Y子は午後5時20分の退社時間になるとすぐに社を出ていき、事件までの4年間ほどは退社後にどこかでかつらをかぶって変装してから円山町に出勤するのが日課となっていた。

そんなY子にも心のうちを話せる男性が一人だけいた。

一流企業に勤める49歳の会社員・A氏(39歳)である。

二人が初めて出会ったのは事件の2年前、Y子が客として出入りしているうちに手伝いまがいのことをしていたスナックだった。

A氏
私には妻子がいたけれど「Y子は一度深い付き合いをしたら本気で付き合う一途なタイプ」だと思っていたので、私も誠実に付き合ってきました。
 
だから彼女が娼婦をしていたなんて信じられないし、私だってお金を払ったことなどない。

二人のデートは渋谷で待ち合わせてから買い物や食事へ行きホテルと、大体コースが決まっていた。

Y子は恋人がいながらなぜ街角に立ったのか?結婚などを望まなかったのか?

A氏
彼女には「結婚」という夢はまるでなかった。
 
「子供が嫌いだし、結婚したいとも思わないし、しない気がする」とも言っていた。
 
 
そんなA氏はY子と付き合ううちに、彼女のエキセントリックな性格に嫌気が差したこともあったという。

A氏
夜でも昼でも日曜でも、こちらの都合を聞かずに会社や家に電話をかけてくる。
 
ハイになっている時や落ち込んでるときは、2~3分おきに電話が鳴ることがあって、こっちが疲れているときは彼女の性格を受け入れられなくなる。

A氏がY子について気になっていたのは、彼女の異様な痩せ方だったという。

A氏
Y子は「拒食症みたい。量を食べると後で気持ち悪くて吐いてしまうからあまり食べないようにしていたら、食べる意欲が湧かないようになってしまった」と言っていた。
 
だからどこかでおいしいものを食べようと言っても喜ばなかった。
 
朝も飲み物くらいで食べないと言うから、一体いつちゃんとした食事をとっているのかと心配したほどだった。

Y子の拒食症の兆しは大学時代からあったという。

それは在学中に起きた父親の死である。

ゼミの教授
Y子は「長女の私がこれからは家計を支えていかなければならない」と言っていた。
大学の友人
授業が終わって数人でお茶を飲みにいくときにも彼女は断っていた。

何で?と訊くと「皆と話したいけど、家庭教師のアルバイトがあるから」と。
 
お洒落とか合コンなどには縁遠くて、彼女のがんばりようが痛々しかった。

Y子はA氏にはこう漏らしていたという。

Y子
自分が一生懸命、家計を支えているのに、帰宅したときに私の帰りを待たずに家族が眠っていると悲しかった。
 
それでも自分が父親役なのだからしっかりしなくては、と自分を叱咤する。
 
私を必要としているくせに「早く嫁に行ってほしい」という母親の気持ちを感じるときがあって、それがとても重い。
A氏
彼女がまじめな分だけ、背負っている物を重く感じているようで、不憫になった。
 
 
Y子が恋人A氏と「自分が40歳になったら…」という話をしたときに、Y子が冷め切った口調でこうつぶやいたという。
 
Y子
ああ、私はこのまま死ぬんだわ。でもいつ死んだってかまわない。
Aさん
3月上旬にY子から電話で呼び出されて、渋谷で夜7時に待ち合わせをした。
  
少し散歩してからレストランに行って、彼女はサラダだけを頼んでまずそうにつまんでいた。
 
あまりしゃべらなかったけど「花見に行きたい」と言っていて、落ち込んだ様子はなかった。
 
夜10時半頃に二人は道元坂の途中で別れて「じゃ、またね」が彼女の最後の言葉だった。

Y子の通帳には預金が1600万円あったという。

3月22日午後3時、Y子の火葬がひっそりと執り行われたが、それを見守ったのはわずか6人だった。

via:週刊文春1997年4月3日号

 
 
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冤罪

東電OL殺人事件の容疑者として逮捕されたのが、ネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリーだった。

3月8日から9日にかけての事件発生当時、ゴビンダさんはY子が殺害された部屋の隣にあるアパートで暮らしていた。

また、以前にその部屋を借りるために鍵を持っていたことから、警察はゴビンダさんを容疑者として逮捕した。

事件現場となったその部屋は当時、常に鍵がかけられておらず、Y子が度々客の男を連れ込んでいたのだが。
 
 
ゴビンダさんの裁判は一審が無罪、控訴審が無期懲役、最高裁では上告が棄却され、有罪が確定していたが、ゴビンダさんは一貫して無実を主張していた。

そして最終的に2012年6月に再審請求が認められ、無罪判決を勝ち取っている。

ゴビンダさんはその間、東電OL殺人事件の犯人として15年もの間、不当な拘留を受けていたが「強制退去」という形で自由の身となった。

Y子の体内から発見された体液がゴビンダさんのものではなかったことが無罪の理由である。

体液は第三者のものであることがDNA鑑定により明らかになったのだった。

Y子の爪からも体液と同じDNA型の皮膚片が発見され、真犯人はY子の体内に体液を残した男ということが明白だったが、警視庁のデータベースには同じDNA型の者は存在していない。
 
 


 
 
実は事件後にY子の定期券が巣鴨で見つかっている。

巣鴨はY子の自宅とも通勤経路から外れていて、土地勘がなかったかもしれない場所。

しかもY子の定期券が見つかったのは殺害されてから4日後の3月12日午前中、ある民家の庭先に落ちていたのである。

この定期券が発見された巣鴨の民家は、都電荒川駅の新庚申塚駅から白山通りを渡り、お岩通りに沿って歩いて1本目の路地を入ったところ。

家主
朝、花に水遣りをしていたら、壁際に黒い定期入れが落ちていて、名前を見たらワタナベと書いてあった。
 
近所にワタナベなんて人はいないから、娘に頼んで警察に届けてもらった。

花の水遣りは毎日の日課で、前日にはそんな定期券は落ちていなかったということから、定期券は夜中に捨てられた可能性があった。

Y子を殺害してから4日後に定期券を庭先に捨てたのは誰なのか!?と思うが、発見された当時には この界隈ではそれについての警察の聞き込みはされていないそうだ。

ちなみに定期券が発見された民家の周辺は、当時はイラン人やバングラディシュ人が多く暮らしていて、物騒な空気もあったという。

近隣住民
当時は夜になると物騒な感じだった。
 
イラン人が店を閉めたあとの夜中に酒を売ってくれって来たんだけど、断ったら、自動販売機が壊されてたなんてこともあった。

定期券が発見されたからといってその周辺が怪しいというわけではないが、事件の温床となりえる空気がこの周辺にはあったという話である。
 
 
数年前、ゴビンダさんが無罪になってしばらくしてから、あるネパール人男性のところに警察の捜査員がやってきたそうだ。

何のことかと思ったら、東電OL殺人事件のことで犯人を捜しているから、協力してくれということだった。

断る理由がないので、近くの喫茶店で捜査員に会うことになったネパール人の男性は、警察がマークしている人間のリストを見せられたそうだ。

そのリストには4ページくらいに渡ってずらっとネパール人の名前が書いてあった。

今頃になってようやく巣鴨周辺の聞き込みをはじめた捜査員に対し、このネパール人男性は「まだネパール人を疑っているのか…」と怒りよりも悲しみがこみ上げてきたという。

警察的には、ネパール人が借りようとしていた部屋で事件が起こっていることから、彼らのネットワークの中に犯人がいると推測していたようだが、現在の捜査はどうなっているのだろう?

東電OL殺人事件の発生は1997年3月19日なので、公訴時効はなくなっており、未解決事件のひとつとして現在も細々と捜査が続けられているはずだが、消えた犯人の行方が明らかになる日は はたしてやってくるのだろうか!?
 
 
 
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