水曜日の絞殺魔事件(佐賀女性七人連続殺人事件/北方事件) その1

水曜日の絞殺魔事件 北方事件 佐賀女性七人連続殺人事件

1989年(平成元年)1月27日、佐賀県北方町大峠山林の同じ場所で、三人の女性の死体や白骨が発見された。

佐賀県警は所轄の大町署に捜査本部を設置し、三件を連続殺人と見て捜査を開始した。

連続殺人と考えた理由は同一場所に二死体とほぼ一体分の白骨が捨てられていたからだ。

現場の状況から見て、遺棄の時期が明らかに異なっていること、白骨死体は別として二遺体は自殺や事故死とは思えないことなどから、これを連続殺人と考えた。

三人の身元は所持品と歯形から割れた。

◆白骨死体は武雄市の料亭従業員・藤瀬澄子さん(48歳)藤瀬さんは1987年7月8日から行方不明。

◆北方町の主婦・中島清美さん(50歳)1988年12月7日から行方不明。

◆北方町の紳士服縫製工場勤務・吉野タツ代さん(37歳)1989年1月25日(発見2日前)に行方不明。

藤瀬澄子さんの死因は特定できなかったが、中島清美さんと吉野タツ代さんはいずれも絞殺だった。 
 
 
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国道34号線は佐賀県鳥栖市から嬉野温泉を経て長崎に至る幹線道路で、県警捜査本部の面々の脳裏には、今回の遺体発見場所・北方町と同じように、34号線沿いで起こった未解決殺人事件が浮かんでいた。

34号線の鳥栖と武雄の間では、1980年(昭和55年)以降、4人の女性が殺されていた。

◆1980年6月24日に白石町で遺体で発見されたウエイトレス・百武律子さん(20歳)

◆1980年6月27日に白石町で遺体で発見された中学生・山崎十三子さん(当時12歳)

◆1981年10月21日に中原町で発見された紳士服縫製工場勤務・池上千鶴子さん(27歳)

◆1982年2月18日に北茂安町で発見された小学生・西山久美ちゃん(11歳)

もしこれらが同一犯人による連続女性殺人事件であるとすれば、被害者が合計7人となる大事件である。

県警の威信にかけて事件を解決すべく、捜査本部は捜査を推進した。
 
 
大町署捜査本部は、まず1989年1月25日に失踪し遺体で発見された吉野タツ代さん(37歳)を主要捜査対象として選んだ。

吉野タツ代さんは失踪2日後に発見されていて、新しい事件ほど情報を集めやすいからである。

吉野タツ代さんの両親の話によると、タツ代さんは1988年1月に離婚のため、幼い長男を連れて北方町の実家に戻り、地元の紳士服縫製工場に、失踪するまでの1月25日まで無欠勤で勤めている。

1月25日は午後6時前に帰宅し、7時過ぎに父母と子供とともに夕食をとっていた。

間もなく電話がかかってきてタツ代さんが出て、少し話した後、父母に友達を送っていくといって食事を中断し、自分の赤い車で出かけていた。

これを聞いた捜査員は吉野タツ代さんの足取りを追った。

聞き込みにより1月25日8時過ぎに、実家から34号線を十数分は知ったところにあるボウリング場の駐車場で、赤い車の傍らに立っているタツ代さんを見た人を探し当てた。

目撃者のOLは白いクレスタがやってきて、タツ代さんはその助手席に乗って去ったという。

クレスタは佐賀県内に530台あり、全車をチェックしたが、マークすべき対象は浮かんでこなかった。

捜査は難航した。

犯人を指向する物証がなく、謎だらけだった。

大峠現場周辺の捜索では、三人の女性の所持品が 車からばら撒かれたように広範囲に捨てられていた。

指紋は234個、吸殻10本、毛髪1853本を採取したが、犯人に結びつく手がかりにはならなかった。

被害者三人の間柄を調べたが、共通点は見当たらない。

1989年1月27日に見つかった吉野タツ代さんと1981年10月21日に見つかった池上千鶴子さん(27歳)が同じ縫製会社に勤めていたが、時期的に間隔があいており、知り合いだった事実はない。

そのほかに特筆すべきは女性たちの失踪日がほとんど水曜日だったことで、ここからこの事件は「水曜日の絞殺魔事件」とも呼ばれた。

北方事件では一人の男性が容疑者として逮捕・起訴されたが、物証の乏しさや上申書の証拠価値のなさから、裁判でこの男性に無罪が言い渡されている。

水曜日の絞殺魔事件(佐賀女性七人連続殺人事件/北方事件) その2

よって延べ6000人以上の捜査員を導入して捜査に当たったにもかかわらず、この事件は未解決のままである。
 
 
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