品川医師射殺事件 (青物横丁医師射殺事件)

品川医師射殺事件 野本正巳

品川医師射殺事件(青物横丁医師射殺事件) 概要

1994年10月25日午前8時5分頃、朝の通勤ラッシュの東京都品川区の京浜急行・青物横丁駅で、出勤途中の医師・岡崎武二郎さん(47歳・都立台東病院泌尿器科医長)が背後から拳銃で撃たれた。

至近距離から撃たれたため、弾丸は岡崎さんの腹部を貫通した。

すぐに犯人はバイクで逃走し、行方をくらませた。

岡崎さんは「患者だった野本にやられた」と言い残して意識を失い、病院へ搬送されたが、出血多量で亡くなった。
 
 
10月25日午後6時15分、警察は野本正巳(36歳・埼玉県浦和市)を 実名非公表で指名手配した。

野本正巳には精神病院の通院歴があったためである。

10月26日、野本正巳は実家の母親に電話して犯行を告白した。

10月27日、はじめは実名非公表での指名手配だったが、第2の犯行の可能性があるとして、夕方に野本正巳の実名公開に踏み切った。

その間、野本正巳は都内のホテルを転々としていたが、マスコミの報道内容に不満があったため、10月28日の朝、テレビ局各社に犯行声明分を直接届けた。

うち2社には電話で自分が犯行を行うに至った経緯を告白し、また、出頭する可能性を予告した。

テレビ朝日には電話で病院幹部の射殺をほのめかし、フジテレビには生番組放映中、その日の出頭の予告連絡を入れていたのだ。
 
 
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犯行までの経緯と動機

野本正巳は高卒後、技術系の専門学校を卒業し、事件の8年前から都内の電気機器製造会社で、販売先の機器点検や保守の仕事をしていた。

1993年6月、野本正巳は被害者・岡崎医師の執刀でヘルニアの手術を受けた。

手術は成功したが、しばらくして野本正巳は体内に異物が詰まっているような違和感を覚え始めた。

野本正巳は岡崎医師が手術のときに、体内にハサミか何かを入れたのではないかと疑い、病院で検査を依頼した。

岡崎医師はあきれつつも、野本正巳の要求どおりに検査を行って異常がないことを証明したが、野本はその結果を信じず、その後何度も岡崎医師に異物を摘出するように要求した。

そしてやがて野本正巳は「自分は人体実験されたんだ」と思い込み、岡崎さんに復讐することを決意した。

野本正巳は独身で生真面目、仕事熱心だったが、問題の手術のあとから身体の不調を訴えて、会社を休みがちになっていった。

そして犯行前月に野本正巳は会社を自主退社。

その後岡崎さんの自宅や通勤経路を調べ上げ、暴力団員から拳銃を購入して駅で待ち伏せし、岡崎医師が改札口を通り抜けようとしたところを撃った。
 
 
裁判では野本正巳の精神状態と刑事責任能力が争点となったが、岡崎医師の身辺調査や拳銃の試射を行うなど、犯行が冷静で計画的であったことが有罪の決め手とされた。

逃走に使ったバイクを、浦和から品川に1ヶ月前に運ぶなど、用意が周到だったのだ。

拳銃の入手は犯行4日前の10月21日。

野本正巳は浅草を徘徊し、暴力団員から相場の5倍の140万円で トカレフを買った。
 
 

逮捕~判決

10月28日午後2時頃、野本正巳は母親に連絡を取り、JR南浦和駅で落ち合う約束をした。

母親はこれを通報し、午後4時45分、南浦和駅に姿を現したところを逮捕された。

野本正巳は1994年の夏ごろまで精神病院に通院しており、逮捕後も「岡崎医師に体内にポンプを入れられた」と主張し、摘出を要求したため精神鑑定を受けたが、「責任能力あり」との結果が出たため、1995年2月、殺人罪で起訴された。
 
 
1997年8月12日、東京地裁は野本正巳に懲役12年の判決を言い渡した。

東京地裁
無防備な被害者を待ち伏せし、至近距離から拳銃で撃ったという計画的で極めて残虐な行為である。

野本正巳は控訴したが棄却され、20007年7月、刑が確定した。