渋谷暴動に時効なし!中核派が暴走した沖縄返還阻止闘争とは?

渋谷暴動 事件

渋谷暴動に時効なし!は本当か

非公然活動家が非公然アジトで指名手配犯大坂正明を隠匿!渋谷暴動

この記事↑で渋谷暴動事件最後の容疑者・大坂正明が逮捕された経緯などを書きましたが、時効についてはここにも書いてある通り、渋谷暴動に時効はありません。

渋谷暴動で大坂容疑者には 殺人、放火、傷害、公務執行妨害、凶器準備集合の5つの容疑がかけられました。

1971年当時は国内逃亡犯に対する公訴時効は殺人罪で15年とされていました。

共犯者の一人(奥深山幸男)が1972年に起訴されていたものの 精神疾患が理由で公判が停止されていたため、時効が停止したのです。

ちなみに 公判が停止していた奥深山は2017年2月に病死していますが、かつての刑事訴訟法とは別に、2010年に殺人罪の公訴時効が撤廃されているため、大坂容疑者の容疑に時効はなく、45年以上の時を経た最近まで大阪は「指名手配中」だったのです。

余談ですが、殺人罪の時効廃止が採決されたのは 柴又女子大生放火殺人事件の遺族の尽力によるものです。

柴又女子大生放火殺人事件は今!?未解決事件の詳細と考察

2012年にオウム真理教の特別指名手配犯3人が逮捕されましたが、その時のものと思われる大坂容疑者の文書が見つかっています。

「指名手配には負けない」・・・このまま最後まで逃げ切ってやる!という強い意思の表れでしょうか。

でも最後には正義が勝つ!警視庁の執念で渋谷暴動の最後の容疑者はついに逮捕されました。

渋谷暴動を起こした「中核派」とは新左翼党派のひとつの「過激派」です。

そして「渋谷暴動」とは 沖縄返還協定をめぐって過激派が暴徒化し、交番や厳戒態勢の機動隊に対して火炎瓶などで襲撃した暴動事件です。

渋谷暴動では一人の警察官が犠牲になっていますが、その警官の兄(中村さん)は今回の大坂容疑者の黙秘について、こう言っています。

中村さん
社会に伝えたいことがあるのなら、きちんと伝えるべきだ
 
 
スポンサーリンク



 
 

沖縄返還阻止闘争と渋谷暴動事件

渋谷暴動の事の発端は、沖縄返還協定です。

沖縄返還に際し、日本が3億2000万ドルを支払い、沖縄にアメリカ軍基地を残すという協定内容に反発した沖縄返還協定批准阻止闘争が元になっています。

1971年(昭和46年)11月14日、沖縄返還協定をめぐって過激派が「東京大暴動」を起こすことを宣言し、その拠点を渋谷としました。

地元の商店街や百貨店が続々と臨時休業し、ガソリンスタンドも過激派の襲撃を恐れて閉鎖しました。

そんな緊迫した空気の中で、警視庁は現場警備本部を渋谷に設置し、3300人の機動隊員が周辺の警備に当たりました。

過激派は午後2時頃から一斉に武装闘争を開始。京王線、井の頭線などの駅や、渋谷の交番や民家に火炎瓶を投げ始めました。

代々木公園近くの神山交番には約200人の武装集団が襲撃。

暴動のリーダーの大坂容疑者が 殴られて失神していた中村巡査に向かって火炎瓶を投げ、全身やけどを負わされた中村巡査は帰らぬ人となりました。

午後2時半頃には、国鉄池袋駅に停車していた山手線の列車が炎上し、ここには一般乗客も乗っていたため、けが人が出ました。

過激派が持っていた火炎瓶が列車の座歴の手すりにぶつかって爆発し、列車が燃えて黒こげになったのです。

夜になると渋谷には約2150人の学生が集結し、道玄坂にバリケードを築いて、周囲に火を放ちました。

乗用車のサイドブレーキを外して坂道で車を暴走させ、火をつけるなど、暴動はどんどん過激になっていきました。

とてつもない暴動ではありましたが、警視庁が厳重警備を敷いたことで、幸い一般市民には一部けが人は出ましたが 犠牲者は出ませんでした。

その後暴動は終息し、容疑者は次々と逮捕されていきました。大坂正明を除いて。

渋谷暴動事件でデモ隊を指揮した松尾眞には懲役8年。

警察官殺害に関しては、大坂容疑者以外の中核派の学生7人を逮捕・起訴。

そこで大坂正明だけが逃げ延び、46年もの間逃亡し、指名手配されていましたが、今年ようやく広島の非公然アジトで逮捕されたのです。

大坂容疑者の逮捕容疑は前述のとおり、中村警部補(当時は巡査)の殺害容疑と放火容疑です。

無抵抗の警官の命を奪った残忍さと罪状の重さは計り知れない・・・46年逃げ続けた67歳の容疑者の裁きがようやくこれから始まります。
 
 
スポンサーリンク


[via]朝日新聞 読売新聞 毎日新聞 産経新聞 週刊新潮 週刊文春   戦後ニッポン犯罪史   日本凶悪犯罪大全   戦後事件史データファイル   現代殺人事件史   昭和・平成 日本の凶悪犯罪100   殺しの手帖   日本殺人巡礼