坂本堤弁護士一家殺人事件はオウム3大事件の引き金だった!?

1989年11月 坂本弁護士一家殺害事件

オウム信者を家族の元に取り戻す活動をしていた坂本堤弁護士は オウム教団と交渉を続けると同時に、オウム教団に宗教法人を認可した東京都に対してもトラブルの情報提供を続けていた。

そして坂本弁護士一家が行方不明になる4日前には、教団の顧問弁護士、早川紀代秀、上祐史浩の三人が事務所を訪れて、坂本弁護士と口論になっていた。

「オウム真理教被害者の会」を組織し、教団と対決してきた坂本弁護士とその家族が失踪したのは 1989年11月3日(あるいは4日)である。

坂本堤弁護士(当時33歳) 妻・都子(さとこ)さん(当時29歳) 長男・龍彦ちゃん(1歳2か月)が、住んでいるアパートから忽然と姿を消したのだ。

坂本弁護士一家の捜査願いを受理した横浜・磯子署が坂本一家のアパートを調べたのが11月7日。

坂本家のリビングのテーブルの上には来客用の湯飲みが2個置かれていた。

坂本家にはこの湯飲み茶わんが5個あったはずなのに、なぜか残りの湯のみ3個が持ち去られていた。

室内には貯金通帳、キャッシュカード、財布、印鑑、玄関の合鍵などが残されていた。

台所のシンクには夕食で使ったと思われる食器が洗わない状態でそのまま残っており、生ごみも片付けられておらず、電気炊飯器は保温状態になっていた。

居間には衣服が散乱し、置時計が横倒しになっており、カーペットの一部がめくれあがるという、明らかに争ったと思われる形跡が。

郵便受けには4日付けの朝刊からそのままになっていたことから、坂本一家は11月3日から4日の未明に失踪したことがわかった。

さらに室内からは オウム信者が身につけるセラミック製バッジ「プルシャ」が発見されていた。

これを発見したのは11月7日に行われた警察の実況見分の警官ではない。

その翌日の8日に坂本弁護士の母・さちよさんが、室内を掃除しているときに見つけたのである。
 
 
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なぜ警察は坂本一家失踪の捜査に本腰を入れなかったのか!?

坂本弁護士一家の失踪を深刻に受け止めたのは同じ事務所の弁護士たちだった。

彼らは坂本弁護士一家失踪について 警察が初動段階であまり深刻にとらえていないと感じていた。

坂本弁護士一家が失踪したとみられるのは11月3日か4日である。

そして実況見分が行われたのは11月7日。

しかも警察の実況見分はわずかな時間で終わっていて、挙句 室内に落ちていたプルシャも発見できていなかった。

この辺りからも 一家失踪を警察があまり重く考えていなかったことが見え隠れする。

公開捜査に切り替わった際の記者会見で、広報担当者が「事件と失踪の可能性は五分五分だ」と話したことも、彼ら(=弁護士たち)は複数の関係者から聞いていたのである。
via:未解決事件 オウム真理教秘録

失踪する理由が見つからない一家の失踪を 公開捜査に切り替えてもまだ「事件と失踪の五分五分」という言い方をすること自体が すでに信じられない。

完全に放置されていた感が否めない。

ところが室内からプルシャが発見されたことで 坂本弁護士一家はオウム真理教の信者に拉致されたのではないかという可能性が高まった。

それにもかかわらず神奈川県警はこの時 オウム教団に対して事情聴取すら行わなかった。

プルシャの発見にしても、7日の警察の捜査ではまったく発見されていなかったわけで、当時の神奈川県警の捜査のずさんさには開いた口がふさがらない。

その後 オウム真理教が関与した数々の事件の捜査が進んでいく中で、この件はずっと語り草になっている。

坂本弁護士一家殺害事件で神奈川県警の初動捜査のミスがなければ、その後に起こった松本サリン・地下鉄サリン事件などの オウム真理教の暴走はなかったのではないか!?

こう言われてしまうくらい、この事件の初動捜査のずさんさは、警察の大失態だったのである。

ちなみに 坂本弁護士一家殺害事件・松本サリン事件・地下鉄サリン事件は ひっくるめて「オウム三大事件」と呼ばれている。

指紋を消せ!オウム教団の入念な証拠隠蔽工作

結局、神奈川県警がオウム教団に事情聴取を申し入れたのは11月19日。

しかしオウム教団はこれに応じず、21日に麻原と幹部たちはドイツに出国してしまっている。

そしてそのドイツで、早川紀代秀と村井秀夫は指紋を消している。

坂本弁護士宅へ押し入った6人のうち、早川紀代秀と村井秀夫の二人は犯行時に手袋をはめていなかった。

ゆえに坂本弁護士の部屋に指紋を残している。

もし警察がこの二人の指紋を採取したら、弁護士一家の部屋に残された指紋と合致して・・・オウム真理教は破滅する。

だからドイツに逃亡したときに、早川紀代秀と村井秀夫は熱したフライパンに指を押し付けて指紋をつぶした。

それだけでは飽き足らず 完璧を期すために 帰国後に信者の協力で指紋を消す手術まで受けている。

これらはすべて麻原彰晃の指示によるものだ。

さらに証拠隠蔽のための入念な偽装工作のひとつとして、6人は殺害した三人の遺体をアパートから運び出すときに、あえて高速道路を使わないルートを選んで逃走している。

それはNシステムに引っかからないようにするため。

一般道路を走行して足がつかないように 彼らは教団施設に戻っていた。

また遺体を運ぶ際に使ったドラム缶やスコップなどは富山県の海岸に捨て、坂本一家の着衣もすべて焼却している。

三人は教団施設へ拉致されてから殺害されたのではなく、アパートで殺害されたことも後にわかった。

凶行時に「どうか子供だけは!」と都子さんは叫んだが、そんな叫びが奴らの耳には届くはずもなく、その場で奴らは赤ちゃんにも手をかけた。

ここで実行犯の村井秀夫は 抵抗した都子さんから指をかまれて出血し、現場に血痕を残している。

警察は畳や壁などから血液を採取していたが、当時はDNA鑑定が警察に導入されていなかったため、血痕から個人を特定することができなかった。
 
 
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1990年2月(坂本一家失踪から3か月後) 警察へ匿名の告発文

一家が行方不明になって3か月後に、捜査本部には一通の匿名の手紙が速達で届いた。

新潟県内の郵便局の消印がついた手書きの封書。

中身は手紙と 長野県の道路地図と ポラロイド写真。

手紙には「竜彦ちゃん(※龍彦ちゃんの誤り)が眠っている。早くお願い、助けて!」

道路地図には遺棄現場を示す印のような記載があり、ポラロイド写真には目印とみられる電柱などが写っていた。

これを受けて捜査本部は長野県警と合同で山中を捜索したけれど、この時は龍彦ちゃんの遺体は見つからず。

しかし後になって この手紙も地図の目印も正しかったことがわかる・・・警察が捜索した目と鼻の先から、龍彦ちゃんが発見されたのだ。

これは元教団幹部のナンバー3であるにもかかわらず 教団を脱会した岡崎一明による告発だった。

ところが岡崎は手紙を書いたことは認めたものの、最初の頃は「麻原から捜査をかく乱するために出すよう頼まれただけだ」と主張していた。

実は告発文を送りつけたものの、この手紙についての真実を岡崎一明が語ったのは 地下鉄サリン事件が発生した後だった。

岡崎一明
早く自首して真実を話したいと思っていたが、オウムが怖くてできなかった。

麻原が本気で日本を転覆させようとしているのを見て、やっと決心がついた。

岡崎一明 (宮前一明)死刑囚~オウム真理教 確定死刑囚第1号

1991年5月(坂本一家失踪から1年半後)の脱会信者の目撃証言

脱会信者
坂本弁護士一家が行方不明になった1989年11月頃、富士山総本部で村井の専用車だった日産ブルーバードを見かけた。

近くには早川、岡崎、新実智光、端本悟もいて、間もなく車に乗ってどこかに出かけて行った。

4~5日たつと、中川智正も加わって 山梨方面から車で帰ってきたが、岡崎のズボンのすそが泥で汚れていたのを覚えている。

おそらくこの時に坂本弁護士一家を遺棄したのだと思う。

この証言に出てくる6人…早川・岡崎・村井・新実・端元・中川が、坂本一家を殺害・遺棄した実行犯で、後に刺殺された村井を除く全員に死刑判決が出ている。

6人は村井のブルーバードともう一台の車に分乗して坂本弁護士一家のアパートに向かい、凶行に及び、その後に三人を離して各山中に遺棄した。

富士山総本山周辺の修理工場に聞き込みをすると、一家が行方不明になった11月上旬に ある業者にブルーバードが持ち込まれて、修理と塗装をしていたことも判明。

そのトランクからは、手錠と全国の道路地図も見つかっていた。

このブルーバードにたどり着いた捜査本部が車を調べようとしたときには、車はすでに解体された後。

「交通事故を起こしたからスクラップにしてほしい」と業者は依頼されていた。

それでも一応、犯行車両と思しき車は特定できていたのだが、坂本一家事件が解明されるのはまだまだ先の話・・・この4年後である。

なぜ 坂本事件の捜査はなかなか進まなかったのか!?

坂本弁護士一家の失踪にはオウム真理教が絡んでいる!と誰もが思っていたはずなのに、なぜ捜査がこれほどまで及び腰だったのか?

ざっくりと考え得る理由は2つある。

その理由の一つはオウム真理教が宗教法人だったからだといわれている。

宗教法人にメスを入れることは 下手をすると「宗教弾圧だ」と宗教業界やマスコミから袋叩きにされる可能性があったのだ。

こういう騒動が持ち上がることを 警察上層部のいわゆる「キャリア組」が許さないという事情もあったかも・・・キャリア組のほとんどは正義もへったくれもない!自分たちが穏便に勇退したいという人たちばかりだから。

もう一つの理由は、坂本弁護士が所属していた法律事務所が共産党色が強かったために、公安があまり本腰を入れなかった可能性もゼロではなかったということ。

この辺りが県警の捜査に微妙に影響を与えていた可能性も考えられる。
 
 
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6年後、坂本弁護士一家失踪がオウム教団による殺害・遺棄事件と判明

坂本弁護士一家失踪がオウム教団による一家殺害だと判明したのは 失踪から6年後・・・1995年9月である。

オウム幹部の岡崎一明や早川紀代秀らが坂本弁護士一家の拉致を自供したことから 事件の真相が明らかになった。

そして彼らの供述通り 長野、新潟、富山の山中で坂本弁護士一家・三人の遺体が発見された。

早川紀代秀の自供によると、坂本弁護士一家殺害を命じたのは麻原彰晃で、犯行メンバーは早川紀代秀、村井秀夫、端本悟、新実智光、中川智正、岡崎一明の6人。

坂本さん宅に押し入ったのは11月4日の未明で、玄関は施錠がされていなかったと証言している。

確かに供述通りに遺体が発見されているので、この事件はオウム教団の仕業で間違いないはずだが、この供述はちょっとおかしいのでは?という謎の部分もいくつか介在する。

坂本弁護士一家殺害事件をめぐる不可解な謎

■実行犯が未明に坂本さん宅に押し入ろうとしたときに玄関の鍵が開いていた、というのはおかしい。

オウム教団が犯行を企てていた当日に玄関のカギを締め忘れて一家が眠っていたというのは、どうも腑に落ちない。

実行犯6人がスムースにアパートに侵入するために 何らかの事前工作がなされていたのではないか?

■11月4日未明に押し入ったというのは本当か?3日ではないのか?

妻の坂本都子さんはとてもまめな性格の人だったそうで、洗い物をシンクにそのまま残しておくようなことはなかったという話がある。

台所のシンクには夕食で使ったと思われる食器がそのまま置いてあったわけで、都子さんがそんな風にしておくだろうか?という疑問もあったという。

食器がそのままになっていたのは 3日の夕食後に来客(犯行メンバー)があったからではないかと考える方が自然だという見方もできる。

実際に来客用の湯飲みが3個なくなっていたことからも、凶行の前段階に何かがあったのではないかと考えられなくもない。

そうなると 4日未明に押し入ったという供述との関連はどうなるのか?という謎が深まる。

■これは本当にオウム教団だけの単独犯行だったのか?

坂本弁護士一家事件の背後にはオウム教団以外の組織が介在しているのではないか?という噂を 当時の週刊誌は伝えていた。

あるジャーナリストはオウム教団と暴力団のつながりについて書いていて、オウムの実行犯6人がアパートに侵入する前に何らかの補助工作があったのではないかと言っていた。

ただそれがもし真実だったとしても、そのことを早川紀代秀は知らされておらず、村井秀夫だけが知っていたのではないか?

そしてそれがその後に起こった村井秀夫刺殺事件につながっていくのではないか?すべてを知りすぎた男、うっかり口を滑らせる男だった村井秀夫の存在が邪魔だったとか…。

あくまでもこれはひとつの推論であって、当時のマスコミの噂も根も葉もないものだったのかもしれないが、真相はこの先もずっと藪の中である。
 
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