坂本龍馬の手紙6枚!龍馬が語る寺田屋事件と長州戦争の裏話とは?

坂本龍馬 手紙

坂本龍馬の手紙、新たに6枚発見!

坂本龍馬の手紙

坂本龍馬(1836~67)が兄・権平の家族に宛てた手紙が新たに6枚見つかった。

龍馬が幕府側に襲撃された寺田屋事件や、幕府と長州の戦争を生々しく記述。

文中には西郷隆盛(吉之助)や小松帯刀、高杉晋作など維新の志士たちの名前も登場する。

via:朝日新聞デジタル

 


 
見つかった坂本龍馬の手紙は縦25センチ横30センチくらいの便せん6枚。

手紙は6枚で完結しているのではなく、6枚は全体の4割ほどに当たります。

手紙の所有者は北海道在住の男性で、坂本龍馬の親族から譲り受けたそうです。

そして昨年秋に高知の坂本龍馬記念館に連絡を入れ、調査した結果、坂本龍馬の直筆であることが筆跡や内容から判明したのです。

この手紙が書かれたのは1867年の1月(慶応2年12月4日)1月、兄の権平(ごんぺい)に宛てています。

龍馬が暗殺される1年ほど前に出されたものです。

手紙の原本の一部は既に見つかっていましたが、6枚が確認されたのは初めての大発見!

この手紙は高知県が購入する予定になっています。

坂本龍馬の手紙の内容

手紙の1枚目は寺田屋事件について書かれています。

寺田屋事件は1866年に京都・伏見の寺田屋に宿泊していた坂本龍馬が襲撃された事件です。

坂本龍馬は京都で薩長同盟の仲介をしていました。

寺田屋は幕府側の伏見奉行が送り込んだ30人に囲まれましたが 入浴中にいち早く異変に気付いた龍馬の妻・お龍が裏階段を駆け上がり、危機を龍馬たちに知らせたことから 逃げ延びることができたという有名な話がありますね。

このときに妻を連れていたのは この旅は坂本龍馬とお龍の新婚旅行だったためで これが日本で初めてのハネムーンと言われています。

この時坂本龍馬は負傷しましたが、薩摩藩邸に逃げ延びてかくまわれました。

手紙には薩摩藩の小松帯刀(こまつたてわき)や西郷隆盛と笑い、語り合ったことが書かれています。

坂本龍馬
(寺田屋事件で)西郷隆盛が事件の一報を聞いて短銃に弾を込めて私を伏見まで助けに来ようとしてくれたことがうれしかった

余談ですが、寺田屋事件の「寺田屋」の女将はお登勢(とせ)さん。

銀魂に出てくるお登勢さんはこの人から取ったみたいですね。

現実のお登勢さんはとても面倒見の良い人だったらしく、坂本龍馬がお登勢さんに宛てた手紙が残っていますが、頼みごとや泣き言ばかりだったとか。

寺田屋事件の時には宿をめちゃくちゃにされましたが、のちに薩摩藩が迷惑料・口止め料・修復費を払ってくれたので寺田屋はすぐに再開でき、坂本龍馬の妻・お龍の面倒も見ていたそうです。

3枚目の手紙には、1866年の第二次長州出兵の描写があります。

この時にはすでに薩長同盟が成立していたため、薩摩藩が幕府の出兵を拒否し、長州藩が勝利しています。

長州藩の高杉晋作がのぼり旗を振って指示を出す様子や 酒を振るまい兵士の戦意を高めようとする様子がリアルに描かれています。
 
 
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坂本龍馬の手紙の現代語訳

(略)

この大坂からの坂本龍馬捕縛命令は幕府大目付の某から伏見奉行に申してきたことで、「坂本龍馬なるものは決して盗みや虚言はしない者ではあるが、この者がいては徳川家のためにならない。是非とも殺すように」との指令だったようです。

その理由は幕府の敵である長州と薩摩の間を往来しているからだとのこと。

この話を聞いた薩摩屋敷の小松帯刀や西郷吉之助なども皆、大笑いいたし、かえって私が幕府のあわて者に出会って、はからぬ幸いだ、と申しあったことです。

(略)

この戦争の間に、一度大きな戦闘があり、長州側の兵士が五十人ほども討ち死にした際[いくさで味方が五十人も死ぬという時は、敵方もあわせるとおびただしい死人が出るものです]、長州軍の先鋒がしばしば敗れるような苦境でしたが、指揮官の高杉晋作は本陣から錦ののぼり旗を振って指示を出し、薩摩藩の使者村田新八と色々と雑談し、ヘタヘタと笑いながら敵の動きに気をつけていました。

敵方は肥後藩兵ということでなかなか手ごわい相手でしたが、高杉は酒樽を数々運ばせて、戦場にてこれを開けて兵士たちに飲ませるなど、しきりに戦意を高揚させ、とうとう敵兵を打ち破り、肥後軍の陣幕や旗印などを残らず分捕ってしまいました。

(略)

 一、何卒、去年お願いした父上をはじめ、皆さまの御歌などを長崎までお送りいただきたく思います。

あて名と住所は右のとおりお記し下さい。

西郷吉之助様近

  坂本龍馬様……

またその上の封紙には

 薩州長崎御屋敷御留守居   汾陽次郎左衛門様……

右、長い手紙は十二月四日、長崎本博多町小曽根英四郎方で記しました。

この宿は八月から定宿として滞在いたしております。

龍馬

(手紙の写しを収録している「全書簡現代語訳 坂本龍馬からの手紙」=宮川禎一さん著=から引用)

via:朝日新聞デジタル

坂本龍馬と西郷隆盛の出会い

坂本龍馬と西郷隆盛の出会いははっきり正確にはわかっていませんが、勝海舟がこの二人を引き合わせたと言っています。

通説では二人の出会いは1864年8月で、坂本龍馬が西郷隆盛を釣鐘に例えた人物評を 勝海舟に語ったという逸話もあります。

龍馬は西郷についてこう言っています。

坂本龍馬
西郷というやつは、わからぬやつだ。

釣鐘に例えると、小さくたたけば小さく響き、大きくたたけば大きく響く。

もし馬鹿なら大きな馬鹿で、利口なら大きな利口だろう

また、のちにこんな風にも語っています。

坂本龍馬
その鐘をつく撞木(しゅもく)が小さかったのが残念だ

坂本龍馬は、西郷隆盛を釣鐘に、龍馬自身を撞木に例えているのです。

つまり龍馬は西郷隆盛という人物の器の大きさ、懐の深さを大きく評価していたのでしょう。

 
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