水曜日の絞殺魔事件(佐賀女性七人連続殺人事件/北方事件) その2

水曜日の絞殺魔事件 北方事件

水曜日の絞殺魔事件

3人の女性の遺体が1989年(13年前)1月28日に佐賀県杵島郡北方町(現・武雄市)の大峠の崖下の雑木林の中で見つかっていた。

同時に発見された被害女性は3人とも主婦である。

水曜日の絞殺魔事件(佐賀女性七人連続殺人事件/北方事件)の概要

この3件は同一犯による殺人事件である可能性が濃厚であると考えられ、地名を取って「北方事件」(きたがたじけん)と呼ばれた。

このほかに佐賀県では女性を狙った殺人事件が多発していて、北方事件の3件を含めて合計で7人の女性が殺害されており、いずれも未解決という異常事態になっていた。

7人のうち6人が水曜日に行方不明となり絞殺されたと見られたため、これら一連の事件を総称して「水曜日の絞殺魔事件」とも呼ばれている。

※百武律子さんの失踪日だけが日曜日で、他の6人の被害者は全員、水曜日に行方不明。
 

失踪日発見日名前    年齢発見場所
1980.4.13
日曜日
1980.6.27百武律子20歳
ウェイトレス


2人とも 白石町・須古小学校の便槽の中
1975.8.27
水曜日
1980.6.27山崎十三子12歳・中学生
1981.10.7
水曜日
1981.10.21池上千鶴子27歳・主婦
縫製工場勤務
三養基郡・中原町の草むらの中
1982.2.17
水曜日
1982.2.18西山久美11歳・小学生三養基郡・北茂安町のみかん畑
1987.7.8
水曜日



3人とも
1989.1.27
藤瀬澄子48歳
武雄市の料亭従業員



3人とも北方町・大峠の崖下
1988.12.7
水曜日
中島清美50歳・主婦
1989.1.25
水曜日
吉野タツ代37歳
縫製工場勤務

   
  
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汲み取りトイレから出てきた2つの遺体

7人の被害女性はみな1980年代に殺害されている(すでに公訴時効が成立)

最初の2遺体は1980年(昭和55年)6月24日午後6時頃、佐賀県杵島郡白石町の須古小学校の便槽から見つかっている。

当時のこの小学校のトイレは水洗ではなく汲み取り式だったので、糞尿は真下に設置された便槽に貯められていた。
 
 

その小学校の北側校舎の便槽から百武律子さんの遺体が発見された。

遺体は全裸で仰向けになって浮いていた。

顔が判別できないほどの腐乱死体だった。

すぐそばにスリッパひと組と児童用サンダルの片方があった。

この遺体は1980年4月12日に失踪したウェイトレス・百武律子さん(20歳)と判明した。
 
 
6月18日のプール開きの準備のために 須古小の教頭が業者にプール脇のトイレの汲み取りを依頼したところ、業者から「石がいっぱい詰まっていてやりにくかったから念のために調べてほしい」と言われた。

教頭がその便槽を見に行ったところ、中から白骨化した遺体が見つかった。

遺体の上には付近で拾ったと見られる大小100個ほどの石が敷き詰められていたという。

この遺体は1975年(5年前)8月27日に自宅から失踪した中学生・山崎十三子さん(当時12歳)と判明した。

 
 
県警はこれら一連の事件を同一犯による連続殺人事件として捜査本部を設置した。

この事件を当時の新聞各紙は小学校のあった地名をとって「白石連続殺人事件」と呼んだ。
 
 
便槽から最初の遺体が見つかる2週間前、トイレの近くで草刈りをしていた児童が赤っぽい髪の毛の束を発見しており、それも百武律子さんのものと断定された。

犯人が百武律子さんの遺体を便槽に投げ込んだときにはすでに腐乱が進んでおり、髪の毛を掴んで遺体を移動したために髪の束が抜け落ちたものとみられている。

百武律子さんの肺には異物が混入していなかったため、律子さんは別のところで殺害され、便槽に捨てられたと推測された。

便槽からはパンティストッキングと注射器が発見された。
 
 
失踪して5年経っていた山崎十三子さんの遺体は白骨化していたため死因はわからない。

遺体が見つかったプールの便槽への道はとても傾斜がきつく、マムシが出ることもある草むらだったため、便槽に車を近づけるのが難しかったため、汲み取りは便器側から行っていたという。

そのことが山崎十三子さんの遺体は発見が遅れた要因だった。

山崎十三子さんは1975年8月27日午前0時半頃、自宅から忽然と姿を消していた。

白石町のスナックで働いていた母親が帰宅したとき、布団は敷いたままで、家中の電気がつけっぱなしだったという。

 
 
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脅迫状と不審な電話

百武律子さんが働いていた喫茶店には雑記長が置いてあり、律子さんの書き込みもあった。

「考えることすら、“あの人”のことばかり」

百武律子さんはこれまでに2回、自殺未遂を起こしていた。

周囲には20歳の誕生日に自殺したいと漏らしていたこともあり、死亡フラグが立っている感じだったという。

女友達が友人の結婚祝いを何にしようかと相談すると、律子さんは深刻な様子でこう答えたという。

百武律子
そんなこと考えてる余裕はないの。今すごく悩んでいるの。

百武律子さんはこの3日後に自宅から失踪していた、ネグリジェを着たままの姿で。

律子さんが失踪した後、彼女の父親の元に鉛筆書きで3行の脅迫状が届いた。

1行目:(家族の人権を著しく傷つけるプライバシーに触れているため非公開)
2行目:娘ハ帰ラナイダロウ
3行目:オ前モ苦シメ

また「人捜しのテレビに出るな!」という不審な電話もかかってきていた。

 
 
佐賀県警は、犯人には土地勘があり、被害者家族と面識がある人間の犯行として捜査を進めた。

合計249人のから事情聴取を行い、須古小学校近くに住む29歳の男性・Uが有力な容疑者として浮上した。

Uは百武律子さんが勤める喫茶店と、山崎十三子さんの母親が勤めるスナックの常連だった。

偶然かもしれないが、山崎十三子さんの母親と百武律子さんの母親は、同じスナックで働いていたことがあった。

Uは今でいうところの「半グレ」のような男で、ヤクザとの付き合いはあったが裏社会に浸かっている訳ではなく、それでも地元では何をしでかすかわからない男と恐れられていたという。

Uは律子さんと交際していて このことから律子さんは悩んでいたという噂があった。

警察はUの周辺を調べたが、結局 彼の犯行を裏付ける証拠がないため、逮捕を見送らざるを得なかった。
 
 
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さらに三養基郡内で2人の絞殺体

翌1981年10月21日、佐賀県三養基郡中原町(現・みやき町)の草むらで、白石町六角団地に住む縫製工場勤務・池上千鶴子さん(27歳・主婦)の絞殺死体が発見された。

現場は柵が設置されていて簡単に人が入れない場所で、池上千鶴子さんの首には電気コードが四重に巻きつけられていた。

下着は乱れておらず、着衣は勤務先の縫製会社のユニフォームだった。

千鶴子さんは10月7日に勤務を終えてタイムカードを押して退社した後、行方がわからなくなっており、家族と会社からそれぞれ捜索願が出されていた。

目撃証言によると、池上千鶴子さんは退社後に近くのスーパーで買い物をしたあと、駐車場で赤茶色の乗用車に乗った30歳くらいの男と立ち話をしていたという。

千鶴子さんは失踪前の4日間無断欠勤をしており、会社には「母親の看病のため」と弁明していた。

また、殺害される直前の千鶴子さんの5~6日間の行動がまったくわかっていない。
 
 
その4ヵ月後の1982年2月18日、同じ三養基郡北茂安町のみかん畑跡地で、近くに住む小学生・西山久美ちゃん(11歳)の遺体が見つかった。

池上千鶴子さんの事件現場とは2キロほどしか離れていない場所だった。

西山久美ちゃんの首にはストッキングが巻きつけられ、赤いランドセルを背負ったままうつぶせに倒れていた。

その後、福岡ナンバーの白い車に乗った男が、通学路周辺で小学生女児を次々と誘っていたことがわかった。

不審な男
ピンクレディの写真を見せるから、こっちにおいで。

・・・と言われた小学1年生は小学校のトイレに連れ込まれ、ポケットに手を突っ込まれたときに悲鳴を上げて逃げ出したため、事なきを得た。

2月19日朝、「北茂安町」「学校」「保健所」宛てに はがきが届いた。

はがき
誘拐して金を要求するつもりだった。しかし本人が騒いだので殺した。
 
 
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北方事件

同地域で4人の女性が殺害された事件が未解決のままに、再び同地域で女性3人の連続殺人が起こった。

藤瀬澄子さん、中島清美さん、吉野タツ代さんの3人の遺体が北方町の大峠の崖下で同時に見つかっている。

藤瀬澄子さんは白骨化していたので死因が不明だが、吉野タツ代さんと中島清美さんは絞殺(窒息死)だった。

死体を隠蔽しようとした形跡が皆無で、遺体はガードレール脇から無造作に投げ捨てられていた。

近隣住民
死体を隠そうと思ったら他に場所はいくらでもある。
ここに捨てるのは見つけてくれと言っているようなもの。

現場周辺の住民たちはそう訝しがっていた。
 
 
吉野タツ代さん(37歳)は1989年1月25日に自宅で食事をとっていたところに、何者かに電話で呼び出されて出かけていった。

そして市内のボーリング場に軽自動車を停めたまま失踪した。

愛用のショルダーバッグは遺体が発見される前日、現場近くの町道で小学生が拾った。

バッグの中身は空の財布、保険証、ハンカチ、メモ帳、印鑑などだった。
 
 
中島清美さん(50歳)は1988年12月7日に夫に「ミニバレーの練習に行く」と伝えて、徒歩で北方スポーツセンターに向かう途中に行方不明となった。

清美さんの失踪後、夫に「奥さん見つかったそうですね」という電話が入っているが、中島清美さんの遺体が発見されたのはこの一週間後だった。

清美さんの夫は「どちら様ですか?」と訊ねたところ、男は「お前の知った人間だ」と答えている。
 
 
藤瀬澄子さん(48歳)は1987年7月8日、料亭の勤務を終え、武雄温泉の飲食店で食事をした後、行方不明になった。
 
 

北方事件の容疑者逮捕

まず捜査本部は いちばん新しい吉野タツ代さん事件を主要捜査対象に選んだ。

吉野タツ代さんの両親によると、タツ代さんは1988年1月に夫と別れて、幼い長男を連れて北方町の実家に戻り、地元の縫製工場で働いていた。

1989年1月25日午後7時過ぎに両親や子供と一緒に夕食をとっているところに電話がかかってきて、タツ代さんが出た。

タツ代さんは電話で少し話した後、「友達を送っていく」と言って食事を中断し、自分の赤い車で出かけていったという。

捜査員が吉野タツ代さんの足取りを追うと、1月25日の午後8時過ぎに、ボウリング場の駐車場で、赤い車の傍らに立っているタツ代さんを見たという目撃者が現れた。

目撃者のOLは、そこに白いクレスタがやってきて、吉野タツ代さんを助手席に乗せて走り去ったという。
 
 

その後の調査で 当時Mさんは吉野タツ代さんと交際していた事が判明。

事情聴取したところ、Mは吉野タツ代さんとの交際の事実は認めたものの 殺害については全面否定した。

さらに中島清美さんと藤瀬澄子さんとは面識がないと供述している。

その後の1989年10月、Mさんは別件逮捕(覚せい剤取締法違反容疑)で逮捕された。

Mさんは鹿児島刑務所で再び北方事件について任意で聴取を受け、一度は北方事件の犯行を認めて上申書を書いたが、すぐに否認に転じた。

しかしこれは後に警察の行き過ぎた取調べによる自供であると主張し、Mは自供を翻している。
 
 
北方事件の中でいちばん古い藤瀬澄子さん殺害の時効が迫った2002年6月11日、Mさんは鹿児島刑務所に服役中だったが、北方事件の3人の被害者を殺害した容疑で逮捕された。 
 
吉野タツ代さん失踪時に駐車場で二人の車が目撃されていたことや吉野さんの遺体からMさんのものとみられる唾液が採取されたこと、3人の遺体発見現場が同じだったこと・・・などから、Mさんは3人の連続殺人容疑で逮捕・起訴されたのだった。

ところが、佐賀地裁と福岡高裁は「決定的な客観的証拠はない」として、Mさんに無罪判決を言い渡していた。

二審の判決には重大な事実誤認や判例違反がなく、原判決を覆せる物証も乏しいことから 検察は上告を断念し、ここにMさんの無罪が確定した。
 
 
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北方事件は本当に冤罪だったのか!?

北方事件の裁判の求刑は「死刑」だったのだ。

求刑・死刑が一審・二審とも「無罪」になる裁判はほとんどない。

ある程度知名度があるメジャーな事件に絞ってみれば、2回立て続けの逆転無罪は個人的には他に知らない。

確かに佐賀県警捜査本部は犯人検挙に東奔西走し、がんばってきたのだと思う。

だけど、日本は起訴されればほぼ有罪と裁判事情の中で、これは極めて珍しいケースであると同時に、捜査があまりにも杜撰だったことがうかがえるのである。

須古小学校で最初の死体が発見されてから37年間、7件の未解決事件の真相は公訴時効を迎え、闇の中に葬られた。

地元住民の多くは、今もMさんが北方事件の真犯人だと思っているという。

70代近隣住民
Mが犯人だろうね。私はそう思ってる。この辺じゃ、Mは手癖が悪いことで有名だったから。
 
佐賀県警は「さばけんけい」と呼ばれてますよ。やることがさばけないから。
 
大きな事件なんて扱ったことがないから、捜査のやり方を間違ったんでしょう。

結果が出せなかった以上、住民からこういわれても仕方がない側面もある。
 
 

孤立無援の支援者

Mさんには法廷闘争をたった一人でバックアップし続けた田崎以公夫さんという支援者がいた。

田崎さんは元・北方町議会議員である。

その田崎さんの元には10通以上の差出人不明の、ある意味脅迫とも取れるはがきが届いていた。

はがきの全ては「Mの犯行を疑う余地はないから、支援はやめろ」という内容だったり「Mの犯行で間違いない!」と執拗に書きなぐったものだ。

「Mのほかに誰があんな犯罪をするね。他所の者じゃなか。知り尽くした地元の物以外考えられない。25年前の小学生、店員殺しもMがしたことじゃないかね。覚せい剤使用をやっていたとか。理性を失ったヤツはどがんことでんするけん。野に放たれんばい。・・・・・」

同じような内容のはがきが複数届いているし、手書きなので 警察が筆跡鑑定をすれば差出人が誰なのかはわかるのに、こういうものを送りつけてくる真意とは一体!?

警察に筆跡鑑定を依頼してはいないが、差出人であろう疑惑の人物は概ねわかっているというが、差出人が真犯人であったかどうかは定かではない。
 
 
また、北型事件ではこんな疑惑の証言も出てきていた。

田崎さん
事件後にある被害者の夫怪しいと噂が立ったんです。

その人も町議でした。1期だけだったけど。
 
遺体が見つかる前、占いをして奥さんがここにいると言っていた。そして本当にその場所から3人の遺体が見つかった。
  
不思議なことに警察はその後「遺族に犯人はいない」という声明を出した。
 
普通、事件が解決していないのに、そんなことは言わないでしょう。

この人物はすでに転居し、近隣住民も転居先を知らないという。
 

 
 
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