連続企業爆破事件

 
片岡利明 益永利明 連続企業爆破事件

1974/5 連続企業爆破事件

連続企業爆破事件(れんぞくきぎょうばくはじけん)とは東アジア反日武装戦線が旧財閥系企業、大手ゼネコン社屋・施設などに爆弾を設置し爆破した事件。

1974年8月から1975年5月にかけて、東アジア反日武装戦線は日本国家をアジア侵略の元凶とみなし、アジア侵略に加担しているとされた企業に対し断続的に爆破事件を起こした。

via:wikipedia

 


 
1974年8月30日、午後0時45分頃、東京・丸の内の三菱重工本社ビルで、玄関入り口のフラワーボックス脇に置かれていた2個の包みが突然爆発し、死者8人と400人もの重軽傷者が出た。

爆弾は、トラベルウォッチを時限装置に使った手製のダイナマイト爆弾だった。

その直後に「東アジア反日武装戦線・狼」の名で出された犯行声明から、事件は過激派グループによる爆弾テロだと判明した。

この事件後も「狼」グループは、後に参画してきた「大地の牙」「さそり」グループとともに、10月14日に東京・西新橋の三井物産本館ビルを爆破させ、重軽傷者12人を出した。

この事件は1974~75年に連続発生した11ヵ所に及ぶ企業爆破の発端であり、犯人は3つのテログループに分かれた10人だった。
 
 
1975年5月19日、警視庁は

「東アジア反日武装戦線・狼」のメンバーとして大道寺将司(27歳) 片岡利明(27歳) 大道寺あや子(26歳) 佐々木規夫(26歳) 荒井まり子(25歳) 

「大地の牙」として斎藤和(27歳) 浴田由紀子(24歳) 

「さそり」グループの 黒川芳正(28歳) の8人を一斉逮捕。

「さそり」の宇賀神寿一(23歳) 桐島聡(22歳) を指名手配した。
 
 
斎藤和は逮捕直後に隠し持っていた青酸カリで自殺した

同時逮捕の8人のうち6人が毒薬を持っていたことが後に判明した。

佐々木規夫は1975年8月4日のクアラルンプール米大使館人質占拠事件で、
大道寺あや子浴田由紀子は1977年9月28日の日航機ダッカ空港ハイジャック事件で日本赤軍に獄中から奪還され、国外脱出した。

大道寺将司と片岡利明(現在は益永利明)には死刑が確定し、両容疑者とも東京拘置所に収監されている。
 


  


 


  


  


 

黒川芳正には無期懲役が確定。

荒井まり子には懲役8年が確定。

1982年7月逮捕の宇賀神寿一には懲役18年が確定。

1995年3月に、逃亡していた浴田由紀子がルーマニア潜伏中に身柄を拘束され日本に移送となり再逮捕、2004年5月に懲役20年が確定した。
 
 




 
 

2014/1 午後の一番風呂~大道寺将司の「厚遇」

狼グループのリーダーだった大道寺将司は1987年3月24日に死刑が確定し、正しくは「保安房」というのだが、通称「自殺房」と呼ばれる独居房の住人となっている。

読書をしたり、待遇改善を求める民事訴訟の資料作りなどに明け暮れる毎日だといったらいいだろうか。

「自殺房」には突起物はいっさいなく、窓も半分は鉄板で覆われているので、夏の暑さといったら他にたとえるものがない。

そのうえ監視カメラで始終見張られている。

あげくに、隣房は両隣とも空房になっていて、親しき隣人さえ作れない。

個別処遇と呼ばれるこの処遇を受けている死刑囚は、東京拘置所の死刑囚のうちの半分以上。

集団処遇を受けられるのは、死刑廃止運動をしている人とはいっさいつきあわず、東京拘置所の言うことを素直に聞き入れ、いっさいの訴訟も起こさず、ただ「お迎え」の来るのを待っている死刑囚だけだ。

東京拘置所には、その実情が闇に包まれた一角がある。

病を患う囚人だけが集められた病舎。

中の様子はまったく窺い知れないが、そこで服役していた「衛生夫」が初めて口を開いた。

以下は、麻原彰晃はじめ、「闇の房」で暮らす“病”の死刑囚、3名の実態である。

かつて麻原と同様、国家転覆を企てたテロ集団の主犯もまた病舎に送り込まれていた。

1974年、三菱重工ビルを爆破するなど連続企業爆破事件を起し、計8人を殺害。

天皇暗殺も計画していた過激派「東アジア反日武装戦線」の大道寺将司(2017年5月24日に病死・68歳没)と片岡(現・益岡)利明(2017年現在69歳)両死刑囚である。

大道寺の支援団体が発行する交流誌によれば、彼は4年前に「多発性骨髄腫」なる血液がんの一種と診断され、抗がん剤治療を始めている。

ところが、だ。

衛生夫
大道寺は麻原とは別のC棟にいますが、見た目は元気なお爺ちゃんそのもの。
畳を敷いた8畳ほどの房の中には100冊以上の本がうずたかく積まれ、時代小説を読んだり、俳句をひねったりして1日を過ごす。
 
食事もきちんと取るし、差し入れのチョコパイも美味しそうに食べています。
刑務官を呼んでは“どうだった?”と、前日の野球やサッカーの試合の結果を尋ねたりもしています。

元衛生夫の記憶にとりわけ残ったのは、大道寺の“厚遇ぶり”であったという。

衛生夫
拘置所側がすごく気をつかっています。
本来、入浴の順番は刑務官が決める。
しかし、大道寺は午後の一番風呂が定番なのです。
 
午前と午後の間に風呂掃除がありますから、かれはいつもキレイな風呂に入ることができる。
また、“もうちょっと熱めに”などと湯加減を注文すると、それが認められるのです。
他の囚人では絶対にあり得ないことです。

大道寺は、過去に拘置所の対応を不服として国賠訴訟を起した“うるさ型”の死刑囚だ。

また、交流誌を通じて房内での待遇が支援者に伝わってしまう。

それに配慮しての厚遇だろうか。

一方の片岡(現姓・益永)は、
 

衛生夫
片岡利明は脳梗塞で寝たきりの状態。
食事も刑務官が食べさせていますし、風呂も介助されてやっと入れるほど。
房の中には尿瓶がありましたから、用便も自分で足せないのだと思います。
 
毎週1度、2時間ほど室内でリハビリをしていますが、あまり効果はなく、移動の際も車椅子に乗って、口を開けて宙を見ている感じ。
彼が自分の意思で動いているのを見たことは1度もありません。

オウム事件では、平田被告らの裁判がまだ当分は続く見通しであり(※2014年時点の話です)「東アジア反日武装戦線」についても共犯者が未だ指名手配中。

これらが解決するまで、彼らの執行は行われないのが前提だし、過去に適用された例はないものの、刑事訴訟法479条には、死刑判決を受けた者が心神喪失の状態にある時は執行を停止する、と明記されいる。

彼らがそれに当たるかどうかは別にして、当局がその執行に慎重な判断を取ることは想像に難くない。

麻原らの死刑のハードルはまだまだ高いのだ。

だから、

衛生夫
死刑執行のニュースが流れた後も、大道寺はいつも落ち着いていました。
自分の執行などないと思っているからこそでしょう。
麻原、片岡も含め、みな、死刑の恐怖とは無縁のところにいるわけです。

…と衛生夫は言うけれど、彼らが起した多数の凶悪事件の責めは一体誰が負うのだろう。

「闇の房」から見えた死刑囚の実態は、日本の死刑制度が抱える矛盾を浮き上がらせるのだった。

 
 

2017/5/24 大道寺将司死刑囚が獄死

 

大道寺将司死刑囚(だいどうじまさし)が5月24日午前11時39分、収容先の東京拘置所で多発性骨髄腫のため死亡したと法務省が発表しました。

東京拘置所によると、平成22年に多発性骨髄腫と診断され、抗がん剤治療を受けていたということです。

68歳没。
 

 
   
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