50代女性 私自身には「視える」「聴こえる」などの視聴覚的な霊感はありませんが「何かを感じる」ことは他の人よりも多いかもしれません。
いわゆる「霊感体質」です。
感じるだけで視えたり聴こえたりすることがないのではっきりとした心霊経験はないのですが、時々忘れられないレベルの気持ち悪い感覚に襲われることはあります。
2年前の知人の父上の葬儀に参列した時もそうでした。
霊感体質が災いした?魂の共鳴と薄気味悪さを感じた葬儀参列体験談
あの日、お寺に付属した葬祭場に行くのに 私はある私鉄を使っていました。
駅はちょうどすり鉢の下の部分に当たる感じの場所にあり、葬祭場はその坂の上にありました。
その電車を降りるまでは特に何も感じることはありませんでしたが
…と違和感を感じたのは、駅の改札を出た時です。
妙に空気がよどんでいるというか どんよりと重いのです。
それはまるで「何かにまとわりつかれている」という感覚でした。
駅から坂を登って葬祭場に行くので 正直へとへとになりつつ、会場についた時には青息吐息でした。
その周囲は普通の住宅街なのですが
…と思う感じのところでした。
お焼香もそこそこに「精進落としを」…とすすめられたのですが、とてもそこにいられる空気を感じられなくなった私は、大急ぎでその場から失礼することにしました。
葬祭場とか火葬場などはある意味しっかりと「祀られている」わけなので、それまでに参列した葬儀ではこういった気持ちの悪い空気感を感じた経験はなく、何も問題なく普通に参加してきたのです。
ところがあの日の葬儀は違いました。
帰路も身体が重く、体調不良でもないのに 自分でもよく理解できない気持ちの悪さに苛まれて仕方ありませんでした。
…というのは自分でも感じていました。
この重くて自分の力ではどうにもならない、明らかに何かを背負ってしまった状態で帰宅するのはたいへんな苦痛を伴いました。
…となぜかその時に感じたのです。
しかし私には霊能者の知人などいませんし、どうやったら「これ」を祓うことができるのかもわかりません。
…と考えて、私はできるだけ人混みの繁華街を通過して帰ろうと考えました。
自分についている「何か」に対して

私には何も視えませんよ。だからあなた方を助けることもできないです。どうか私から離れていってください。
そう心の中で繰り返しながら、ひたすら繁華街を歩きました。
申し訳ない考え方ですが、
…と思ったのです。
それが功を奏したのか、実際に自宅の最寄り路線の駅についた時には、少し肩も軽くなっていました。
自宅に入る前に、何時もよりも念入りに塩でお清めをしたことは言うまでもありません。
それでも数日間は いわゆる「夢見の悪い」状態が続いていました。
それがあの時の「何か」に関係があったかどうかは不明ですが、あの出来事が尾を引いていたことは間違いないでしょう。
あの日の帰路、繁華街をよろよろと歩いている私の姿を 友人がたまたま見かけていました。
真っ青な顔をして歩いている私の様子に
…と後日言われるくらい、あの日の私の様子は 第三者から見てもおかしかったようです。
…とあの日の事情を話したところ 現実派の彼女は
その日の会話はそこで終わりでした。
しかしその後、この友人の姑が亡くなった時にあの葬儀場を使ったという話を、偶然にも耳にすることになりました。
怪訝そうな顔をした友人曰く…
その日の彼女は旦那さんの車であの斎場へ向かったそうなのですが、
あの日の私とほとんど同じ体験を、彼女もしていたのです。
葬儀の間も、何とも身体が重くて気持ちが悪くてね。そこにいるだけでも容易じゃなかったのよ。あなたの話、あの時は疑ってしまったけど…こういうことって実際にあるんだねえ。うまく説明できないけど、確かにただならない空気を肌で感じたっていうか…。
こんなことは今まで一度もなかったのに!と繰り返す彼女は
…と、おかしな空気を感じるたびに私は常々思っていたのですが、後になってふと気味の悪い考えが頭をよぎりました。
そしてあれ以来、どんなに親しい人の不祝儀でも、私はあの葬儀場へは足を運ぶことがなくなってしまいました。