大阪連続女性バラバラ殺人事件 (広域重要指定122号事件) 鎌田安利

大阪連続女性バラバラ殺人事件

大阪連続女性バラバラ殺人事件 (122号事件)

1994年4月3日、大阪府箕面市の山林で女性の胴体部分と左足が発見された。

その翌日には150メートルほど離れた林の中から、別の女性の白骨死体が発見された。

いずれの遺体もノコギリ状のもので切断された形跡があった。

被害者は中野喜美子さん(38歳)と須田和枝さん(45歳)と判明し、2人とも西成区の店で働いていたことがわかった。

警察は2つの店に出入りしていた客を中心に捜査を開始したところ、鎌田安利が捜査線上に浮上した。

1985年から1984年にかけて 鎌田安利は4人の女性と1人の女児を自宅に連れ込んで絞殺し、遺棄していた。

1995年6月12日、遺棄現場が大阪・奈良・兵庫にまたがっていたため、警察庁はこれを「広域重要指定122号事件」に指定して捜査を開始した。
 
 
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1995年4月、鎌田安利(当時54歳)が大阪府警に逮捕された。

容疑は洋品店の倉庫から紳士用スラックス78本を盗んだ窃盗容疑だった。

ところが鎌田安利の余罪を調べていた捜査員が 鎌田の指紋が10年前に奈良県広陵町の竹やぶからバラバラ死体で見つかった知念みどりさん(19歳)殺しの犯人の指紋と一致しているに気づき、鎌田に殺人容疑が急浮上した。

知念みどり殺害事件では 犯人が地元警察に犯行内容を詳細に記した挑戦状を送りつけていた。

世間を騒がせたグリコ・森永事件を真似た「怪人22面相」の署名入りの挑戦状である。

その手紙についていた部分指紋が 鎌田安利の指紋と一致したのだった。

鎌田安利を追及したところ、1985年6月、知的障害者施設を抜け出して通天閣界隈で遊んでいた知念さんを自宅アパートに連れ込んだ後、殺害したことを自供した。

関係を持ったあと 鎌田は知念さんに小遣いを1万円渡そうとしたが「少ない」といわれ、カッとなって殺害したという。

知念さんの遺体はバラバラにされて遺棄された。

ほかにも未解決になっている類似事件4件についても関与を認め始め、窃盗事件が一挙に5人の連続女性殺人事件に発展した。

鎌田安利は 女児以外の遺体は運びやすいようにバラバラに切断していた。

鎌田によると、遺体を解体したのは 単に運搬が楽になるからという理由だという。

被害女性たちは飲食店などで鎌田安利に声をかけられ、自宅アパートについていき、男女関係になった後、金銭トラブルなどで逆上した鎌田に絞殺されていた。

初めから殺意があったわけではなく、カッとして逆上した挙句に成り行きで殺害していたようだ。
 
 
◆1985年5月、鎌田安利は家出していた東富佐枝さん(46歳・主婦)と立ち飲み屋で知り合い、自宅アパートに連れ帰ったあと殺害したのが、鎌田の最初の殺人だった。

遺体はバラバラにして神戸市西区の雑木林に遺棄した。

◆1986年6月、同じ手口で前出の知念みどりさん(19歳)を殺害し、遺体をバラバラにして奈良県広陵町の竹薮に遺棄し、怪人22面相の挑戦状を送りつけた。

◆1987年1月、大阪市住吉区で道を尋ねるふりをしてアパートに連れ込んだそろばん塾帰りの小学3年生の辻角公美子さんにいたずらをしようとしたところ騒がれ、絞殺。

女児は体が小さかったのでバラバラにはされず、大阪府豊能町の山林に遺棄された。

その後、鎌田安利は、辻角さんの自宅や通っていた小学校に身代金を要求する電話をかけていた。

ここまでのいずれの事件は行きずりの犯行であり、鎌田安利と被害者の間に接点がなかったことから、捜査が鎌田の元まで及ぶことはなかった。
 
 
◆第4・第5の被害者が冒頭の2人であり、遺棄したのはほとんど同じ場所である。

1993年7月に須田和枝さん(45歳・スナックホステス)を、1994年3月に中野喜美子さん(38歳・料理屋接客係)を殺害し、遺体をバラバラにして大阪府箕面市の山林に遺棄した。
 
 

鎌田安利・元死刑囚の2度の死刑判決確定

鎌田安利は5件の殺人容疑で起訴された。

鎌田は1989年と1991年に窃盗罪で実刑の確定判決を受けており、「確定判決を間に挟んだ事件は併合されない」との刑法規定に則り、検察は事件を先の3件と後の2件に分離して審理にかけた。

そのため鎌田は2度の死刑を求刑され、1999年3月24日の大阪地裁判決でも、2つの死刑判決が言い渡されている。

鎌田安利は公判以降は一貫して「自白を強要された」として無罪を訴えたが、不自然で合理性がないとして 控訴審でも2001年3月27日に2つの死刑判決は支持されている。

2005年7月8日、最高裁で上告が棄却され、鎌田安利の死刑判決が確定した。

最高裁
女児を殺し、安否を気遣う父親に身代金を要求するなど非人間的な所業。
非情な犯罪を重ねており、人命尊重の念はみじんもうかがわれない。
 
   
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鎌田安利・元死刑囚の生い立ち

鎌田安利 死刑囚

via:https://matome.naver.jp/

 
鎌田安利は愛媛県大洲市生まれ。

本人は「自分は有名旅館の跡取り息子だ」と周囲に語っていたがそれは嘘で、実際 生家は旅館などに割り箸を納入する商売を営んでいたらしい。

鎌田は地元で結婚し二児をもうけたが妻と死別している。

その後、鎌田安利は故郷の愛媛県を出て、1980年代初め頃に大阪市西成区に住み着いている。

衣類やアクセサリーを自転車に積んで飛田新地や釜ヶ崎周辺のスナックホステスたちに売りさばく商売をしていて、いつもニコニコと愛想がよかったというが、売りさばいていたものは全て盗品だった。

ずんぐりむっくりの体型によれよれズボンとジャンパーという出で立ちだったが女性にはよくモテたらしく「鎌ちゃん」と呼ばれて、西成区の飲み屋界隈ではちょっとした有名人だったという。

鎌田安利は羽振りがよく、表向きはやさしい態度で接したので女性によくモテた・・・だから自宅アパートに女性を連れ込むことができたし、結果、もめて女性の殺害に至ったのだった。

ニコニコと愛想がよい鎌ちゃんだったが、金には細かくうるさかった。

盗品を売りさばき、札びらをみせては女性を口説くのだが、いざ金を払う段階になると逆上した。

「なんでこんなに高いんだ!」と狂ったように怒鳴りだし「ゼニ返せ!」「返さない!」で大騒ぎになることは珍しくなかったらしい。

女性5人殺害に関しても、小学3年生の女児以外の女性とは全てもめてカッとなって 行き当たりばったりで殺害していた。

鎌田安利・元死刑囚は大阪拘置所に収監されていた。

収監後も無罪を主張し続け、再審請求をしていたが棄却されている。

そして2016年3月25日 鎌田安利・元死刑囚の死刑が執行された。

75歳没。
 
 
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