大阪・愛知・岐阜 連続リンチ殺人事件 (3府県連続リンチ殺人事件)

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件は少年3人に死刑が確定!

 


 
1994年(平成6年)男女10人の少年グループが3府県で集団暴行を繰り返し、4人を殺害。

「未成年だから死刑はない」と平然と強盗目的でリンチ殺人を繰り返した主犯格の少年(18~19歳)3人には、少年事件では異例の死刑判決が下された。

最高裁に記録が残る1966年以降で、少年事件で複数の被告に一度に死刑が言い渡されたのは、この事件がはじめて。

また犯行時18歳だった少年への死刑判決は36年ぶりだった。

この事件の前後には 一連のオウム真理教事件つくば母子殺人事件など世間を震撼させた事件と重なったことにより、当初の報道は意外と小さく取り扱われていた。

しかし、全容が解明されるにつけ、名古屋アベック殺人事件に続く少年グループによる凶悪犯罪として 「戦後史に残る少年犯罪」と呼ばれ、大きく取り上げられるようになった。
 
 

大阪事件

1994年9月28日、不良グループのA(19歳)とB(19歳)は、大阪市中央区の路上でOさん(26歳)に因縁をつけ、たまり場であるビルに監禁した。

その後、同じグループのC(18歳)とともに、19時間に渡ってOさんをリンチし、口封じのために絞殺した。

遺体は高知県の山中に捨てた。

木曽川事件

8日後の1994年10月6日夜、Aの地元である愛知に戻った3人が仲間の家でシンナーや酒でバカ騒ぎをしていた。

そこで遊び仲間のKさん(22歳)が、AがKさんの友人女性に性的暴行を加えたことをとがめたところAが逆上し、Kさんに集団リンチを加えた。

翌日早朝、木曽川で再度Kさんに暴行を加えたあと、シンナーをかけ、火をつけて殺害。

Kさんの遺体は河川敷の林に捨てた。

長良川事件

Kさんを殺害した当日(10月7日) ボーリング場の駐車場でFさん(19歳)Gさん(20歳)Hさんの3人に因縁をつけ、拉致して車で連れまわした。

FさんとGさんに集団リンチを加えて金を奪った後、長良川の堤防で鉄パイプで2人を殴殺した。

Hさんは大阪まで連れまわされた後に開放された。
 
 
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大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の容疑者逮捕

FさんとGさんの遺体が発見されて、この事件が発覚した。

警察はHさんに事情聴取し、その証言などから 近隣で有名な不良グループのAたちの犯行であることが判明し、彼らを指名手配した。

AとBは警察に出頭した。

逃亡を続けたCは翌年・1995年1月18日に大阪で逮捕され、他の仲間7人も相次いで逮捕された。

AとBは恐喝や強盗を繰り返す札付きのワルで、Aが愛知県で強盗傷害事件を起こして逃亡しているときにBと知り合っている。

年下のCは2人に追随する立場だったが、リンチの時には率先して暴行を加えていたという。
 

大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件の裁判

Aたちは取調べで反省のない態度をとり続け、裁判が始まってからも傍聴席にいる友人に笑いかけるなど、ふざけた態度を変えることはなかったという。

彼らは「未成年だから死刑はない」とたかをくくり、平然と強盗目的のリンチ殺人を繰り返してきたのだ。

しかし検察に死刑を求刑されるや否や、急に神妙な態度を取り始め、遺族に謝罪の手紙を送り「生きて罪を償いたい」と訴え始めた。
 
 
2001年7月9日、名古屋地裁はリーダー格のAを死刑としたものの、BとCには無期懲役の判決を下した。

それまで少年犯罪では一度に2人以上に死刑が出たことがなく、裁判官は3人全員の死刑を躊躇したのではないかと噂された。

検察側はこれを不服として控訴。
 
 
2005年10月14日に、高裁は一審を破棄し、少年3人全員に死刑を言い渡した。

少年らは上告したが最高裁はこれを棄却し、3人の死刑が確定した。

2017年10月現在、3人とも42歳で 小林正人死刑囚は東京拘置所に、黒澤敦(旧姓・小森)死刑囚と 芳我匡由(旧姓・河渕)死刑囚は名古屋拘置所に収監されている。
 
 
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