大阪2児虐待死事件 (下村早苗事件)

大阪2児虐待死事件 下村早苗

2010年7月30日に発覚した大阪2児虐待死事件。

大阪市の風俗店で働いていた下村早苗(当時23歳)のネグレクト(育児放棄)により亡くなったのは 長女・桜子ちゃん(3歳)と長男・楓ちゃん(1歳)

幼い二人はゴミだらけでエアコンも切られた部屋に残され、僅かな食料を置かれたのみで閉じ込められ、脱水を伴う飢餓によって亡くなり、発見されたのは約1ヵ月後だった。

下村早苗は二人を放置したまま遊び歩いたあげく、その様子をSNSに投稿していた。
 
 
大阪2児虐待死事件 下村早苗

【大阪2児虐待死事件:下村早苗】via:事件現場(大島てる)

 

大阪府警担当記者
室内に踏み込んだときの光景があまりにも悲惨で、捜査員も目を背けたくなるような状態だったらしい。
 
足の踏み場もないくらいゴミだらけのリビングに、裸で寄り添うように死んでいた二人の遺体は…。
 
食べられるものはすべて食べつくされ、空の冷蔵庫には必死に食べ物を探し回る小さな手形がたくさんついていたと。

2010年6月9日、幼い子供二人を放置して遊び歩いていた下村早苗は、糞尿とゴミで溢れかえる自宅リビングに10日ぶりに戻った。

そしてやせ細った子供たちにコンビニで買ったリンゴジュース、手巻き寿司、おにぎり、蒸しパンを置き、封を切ると再び部屋を出て行った。

早苗は子供たちを空の冷蔵庫が置かれているだけのリビングに閉じ込め、ドアの外側にガムテープ4枚を貼って水回りにいけないようにしていた。

エアコンを切っていたため、室内温度が30度を超える過酷な状況の中、子供たちは脱水を伴う飢餓によって、6月下旬頃に死亡している。

それから逮捕される前日の7月29日までの50日間、早苗は一度も部屋に戻ることがなかった。
 
 
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下村早苗は二人の子供たちの父親であるY氏と三重県三重郡のアパートで同居していたが、事件の1年前の2009年5月17日に離婚した。

その後早苗は二人の子供を抱えて愛知県名古屋市に移り住み、市内のキャバクラに勤めるようになった。

10月頃から店の客と男女の関係になると、子供たちを部屋に残して遊びまわるようになった。

しかし、2010年1月に、桜子ちゃんが水道を出しっぱなしにしたことで水漏れ事故が起こり、名古屋から逃げ出していた。

そして下村一家は大阪に赴き、早苗はすぐに移り住めるように寮が完備されている風俗嬢の仕事についた。

風俗店の仕事は午後6時から12時まで。

仕事を始めた初日の1月18日だけは子供たちを託児所に預けたが、それ以降は子供たちを部屋に置き去りにしていた。

この時期から死亡するまでの5ヶ月間、子供たちの食事はコンビニで買ったパン、おにぎり、お菓子、ジュースだけで、早苗自身が料理したものは皆無だった。

当時、昼間に近くの公園で子供たちを遊ばせる下村早苗の姿を見かけていた近隣住民は

近隣住民は
小さな女の子がいくら「ママ」と呼びかけても、彼女は携帯の画面を凝視していて、相手にしていなかった。

3月頃になると、早苗の風俗店の客のA氏が勤める大阪市中央区のホストクラブに、早苗は通い詰めるようになった。

A氏と親密になった早苗は 毎日のように彼の部屋に寝泊りして、自宅には数時間立ち寄るだけの生活を送り始めた。

4月下旬には、深夜に一人で訪れた大阪市中央区のクラブで、声をかけてきた美容室の店長B氏と仲良くなり、A氏と交際する傍ら、B氏の家にも泊まるようになった。

裁判ではB氏とは男女の関係ではなかったことが明らかにされたが、新たな外泊場所を得たことで、早苗が子供たちを放置する時間はさらに増えていった。

ちなみにB氏や地元の友人や新たに知り合った友人に対して早苗は風俗店で働いていることを隠し「北新地のクラブでホステスをしている」と偽っていた。

5月16日は桜子ちゃんの3歳の誕生日だったが、早苗はこの日二人の子を連れてA氏の元を訪ねた。

付き合い始めた当初は子供がいることを隠していた早苗だが、4月半ばに子供がいることをA氏に告白していた。

この日に撮られた写メが早苗の携帯に残されており、そこに写る子供たちはネグレクトによりやせ細り、気力や感情のない虚ろな目になっていたことが後に明らかとなっている。

下村早苗はA氏の気を引くために彼のホストクラブに通い詰めたが、ホスト遊びは風俗店の収入だけでは足りず、ホストクラブには50万円近いツケが残っていた。

ツケの支払いに窮した早苗とA氏の関係は徐々に悪化していき、6月初旬には早苗はA氏の元を離れ、彼からの電話にも出なくなった。

早苗がB氏の部屋に入り浸っていると、彼女に何度も電話がかかってきて、その度に電話を無視し続ける早苗にB氏は「どうして出ないの?」と訊ねると、彼女は「ストーカーだから」と説明していたという。

下村早苗がA氏から離れる前に、彼女にはすでに新しい男がいた。

そのことを早苗はミクシィの自分のページに綴っていた。

2010年5月27日に早苗が投稿した写真に、その男性C氏が登場しており、相手は30歳のアパレル関係の仕事をしているという書き込みがあった。

早苗が生きている子供たちに最後に会った6月9日に、彼女はBさんの美容室で髪を切り、以降は外泊を重ねて自宅には帰らなかった。

その間も早苗は友達と遊んでいる様子やC氏への愛の言葉をミクシィに綴っていた。

そんな早苗の投稿に対して友人が「桜子楓元気!?」と質問すると早苗は「ちょー元気だよ。今ストーカーのせいで夜は離れ離れだけど」と答えていた。

この時期、早苗は出身地である四日市市と大阪市を行き来する日々を送っていた。

四日市では友人宅、大阪ではB氏宅に泊まり、四日市では中学時代の不良グループにいた男性と男女の関係になり、大阪ではC氏と親密な関係だった。
 
犯行時期にあたる6月と7月をまたいで下村早苗と会っていた四日市の友人は、当時の早苗がおかしかったと語っていた。

友人
当時の早苗は異常にテンションが高くて、居酒屋で隣の席にいた知らない客に話しかけたり、朝まで遊びまわったり。 
 
子供を連れた友人が来たりするといきなり「もう帰る」と不機嫌になったりと、精神的にかなり不安定だった。

実は下村早苗は高校時代に少年院に入所していたことがあり、そのときに「解離性傷害」の疑いがあるとの診断が下されていた。

これはつらい体験を自分から切り離そうとして起こる一種の防衛本能で、自分が自分である感覚がなくなり、現実感を喪失するものだ。

7月に早苗の子供たちはすでに息絶えていたのだが、そのことを早苗自身も薄々気づいていたはず・・・だが、彼女は現実逃避を続けていた。

とはいえ完全に意識から消し去ることができず、友人の目に「不安定」と映るような言動に表れたのではないかと思う。
 
 
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2010年7月29日夕方、大阪市内にいた下村早苗の携帯に、勤務している風俗店の主任から連絡が入った。

主任はマンションの管理人から連絡があったことや早苗の部屋から異臭がするという苦情が入ったことを伝え、室内を見せてほしいと迫った。

早苗は部屋がゴミだらけだから、自分が片付けるまで見に行かないでほしいと言って、タクシーに乗って自宅へと向かった。

そして自宅マンションの前まで行ったのだが、早苗はすぐにきびすを返してB氏のマンションへ向かった。

マンションで早苗はC氏に「東京の友達が死んだ」とメールを送信し、さらに午後7時頃 直接C氏に電話をかけて同じことをしゃべった。

午後8時過ぎ、B氏が部屋に戻ると、早苗が一人で泣いており、「友達が死んだ。悲しい」と告げると、すぐに部屋を出て行った。

早苗はタクシーで再び自宅マンションに戻り、今度こそ部屋に入ったが、3分ほどでそこを出ると、エレベーターではなく非常階段を使ってマンションを後にした。
 


 

下村早苗
家に帰ると電気はまっくらで、リビングに入るとベランダ側の窓から外の光が入っていた。
 
それで部屋の中がわかった。でも、見たものは何も憶えていない。ただ、声を出したのは憶えている。

午後10時頃、早苗は主任に「子供を死なせた」とのメールを送った。

そして泣きながら「どうしたらいいのかわからない。私は取り返しのつかないことをした」と子供たちが死んだことを伝えた。

早苗の言葉を受けた主任は部屋から異臭が漂っていることを確認し、彼女に自首を勧めるメールを送っているが、早苗からの返信はなかった。

その頃早苗は、親密なC氏と待ち合わせ、彼の車で神戸に向かい、一緒に夜景を見て、三宮のホテルに宿泊していた。

7月30日未明に主任が110番通報して、駆けつけた大阪府警が子供たちの遺体を確認している。

30日の朝、大阪府豊中市でC氏と別れた早苗は、主任に数回、出頭するつもりであることを伝えるメールを送り、正午過ぎに警察からかかってきた電話に対し待ち合わせ場所を指定した。

そして午後1時25分頃、指定したコンビニ前に姿を現した下村早苗は、素直に大阪府警の任意同行に従った。
 
 


 

二人の幼子を残酷な形で死に追いやった下村早苗に対して、検察側は無期懲役を求刑したが、それに対して大阪地裁は、有期刑としては最も重い 懲役30年を言い渡した。

この判決は控訴審、上告審でも支持され、2013年3月に下村早苗の懲役30年の刑が確定した。
 
 
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