大久保清の夢枕に立った女のエピソードは有名である。当時はさかんに週刊誌でも報道されていた。
「56した女が夢枕に立つ」と訴えるようになった7月中旬から捜査本部解散の8月中旬にかけて一気に自供が進んだが(12日間で5人の発見) それは夢枕に立つ女がガイシャの怨霊だと大久保清が思いこんだことによるものだ。
実はこれは捜査官が大久保清を精神的に追い込むために仕掛けた戦術だった。
折しも地獄の釜の蓋が開く頃…日本人はお盆の風習を大切にするからこそ、その脆弱さを突くことが功を奏したのだと思う。
大久保清の弱点を徹底的にたたけ!3と雨のジンクス
大久保清が民間捜索隊に捕捉されたのが5月13日。そしてこの日は雨の6月3日。
大久保清はジンクスに弱くて気が小さい男だ…取り調べ班はこのジンクスを利用して、大久保を追い込んでみた。
お寺の鐘の音と孤独…大久保清に精神的な揺さぶりをかける

大久保はお盆が近づくにつれて、夜な夜なうなされるようになっていた。どうもこの男はジンクスを気にしたり、意外に臆病だったりする。そこで捜査本部では、大久保の性質を最大限に利用して、事件を一気に解決する計画を立てた。すなわち、力ずくで幽霊をひっぱり出して大久保を恐怖のどん底に陥れ、全面自供に追い込もうとしたのである。
7月18日、前橋警察署に留置されていた大久保の身柄は、長野県に近い松井田警察署に移送された。ここの留置場からは、ガイシャの1人が遺棄された妙義山の現場がよく見える。松井田署の留置場は4房あり、どこに入れてもよかったが、「3」の苦手な大久保は「第3房」に入れられた。ほかに留置人はおらず、まったくの孤独である。
最初のうちは「前橋より涼しくていいや」などとうそぶいていた大久保だが、すぐに捜査陣の作戦は効果を上げた。翌朝、大久保は目を真っ赤に腫らして取調官に訴えた。「昨日は眠れなかった。56した女の亡霊が夢枕に立った。“早く出して、早く出して”と言うんだ。蒲団の中にも入ってきやがった」「手にかけた女の亡霊が枕元に立つ。ひどいときには1時間おきに…」
7月22日付の毎日新聞の見出し 亡霊におびえる大久保「6時の鐘がこわい」妙義山にも目をそむけ でも徹底抗戦の構え
「6時の鐘」というのは、松井田署の近くにある補陀(ほだ)寺で鳴らす鐘のことである。大久保は鐘が鳴るたびに「なんとかならねえのかい、この鐘の音は」と言って耳を押さえたという。「1つ1つの音が響くたびに、56した女性の顔が浮かんでは消える」などとも言っておびえていたというが、実はこの鐘の音というのは、普段より多く鳴っていた。これも大久保を追い込むための演出だったのだ。
via:幽霊は足あとを残す
影の取調官の功労!?大久保清も永田洋子(連合赤軍)も完落ち
#松井田城 現地説明会に参加〜 #補陀寺 其の壱
曹洞宗大泉山補陀寺
もともとここには #大道寺政繁 の屋敷があったと伝わる。江戸時代には寺の前を中山道が通り松井田宿として栄えた。
1枚目は総門
2枚目は山門
3枚目は鐘楼
4枚目は本堂 pic.twitter.com/MRSFgl5FD0— 北条氏隆 (@odawarahojo) April 4, 2022
補陀寺は松井田署の東約100メートルにある、600年以上前に建立された由緒ある禅寺。本堂裏手に杉山があり、この山がカラスのねぐらになっているのだから、カラスが始終うるさいわけだ。
さらに捜査官たちは、お寺の鐘つき番の田辺ナカさん(83歳)を「影の取調官」にまつり上げた。
…と田辺さんをさりげなく煽る(笑)
最初は大久保清が恐れるお寺の鐘が朝6時だけだったのに、それからは朝・昼・晩と鐘を毎日鳴らすようになったらしい。
ちなみに、この松井田署の留置場には、この翌年に連合赤軍の永田洋子が高崎署から移監されていた。永田洋子も心の動揺が高まって、全面自供している。
警察が幽霊の話を一般に公表するのは、実は伝統的な犯人追求の方法らしい。
静かすぎる環境、孤独、不気味なカラスの鳴き声、腹の底に響く鐘の音、窓の外から見える〇害現場…舞台を整えるだけの他愛ないやり方で、大久保清は完落ちした。
大久保清がお寺の鐘の音を嫌ったのは、それを女の叫び声のように感じてきたからだ。
独房に放り込まれていると、どんな凶悪犯でも精神的にまいってくるもの。永田洋子も全く同じだったようで、大久保清と同じ松井田署への移監で、ますます心の動揺が激しくなっていったということだ。
永田は幽霊を見たわけではないが、印旛沼事件から山岳ベース事件までの犯行を、松井田署で洗いざらい自供している。
…と逮捕から54日目にして「自己批判書」を綴りはじめた。
連合赤軍事件から半世紀。12名リンチ殺人事件への暴走の起点となったのが「印旛沼事件」。脱走者2名が処刑された。最初の脱走者・向山茂徳さんは、奥多摩の小袖鍾乳洞で行われた射撃訓練の途中で「トイレに行く」と言って表に出て、そのまま姿を消している。現場となった小袖鍾乳洞は現在入洞禁止。 pic.twitter.com/9zuwjjt1Qa
— 葛城明彦 (@12143415) February 21, 2022
留置場で被害者が夢枕に立つ…これは「拘禁性ノイローゼ特有の幻覚症状」と片付けられることが多い。
夢枕に立つ…というと、怪談風に「恨んでやる!」とか「なぜ56したの?」とか…そういうセリフを思い浮かべるかもしれないが、大久保清の場合は夢枕に立つ女の恨み言が妙にリアルで具体的
大久保清が松井田署に移動してすぐに夢枕に女が立った理由
捜査員1 裏妙義の現場で、夜中に藁束でも燃やしましょうか?留置場からちょうどいい距離でしょう。やつはガイシャの人魂と思って、おびえるんじゃないですかねえ。
捜査員2 おいおい、大久保は寺の鐘の音とカラスの鳴き声、藁火の人魂で落ちたって、書かれるぜ。
捜査員3 アイデアは悪くねえよ。2週間前だったらまじめに検討したかもしれないぜ。
捜査員4 実はねえ、看守の刑事に「裏妙義の現場辺りで毎晩人魂が出るって、町で評判だってよ。ここからも見えるぜ、おおくぼぉ~」って言わせてるんですよ。
via:完全自供
看守の刑事は、就寝前の大久保清に、こんな風にもささやいていた。
そしてその成果はすぐに現れた。
そして7月20日に自供を始めた。
お寺の鐘の音もカラスの鳴き声も、大久保清には女性の悲鳴に聞こえたのかもしれない。その後もうなされては飛び起き、脂汗をぬぐう夜が続く。徹底した組織捜査が、確実に大久保清をじわじわと追い詰め始めていた。
大久保がガイシャの怨霊を恐れているニュースは、新聞や週刊誌でどんどん報じられていた。
この時点では、まだガイシャが何人いるのかさえわかっていなかったが、松井田町周辺は興奮で沸いていた。
興奮の地元民 オラが町に大久保が来た 臼井郡松井田町は碓氷峠を境に長野県軽井沢町と接し、人口2万人余人。凶悪犯罪はここ十年来ゼロという町だけに、思いもよらぬ大久保というVIP(重要人物)の来訪に興奮気味。“こわいもの見たさ”の野次馬が町並みから外れた同署にわざわざ集まってヒソヒソ。
「夜、イキ現場でたき火をすれば、大久保のやつ、幽霊だと勘違いして腰を抜かして全部言うだんべ」とか「補陀寺の鐘を1時間ごとに鳴らせば自供が早くなる」などと噂しあいながら引き揚げていく。
via:幽霊は足あとを残す
大久保事件の全面解決は、知られざるガイシャたちの怨霊の働きに期待するしかない。
via:週刊明星 1971年8月8日号
松井田署の2階留置場に大久保清がぽつんと一人で留置されていることも、マスコミを通じて知れ渡っていた。
国道18号線から留置場まではわずか30メートルしか距離がない。そこを通り過ぎるトラックや乗用車が徐行して「大久保の人564!早く〇刑になれや!」との怒声が時々飛んでいたという。
大久保清の留置場の移監効果はてきめんだった。移動からわずか12日で5件の〇害を次々に自供し、ついに事件の全容が解明されたのだった。