不謹慎なことを言って申し訳ないが…
大久保清事件はフィクションだったら、スリリングで面白いドラマ展開だと思う。
今日は、1971年(昭和46)連続婦女暴行殺人事件の容疑者として大久保清が逮捕された日。彼は画家を装い、若い女性に近づき言葉巧みに愛車に乗せ、人気のない場所で暴行、殺害し遺体は山中に…8人の女性がその毒牙に。1976年1月に死刑に。器 pic.twitter.com/vGaihaz0d5
— utsuwa-Shun (@ShunUtsuwa) May 14, 2023
たとえば、大久保清の夢枕に立った女のエピソード。
「56した女が夢枕に立つ」と訴えるようになった7月中旬から捜査本部解散の8月中旬にかけて一気に自供が進んだが(12日間で5人の発見) それは夢枕に立つ女がガイシャの怨霊だと大久保清が思いこんだことによるものだ。
これは捜査官が大久保清を精神的に追い込むために仕掛けたある戦術が功を奏したのだが、大久保清は女の亡霊にだいぶ苦しめられた。
折しも地獄の釜の蓋が開く頃…日本人はお盆の風習を大切にするからこそ、その部分が精神的に脆弱なのかもしれない。
大久保清怪談① 凶悪犯が怯えた「夢枕に立つ女」のからくり
実は大久保清は1人目を56した2日後の4月2日、祖母の墓参りに行っている。
祖母の墓前でやっちまった罪の懺悔か?と思いきや、なんと564の事後報告と「これからもヤる許し」を墓前で乞い、それを機に気持ちの整理と「またヤる」決心がついたという…とんでもない輩だ。
日本人はお墓参りやお盆などの風習をとても大切にするし、先祖霊の里帰り等、お盆には特別の思いを抱く人が多い。
大久保清が祖母の墓参りに行ったのも、日本人ならではのある種の気持ちのけじめだったのだろう。
事件の捜査中に幽霊に襲われて悩まされたと伝えられるのは、有名どころでは 栗田源蔵と大久保清。最近では女子高生コンクリート〇め〇人事件の一部の被疑者。
犯人逮捕後に「SPA!」の編集部が愚連隊の仲間に取材したところ、留置場の中で犯人たちは古田さんの亡霊におびえていることがわかったという。気が付くと亡霊が足元に座っているというような幻影に苛まれていたらしい。
via:幽霊は足あとを残す
1971年5月14日に逮捕された大久保清は黙秘と否認を繰り返し、2ヶ月くらいまともな供述をしなかった。
そんな大久保清が次第に落ち着かない様子を見せ始めていったのは、捜査本部がヤツの弱点を巧妙に利用したからにほかならない。
大久保清の弱点を徹底的にたたけ!3と雨のジンクス
大久保清が民間捜索隊に捕捉されたのが5月13日。そしてこの日は雨の6月3日。
大久保清はジンクスに弱くて気が小さい男だ…取り調べ班はこのジンクスを利用して、大久保を追い込んでみた。
お寺の鐘の音と孤独…大久保清に精神的な揺さぶりをかける

大久保はお盆が近づくにつれて、夜な夜なうなされるようになっていた。どうもこの男はジンクスを気にしたり、意外に臆病だったりする。そこで捜査本部では、大久保の性質を最大限に利用して、事件を一気に解決する計画を立てた。すなわち、力ずくで幽霊をひっぱり出して大久保を恐怖のどん底に陥れ、全面自供に追い込もうとしたのである。
7月18日、前橋警察署に留置されていた大久保の身柄は、長野県に近い松井田警察署に移送された。ここの留置場からは、ガイシャの1人が遺棄された妙義山の現場がよく見える。松井田署の留置場は4房あり、どこに入れてもよかったが、「3」の苦手な大久保は「第3房」に入れられた。ほかに留置人はおらず、まったくの孤独である。
最初のうちは「前橋より涼しくていいや」などとうそぶいていた大久保だが、すぐに捜査陣の作戦は効果を上げた。翌朝、大久保は目を真っ赤に腫らして取調官に訴えた。「昨日は眠れなかった。56した女の亡霊が夢枕に立った。“早く出して、早く出して”と言うんだ。蒲団の中にも入ってきやがった」「手にかけた女の亡霊が枕元に立つ。ひどいときには1時間おきに…」
7月22日付の毎日新聞の見出し 亡霊におびえる大久保「6時の鐘がこわい」妙義山にも目をそむけ でも徹底抗戦の構え
「6時の鐘」というのは、松井田署の近くにある補陀(ほだ)寺で鳴らす鐘のことである。大久保は鐘が鳴るたびに「なんとかならねえのかい、この鐘の音は」と言って耳を押さえたという。「1つ1つの音が響くたびに、56した女性の顔が浮かんでは消える」などとも言っておびえていたというが、実はこの鐘の音というのは、普段より多く鳴っていた。これも大久保を追い込むための演出だったのだ。
via:幽霊は足あとを残す
#松井田城 現地説明会に参加〜 #補陀寺 其の壱
曹洞宗大泉山補陀寺
もともとここには #大道寺政繁 の屋敷があったと伝わる。江戸時代には寺の前を中山道が通り松井田宿として栄えた。
1枚目は総門
2枚目は山門
3枚目は鐘楼
4枚目は本堂 pic.twitter.com/MRSFgl5FD0— 北条氏隆 (@odawarahojo) April 4, 2022
補陀寺は松井田署の東約100メートルにある、600年以上前に建立された由緒ある禅寺。
本堂裏手に杉山があり、この山がカラスのねぐらになっているのだから、カラスが始終うるさいわけだ。
さらに捜査官たちは、お寺の鐘つき番の田辺ナカさん(83歳)を「影の取調官」にまつり上げた。
…と田辺さんをさりげなく煽る(笑)
最初は大久保清が恐れるお寺の鐘が朝6時だけだったのに、それからは朝・昼・晩と鐘を毎日鳴らすようになったらしい。
ちなみに、この松井田署の留置場には、この翌年に連合赤軍の永田洋子が高崎署から移監されていた。
大久保清と同様に永田洋子も心の動揺が高まって、千葉県印旛沼事件の2人+群馬県内の12人の〇ンチ〇害を全自供している。
大久保清が松井田署に移動してすぐに夢枕に女が立った…
捜査員1 裏妙義の現場で、夜中に藁束でも燃やしましょうか?留置場からちょうどいい距離でしょう。やつはガイシャの人魂と思って、おびえるんじゃないですかねえ。
捜査員2 おいおい、大久保は寺の鐘の音とカラスの鳴き声、藁火の人魂で落ちたって、書かれるぜ。
捜査員3 アイデアは悪くねえよ。2週間前だったらまじめに検討したかもしれないぜ。
捜査員4 実はねえ、看守の刑事に「裏妙義の〇人現場辺りで毎晩人魂が出るって、町で評判だってよ。ここからも見えるぜ、おおくぼぉ~」って言わせてるんですよ。
via:完全自供
看守の刑事は、就寝前の大久保清に、こんな風にもささやいていた。
そしてその成果はすぐに現れた。
そして7月20日に川合昭代564について自供を始めた。
お寺の鐘の音もカラスの鳴き声も、大久保清には女性の悲鳴に聞こえたのかもしれない。
その後もうなされては飛び起き、脂汗をぬぐう夜が続く。
徹底した組織捜査が、確実に大久保清をじわじわと追い詰め始めていた。
大久保がガイシャの怨霊を恐れているニュースは、新聞や週刊誌でどんどん報じられていた。
この時点では、まだガイシャが何人いるのかさえわかっていなかったが、松井田町周辺は興奮で沸いていた。
興奮の地元民 オラが町に大久保が来た 臼井郡松井田町は碓氷峠を境に長野県軽井沢町と接し、人口2万人余人。凶悪犯罪はここ十年来ゼロという町だけに、思いもよらぬ大久保というVIP(重要人物)の来訪に興奮気味。“こわいもの見たさ”の野次馬が町並みから外れた同署にわざわざ集まってヒソヒソ。
「夜、礼子さんの埋められた現場でたき火をすれば、大久保のやつ、幽霊だと勘違いして腰を抜かして全部言うだんべ」とか「補陀寺の鐘を1時間ごとに鳴らせば自供が早くなる」などと噂しあい引き揚げていく。
via:幽霊は足あとを残す
松井田署の2階留置場に大久保清がぽつんと一人で留置されていることも、マスコミを通じて知れ渡っていた。
国道18号線から留置場まではわずか30メートルしか距離がない。
そこを通り過ぎるトラックや乗用車が徐行して「大久保の人〇し!早く〇刑になれや!」との怒声が時々飛んでいたという。
大久保事件の全面解決は、知られざるガイシャたちの怨霊の働きに期待するしかない。
via:週刊明星 1971年8月8日号
大久保清の留置場の移監効果はてきめんだった。
移動からわずか12日で5件の〇害を次々に自供し、ついに連続○人事件の全容が解明されたのだった。
