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大久保清はイケメンか?ぼくちゃんは10歳にして危険人物だった件

始まりは「体なき〇人事件」 大久保清は1人の女性の誘拐容疑で逮捕されたが その行方はわからず。連続○人すら誰も予想していなかった。

捜査は被疑者の自供に委ねるしかなく、その自供に基づいて被〇者を発見して裏付けを取るしかなく、捜査はかなり難航した。

大久保清 私はね、バタバタやってやろうという気分なんですよ。捕まりゃ4刑になるのもわかってる。私は人間の血を捨てたんだ。しゃべらなきゃ絶対にわからない。

 

大久保清はイケメンか?ぼくちゃんは10歳にして危険人物だった件

大久保清がイケメンかどうかは個人の主観次第。

大久保清の捜査記録の身体初見によると…身長159.4㎝ 体重60.6㎏

チビで小太りの、額がだいぶ禿げ上がった36歳の中年オヤジ。

今どきの36歳は垢ぬけているけど、50年前の36歳は普通に「おっさん」だよね。

だけど、ロシア人のクオーターなので色白で目鼻立ちがはっきりしており、少し赤みを帯びた髪に瞳はわずかに青みがかっている大久保清を「いい男だったよ」と話す近所の人は多かった。

女性に穏やかな笑顔を見せて、やさしく丁寧な口調で話すので、女性ウケは良かった模様。

大久保清はイケメン

逮捕時に着用していたベレー帽とルパシカ(プルオーバータイプのロシア服)で画家を装う姿が有名ですが、大久保ファッションはほかにもいろいろあった。

自分の年齢や時代の波、役柄のTPOに合わせたこじゃれた装いをし、大型バイクやスポーツカーに乗ってガールハントを繰り返していた。

それは実家が裕福で母親に溺愛され、働かなくても好き放題できる、いいご身分だったから。

大久保清はイケメン

引用元:狼たちの時代

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大久保清はしゃれたルパシカを4枚持っていたが、そのうちの2枚は洋裁学校を出ている妻が縫ったもの。

元妻 センスのいい服装をしている夫を心のどこかで自慢していた私も、それが女を作るための道具だとようやく知りました。

サイテーナオトコヤ!

大久保清は県内で120人余の女性を誘ったり声をかけているが、そのうち25人は前橋市本町二丁目の群馬銀行本店前バス停留所で誘っている。 ここからまっすぐの道を500メートル歩くと、大久保が誘った女性に文学や絵の講義をした喫茶店「田園」(仮名・前橋市千代田町五丁目)がある。この道は前橋市の繁華街を横切り、通称××通りと言われているが、いつの間にか「大久保ストリート」と呼ばれ、最近は嫌な街角というわけか、通学・通勤の女性の通行がなくなった。 だが観光客にとっては絶好のプロムナード。 via:毎日新聞(昭和46年)

 

 

大久保清の生い立ち!ぼくちゃんは「ちび小平」と呼ばれていた

大久保清はイケメン

引用元:狼たちの時代

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大久保清は1935年(昭和10年)1月17日、群馬県高崎市(当時は碓氷郡八幡村)で、国鉄職員の父とロシア人ハーフの母の元、8人兄弟(三男五女・長男没)の三男として生まれた。

大久保清の生家は群馬八幡(ぐんまやわた)駅の通り沿いで、現在はJAの建物が建っている場所。

 

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10歳 女の子を畑に連れ込み、セイ的ないたずら(〇部に石を詰めた)して「チビ小平」「八幡村の小平」と呼ばれるように。近所の人が駆け込んできたとき、母親は嘘のアリバイで息子をかばっていたが、それが通用しないとわかるや否や、文句を言ってきた相手に逆ギレ。

母親 子どものお医者さんごっこに目くじらを立てることはないだろう!

コノオヤニシテコノコアリ…

大久保清はイケメン

16歳 定時制高校の頃は詰襟の学生服におしゃれ用ロイドメガネで夜遊び三昧⇒半年で高校を中退⇒上京。板橋区の電機店に勤めるも、女湯をのぞいてクビ⇒義兄の支援で神田の電機学校へ(成績悪し)仕送りのほとんどを女遊びにつぎ込む。大久保清は少年院に入っていたことがあるようだが、何をやらかしてどのタイミングで入ったのか詳細は不明。

大久保清はイケメン

18歳 女とトラブルを起こし群馬に逃げ帰る⇒父親に資金を出してもらって起業(清光電機商会:ラジオ修理の会社)⇒客とトラブルで閑古鳥⇒ラジオ店で部品を万引き⇒親が損害賠償して示談⇒清光電機商会の倒産・廃業⇒あり余る時間でガールハントに明け暮れる

大久保清はイケメン

20歳 ある時は群馬大学で購入した角帽と白い開襟シャツのインテリ大学生風。またある時は登山姿でスキーを担いでスポーツマン大学生風。オートバイの陸王(日本ハーレー)にまたがって颯爽と飛ばしながら女性を物色し、5ゴーカンの初犯でつかまる(執行猶予3年)

大久保清 列車に乗るはずだった女が自分とのおしゃべりを楽しんで列車を1本見送り、夜9時まで楽しく語らって、女の方が俺を誘ったわけだ。合意の上でやったのに訴えるなんて、悪いのは相手の女だ。
母親 そうとも。女は魔物と言うからね。経験のない若いぼくちゃんが女に騙されるのも無理ないよ。これからはせいぜい気を付けることだよ。

スクイヨウガナイ…

21~24歳 執行猶予中の再犯で懲役2年の判決⇒両親は東京高裁に控訴、最高裁へ上告までするも却下⇒執行猶予取り消しで3年6か月の実刑。松本刑務所に服役⇒模範囚だったため、刑期を6カ月残して入所3年で仮釈放。

25歳 1960年の安保改定の騒然とした世相に合わせて、ジャンパーと編上靴・鉢巻用手ぬぐいと軍手をポケットに突っ込んだいでたちで 全学連の幹部(活動が忙しくて卒業が遅れている自称大学生)になりすまし、自宅で5カン未遂。在宅の両親もほう助の疑いをかけられる⇒示談になり不起訴処分。

大久保清はイケメン

27歳 7歳年下の元妻と出会う。黒い大型バイクに登山用の黒いヤッケ、黒い毛糸の丸い帽子のいでたちで 大久保清が本屋で元妻をナンパ。2人は1年ほど付き合って、1962年5月、妻にゼン科を隠したまま結婚。

元妻 深く印象付けられたのは、私をじっと見つめたまま、瞳をそらさずに話し続ける清の目。その印象から、清を誠実な男性だと思い込んだのです。

結婚後も「詩集の自費出版のため」「成田闘争に行く」「共産党の仕事だ」と言っては夜な夜な女漁りの日々。

大久保清はイケメン

大久保清のスケジュール帳には謎の数字とアルファベットがびっしり(愛人のイニシャルと電話番号)女癖を巡り夫婦仲は険悪で、妻は夫のDVにも遭っていた。

元妻 大久保の家は農業の傍ら雑貨商をやっていて、清は手伝うでもなく、なんとなくブラブラして過ごしていました。家はすべて両親を中心に動いていて、私は働き手として迎えられたのかもしれない。半農といっても、大久保は田植え時には4~5日も手伝いを頼まなければいけないほど田を持っていました。生まれてから ただの一度も田の中に入ったことのない私も、必死になって働かなければならなかった。町育ちの私は裸足で歩いたことすらなかったから、その苦しさといったら…。それなのに清はいつも仕事から外されている。姑が清を溺愛していて、働かせようとはしなかったから。  via:週刊ポスト昭和46年7/16号

30歳 牛乳販売店を開業(権利は妻の親戚の斡旋、資金は父親が出した)⇒同業者を恐喝(執行猶予4年)⇒事件を言いふらされて牛乳販売店の経営が不振に⇒ここでようやく妻は夫のゼン科2犯・犯歴6回の余罪を知り、授乳できなくなるほどのショックを受けた。

大久保清はイケメン

31~35歳 牛乳店の経営が傾いているにもかかわらず「いすずペレット67年型」スポーツタイプの新車を購入⇒この頃からトレードマークになるベレー帽を愛用するようになり、車内に原稿用紙や詩集などの小道具を置き、片言のフランス語を操ってフランス語教師や作家になりすます。5カン事件を2件起こして執行猶予取り消しになり、合計4年6ヶ月の実刑で府中刑務所に服役。

36歳 模範囚だったため8か月の刑期を残して、3月2日に仮釈放⇒3月5日スポーツカー購入⇒ガールハント再開。5月14日の逮捕までの2か月間に、大久保清から声をかけられた女性は127人(関係を持ったのは35人)⇒3月31日に連続〇人事件の第1の犯行(17歳女子高生)⇒8人の女性を〇害 ⇒10月25日初公判

38歳 2月22日に判決公判:〇刑判決 ⇒控訴せず3月10日に刑確定 ⇒4月3日に東京〇置所に移送 ⇒10月に獄中から「訣別の章 死刑囚・大久保清獄中手記」を刊行

41歳 1月22日刑執行 ⇒1月23日に近隣住民が大久保家の墓を倒壊

 

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