新聞や週刊誌報道、事件のルポを読んでいると、サイ〇パスやシリアル〇ラーは「溺愛」か「精神的なネグレクト(無関心)」のどちらかで育ってることが多い感じを強く受ける。
物理的ネグレクトよりも精神の方が闇は深い。
もちろん生まれついての性格・人格も大きく関わっているが、凶悪のトリガーはゆがんだ子育てにあると思う。
大久保清と母親の溺愛!すすきの首〇り事件に同じにおいを感じる件
ゆがんだ子育て…大久保清の場合は「母親の溺愛」 あれは異常なレベルの猫かわいがりだった。
溺愛というと、一人っ子や末っ子を特別かわいがるイメージがあるが、大久保清には妹が一人いるので末っ子ではない。
幼い妹が嫉妬するくらい「ぼくちゃん」は母親から愛されていたのだ。
ひと回り年上の兄は無口で愛想がないことから母から嫌われていたのに対して、清は「ボクちゃん」「キョッちゃん」と愛称で呼ばれて溺愛されていた。
36歳で逮捕されたときにも「ぼくちゃん」と呼ばれていたって…もはや筋金入りレベル。
しかも自分の子どもの扱いにそこまで差をつけるって…母親としてどうしようもない。
大久保清の母親の病みはケタ違いに深かったのだ。
大久保清が8歳の秋、近所の人が苦情を持ち込んだ。清が柿の実を叩き落とすので困ると話すと母親は
大久保清が10歳の夏、4歳の女児を畑に連れ込んでいたずらした。その抗議を受けたとき、まず母親は嘘をついた。
止めに入ったのが近所の住人で、言い逃れが通用しないとわかると母親は逆ギレし
大久保清が5カンの初犯で捕まった時(20歳)
大久保清が松本〇務所から出所してきた時(24歳)母親は泣いて喜んで、祝いの膳に鯛の尾頭付きを用意した。
まあそこまでは気持ちはわかるのだが、次にやったことには開いた口が塞がらない。
もうすぐ25歳になるボクちゃんに食べさせるために、母親はいそいそと魚の身を箸でほぐしてあげた。
クレイジーにもほどがあると思うが、現代でも同レベルの母親が、息子の事件に加担して容疑者に挙がるのは珍しくはない。
かつて作家の野坂昭如氏は「大久保清は妄想をそのままに生きてしまった」と分析していた。
大久保清は必ずしも高校教師や芸術家に憧れて、変身を願ったのではないだろう。自分以外のものなら何でもよかったはずだ。大久保は現実と触れ合うのが怖かったのである。 via:婦人公論1971年6月号
この分析が正しいかどうかはさておき、現実逃避による幻覚とか妄想や気分障害が顕著にあったのだとしたら、現代なら大久保清は「発達障害」と診断されていたかもしれない。
「発達障害」の用語は1970年代に日本に入ってきているが、その概念は一般的ではなかった。「発達障害者支援に係る検討会」で定義が検討され始めたのが2005年という。
まあ 大久保清の幼少期に発達障害が明確にされていたとしても、母親がそれを認めようとはしなかっただろう。
現在は発達障害が療育や治療で改善できる時代ではあるが

親が子どもの障害を認めようとしないなら お話にならない。
昨今、大人の発達障害が激増している一因はこのあたりにもありそうだ。
裁判の判決でも言及された大久保清の両親の責任と因果応報
いずれにせよ、ここまで大久保清を病ませてしまった原因は、本人の気質×母親の罪科(溺愛)×父親のインモラルなど、複数の要因が絡み合った結果かもしれない。
大久保清の父親は、警察沙汰にはなっていないが地元ではヤバい人物として知られている。大久保清の実兄の2人の妻(つまり嫁)にも手をつけた色〇魔として知れ渡っていた。
このことで大久保清の実兄と両親の間に確執が生まれて、兄夫婦は別居。
その後も両親は兄に冷たい態度を取りつづけ、全財産を清に継がせることに決めていたため(ほかに5人の姉妹がいたが) ますますぼくちゃんは大切に扱われるようになった。
裁判の判決にも大久保清の両親について言及されている。
判決文 父の性的放縦、母の利己的で冷血な血を受け発揚性、自己顕示性、無情性を主徴とする極めて亢進した色情衝動を伴う異常性格者であって、すでに小学生時代から短気で乱暴で同級生とは融和せず、小学校四年生頃からその言動に性的放縦の萌芽が顕れ、六年生頃にはしばしば女生徒にいたずらをして問題を起こすという性行不良の児童であった。
via:死刑囚の最後の瞬間
両親揃って毒親だった…そんな因果応報か?両親の末路は悲惨なものだった。
大久保清が逮捕されて3日後から両親は雲隠れしていたが、〇刑が確定すると 高崎市八幡町の自宅と隣接の家作5軒、駐車場などの土地約3,600㎡を売りに出し、藤岡市内の養老院に入ったそうだ。
しかし大久保清の親だとバレるやいなや施設を追い出されて その後は何処に行っても断られるため放浪生活を余儀なくされた。
大久保清の刑執行(1976年1月22日)の4年後の1980年に母親が、さらに4年後の1984年に父親が亡くなっている。
大久保清への憎悪や嫌悪感が あっという間に大久保一族への憎悪にすり替えられたから、両親のみならず遺族の心労は想像を絶するものだったのだ。
大久保清事件とすすきの首〇り〇人事件の共通点!キーワードは「溺愛」
2023年7月初旬、ススキノで猟奇的な事件 が起こり(すすきの首〇り〇人事件)

この件も一部報道では、両親の「溺愛」がキーワードになっている。
個人的な恨みに対する一家総出の犯罪はレアだが、これも子どもの育て方を間違えたことによる重度の心の病みが原因なのでは?と感じた。
主犯と目される被疑者(娘)がこう供述していて
自分の中には何人もの人格がある。(犯行は)そのうちの1人がやった。
via:文春オンライン
これが真実かは今後の鑑定留置でいずれはっきりするが、被疑者の父親は精神科医だって…マジデスカ?
動機は…溺愛しすぎた娘の復讐劇に両親が加担したのだろうか!?

溺愛されて育つと人の道を踏み外す確率が上がりやすいような気がする。母親の溺愛が 子どもらしい心の発達を妨げるケースがほとんど。
溺愛が目に見えない壁を作って子供を隔離する。そしてその世界の中で特権意識をじわじわ膨らませていく。
家庭でお山の大将になっている子どもが現実社会に溶け込めなくなり、その流れから自己中心的な人格を形成していくのは必然だろう。
大久保清もしかり。すすきの事件も「家では娘の天下」と言われていることから、同様のケースだと思う。
ヒトはみんないびつでどこか欠けた存在。完璧にデキた親なんてどこを探したっているはずはない。
だけどモンスターが誕生するのは、やはりそれなりの理由が複数あるはず。その中の最大要因が「毒親」の存在ではないだろうか。
なかなか状況が報道されず見えてこないすすきの事件の全容解明が待たれるところ。
事件や心理の解釈は人それぞれ…だけど、人間のメンタルは多面的で複雑怪奇で、完全理解は不可能。
そこがおもしろくもあり、怖くもあるけれど、いずれにせよ幽霊より生きてる人間の方がずっと怖いよねえ。