冤罪のヒーロー小野悦男と首都圏女性連続殺人事件 (松戸OL殺人)

小野悦男事件

首都圏女性連続殺人事件

疑惑の小野悦男

小野悦男

via:http://ryotaroneko.ti-da.net/

1968年から1974年にかけて、東京、千葉、埼玉で、11人の女性が性的暴行を受けた後に焼かれたり埋められたりして殺害される事件が起きていた。

1974年9月12日現場周辺で女性宅に忍び込み、窃盗事件を起こしていた小野悦男(おのえつお)が「首都圏女性連続殺人事件」の容疑者として逮捕された。

小野悦男が捜査線上に浮かんだ事件

■1968年7月13日、足立区の空き地で26歳のOLが暴行の上、焼殺された。
事件の数日後、小野悦男が犯人だと密告電話が入るも、物証がないため逮捕断念。

■1973年1月26日、北区のアパートで就寝中の22歳のOLが絞殺されて放火。
事件発生2日前に事件現場近くを深夜、バールを持って歩いていた小野悦男が逮捕された。

■1973年2月13日、杉並区のアパートで放火事件。
22歳の男性と67歳の女性が焼死。

■1974年6月25日、千葉県松戸市在住の30歳の主婦が失踪。
8月10日に同市内の造成地で絞殺体で発見。

■1974年7月3日、松戸市の信金OL(19歳女性)が行方不明となり、8月8日、宅地造成地より遺体が発見された(#松戸OL殺人事件)。

■1974年7月10日、松戸市内のアパートで21歳の教師が暴行の上、焼殺された。
現場近くで小野悦男が目撃された。その後、殺人罪で立件(小野逮捕は1974.9.12)

■1974年7月14日、葛飾区で48歳の料理店経営の女性と58歳の店員女性が暴行された上、焼殺。
別の真犯人が逮捕されて解決した唯一の事件。

■1974年7月24日、埼玉県草加市内のアパートで22歳の薬局店店員女性が暴行されて放火。
東武伊勢崎線草加駅の始発電車に小野悦男に似た男性を駅員が目撃。
しかも、7月1日に彼は現場の向かいのアパートに暴行目的で女性の部屋に侵入するも、騒がれて逃走していた。

■1974年8月6日、足立区内にある42歳の会社員男性宅に侵入して、24歳のOLが暴行された上、焼殺。
小野悦男によく似た男が現場から逃走する姿が目撃されている。
また小野悦男は1年前に会社員宅に侵入していたことが判明。

■1974年8月9日、埼玉県志木市内のアパートで21歳のOLが暴行の上、焼殺された。
後年のDNA判定の結果、犯人の血液型がA型またはAB型であることが判明する。
また、一連の事件における模倣犯の可能性も指摘されている。

 
 

松戸OL殺人事件

1974年7月3日、千葉県松戸市の信用組合職員・宮田早苗さん(19歳)が行方不明となり、8月8日に宅地造成地で遺体が発見された。

当時は首都圏女性連続殺人事件が続発していたが、どの事件も犯人を確定する物証が乏しかった。

その中の多くの事件では数百人が容疑者候補リストに上げられていたが、足立区の小野悦男(当時38歳)もその一人だった。

1974年7月10日に事件現場付近で発生した女性暴行未遂事件現場から発見された足跡の一致や、宮田早苗さんの遺体から検出された犯人の血液型がO型だったことから、松戸OL殺人で小野悦男を犯人と特定した。

警察は小野悦男に対して9月12日に窃盗の別件逮捕に踏み切り、殺人容疑で再逮捕している。

この逮捕時にマスコミが 小野悦男が連続女性暴行殺人事件の犯人であると報じたことや、松戸OL事件の1件しか起訴されていないのに 小野悦男が連続女性殺人事件の犯人であるかのような報道を続けたが、これらが後に巻き起こる小野悦男冤罪支援運動の火種となっている。

1975年3月12日、小野悦男は松戸OL殺人で起訴された。

この起訴と同時期に、冤罪支援運動のため浅野健一などの文化人、宗教関係者、弁護士らが「小野悦男さん救援会」を結成し、小野の弁護人・野崎研二は代用監獄など自白の信用性そのものを突き崩す弁護戦略を行っていった。

そして1986年9月4日、千葉地裁で小野悦男に無期懲役の判決が下る。

1991年4月23日、東京高裁で自白に信用性が乏しいと無罪判決を言い渡し、松戸OL殺人事件の無罪が確定した。

別件の窃盗罪と婦女暴行で 小野悦男に懲役6年判決が出ていたが、未決勾留日数が参入されたため このときの小野は刑務所に服役せずにすんだ。

16年ぶりの釈放で、未決拘置期間6068日のうち別件で有罪となった6年を差し引いた3871日を対象として 総額約3650万円が小野悦男に支給された。

松戸OL殺人事件で小野悦男の無罪が確定すると、小野に不利な報道がなされていたと各マスコミが認めて、一斉に謝罪文を掲載している。
 
首都圏女性連続殺人事件のほとんどは未解決のまま公訴時効を迎えてしまっているが、小野悦男は未だに一貫してその関与を否定し続けているという。
 
 
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小野悦男の生い立ち

小野悦男は1937年茨城県行方市(なめがたし)生まれ。

少年時代から盗みを繰り返し、中学も満足に卒業することなく少年院に入るなど、小野悦男の素行の悪さは地元でも有名だった。

故郷を離れた小野悦男は都内の親族の家などを転々としながら建設現場などで働くも、相変わらず窃盗・詐欺・暴行などの犯罪を繰り返していた。

小野悦男は16歳のときに無免許運転で逮捕されたのを皮切りに、火事場泥棒や窃盗、詐欺などで14回逮捕され、13年服役していた。

首都圏女性連続殺人事件の容疑者として逮捕された時点で小野悦男は前科8犯だった。
 
 
逮捕後の取調べの中で、小野悦男は一度は犯行を自白したが、一転して無実を訴えはじめた。

文化人や弁護士によって「小野悦男さん救援会」が結成され、世間の注目も集めた。

小野悦男 救援会

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そして1986年の一審では無期懲役を言い渡されたものの、1991年の二審では無罪を勝ち取った。

小野悦男は釈放され、冤罪のヒーローと呼ばれるようになった。

松戸OL殺人事件は 足利事件東電OL殺人事件のような冤罪事件の走りともいえる事件だったが、これらの冤罪事件と決定的に違うのは、小野悦男被告は複数の前科があり「善良な市民」とはいえない男だったということだ。

◆前科8犯(服役13年)の小野悦男の犯罪の中にアパートの放火が数回ある。

◆小野悦男には東京都内のアパートに侵入し、寝ている女性を強姦しようとしたことがある。

◆連続殺人放火犯の血液型はO型または非分泌型と断定されており、小野悦男の血液型もO型である。

◆松戸や綾瀬で起きた連続殺人放火事件の現場付近の土地勘が小野悦男にはある。

◆小野悦男のアリバイがはっきりしていない。連続殺人放火事件後、親戚・知人宅を転々としている。

◆犯人は現場侵入にハシゴを使っていたが、小野悦男も職業柄 ハシゴの扱いに慣れている。

 
 
16年の拘留後、自由の身となった小野悦男は、足立区の東栗原団地に母親と2人で住み始めた。

殺人容疑で逮捕され、無罪となって出所した後は代用監獄問題等の集会などに呼ばれて自身の冤罪被害を語ったり、マスコミに冤罪のヒーローとして登場し続けていた。

朝日新聞が1994年12月に、横浜の工場で働き、日当から6000円を貯金に回し、つつましく母親と暮らしている小野悦男の姿を記事にしたりした。

ところが翌年、小野悦男はまたも窃盗事件を起こして捕まり、服役している。

2年後に出所した後、小野悦男は家出した女性と知り合って同居を始めた。

東栗原団地に住んでいた女性
お母さんが亡くなってから、小野さんの女関係が派手になっていった。当時アル中の女性がこの団地に住んでいて、私が面倒見ていたんだけど、小野さんは彼女と付き合っていた。それ以外にも方々で声をかけてた。
 
首なし死体(※後述の小野悦男事件)が見つかったときも訊いたのよ、アンタじゃないのって?そうしたら笑って何も言わなかったけど。
 
事件のことはよく覚えてる。小野さんの裏庭のところで警察犬がワンワン鳴いて、すごくうるさくて、ぜんぜん動こうとしなかった。
 
 
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小野悦男事件(同居人殺人事件)

1996年1月9日小野悦男(当時59歳)が住む団地からほど近い足立区東六月町の駐車場で、布団にくるまれた女性の首なし焼死体が発見された。

捜査開始後すぐに、警察は容疑者を特定していた…近所に住んでいた小野悦男である。

ところが警察は、すぐには小野悦男を事情聴取することができなかった。

それは、小野悦男が1991年に逆転無罪の判決を勝ち取った「冤罪のヒーロー」だったからである。

小野悦男を取り調べれば、支援者たちから猛抗議を受けることは目に見えていたから、捜査は極秘裏に進められた。

警察は小野悦男に尾行をつけ、捨てたゴミからDNAを採取して鑑定にかけた。
  
 
内偵を続けていくうちに、1996年4月21日、小野悦男の自宅近くの公園で遊んでいた少女が男にいたずらされたあと、首を絞められ失神するという事件が起きた。

放置された少女を通行人が発見し、少女は一命をとりとめたが、目撃証言から少女の殺人未遂容疑で小野悦男か逮捕された。
 
 

その後、首なし死体と一緒に捨てられていた布団に付着していた体液と小野悦男のDNAが一致していることが判明した。

5月2日に家宅捜索を行ったところ、小野悦男の部屋の裏庭に埋めてあった頭部(頭部と首なし死体の切断面は合致していた)と 切断に使ったのこぎりが発見された。

そして6月6日、小野悦男は殺人、死体損壊及び遺棄の疑いで逮捕された。

小野悦男は初めは首なし焼死体のことについては否認したが、証拠を次々とつきつけられて、観念して犯行を認めた。

首なし遺体の身元は、小野悦男の同居人で同郷の女性、茨城県麻生町出身の宮内良枝さん(41歳・無職)のものと断定された。

宮内良枝さんと小野悦男は1995年9月からのわずかな同棲生活だったが 小野は宮内さんの家事をしないなどの生活態度に腹を立てて口論となった。

出て行こうとする宮内さんから「4ヶ月も一緒にいてやったんだから、200万円よこせ」と捨てゼリフを吐かれ、小野悦男はカッとなり 咄嗟に凶器のバットを握り、宮内さんを殴りつけて死亡させた。

そして 宮内さんの遺体をリヤカーでゴミと一緒に駐車場へ運び、火をつけて焼いた後 頭部を切断し、裏庭に埋めた。
 
 

1998年3月27日、小野悦男に無期懲役の判決が下った。

殺意を否認し控訴したが棄却され、1999年2月9日に小野悦男に無期懲役刑が確定した。

事件後「首都圏女性連続殺人事件」のいくつかの事件は、やはり小野悦男の犯行だったのではないか?という声が上がっていた。

強姦した後、証拠隠滅のために遺体を焼く手口は、小野悦男が出所後に起こした同居人殺人事件と共通している。

ところが小野悦男はこれらの殺人事件については否認しているし、公訴時効も成立しているため再び取り調べられることはない。

小野悦男はクロかシロか・・・真実は小野のみぞ知る、である。
 
 
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