オウム真理教事件と13死刑囚 まとめ

三大オウム事件と各死刑囚の関与

オウム真理教 死刑囚 13人

via:産経ニュース

  
13死刑囚地下鉄サリン事件松本サリン事件坂本弁護士一家
3人殺害事件
松本智津夫首謀首謀首謀
中川智正サリン生成実行犯実行犯
新実智光送迎役実行犯実行犯
井上嘉浩総合調整
土谷正実サリン生成サリン生成
遠藤誠一サリン生成実行犯
早川紀代秀実行犯
端本悟実行犯実行犯
宮前(旧姓・岡崎)一明実行犯
横山真人実行犯
広瀬健一実行犯
小池(旧姓・林)泰男実行犯サリン噴霧車製造
豊田亨実行犯
 
 

オウム真理教・13死刑囚

1
岡崎一明
(現姓は宮前)


岡崎一明 (宮前一明)死刑囚~オウム真理教 確定死刑囚第1号

教団をゆすり、坂本弁護士一家事件を告発・自首




男性信者殺害事件
坂本弁護士一家殺害事件
 
2麻原彰晃(松本智津夫)

松本智津夫(麻原彰晃) オウム真理教 教祖の現在と死刑執行の行方

オウム真理教・教祖
13事件で26人の殺人+1人の逮捕監禁致死




坂本弁護士一家殺害事件
松本サリン事件
地下鉄サリン事件
男性信者殺害事件
サリンプラント建設事件
薬剤師リンチ殺人事件
滝本弁護士サリン襲撃事件
自動小銃密造事件
男性現役信者リンチ殺人事件
駐車場経営者VX襲撃事件
会社員VX殺害事件
被害者の会会長VX襲撃事件
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
 
3横山真人

横山真人(よこやままさと)~地下鉄サリン事件最初の死刑確定囚

科学技術省次官
自動小銃製造の責任者
地下鉄サリンの実行犯の一人だが、担当した路線では死亡者が出ていない




地下鉄サリン事件
自動小銃密造事件
 
4端本悟

自治省所属
麻原彰晃のボディガード




坂本弁護士一家殺害事件
松本サリン事件
サリンプラント建設事件
江川紹子ホスゲン襲撃事件
 
5林泰男

科学技術省次官
麻原彰晃の運転手
「殺人マシン」の異名をもつ




松本サリン事件
地下鉄サリン事件
新宿駅青酸ガス事件
 
6早川紀代秀

建設省大臣
オウム教団の「裏のトップ」




坂本弁護士一家殺害事件
男性信者殺害事件
サリンプラント建設事件
自動小銃密造事件
 
7広瀬健一

科学技術省次官
早稲田大学理工学部応用物理学科を首席卒業の科学者




地下鉄サリン事件
自動小銃密造事件
 
8豊田亨

科学技術省次官
東大出身の死刑囚は戦後初

地下鉄サリン事件
自動小銃密造事件
新宿駅青酸ガス事件
東京都庁小包爆弾事件
 
9井上嘉浩

諜報省長官
10事件で有罪




地下鉄サリン事件
薬剤師リンチ殺人事件
駐車場経営者VX襲撃事件
会社員VX殺害事件
被害者の会会長VX襲撃事件
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
島田裕巳宅爆弾事件
オウム真理教東京総本部火炎瓶事件
新宿駅青酸ガス事件
東京都庁小包爆弾事件
 
10新実智光

自治省大臣
11事件・26人の殺人に関与




坂本弁護士一家殺害事件
松本サリン事件
地下鉄サリン事件
オウム真理教男性信者殺害事件
薬剤師リンチ殺害事件
男性現役信者リンチ殺人事件
駐車場経営者VX襲撃事件
会社員VX殺害事件
被害者の会会長VX襲撃事件
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
信徒監禁事件
 
11土谷正実

第二厚生省大臣
サリン製造の中心人物




松本サリン事件
地下鉄サリン事件
幻覚剤PCP密造
駐車場経営者VX襲撃事件
会社員VX殺害事件
被害者の会会長VX襲撃事件
手配信者の隠匿
 
12中川智正

法皇内庁長官
麻原彰晃の主治医
サリン製造に関与




坂本弁護士一家殺害事件
松本サリン事件
地下鉄サリン事件
薬剤師リンチ殺人事件
滝本太郎弁護士サリン襲撃事件
駐車場経営者VX襲撃事件
会社員VX殺害事件
被害者の会会長VX襲撃事件
公証人役場事務長逮捕監禁致死事件
新宿駅青酸ガス事件
東京都庁小包爆弾事件
 
13遠藤誠一

第一厚生省大臣
獣医師で生物兵器とサリンを製造




松本サリン事件
地下鉄サリン事件
宮崎県資産家拉致事件
チオペンタールナトリウム密造事件
LSD、覚醒剤、メスカリン密造事件
駐車場経営者VX襲撃事件
滝本弁護士サリン襲撃事件
 
 

オウム真理教事件 年譜

※主要事件のみ
 
1984
1987
2月
7月
「オウム神仙の会」設立
「オウム真理教」に改称
19889/22在家信者死亡事件※立件なし
19892/10男性信者殺害事件麻原彰晃・早川紀代秀・村井秀夫・岡崎一明・新実智光・大内利裕
11/4坂本弁護士一家殺害事件麻原彰晃・村井秀夫・早川紀代秀・岡﨑一明・新実智光・中川智正・端本悟
19902月麻原彰晃(松本智津夫)が衆院選出馬⇒落選
19929/14オカムラ鉄工乗っ取り事件※立件なし
教団の武装化⇒自動小銃密造事件
オカムラ鉄工のオウムへの買収が自動小銃密造に関わる端緒となる
19936/6男性信者逆さ吊り死亡事件大内早苗…不起訴
死体遺棄罪…大内利裕・石井久子・山本まゆみ
6/27第一次亀戸異臭事件※立件なし
炭疽菌散布による生物兵器テロ未遂
7/2第二次亀戸井州事件
8月~
11月~
土谷正実死刑囚がサリンを生成
山梨県上九一色村にサリンプラント建設
11~12月
(2回)
池田大作サリン襲撃未遂事件※立件なし
麻原彰晃・村井秀夫・遠藤誠一・新実智光・中川智正・滝澤和義
19941/30薬剤師(元信者)リンチ殺人事件麻原が起訴された殺人事件の中で唯一、殺害現場に立ち会った事件。
麻原彰晃・松本知子・杉本繁郎・中川智正・井上嘉浩・新実智光・村井秀夫・越川真一・北村浩一・後藤誠・丸山美智麿・Y(元信者で殺害実行犯)
3/27宮崎資産家拉致事件資産家の財産強奪目的で、被害者の三女・四女が関与。
5/9滝本太郎弁護士サリン襲撃事件(殺人未遂)麻原彰晃・青山吉伸・富永昌宏・遠藤誠一・中川智正・マハームドラー・ダーキニー(麻原の愛人で犯行当時17歳)
5月~LSD密造事件イニシエーション用の違法薬物製造
6月~国家制度を模倣した「省庁制」を教団組織に導入
自動小銃密造事件
自動小銃密造事件…麻原彰晃・早川紀代秀・横山真人(自動小銃製造の責任者)・豊田亨・広瀬健一
6/27松本サリン事件麻原彰晃・村井秀夫・新実智光・遠藤誠一・中川智正・土谷正実・林泰男・中村昇・富田隆・端本悟
7月~覚醒剤密造事件イニシエーション用の違法薬物製造
7/10男性信者リンチ殺人事件麻原彰晃・村井秀夫・新実智光・杉本繁郎・中村昇
9/20江川紹子ホスゲン襲撃事件麻原彰晃が新実智光、遠藤誠一、中川智正、端本悟に命じ、江川紹子をホスゲンで殺害するよう指示。
江川氏は気管支に全治2週間の傷を負ったが命に別状はなかった。
12/2駐車場経営者VX殺人未遂事件麻原彰晃・遠藤誠一・土谷正実・井上嘉浩・山形明・新実智光
12/12会社員VX殺害事件麻原彰晃・井上嘉浩・新実智光・中川智正・山形明・平田悟・高橋克也・土谷正実
19951/4被害者の会会長VX襲撃事件麻原彰晃・新実智光・山形明・高橋克也
2/28公証人役場事務長逮捕監禁致死事件麻原彰晃・松本剛・井上嘉浩・新実智光・中川智正
3/20地下鉄サリン事件麻原彰晃・村井秀夫・井上嘉浩・林郁夫・広瀬健一・横山真人・豊田亨・林泰男・新実智光・北村浩一・外崎清隆・高橋克也・杉本繁郎・遠藤誠一・土谷正実・中川智正・佐々木香世子・森脇佳子
3/22警視庁が上九一色村などの教団施設を強制捜査
4/23村井秀夫刺殺事件
4~5月新宿駅青酸ガス事件4月30日、5月3日、5月5日の3回。オウム真理教が東京都の新宿駅地下トイレに毒ガスである青酸ガスの発生装置を仕掛けたテロ未遂事件。
中川智正・井上嘉浩・林泰男・豊田亨・富永昌宏・八木澤善次・松下悟史
5/16東京都庁小包爆弾事件井上嘉浩・中川智正・富永昌宏・豊田亨・高橋克也
警視庁が上九一色村で麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚を逮捕
9/6坂本堤弁護士と妻の遺体発見
9/10坂本弁護士の長男の遺体発見
19964/24東京地裁で麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の初公判
20001/18教団名を「アレフ」に改称
20042/27東京地裁が麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚に死刑判決
20069/15最高裁で麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の死刑判決が確定
20075月上祐・元代表が新団体「ひかりの輪」設立
201112/31逃亡していた元幹部・平田信受刑者が警視庁に出頭。翌日逮捕
20126/3逃亡していた菊地直子・元信者を逮捕。
6/15逃亡していた高橋克也被告を逮捕
20154/30東京地裁が高橋克也被告に無期懲役判決
20161月平田信被告の懲役9年が確定
20181/5菊地直子被告の無罪が確定
1/19最高裁で高橋克也の上告棄却→無期懲役確定
 
 



 
 

1988/9/22 在家信者死亡事件

1988年9月22日にオウム真理教の富士山総本部で発生した在家信者死亡事件。

立件は見送られた。

オウム真理教関係で発生した最初の死亡事件であり、この事件は後にオウム真理教男性信者殺害事件が起きるきっかけになった。

この事件で死亡した在家信者は、9月より教団が開催する修行に参加していたが、突如大声をあげて暴れだした。

麻原彰晃は頭を冷やすように言えと弟子に命令し、この在家信者を風呂場に連れて行かせ、頭を浴槽の水につけるなどさせたが、その過程で在家信者は意識不明に陥った。

その知らせを聞いた麻原は、すぐに駆けつけ自らエネルギーを送る等し、他の信徒が人工呼吸などの蘇生処置をおこなったが、そのまま死亡してしまった。

当時、教団は東京都に対して宗教法人になるための手続きを行っており、この事件が発覚した場合、教団の法人化に悪影響を及ぼすことは確実であった。

そのため、麻原は証拠隠滅を指示し、闇に葬ることにした。

死体は焼却して粉々に砕いた後、山梨県の上九一色村の精進湖へ遺棄した。

麻原彰晃
いよいよこれはヴァジラヤーナに入れというシヴァ神の示唆だな。
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1989/2/10 男性信者殺害事件

事件の被害者となった男性信者は、オウム出版の責任者であった岡崎一明(宮前一明)の下で営業させられていたが、1988年9月22日のオウム真理教在家信者死亡事件を目の当たりにし、オウムのやり方に疑問を持ち、責任者の岡崎に不満を述べた。

岡崎は男性信者の不満を麻原彰晃に報告すると、麻原は男性信者を富士山独房に監禁し、両手両足を縛らせたが、益々反発して教団から脱会する旨を主張。

麻原は脱会させると、オウム信者死亡事故が露見される恐れがあり、宗教法人取得を目指す教団にとって痛手になると考え、殺害するしかないと決意。

1989年2月深夜、サティアンビル4階の図書館に、早川紀代秀・村井秀夫・岡崎一明・新実智光・大内利裕の5人を集め、「ポアするしかないな」といって、男性信者の殺害を命じ、大内がコンテナ外で見張りを担当し、残る4人で殺害を実行した。

当初の計画では、男性信者に目隠しをし、羽交い絞めにした末にロープで首を絞めて窒息死させる手筈であったが、男性信者が抵抗したため、慌てた新実によって首の骨を折られて殺害された。

先の事件の在家信者同様、死体を焼却して粉々に砕いた後、敷地内にばら撒いた。

この後、麻原は殺人を肯定する「ヴァジラヤーナの教え」を初めて実行犯らに説いた。

実行犯5人のうち、大内以外の4人が坂本堤弁護士一家殺害事件においても実行犯となった。オウム真理教ぐるみでの最初の殺人事件である。

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1989/11/4 坂本弁護士一家殺害事件

坂本堤弁護士一家殺人事件はオウム3大事件の引き金だった!?


 
 

1993/6/6 男性信者逆さ吊り死亡事件

1993年6月6日、静岡県富士宮市所在のオウム真理教・富士山総本部道場で脱会を希望していた男性信徒(当時25歳)が、態度が悪いとして逆さ吊り修行を命じられ、死亡する事件が発生した。

この修行は通常ならば信徒の足にロープを巻きつけ、牽引機をつかって通常1時間半程度吊り上げるものであったが、監視役に当たっていた大内早苗は、翌日に控えた教団の祭典準備に忙殺され、大幅に時間が経過していたのに気づかず、この男性信徒を死に至らしめた。

そこで教団は麻原彰晃の指示で遺体を第1サティアンの石井久子の部屋に運んで他の信徒の目にふれないようにした後、マイクロ波加熱装置で焼却して、遺骨を薬品で溶解させ、風呂場の排水溝から廃棄した。

1995年3月の地下鉄サリン事件以降の警察の捜査において、大内早苗の自供により事件が発覚、隠蔽にかかわったとして石井久子山本まゆみ、実兄の大内利裕らが死体遺棄罪で起訴され、いずれも有罪が確定したが、大内早苗は不起訴となった。

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1993/11~12 池田大作サリン襲撃未遂事件

オウム真理教の教祖である麻原彰晃は、同じ新宗教である創価学会を敵視していた。

麻原によれば、創価学会は『外道』であり、『仏教団体を名乗りながら煩悩を肯定している宗教』で、『原始仏教やチベット仏教を見下している』

さらに在家で信仰をしているオウム信者を、オウムから学会に改宗させようと家庭訪問などを繰り返す妨害活動(折伏)をする学会員も現れた。

また、サンデー毎日から始まったオウムバッシングは聖教新聞を印刷している毎日新聞社グループと創価学会が結託して行っているなどと主張、『池田大作は日本を侵略するフリーメーソンの手先であり「仏法」を曲げているまむしの一族』、『多くの人をだまして来世悪趣に転生させてしまうのでこれを防がなければならない』、『オウムの信徒数を創価学会並みに増やしたいが、それに至らないのは池田大作が小沢一郎を使って国家権力を動かし妨害しているからだ』、『池田大作は「仏敵」であるからポアしなければならない』と敵対心を露わにしていった。

1993年8月、土谷正実がサリン合成に成功。

麻原はサリンの最初のターゲットとして池田をサリンで暗殺することを企図し、「サリンをまいてみろ」と指示。

最高幹部の村井秀夫らが行動に移した。

当初ラジコンヘリによる航空散布が検討されたが、ラジコンヘリが操縦ミスで大破したため車両による攻撃に変更した。

1回目は1993年11月、クシティガルバ棟で生成したサリン約600gを村井秀夫、新実智光、中川智正、滝澤和義らは乗用車に農薬噴霧器「霧どんどん」を載せて創価大学の近隣にある八王子市の学会施設「東京牧口記念会館」に1回目の攻撃を行うが、霧にならないで路上に落ちる、サリンが車内にも入る、ボツリヌス菌散布用の霧どんどんも故障するなどして失敗。

実行役らはガスマスクをしておらず若干サリン中毒の症状が出た。

2回目は1993年12月18日(土曜日)で、東京都八王子市の創価大学では演奏会が開かれる予定になっており、池田も出席することになっていた。

オウム真理教は事前に池田が演奏会に出席するという情報を入手していた。

当日未明、東京牧口記念会館にオウム真理教のサリン噴霧トラックが向かったが、ガスバーナー式加熱気化噴霧器による火災が発生し、会館の警備を担当している創価学会の牙城会の会員に怪しまれワゴン車で追跡してきたため、直ちに逃走。

Uターンしながらなんとか3kgのサリン溶液を噴霧した。

その際、実行犯の新実智光はサリン噴霧トラックを後退させるため防毒マスクを外したせいでサリンを大量に吸引し、重体に陥った。

新実に対し遠藤誠一や村井秀夫が人工呼吸を行い、直ちにオウム真理教附属医院に搬送され、林郁夫らの治療の結果一命を取り留めた。

遠藤は新実が死にかけたことに関して「このようにステージの高い人でも、やはりサリンの猛毒には勝てず、このような無念な死に方をするのだと悲しく思ったことは、今でも決して忘れることができない」と語っている。

だが新実は周りが大騒ぎしているのに反してサリンを吸っていい気持ちだったという。

治療の際、林郁夫が中川智正に原因を尋ねると中川は「サリーちゃんでポアしようとした。」と答えた。

林郁夫は、「サリーちゃん」が「サリン」を指すこと、そしてオウムがそれを保有していたことをこの時初めて知った。

池田本人には被害は無かったものの、当日、警備していた牙城会員が、一時的な視力減退や倦怠感などサリン中毒特有の症状を訴えたというが、後遺症は確認されなかったため、創価学会では警察への通報をしなかった。

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1994/1/30 薬剤師リンチ殺人事件

被害者O(明治薬科大学を卒業後に出家しオウム真理教附属医院に薬剤師として所属)と、加害者Y(音楽班に所属していたが事件当時は既に脱会)は教団内で知り合いであった。

さらに、Yの母もオウムに入信していた。

Yの母はパーキンソン病を罹患し、以前栃木県内の病院で治療を受けていたが、Yや越川真一から「オウムに入信して付属病院で治療を受ければ病気が治る」と説明を受け、それに従いオウム真理教付属医院に転院したものであった。

だが病状は好転せず、1993年12月頃、Yの母はOと性欲の破戒をしたとして、第6サティアンに移動させられ治療を受け続けるとともに、PSIとよばれる修行をさせられていた。

OはYの母への治療法に疑問を持ち、教団からの救出を決意。

事件当時はすでに脱会していたYとYの父に協力を依頼した。

1994年1月29日、O、Y、Yの父、Yの弟はYの父が運転する車で埼玉県から山梨県上九一色村にある第6サティアンへ向かう。

1994年1月30日の午前3時頃、4人は第6サティアンに到着。

Yの父とYの弟は車で待機し、OとYが催涙スプレーを持ち第6サティアンに入り3階の医務室にいるYの母を抱えて救出しようとするが、失敗して取り押さえられ、ワゴン車で第2サティアンの尊師の部屋に連行される。

「今から処刑を行う」として駆けつけた麻原彰晃は「これからポアを行うがどうだ」と尋ね、

村井秀夫は「ポアしかないですね」
新実智光は「帰すと被害者の会やマスコミに話したりするのでポアしかない」
井上嘉浩は「泣いて馬謖を切る。しかしポアするより生物兵器の実験台にした方がいい」

後に、ここで麻原の正妻である松本知子が発言をしたかが裁判で争われた。

麻原はに「Oを殺せば命を助ける」と発言。

Yは「やったらほんとに帰してもらえるんですか」と尋ねると麻原は「私が嘘をついたことがあるか」と答え、Yも悩んだ末実行に応じた。

OはYに「いいんだ、それより巻き込んじゃってごめんな。」と答え、死を覚悟した。

Oは目隠しとビニール袋を被された後に催涙スプレーを噴射され、苦しんで暴れたため幹部数名に押さえつけされた。

そして新実が持ってきたロープでYが首を絞め窒息死させた。

死体はその後第2サティアン地下室のマイクロ波焼却装置で焼却された。

事件を口外しないこと、週に一度は道場へ通うこと等を条件にYは解放された。

身の危険を感じたYは川崎市内の自宅アパートを引き払い、秋田県に潜伏した。

1994年2月13日に井上から報告を受けた麻原は薬物を使った拉致を命令。

井上・新実・中川・越川・後藤・林郁夫らがYの潜伏先に向かったが、警察に通報され、拉致は失敗した。

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1994/5/9 滝本太郎弁護士サリン襲撃事件

この事件の被害者である滝本太郎弁護士は、1989年11月に失踪(後にオウム真理教による殺害と判明)した坂本堤弁護士に代わり、オウム真理教被害者対策弁護団の中心人物として教団に対する訴訟を行う傍ら、信者に対するカウンセリングを行っていた。

滝本は「空中浮揚なら自分でもできる」と、自ら空中浮揚した写真を信者に見せていた。

写真は滝本が自宅の和室で蓮華座を組み、ジャンプしているのを妻が這いつくばって撮影した。

彼が手がけた信者は、ほとんど全員が脱会した。

麻原彰晃はこれに危機感を抱き、

麻原彰晃
サマナを無理やり下向させている滝本という弁護士がいる。
明日もその関係で甲府で裁判がある。
滝本に魔法を使う。

滝本を魔法=サリンで殺害するよう指示した。

裁判で青山吉伸、富永昌宏らは、「魔法」はLSDだと思っていたとして殺意を否認した。

遠藤誠一中川智正は池田大作サリン襲撃未遂事件で車の中にサリンが入ってきたことを参考に、アンモニアを使って実験を行い、車のフロントガラスにかけるのが効果的であると報告した。

麻原曰く「B型女性はためらわない」ということで、麻原の愛人のマハームドラー・ダーキニー(犯行当時17歳)が実行役に選ばれた。

1994年5月9日、甲府地方裁判所で行われた上九一色村住人とオウム真理教の民事訴訟で住人側からは滝本が、オウム真理教からは青山吉伸が出廷した。

青山は滝本の車(三菱・ギャラン)を見つけ、青山の運転手である富永昌宏を通じ、裏側駐車場に停めた日産・パルサー内に隠れている遠藤誠一、中川智正、マハームドラー・ダーキニーに連絡した。

マハームドラー・ダーキニーは法廷が開廷している隙に、裁判所の駐車場に駐車していた滝本の車のフロントガラスとボンネットの間に遠沈管でサリン約30ccを流し込んだ。

滝本太郎は一時 眼の前が暗くなるなど視力が弱まる被害を受け、くも膜下出血ではないかと考え診察を受けたこともあった。

しかし空気を入れない設定にしていたこともあり命に別状はなかった。

もともと視力はあまり良くなくメガネを着用していたため、一連のオウム真理教事件が発覚するまで、気が付かなかったという。

VXによる毒殺未遂

1994年9月、デパートで購入したポマードと混ぜたVX溶剤を車のドアノブに塗布されたが 手袋をはめていたので吸収されず害はなかった。

10月に井上嘉浩らが再度VXで襲撃に向かったが警察官がいたので中止された。

ボツリヌス菌による毒殺未遂

1994年11月4日(坂本堤の命日)、オウムから脱会脱走した両親の施設に取り残されていた子供(2歳)の脱会交渉(青山吉伸、林郁夫が出席)が行われた富士宮市の旅館でボツリヌス菌が塗られたコップでジュースを飲んだが、ボツリヌス菌が上手く培養出来ていなかったため健康被害はなかった。

奇跡的と言われているが、滝本は最初からオウム信者を信用しておらず、坂本弁護士の失踪にオウムが関わっていると勘付いており、オウム信者やその家族と接する際には常に使い捨ての手袋やマスクを着用したり、出された食べ物には手をつけなかったり、飲んでも一口程度であり、自己防衛を怠っていなかった。

なお、滝本弁護士の家族は全国各地に分かれて避難しており、被害を受けることは無かった。

via:wiki

 
 

1994/6/27 松本サリン事件

サリン事件…松本と地下鉄!警察がオウムの暴走を防げなかったのはなぜか?


 
 

1994/7/10 男性信者リンチ殺人事件

オウムではかねてから土谷正実らが毒ガスを製造していたが、1994年7月8日、上九一色村の第6サティアンの浴槽にイペリットが漏れ出して信者が火傷し意識不明になる事故が発生。

すると村井秀夫はスパイの仕業であり、タンクローリーの担当者の中にスパイがいる可能性があるなどと言い出した。

麻原彰晃は「教団が毒ガス攻撃を受けている」という嘘を喧伝するため、緊急告知を掲示するとともに、林郁夫らによる薬物を使ったナルコチェックが行われ、信者がスパイかどうか調べられた。

ナルコチェックは完璧なものではないが、チェックの結果、タンクローリーで教団施設に水を運搬していたある男性信者が疑われ、麻原の命令を受けた自治省メンバーの新実智光、杉本繁郎、中村昇、他1名らが尋問を行うこととなった。

被害者は「体力テスト」の名目で第二サティアンに連れ込まれた。

新実は拷問の前に体力を落とさせておくため、被害者にヒンズースクワット300回を行わせた。

その後、「バルドーの悟りのイニシエーション」(疑似裁判で懺悔をするもの)をやるからといって、被害者を椅子に拘束した。

すると新実は突然「イペリットを入れたのはお前だろう」と脅迫、新実と杉本は被害者の背中を竹刀で叩き、さらに杉本が被害者の全部の足の指先にまち針を刺し、新実がさらに押し込んだ。

これでも自白を得られなかったため、今度はガスバーナーで熱した火かき棒を背中に押し付けた。

中村は「早く言えば楽になるよ」と誘導した。

被害者は「ミラレパ正悟師(新実)は人の心が読めるはず…」と身の潔白を訴え続けたが、意識を失った。

麻原は第2サティアンのマイクロウェーブ焼却装置での殺害を指示し、新実も杉本らに「自白をしようがしまいが、どちらにしろ、ポアだ」と麻原の指示を伝えた。

しかし、マイクロウェーブ焼却装置による殺害には抵抗があったようで、杉本によって絞殺された。

新実がマイクロウェーブを使わなかったことを報告すると、村井はせっかくの機会を失ったと残念がったという。

遺体は指示通りマイクロウェーブで焼却され、残った骨は硝酸で溶解され川に捨てられた。

被害者は教団から脱退したことにされた。

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1994/12/2 駐車場経営者VX襲撃事件

この事件の被害者は当時82歳の駐車場の経営者(以下M)で、多額の布施を強要されてオウム真理教から逃げ出した知人を匿っていた。

オウムは奪還を企てたが、駐車場経営者に追い返されていた。

オウム真理教教祖である麻原彰晃は、「これはVXの実験だ。効くかどうか判らないからMにVXをかけて確かめろ」として、駐車場経営者をVXで襲撃するよう指示し、1994年11月後半に遠藤誠一を介して土谷正実にVXの増産を命じたが、土谷は誤って無害のVX塩酸塩を作ってしまう。

一方、11月27日にはこの「VX」(実際はVX塩酸塩)を井上嘉浩がMにかけようとしたが未遂に終わり、翌28日には山形明新実智光がMに「VX」をかけたが効き目が無く失敗、この「VX」がVX塩酸塩であることが判明。

そのことを知った麻原は遠藤誠一を介して11月30日頃土谷正実に改めてVXの生産を命じ、土谷は今度は有毒の溶液を完成させた。

それを受け、麻原は12月1日に新実にこのVXでMの襲撃を指示した。

そして翌12月2日午前8時30分、Mがゴミを捨てに自宅から出てきたところを、山形と新実が後を追い、新実が声をかけたその隙に山形がVXの溶液をMの後頭部にかけた。

その後、経営者は痙攣などを起こし容態が急変したため、ただちに病院に搬送された。

幸いにも被害者は一命はとり止め、61日間入院。

診察にあたった医師の所見は「脳の血量が一気に低下したことによる一過性脳虚血発作」であり、警察も殺人未遂事件と認定できていなかった。

麻原は「ポアはできなかったが これはこれでカルマ落としになって成功だな」と語った。

VXは、のちに会社員VX殺害事件やオウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件でも使用された。

翌1995年のオウム真理教の強制捜査、そして同年7月27日の新実の供述によりこれらの事件が明るみに出た。

Mはその後のテレビ取材の際には現場を案内できるようになるまでに回復しており、自分の「病気」がVXによるテロだと知って愕然としていた。

また裁判に証人として出廷した際には得意の江戸弁で語りまくり、「ロサンゼルスに行く予定があり、また出廷があると面倒だから被告人もロスにつれてきてくれないか」と絶好調であった。

オウム事件の首謀者の麻原が起訴された17件の中では、最後まで麻原自身が罪状認否を留保した事件である。

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1994/12/12 会社員VX殺害事件

大阪府大阪市に住む柔道2段の資格を持つ当時28歳の会社員(本事件の被害者、以下H)はオカルト雑誌で知った女性(実はオウム信者)と文通をしていたが、対面したときにオウムの偽装勧誘であると察知し、一度は関係を断っていた。

だがHの個人情報は教団内に回されて勧誘のターゲットとなり、今度はオウム真理教のダミーイベント「ヴァジラクマーラの会」に招待されていた。

ちょうどこの頃、教団の大阪支部、名古屋支部を中心とした「ヴァジラの戦士」一派による分派騒ぎがあり、不幸なことにHの勧誘担当者の中にヴァジラの戦士一派のメンバーがいたことや、柔道クラブ関係で警察署の道場に通っていたこともあって、Hは「分裂を煽った公安警察のスパイ」と勝手に決め付けられた。

なおHに警察関係者との親しい交友は無かった。

法皇官房から分派騒動とHスパイ説の報告を受けた麻原彰晃は、Hに「ホッホ ヒュッ ホッホ」のリズムでVXをひっかけてポア(殺害)するよう指示した。

1994年12月12日午前5時頃、実行犯グループの井上嘉浩、新実智光、中川智正、山形明、平田悟、高橋克也は大阪市内のホテルに集結。

午前6時頃にH宅付近に到着、井上と平田が近くの建物の屋上に上がり監視しHの姿を確認、さらに自宅から出てきたため、高橋の運転する車に隠れている新実と山形に無線連絡した。

無線のやり取りでは、Hを指す言葉を「長浜ラーメン」、実行の合言葉を「黒帯」と決めていたが、井上が「黒ベルト」と誤って連絡したため、新実が警察が来たのかと勘違いし一時混乱したものの、同日午前7時頃に襲撃を決行。

Hが自宅から出てきた後を山形と新実がジョギングを装って追い、淀川区の路上で山形が注射器を使ってVXをかけたところ、針を付けたままであったため接触してしまう。

Hは「痛い」と声を出し、山形らを追いかけるも路上に倒れ、通行人が110番通報。

ただちに大阪大学医学部附属病院に搬送されたが、脳死状態となり、12月22日午後1時56分に死亡した。

翌1995年のオウム真理教の強制捜査後、この事件を含む一連のVXによる襲撃事件が明るみになり、保存されていたHの血液を分析したところVXの分解物が検出されたことから暗殺が実証された。

VXは土谷正実が生成したとされるが、この点について土谷は、VXが黄褐色だったとの証言があるので、自分では無く遠藤誠一が分量を間違えてつくったものの可能性が高いと主張していた。

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1995/1/4 被害者の会会長VX襲撃事件

この事件の被害者永岡弘行(当時56歳)は、長男がオウム真理教に出家して以来、出家信者の親によって結成された「オウム真理教被害者の会」の会長を務め、長男の脱会後も引き続き活動を継続していたため、教団にとっては、殺害された坂本堤弁護士に次ぐ敵対的人物であった。

オウムは連日永岡に無言電話や梵字による仄めかしなどの嫌がらせを行い、永岡の会社にも「取引先に抗議する」などと脅し退職を余儀なくさせた。

1994年12月、飯田エリ子が脱会信者の家に永岡がいることを目撃。

そこで麻原彰晃は、「どんな方法でもいいから永岡にVXを掛けろ。幾らお金を使ってもいい。VXを掛けるためにはマンションを借りてもいい。」として永岡弘行か長男のどちらかに「ほっほっぴゅ」とVXをかけて殺害するよう指示した。

実行犯らは1994年12月31日より、永岡宅を見張り始めた。

他のVX事件では実行の補助役は新実智光であったが、会長に顔が知られていたため、1995年1月4日午前10時30分、会長が年賀状を出すために自宅から出て来ると、山形明高橋克也が後を追い、山形がVXの溶液を会長のジャケットにかけた。

会長は気づかずに自宅に戻った。

午後1時頃に目の前が暗くなり、ブレーカーが落ちたのか、雨のせいなのか、貧血なのか分からないが とりあえず休んでいたところ体調が急変、凄まじい熱さと汗に襲われ叫びまわり、その後動かなくなった。

妻の通報によりただちに慶應義塾大学病院に搬送され、幸いにも69日間の治療により一命はとりとめ意識も戻った。

滝本太郎によれば、警視庁は当初この事件を「スミチオンによる自殺未遂」と判断していた。

この事件の真相は、翌1995年にオウム真理教が強制捜査された後の実行犯らの供述により、駐車場経営者VX襲撃事件及び会社員VX殺害事件と共に判明した。

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1995/2/28 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件

事務長の妹は、1993年(平成5年)10月頃にオウム真理教に入信し、これまでに数千万円を教団に布施していた。

ところが教団は、事務長の妹の所有物となっている「目黒公証役場」の土地・建物(当時の時価で2億7千万円)を含めた全財産も布施して出家するように強要したため、事務長の妹は教団から逃げ出し、目黒公証役場事務長である被害者に匿われることになった。

教団は事務長の妹の行方を探るため、事務長を拉致することとした。

1995年(平成7年)2月28日午後4時半ごろ、東京都品川区上大崎の路上で、目黒公証役場から出てきた事務長を信徒らが松本剛が運転するレンタカーのワゴン車に連れ込んで拉致、山梨県西八代郡上九一色村(現:南都留郡富士河口湖町)のサティアンに連れ込んだ。

教団は麻酔薬のチオペンタールを投与することで、事務長の妹の居所を自白させようとしたが果たせなかった。

そこで麻原彰晃は、拉致実行犯の一人に事務長を絞殺させることとし、「(被害者を)ポアさせることによって(実行者)に徳を積ませる」と称し、東京からサティアンに呼び戻すことになった。

その間、事務長は麻酔薬を過剰に投与されたため、3月1日午前中に死亡した。

午後になって麻原指名の実行者が到着し、既に死亡したことを知らせずに被害者の首を絞めさせた。

遺体は教団信者数名がマイクロウェーブを応用した焼却炉で焼却し、骨や灰は細かく砕いて本栖湖に流して死体遺棄をし、証拠を隠滅した。

麻原は中川らに報酬として、おはぎとオレンジジュースを渡した。

麻原は被害者死亡の報を聞き、「被害者は前世で俺の弟子だった。前世でポアしてくれと請願されて、約束を果たした。」と嘯いたという。

3月4日にこの事件が明るみに出た。

教団は名誉毀損で最初に報道した朝日新聞社を訴えたが、他のマスコミも朝日に追随し大々的に報道した。

3月18日にはこの事務長の名を冠した団体の主催による1万人集会が開かれている。

警察は拉致される瞬間を複数の民間人が目撃していたことを受けて捜査を開始し、拉致に使用したレンタカーの書類からオウム信者の松本剛の指紋が採取され、さらにレンタカーから松本の指紋と被害者の指紋と血痕が確認されたことにより、警察がオウム真理教が凶悪事件に関与していたことを確定的に認識する初の事件となった。

警視庁は拉致監禁の容疑で教団本部を3月22日に強制捜査すると決定したが、オウムはそれよりも早く動き、3月20日に地下鉄サリン事件を起こしたのであった。

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1995/3/20 地下鉄サリン事件

サリン事件…松本と地下鉄!警察がオウムの暴走を防げなかったのはなぜか?


 
 

1995/4~5月 新宿駅青酸ガス事件

1995年4月30日、5月3日、5月5日の三回にわたって、オウム真理教が東京都の新宿駅地下トイレに毒ガスである青酸ガスの発生装置を仕掛けたテロ未遂事件、特に5月5日の事件をいう。

別名として新宿駅地下トイレ青酸ガス事件、新宿青酸ナトリウム装置事件などとも呼ばれる。

1995年3月20日の地下鉄サリン事件後、「社会の対立し合う勢力をぶつけて混乱を引き起こし、捜査撹乱を行え」「(1995年)4月30日に石油コンビナートを爆破しろ。30日だぞ」「ミサイルをぶち込めば爆発する」「30日ごとにテロをやりつづけろ」として、石油コンビナートを爆破する計画があり、麻原彰晃の指示で井上嘉浩富永昌宏が調査し、爆弾も製造したが、爆破は無理と判断されたため中止された。

だが村井秀夫は4月11日に「尊師の逮捕を防ぐため、できることはなんでもしろ」と指示、代わりにこの事件と都庁小包爆弾事件が実行されることとなった。

当初はダイオキシンを築地、兜町、霞が関に撒くことが計画されたが、中川智正は文献調査により「エイヤーでやってもダイオキシンは(4月)30日までにできない。青酸ガスならできる」として、日光山中に隠したシアン化ナトリウムを使って青酸ガステロを実行することになった。

八王子アジトに集結していた中川智正、井上嘉浩、林泰男、豊田亨、富永昌宏、八木澤善次、松下悟史らが担当した[3]。

この頃、麻原が以前に行った「新宿で4月15日に地震が起きる」という予言が、「新宿で4月15日にテロが起きる」という内容に受け取られ、噂が広まったことで新宿は厳戒態勢となっていた(4月15日予言)

結局4月15日には何も起きなかったが、井上はこのデマに便乗し新宿駅を標的とすることにしたと証言している。

前二回は発生装置の故障によってガスが発生せず、また三回目となる5月5日の事件でも装置は作動したものの清掃作業員によって装置が発見・移動されたことから、ガスが発生する前に駅員によって処理され、大事には至らなかった。

事件後実行犯として特定された信者の八木澤善次、松下悟史は同年11月9日付けで殺人未遂容疑で全国に特別指名手配され、両名の似顔絵と写真が掲載されたポスターが各地の地下鉄駅などに張り出された。

八木澤は1996年11月14日、埼玉県警所沢警察署に出頭して逮捕され、松下も11月24日、同署に逮捕された。

八木澤の出頭時の様子はワイドショーでも報道され、大声で名乗りながら出頭してきたなどと状況が詳しく語られた。

麻原が指示したのは「石油コンビナート爆破」などであって、青酸ガス散布については麻原から具体的指示や同意が確認できなかったため、裁判では井上が首謀者とされた。

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1995/5/16 東京都庁小包爆弾事件

1995年5月16日午後7時頃、都庁の知事秘書室で、当時44歳の東京都職員の男性が青島幸男知事宛の小包の梱包を開封し、中に入っていた単行本を開いたところ、突然本が爆発した。

都職員の男性は左手の指全てと、右手の親指が吹き飛ぶ重傷を負った。

小包の中には、中心部分をくりぬいた単行本(タイトルは『日本復興』)が入っており、その中にRDXという爆薬を詰め、開封と同時に爆発する仕組みになっていた。

麻原彰晃から「石油コンビナートを破壊するなどのテロを起こして捜査を攪乱しろ」と指示を受けた井上嘉浩らが計画したが、麻原の都庁への爆弾送付について指示や同意が確認できなかったため、裁判では井上が首謀者とされた。

犯行に関与したのは井上のほか八王子アジトに潜伏していた中川智正、富永昌宏、豊田亨、高橋克也であった(加えて菊地直子も逮捕・起訴されたが、無罪が確定した)

警察の捜査の撹乱、麻原彰晃の逮捕を防ぐために実行されたものだが最終的に麻原は同日に逮捕された。

爆薬は中川と豊田が、起爆装置は高橋が製造し、富永が5月11日に新宿区内から投函した。

宛先は東京都知事公館であったが、青島知事が入居前であったため、郵便物はすべて都庁に転送されていた。

青島知事を狙ったのは、オウム真理教の宗教法人の所轄庁が東京都で(1989年8月25日認可)、宗教法人法による解散請求問題が浮上していたからである。

また、世界都市博覧会の中止(事件時点では中止は未確定)に対する嫌がらせと勘違いして捜査が混乱するように、差出人を都市博中止反対派の都議会議員の名前としていた。

この事件を最後に日本国内においてオウム真理教による凶悪なテロ事件は発生していない。

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