大久保清 連続女性誘拐殺人事件の全貌 その8【大久保清の最期】

 
大久保清連続女性誘拐事件
 


 

大久保清 連続女性誘拐殺人事件の全貌 その7 のつづきです

昭和46年10月25日~昭和48年2月22日 大久保清の裁判

大久保清が貫いた反権力的な姿勢と潔さ

 
大久保清の婦女暴行、殺人、死体遺棄事件第一回公判は、1971年(昭和46年)10月25日に、前橋地方裁判所で開かれた。

大久保清は坊主刈り、黒い背広で出廷。

大久保清
最初の事件は女性と合意の上での関係だったのに、暴行とされて刑務所に送られて人生を狂わされた。

反抗は女と権力への復讐です

また法廷では、芸術家や思想家を気取る自らの嘘を信じ込む自己顕示欲や虚栄性をも見せたという。

大久保清
私は女が全体として好きなので、単に性欲の対象として好きなのではない

そして大久保清は、裁判長の罪状認否の質問に対して「何も言うことはありません」と答えた。

大久保清は法廷で自供をひっくり返せば死刑を免れるかもしれないことがわかっていながら(可能性がゼロではないというだけで、実際それはあり得ないが) 取調官に対してあえてこう断言していてた。

大久保清
俺はどうせ死刑になるだろうけど、法廷で自供をひっくり返すことはしない

その言葉通り、大久保清は法廷で自供を覆すことは一切しなかった。

ただし大久保清事件の犯行動機については はっきりしたことはわかっていない。

かつて「東京の切り裂きジャック」と呼ばれた白木雄一は 大久保清についてこう言っていた。

白木雄一
自分と同じで、大久保は殺しが楽しいんだ

大久保清は裁判でも事件の動機についてはほとんど語ることがなかったのだ。
 
 
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ガールハントと殺人…被害女性8人

① 3月31日 多野郡 女子高生(17)

② 4月6日 高崎市 ウェイトレス(17)

③ 4月17日 前橋市 県庁臨時職員(19)

④ 4月18日 伊勢崎市 女子高生(17)

⑤ 4月27日 前橋市 女子高生(16)

⑥ 5月3日 伊勢崎市 電電公社職員(18)

⑦ 5月9日 藤岡市 会社社員(21)

⑧ 5月10日 前橋市 無職(21)

 
【1人目】1971(昭和46)年3月31日 榛名湖畔で遺体発見
多野郡 高校生 ●田美●子さん(17)

大久保清は●田さん(17)とは2度会っている。
2度目のとき大久保清が「榛名湖畔にアトリエを持っている」と言うと●田さんが「連れて行ってくれ」といったのでドライブに出た。
大久保清は適当に途中で引き返せばいいと考えたが、●田さんはどうしてもアトリエに行ってくれと言い張り、「免許証を見せてくれ」と迫った。
大久保清がそれを見せると、年齢や名前が嘘であることがわかり、アトリエも嘘だとわかり、●田さんは「私の兄は検察官だ。一緒に警察に行こう」と言い出した。
●田さんは「兄が検察官と言ったのは嘘です。ごめんなさい」と謝ったが、若い娘が「検事」でなく「検察官」という言葉を使うわけがないと考えた大久保清は●田さんを絞殺した。
 
 
【2人目】1971(昭和46)年4月6日 高崎市××工業団地造成地で遺体発見
高崎市 ウエイトレス ●川美●子さん(17)

大久保清はウエイトレスの●川さん(17)と2度会った。
2度目の4月6日、●川さんの方から「18:00に北高崎駅で待っている」と誘っている。
●川さんが「私には警察官の旦那がいるんだよ。あんたを訪ねて行くからね」と言い出したので、大久保は彼女を殺害した。
 
 
【3人目】1971(昭和46)年4月17日 高崎市××工業団地造成地で遺体発見
前橋市 県庁臨時職員 ●田千●子さん(19)

大久保清と県庁臨時職員の●田さん(19)とは5度会っている。
散文詩のことなどで話が合ったのでかなり親しくしていた。
大久保清は●田さんに「美大卒の中学教員・渡辺哉一」と名乗っていたが 5回目のドライブで「大久保さん」と呼びかけられて驚いた。
●田さんは大久保清のことを調べ、彼の嘘をすべて暴いていた。
「大久保さんのことを世間に知らせてやる。警察と県警記者クラブに知り合いがいるから電話してやる」と言われ他大久保清は●田さんを殺害した。
 
 
【4人目】1971(昭和46)年4月18日 鳥川砂利採取場で遺体発見
伊勢崎市 高校生 川●●子さん(17)

大久保清と高校生・川●さん(17)は2度会っている。
大久保清が川●さんに家族のことを聞いたら、「父は派出所に勤務している」
川●さんはさらに「この前関係したことは事件になるんだってね」と言ったので大久保清は彼女を殺害した。
 
 
【5人目】1971(昭和46)年4月27日 高崎市××工業団地造成地で遺体発見
前橋市 高校生 ●藤●美さん(16)

大久保清と女子高生●藤さん(16)とは3度会っている。
2度目に会った時、大久保清は●藤さんに靴下を3足買ってやったが、3度目に会った時「1足が破れてしまった」と言った。
大久保清は「これで買いな」と千円札を渡したが、●藤さんは「でも、悪いから」と遠慮した。
「デモなんかすると、おまわりさんに捕まるよ」という大久保清の冗談に対して●藤さんは「私のお父さんはデモを取り締まる人を指揮している」と話した。
父親が警察官だと聞いた大久保清はこれを聞いて●藤さんを殺害した。
 
 
【6人目】1971(昭和46)年5月3日 高崎市××工業団地造成地で遺体発見
伊勢崎市 電電公社職員 川●●代さん(18)

大久保清は電電公社職員川●さん(18)に 4月上旬に桐生市の喫茶店で見かけて声をかけた。
この時に大久保清は桐生中学校の数学教師と名乗っている。
2度目に会った5月3日「桐生中学には渡辺という先生はいない。本当は大久保さんでしょ。遊び半分で交際してるんでなければ、帰りにあんたの家へ連れて行ってよ」突然川●さんはそう言った。
車が大久保清の自宅付近を通ると、「あんたの家、この辺でしょ」
川●さんは大久保清のことを調べていて、出所したばかりだということも知っていた。
さらに川●さんは車内にあった他の被害女性の写真を見つけたので(この時には大久保清の殺人は発覚していなかったが) 大久保は川●さんを殺害した。
  
 
【7人目】1971(昭和46)年5月9日 松井田町桑畑で遺体発見
藤岡市 会社員事務員 ●村●子さん(21)

大久保清は会社員●村さん(21)に「絵のモデルになってくれませんか」と声をかけて車に乗せ、伊勢崎に行って、喫茶店で文学や登山などの話をした。
会話は弾み、ドライブしていたときに 大久保清は途中、モーテルに入ろうとしたが、●村さんは「私、そんな女に見える?」と断り「私の父は刑事よ」と言ったので、大久保は●村さんを殺害した。
 
 
【8人目】1971(昭和46)年5月10日 下仁田町で遺体発見
前橋市 家事手伝い ●●直子さん(21歳)

大久保清と家事手伝い●●直子さん(21)とは3月下旬に知り合い、7度目のデートの時に殺害している。
大久保清は直子さんに対しては本名を名乗っていた。職業は「中学教師」だったが。
ドライブ中に直子さんは大久保清に妻子がいて別居していることも 最近刑務所から帰ってきたことも知っていて、大久保を馬鹿にしたように笑ったため、大久保は彼女を殺害した。
 
殺害された女性8人のうち5人が「身内に警察関係者がいる」と話したために殺害されているが、実は誰一人として 家族に警察関係者のいる者はいなかった。

このことを取り調べ官から聞かされた大久保清は悔しがったという。

大久保清
小娘の嘘を見破れなかった俺は馬鹿だった
 
 
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大久保清の精神鑑定

大久保清の精神鑑定にあたったのは 東京医科歯科大学 犯罪心理学教室の中田修教授だった。

1.大久保は発揚性、自己顕示性、無情性を主徴とする異常性格(精神病質)であり、性的、色情亢進をともなう。

2.その殺人は性欲殺人、および隠蔽殺人のカテゴリーに属するもので、平素の精神状態とは特に異なる状態ではなかった。

大久保清の犯行はサイコパスによる古典的な殺人であり、死体を埋めたのも損壊や快楽殺人タイプの異常性に結び付くものではなく、犯行の隠ぺいでしかなかったとしている。

よって刑事責任能力は有しているの認められ、前橋地裁は大久保清に死刑判決を下している。

死刑判決!大久保清は一審で服罪

大久保清の公判は昭和48年(1973年)までの足かけ3年間に7回開かれ、昭和48年2月22日の判決公判で死刑の判決を下された。

大久保清は控訴せず一審で服罪したので そこで死刑が確定した。

控訴しなかった理由を大久保清はこう語っていた。

大久保清
生きながらえたとしても、かえって被害者の遺族を苦しめることになり、自分も苦痛から逃れたい

判決後、上毛新聞社の記者が大久保清死刑囚に前橋刑務所で接見したときには こう語っていた。

大久保清
「十三階段」への恐怖はまったく感じていない
 

大久保清獄中インタビュー(アサヒ芸能1971年3月8日号)

前橋地裁は73年2月22日、死刑判決を言い渡した。

そして大久保が控訴しなかったため、死刑が確定。

その直後、3月8日号は大久保の知人を介して、獄中インタビューに成功している。

2月24日の午前11時半。

前橋刑務所の面会室。大久保は椅子に腰をおろして待っていた。

黄色いセーターのうえは7回の公判中ずっと“愛用”していた黒のダブルではなく、ジャンパー(黒)といういでたち。

無精ヒゲで黒ずんだ頬も、判決から2日間の時間の経過を如実に物語っている。(中略)

──死刑判決を受けた瞬間、なにを思ったか。

大久保清
覚悟していた。特別の感動はなかった。
べつになんともなかったヨ。その晩だってよく眠れたしね……。
社会は死刑にしなきゃならないだろうし、オレ自身も死に値すると思っている。

──遺族は「1度でもいいから謝罪してほしかった」といっているが……。

大久保清
深く申しわけないと感じている。
だからこそ、犯行の事実を率直に認めているんだ。
しかし、国家権力が設定した裁判は、オレを死刑にする儀式じゃないか。
そんな場所で頭を下げれば、権力に屈服したことになるから謝罪しなかっただけなんだ(中略)

──裁判長も「多少の疑問は残る」とのべているように、犯行の動機が明確になっていないのだが……。

大久保清
女への恨みが爆発したんだ。
前のとき、女のうそっぱちを支持したのは警察や裁判所だ。
おかげで3度も女にだまされて刑務所へいれられた。
だからオレは人間じゃなくなっちゃったんだ。凶獣になったんだよ。
極限に追いつめられたこの心は、オレ自身にしかわからねえ(中略)

──控訴はしないつもりと聞いているが。

大久保清
控訴のつもりはない。
長生きしたくないんだよ。死にたい。
そうすりゃこの苦悶からぬけ出せるし、遺族へのわびにもなるだろう。

 
  
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東京拘置所内での大久保清

大久保清は一審で死刑判決を下されてから控訴しようとはしなかったので、判決が確定してからの3年間を、大久保は東京拘置所で過ごした。

一説によると、犯罪史に名を刻む凄惨な事件を起こした凶悪犯とは思えない落ち着いた態度で、残りの時間を過ごしていたという話もある。

積極的に運動に出ては汗を流し、独房では読書をしたり手記を書いたりと、マイペースに過ごしていたと言われている。

獄中ではアナキストの大杉栄、石川三四郎、ショーペンハウエル、ニーチェの哲学書を読んでいた。

訣別の章…大久保清の獄中手記

訣別の章 死刑囚 大久保清 獄中手記

via:ヤフオク

大島英三郎(アナキスト)を特別弁護人として文通していたことから、大久保清は獄中手記「訣別の章」を出版し

大久保清
立派に死んでみせる

・・・と、死を待つ身になっても自己顕示をやめなかった。

かねてから大久保清は知人に、死後 自分の骨と灰は長野県の梓川に流してもらいたいと手紙に書いていて、それになぞらえた詩が「訣別の章」にある。

父母よ! 私の骨と灰は

あなたがたに お願いしました

その梓川の清き流れに

私の全部を託して、長い旅に出ます

そして何日かかるかわからねど

きっと ナホトカの港までゆくでしょう

教誨を拒否した大久保清

担当刑務官は大久保清に「教誨(きょうかい)を受けてみたらどうか」と勧めたが「自分は宗教は信じないから」とかたくなに断り続けたという。

一般の懲役囚に対する教誨は矯正教育的であるのに対し、死刑囚の場合は「いかに死を迎え入れるか」が中心なので、その教誨はほとんどが宗教活動である。

好きな宗派を選ぶことができ、救いを得ようとして、たいていの死刑囚が教誨を受け 講和会に参加するが、獄中でアナーキズムを学んでいた大久保清は教誨を拒否していた。

大久保清の死刑が執行される情報を知った教誨師の渡邉普相氏は、空振りになってもいいという覚悟で執行に間に合うように東京拘置所に出向いたという。

刑務官
大久保よ、最後くらいは坊さんに立ち会ってもらったらどうだ?
大久保清
・・・・・
刑務官
お経をあげてもらうだけでもどうか?
大久保清
そこまで言われるなら、お願いします

そして教誨師・渡邉普相が大久保清の死刑執行に立ち会うことになった。
 
 
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「腰を抜かした」はでっち上げ!?大久保清の死刑執行は静かに滞りなく終了

 


 
稀代の殺人鬼の死刑執行を、マスコミはここぞとばかりに書き立てた。

執行を宣告された大久保清はガタガタ震えあがり、腰が抜け、恐怖のあまり失禁し、刑務官に脇を抱えられながら引きずられて連行され、自分一人では立てないみじめな最期だった…。

これが通説となっているが、引きずられて連行されたというのはマスコミのでっち上げかもしれない。

教誨師・渡邉普相が見た大久保清は終始静かだった。

それは落ち着き払っていたからではなく、瞳がうつろで焦点が合っていないという感じだった。

大久保清には拘禁症の影響が多分にあったのかもしれない。

おそらく「訣別の章」に収録したこの詩に近い心境だったのかもしれないと感じる。

何にを見ても、なにも感じない

何にを聞いても心の動揺も感じない

何にをしでかしても無味な答えすら返って来ない

何にを云われても他人ごとのように無感心でいる

ああ!私の心にはなにもない

おお!顔を歪めて笑う男が、ここに一人つくねんと座っているだけ…

via:獄中手記「訣別の章」

控室ですすめられたタバコを持つ大久保清の指は震えておらず、軽く一息吸い込み、最後の一服を一息吸い込んだ。

暴れることもなく騒ぐこともなく反抗することもなく、刑務官に引きずられて連行された事実もない。

大久保清の死刑執行は、独房を出てから15分後、滞りなく一連の儀式として静かに終了した。

昭和51年(1976年)1月22日、東京拘置所で大久保清の死刑執行…それは逮捕されてから4年8か月目だった。

大久保清元死刑囚 享年41歳。
 
 
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大久保清が眠る墓

大久保の骨を町に戻してなるものか!

大久保清には両親と兄、姉妹がいた。

清は兄とは仲が悪かったが、姉は清の最期まで手紙や身の回りの品を送り、連絡を絶やさなかったという。

大久保清の死刑が執行されて清の遺骨が預けられていた寺に、執行から数か月後に姉がやってきた。

大久保清の姉
弟がお世話になりました。

遺骨を引き取りたいと思っているのですが、困ったことになっているのです。

大久保家は裕福な旧家だったので、先祖代々の立派な墓地も構えていたが、清が事件を起こしてから高齢の両親は体調を崩し、家や田畑を二束三文で売り払って養老院に入っていた。

ところが大久保清の親であることが知れるや追い出され、次の施設を求めて放浪生活を送っていたという。

その後大久保清が死刑執行されたという情報が洩れ、新聞に掲載されると

地元住民
大久保の骨を町に戻してなるものか!

怒った地元の人たちは 一夜にして大久保家の墓を暴いてしまった。

墓石は根こそぎ倒されてひどく壊され、先祖代々の遺骨や骨壷もすべて掘り出されて周辺に投げ出されていたという。

大久保家の墓が暴かれた背景と現在

大久保清事件は凶悪犯罪には違いないが、地元の人たちをここまで怒らせた その最大原因を作ったのは 実は事件後のマスコミの過熱報道にある。

当時は「被害女性が大久保清の誘いに乗ったのはあまりにも尻軽すぎる!」と被害者と遺族を中傷するような報道が続いていた。

実は筆者の友人の知り合いに大久保清に殺害された女子高生の遺族がいて、当時の遺族宅では中傷電話が鳴りやまなかったという話を聞いたことがある。

娘を殺された上に、赤の他人からの心無いバッシングがあとを絶たず、その心労は想像を絶するものだったという。

また、大久保清がガールハントを繰り返していた前橋市内の通りは「大久保ストリート」と呼ばれるようになり、男性報道記者が街ゆく女性に声をかけてナンパの成功率を競い合うという 悪ふざけな報道もあった。

それをみた観光客が興味本位に大久保事件の現場をめぐり、あちこちで記念撮影をする姿も目立った。

そんな状況の中でもし「大久保清」の墓ができたとなれば、また新たな「観光スポット」の誕生である。

忌まわしい事件を一日も早く風化させたいと願っている地元住民からすれば、それは傷口に塩をすり込まれる感覚だったに違いない。

そんな思いが大久保一族への憎悪にすり替えられてしまい、大久保家の墓を暴かせる結果となってしまったのだ。

大久保清の姉
清の遺骨も、高齢の両親が亡くなっても、もうそれを納める場所がないのです

その話を聞き、見かねた渡邉普相は家族の了承を得て、大久保清の遺骨を引き取ることにした。

そしてそれは、現在は雑司ヶ谷霊園の一角にある東京拘置所の共同墓地に眠っている。

大久保清の遺骨がこの共同墓地に落ち着くまで、死刑執行から10年の年月が経過していた。
 
  
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大久保清「余聞」

売りに出された大久保清の実家

【売りに出された実家】

大久保清の両親は高崎市八幡町の自宅と、隣接の家作5軒、駐車場などの土地約三千六百平方メートルを売りに出した。

大久保清の両親
昭和四年に苦労して建てた家だけど、これだけ世間様を騒がしちゃ、もうここにはいられないだんべ。

売った金は清が手をかけて殺した女の人の遺族に分けてやり、自分たちは養老院に入る

大久保ストリート

【通称”大久保ストリート”】

大久保清は県内で120人余の女性を誘ったり声をかけているが、そのうち25人は前橋市本町二丁目の群馬銀行本店前バス停留所で誘っている。

ここからまっすぐの道を500メートル歩くと、大久保が誘った女性に文学や絵の講義をした喫茶店「田園」(仮名・前橋市千代田町五丁目)がある。

この道は前橋市の繁華街を横切り、通称××通りと言われているが、いつの間にか「大久保ストリート」と呼ばれ、最近は嫌な街角というわけか、通学・通勤の女性の通行がなくなった。

だが観光客にとっては絶好のプロムナード。

大久保の所持金

【大久保の所持金】

大久保が捕まったときの所持金は二万円。

誘った女性を最初に連れて行くのは喫茶店やモーテル。

この金額もバカにならない。

両親は「車を買ったとき頭金として267,000円を払ってやったが、こづかいは五千円しかやってない」と語っており、定職もなく蓄えもない大久保の派手な金遣いは謎に包まれている。

捜査本部は「誘った女性を脅して奪ったり、殺してはハンドバッグから抜き取ったのではないか」とみている。

カカア天下ダウン

【カカア天下ダウン】

「カカア天下」で知られた上州の女性。

これまで「働き者」として評判がよかったが、すっかりイメージダウンした。

「声をかければすぐついてくる」

よからぬ評判がパッと広まり、東京で働く娘さんや女子学生は「群馬県生まれ」を隠す者もある。

前橋市大手町で靴屋を経営するМさん(42歳)は、東京で下宿している大学四年生の一人娘から「友達に前橋生まれなんですって、といわれてすごくイヤになる」と電話がかかり「大久保一人のために八十万人の上州女がバカにされた」と憤慨している。

以上引用元:毎日新聞(昭和46年)

 

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