ルーシー・ブラックマン殺害事件 概要

ルーシーブラックマン事件  織原城二


黒い迷宮

元英国航空会社客室乗務員のルーシー・ブラックマン(21歳・以下ルーシー、敬称略)が友人とともに来日したのは2000年(平成12年)5月4日だった。

この時の入国資格は「観光目的で90日間の滞在許可」だったが、その後まもなくルーシーは友人と二人でアパートを借り、六本木のクラブでホステスのアルバイトを始めた。

そして7月1日午後、ルーシーは電話で男に呼び出され、渋谷区内のアパートを出た。

この日に友人の携帯電話に2回、「海へドライブに行く。あと1時間で帰る」などと連絡したまま、ルーシーは行方不明になった。

7月3日、タカギアキラと名乗る男から、その友人に電話があった。

タカギアキラ
ルーシーと私は一緒に千葉にいる。
 
新興宗教の修行をしている。

7月4日、これに不審を抱いた友人は 麻布警察署にルーシー・ブラックマンの捜索願を提出した。

警視庁は麻布署に捜査本部を設置し、捜査を開始したが、ルーシーの行方は杳として知れなかった。

ルーシーの父親や妹が来日し、有力情報に約1600万円の懸賞金を出すと発表し、マスコミも大きく取り上げたが、成果はなかった。
 
 
2000年10月になって、麻布署長宛に 英文ワープロ打ちの手紙が届いた。

差出人はルーシーである。

手紙には約100万円の外国紙幣が同封され、ルーシーが借金をしていた相手の名前や金額が書かれ、こう記されていた。

ルーシー・ブラックマン
これで借金を返済してください。

手紙が届いた頃には、私は日本にいないでしょう。

だが、その手紙の署名はルーシー本人のものではなかった。

手紙は犯人が捜査のかく乱を狙ったものだと思われた。

実はその頃、捜査本部はすでに織原城二(おばらじょうじ・当時48歳)をマークしていたのだ。

六本木界隈のクラブの複数の女性が織原城二の逗子のマンションに連れ込まれ、薬を飲まされて乱暴されているという噂を、警察は聞き込みで掴んでいたのである。

>>大島てる(神奈川県逗子市)
 
 
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織原城二(本名:金聖鐘/1971年に韓国籍から日本国籍に変更)は大阪の資産家の息子で、有名私立大学を卒業後、父親の遺産を相続し、東京と大阪にビルを所有し、銀座で飲食店を経営していた。

ところが当時の織原城二はバブルで行き詰まっており、世田谷の自宅や神奈川のマンションなどが差し押さえられていた。

それでも生活は派手そのもので、都心のクラブや高級飲食店などに出入りし、流暢な英語で外国人ホステスたちと付き合っていた。

織原城二は支払いは現金でしており、本名を隠して、いくつかの偽名を使っていた。

まず捜査本部は 別件容疑…カナダ人女性に対する準強制猥褻容疑で織原を逮捕し、取調べに入った。

その後も捜査は続行され、1992年から2000年にかけて、6人の女性を逗子のマンションに連れ込み、薬物入りの酒を飲ませて意識を失わせ、乱暴したという証言と証拠が集まった。

その中には亡くなった人もいた。

オーストラリア人女性が1992年2月に、乱暴された直後に体調を崩して入院し、半月後に死亡していたのだ。

東京地検は織原城二を6人の女性に対する準強姦や致死罪で起訴。

その公判進行中の2001年2月に、三浦市の洞窟で女性の死体が発見され、それがルーシー・ブラックマンだと断定された。

織原城二のマンションから近い三浦市内の海岸の洞窟内で、地面に埋められたバスタブから遺体がバラバラに切断された状態で発見されたのだ。

>>大島てる(神奈川県三浦市)

偽ルーシーからの手紙が捜査本部に届いた2000年10月頃、警察は30人の捜査員と警察犬により、2001年2月に白骨死体が発見されたこの洞窟を捜査していた。

ところが2000年10月には遺体や証拠品は何も出てこなかった。

それなのに4ヵ月後には身元不明のタレコミのとおり、同じ洞窟からルーシーの遺体を発見するのである。

タレコミ
洞窟を探索すれば、何かがあるぞ。

この謎は解明されていないが、この洞窟周辺の所有者は某宗教団体であるという噂があった(※噂なので確認は取れていない)

7月4日にルーシーの友人に「ルーシーは私と一緒にいて、新興宗教の修行をしている」というタカギアキラからの連絡と 何かつながりがあるのだろうか!?

 
 
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織原城二はルーシー・ブラックマンに対する準強姦致死・死体遺棄・損壊で追起訴された。

そのあと、別の準強姦被害者の3人の件が追起訴され、織原城二に対する起訴人数は死者2人を含む合計10人となった。

そして2001年7月4日、東京地裁で織原城二の公判が始まった。

ルーシー事件の冒頭陳述
2000年7月、織原城二は被害者を逗子のマンションに誘い出し、薬物を飲ませ意識を失わせて強姦し、薬物中毒で死んだ彼女の遺体を切断して 三浦市内の洞窟に埋めた。
 
誘い出しの口実は、携帯電話をプレゼントするというものだった。

検察側は事件後に織原城二が、ツーショットダイヤルで知り合った別の女性に「大変なことをした」と話していた事実も明らかにした。

罪状認否で織原城二はこう述べた。

織原城二
六本木のクラブでルーシーの接待を受け、逗子のマンションまで行ったことは認める。
 
でも、彼女を残して東京に帰ったときは、ルーシーは元気だった。
 
こんな結果になったのは自分に責任があると思うが、起訴状にあるような行動は取っていない。

同じ日に、死亡したオーストラリア人女性についての罪状認否も行われたが、織原城二はこれも否定した。

織原城二はこの日に審議入りした7件すべての罪状を否認している。
 
>>織原城二の裁判のニュース動画 
 
2010年12月7日、織原城二に対して 9事件の準強姦罪や強制わいせつ罪とそのうちの1人に対して準強姦致死罪、ルーシー事件はわいせつ目的誘拐罪と準強姦未遂罪と死体損壊罪と死体遺棄罪の有罪…無期懲役が確定し、現在服役中である。

織原城二は ルーシー・ブラックマン(21歳)とオーストラリア人女性(当時21歳)の2人を死亡させたとされるが、ルーシー事件については準強姦致傷、死体遺棄・損壊のみを認定しているが、その死因は不明であるとして 準強姦致死では罪に問われなかった。
 
 
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