新潟少女監禁事件 (佐藤宣行)

新潟少女監禁事件 佐藤宣行

2001年1月28日、新潟県柏崎市の民家から「自宅で息子が暴れている」という通報を受けて駆けつけた保健所職員が、2階の部屋で19歳の女性が監禁されているのを発見した。

女性がいたのは通報した女性の息子の佐藤宣行(さとうのぶゆき・37歳)の部屋で、室内はゴミであふれ、壁際に積み上げられた糞尿の入ったビニール袋が悪臭を放っていた。

佐藤宣行が暴れたため、同行した精神科医が鎮静剤を投与した。

医師が佐藤宣行に精神科への入院を告知したときに、部屋の隅に寝袋状の毛布が動き、あけてみたところ中から女性が出てきたのだ。
 
 
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佐藤宣行は父親が62歳のときに生まれた佐藤家待望の子供だったため、甘やかされ続けて育ってきた。

小学校高学年の頃、父親が高齢なことをバカにされてから、家庭内暴力をふるうようになっている。

1989年に父親が亡くなると母親に対する暴力がひどくなった。

1989年6月に佐藤宣行(当時26歳)は小学4年生の女児にいたずらをしようとして逮捕され、懲役1年(執行猶予3年)の刑が下されている。

この判決から1年2ヵ月後に、佐藤宣行は新潟県三条市の路上で、後に発見された下校中の小学生(当時9歳)を刃物で脅して拉致し、自室に監禁した。

犯行の動機は「かわいい女の子で、近くに誰もいなかったから」

監禁から2年は少女の手足を拘束し、食事は1日1回しか与えなかった。

また監禁された2階にはトイレも風呂もなかったため、用を足すときはビニール袋にさせていた。

女性が競馬番組の録画などを命じられて忘れたときなど、佐藤宣行はスタンガンを使い、女性に暴行を加えていた。

恐怖による極限状態の中にいた女性は精神的にも肉体的にも衰弱し、拉致されたときに持っていたノートに家族や自分の名前などを書き続けることで、かろうじて自我を保っていたという。
 
2002年1月22日、新潟地裁は「思春期や青春時代という成長にとってもっとも重要な時期を奪い取られた結果はあまりにも重大である」として、佐藤宣行に懲役14年を言い渡した。

2002年12月10日、東京高裁は一審判決を棄却し、被告人に対して懲役11年の判決を言い渡した。

2003年6月12日、最高裁は二審判決を破棄して一審の懲役14年を支持し、被告人側の控訴を棄却する判決を下した。

懲役14年の刑が確定した佐藤宣行は収監されたが、公判中からどんどん痩せていき、歩行に介助が必要な状態となったため 医療刑務所に移され治療を受けたと伝えられている。
 
 
9歳の小学生女児を誘拐し、9年間にわたり監禁し続けたという事件の異常性もさることながら、この事件で注目されたのは新潟県警の不祥事である。

佐藤宣行が1989年に女児にイタズラしようとして逮捕されたとき、新潟県警は前科者を検索するためのリストに佐藤宣行のデータを記載するのを忘れていた。

このミスがなければ、もっと早くに女性を救出できた可能性があった。

また事件発覚当時、新潟県警は協力を要請されたが対応しなかったにもかかわらず、記者会見では「病院で暴れているとの通報を受けて警官が急行したところ、同行していた女性が行方不明の少女だとわかった」と嘘をついていた。

佐藤宣行の母親が通報して駆けつけたのは保健所職員や精神科医らであって、警官は駆けつけてはいない。

その後この嘘は露呈し、担当者は処分されている。
 
 
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