【練馬一家5人殺害事件】朝倉幸治郎元死刑囚と白石隆浩の類似点

練馬一家5人殺し 朝倉幸治郎
 
1983年(昭和58年)6月28日午後3時半頃、朝倉幸治郎(当時48歳)は東京・練馬区大泉学園町6丁目の白井明さん(当時45歳)宅を訪ねた。

朝倉幸治郎は不動産鑑定士だが、その傍らで不動産ブローカーも営んでいた。

訪れた白井さん宅は、朝倉幸治郎が競売により落札した物件であるが、白井さん一家がなかなか立ち退こうとしない。

白井さんには義父の借金のせいで自宅を競売にかけられたいきさつがあったので、できるだけ引渡しを延ばしたい事情があったという。

しかし、朝倉幸治郎にすれば、落札するときに億の借金をしているのだから、引渡しが延びれば延びるほど、金利もかさむし、白井さん一家が出て行った後の引渡し先の期限も決まっていた。

家の引渡しがずるずると延びれば、朝倉幸治郎は金利だけでなく、引渡し先にペナルティを支払わなければならず、ブローカー料も目減りし、最悪の場合は1000万円規模のマイナスになる。

朝倉幸治郎は焦りと怒りがつのり とうとう「よし、決着をつけよう!」ととんでもない決意をする。

決着をつけるためにマサカリ、ハンマー、包丁、ノコギリを用意・・・「決着」とは、問答無用で一家を皆殺しにすることだったのである。
 


 

白井さん宅を訪問し、まず玄関を開けた白井さんの妻(当時41歳)をハンマーで撲殺した。

次いで次男(1歳)を撲殺。三女(3歳)を絞殺。

1時間後に帰宅した小学生の次女も絞殺し、4人の遺体とともに会社員の帰宅を待った。

午後9時半過ぎに白井さんが帰宅。

惨殺風景を目の当たりにしてたじろぐ白井さんに、朝倉幸治郎は説教したという。

今回の不動産取引でいかに白井さんが理不尽な振る舞いをし、それによって自分がどれだけの不利益を被ったのか。

正しいのはどちらかは誰でもわかることだ・・・とモンスターは自分の正当性を主張。

そして説教の後、朝倉幸治郎は白井さんに当て身を見舞いし、失神させたうえでマサカリで切りつけて失血死させたあと、風呂場で遺体をバラバラにした。

6人家族のうち5人が殺害され、唯一、林間学校に行っていた当時11歳の長女だけが凶刃から逃れた。
 
 
翌日、白井さん宅に昨日から何度電話してもつながらないことに不安を覚えた親戚が、白井さんの隣人に「様子を見てほしい」と依頼した。

隣人が見に行くと、白井さん宅に不審な男がいるので警察に通報し、かけつけた警官が白井さん宅を訪れて朝倉に問いかけた。

警官
何をしているんですか?
この家の人は?
朝倉幸治郎
5人を殺したところです

まさか…と思った警官が家の中に入ると、室内は整然としている(5人を惨殺した後、朝倉幸治郎は家の中の掃除をしていた)

しかし、警官が風呂場を覗いたとき、そこには・・・。
 
 
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現行犯逮捕された朝倉幸治郎は、犯行にいたる経過から動機、殺害の状況まですらすらと、そして淡々と供述した。

朝倉幸治郎
自分は正常です。
一貫して心境に変化はありません。
 
白井明は骨まで粉々にしてやった。
妻と子どもを殺したのは、かわいそうだったと思います。
 


  

朝倉幸治郎は秋田県出身。

父親はテキ屋の組長だったが その後会社経営に転じた。

息子の幸治郎は勤勉・実直型だと思った父親は息子を日大法学部に進学させ、大学卒業後に父親の会社の専務を務めさせた。

朝倉幸治郎は父親の思うとおり勤勉・実直に仕事に取り組んでいたが、一方で朝倉幸治郎の実弟は 部下や取引先を引っ張りまわす豪放型。

2人は父親の死後に遺産を巡って対立し、朝倉幸治郎は実弟の顔を切りつけて片目を失明させる凶行に及び、殺人未遂で懲役3年の実刑を受けた。

弟への殺人未遂罪で服役し出所した後、朝倉幸治郎は不動産鑑定士の資格を取得し、不動産ブローカーとして独立した。

ところが不動産取引のつまづきから一家5人殺しの凶行に走ったのだ。

数々の殺人現場の場数を踏んだ刑事さえ絶句する地獄絵図は「この男には人の血が流れているのか!?」と思わずにはいられないほどのレベルである。

朝倉幸治郎の狂気は当人にしかわからない激情の噴出であり、常人には理解できないレベルでもあると思う。

朝倉幸治郎の凶行は凄惨過ぎるためここには詳述しないが、朝倉は現場に肉挽き機を持ち込んでいた…とだけ付け加えておく。

そんなこともあって、この事件を思い起こすとき、どうしても座間事件の白石隆浩を思い浮かべてしまうのだ。
 
 
朝倉幸治郎被告に対する一審・東京地裁の判決は死刑。

東京高裁は一審判決を支持して控訴が棄却され、1996年11月14日、最高裁が上告を棄却し、朝倉幸治郎被告に死刑判決が確定した。

それにしても、拘置所内での朝倉幸治郎は、とても人を殺したとは思えないほど模範的な死刑囚だったという。

東京拘置所で朝倉と10年近く房を並べた澤地和夫・元死刑囚(山中湖連続殺人事件)は朝倉の態度を「尋常ではなかった」と書いている。

獄中仲間が見ていて嫌になるほどの、丁寧というのか、謙虚なというのか、とにかく、その昔の一般庶民が代官様に対して腰をかがめて口をきいた、あの調子でいつもいつも「ありがとうございました」と大きな声でお礼を述べるのです。

澤地和夫・元死刑囚は、朝倉幸治郎・元死刑囚がそういう謙虚な姿勢を見せることで自身の執行が避けられるのではないかと本気で信じていたとしか考えられないとまで言っている。

しかし、再審請求もしていなかった朝倉死刑囚は、同時期に死刑が確定した死刑囚の中では最も早く「お迎え」が来た死刑囚となった(それでも執行まで5年かかっているが)

2001年12月27日、朝倉幸治郎・元死刑囚は東京拘置所で死刑が執行された。

66歳没。
 
 
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