中村泰(なかむらひろし)国松警察庁長官狙撃事件 犯人説!オウム真理教を壊滅させようとした男の正義とは!?

中村泰 長官狙撃事件

2010年3月30日、国松警察庁長官狙撃事件の時効成立

2010年(平成22年)3月、国松長官狙撃事件は未解決のまま、時効が成立しました。

時効の記者会見で警視庁公安部は「オウム真理教による組織的テロである」と決めつけていましたが、結局実行犯の特定もできなければ、真相も闇の中。

終始オウムにこだわり続ける公安部と、中村泰容疑者の捜査を求める刑事部の溝はとうとう埋まることなく、時効の日を迎えてしまったのでした。

組織の対立は想像できないほど根深いものなんだろうな…と感じずにはいられないです。

長官狙撃事件の特捜本部のひとつ屋根の下に公安部の「オウム・k捜査班」と刑事部の「中村捜査班」が同居し、並行して捜査が進められるという異様な状態が続いていたなんて。

両者ともに独自の正義を追い続けて、お互いに譲らず妥協せずの結果が迷宮入りというのは残念すぎます。
 
 
スポンサーリンク



 
 

1995年3月30日、国松警察庁長官狙撃事件発生!

国松孝次警察庁長官狙撃事件の殺人未遂事件につき、東京地方検察庁に書類送検を送ったので、その内容を発表する。

事件は、被疑者不詳の指示役が警察庁長官の殺害をもくろみ、計画、立案。

被疑者不詳の指示役に命じて実行させたものである。

この指揮役の指示の下、被疑者不詳の数名が現場支援役となり、被疑者不詳の実行犯が殺害目的で、東京都荒川区南千住6丁目アクロシティEポート通用口付近において、出勤途上の国松長官を狙撃した。

狙撃犯は銃弾4発を発射し、うち3発を被害者国松に被弾させたが、腹部銃創、出血性ショック等による全治1年6ヶ月の重傷を負わせるにとどまり、殺害の目的は遂げなかった。

日本の治安を守る警察のトップが突然狙撃された前代未聞の出来事。

1995年3月30日、第16代警察庁長官・國松孝次(くにまつたかじ)氏が3発の銃弾を浴びた「国松長官狙撃事件」

犯人はマンションの通用口から秘書と一緒に出てきた国松長官を20メートル離れたところから正確に射抜いた凄腕スナイパーです。

犯行現場は東京都荒川区南千住の、隅田川沿いに建つウォーターフロント“億ション”アクロシティ。

この警察トップの総指揮官の狙撃を公安は「権力に対する徹底抗戦」と受け止め、警察の威信をかけた大捜査が始まりました。

彼らが真っ先に疑いの目を向けたのは麻原彰晃(松本智津夫死刑囚)を教祖とする宗教団体「オウム真理教」でした。

なぜなら、長官狙撃事件の10日前(1995年3月20日) ラッシュ時間の地下鉄に毒ガスがまかれ、13人が死亡し約6300人が負傷した「地下鉄サリン事件」が発生していて、これがオウム真理教の仕業だと断定していましたし、その2日後には、オウム真理教教団への強制捜査が行われましたが、この強制捜査に踏み切ったのが国松長官だったからです。

さらに国松長官が狙撃された1時間後に、某テレビ局に1本の脅迫電話が入ったのです。

謎の人物
オウムに対する捜査をやめなければ、ほかにも怪我人が出る

これらのことから警察は、この事件にオウム真理教が絡んでいることが考えられると判断し、警察の威信をかけた徹底調査を開始しました。

ところが事件の展開は思わぬ方向へ向かっていったのです。

「私が国松長官を撃ちました」という人物が二人も現れたのです。

この事件にはほかにもいくつかの犯人説があるのですが、個人的にはやはり警察庁長官を撃った男 (新潮文庫)がいちばん信憑性が高いと感じたので、この記事もその筋立てを中心に紹介していきます。

引用元:アンビリバボー(フジテレビ)  警察庁長官を撃った男 (新潮文庫)

公安部主導の捜査開始

スナイパーの3発の銃弾を受けた国松長官は 日本医科大学付属病院に担ぎ込まれ、すぐさま緊急手術が執り行われました。

このときに国松長官が受けた輸血量は10リットル・・・これは成人男性の全血液量の2倍相当です。

8時間を要した大手術中、国松長官は何度も死線をさまよい、彼の心臓は何度か停止し、心臓に電流を流す電気的除細動という措置が6回も行われたそうです。

これほどの瀕死の重傷を負ったものの、国松長官は奇跡的に一命を取り留めました。

これは奇跡としか言いようがないですね、よかった!

国松長官狙撃事件の特別捜査本部が置かれたのは南千住警察署でした。

こういう事件は本来なら殺人捜査を行う刑事部・捜査一課が担当するものですが、当時刑事部は地下鉄サリン事件やオウム関連施設への強制捜査にいっぱいいっぱいで、捜査員はすべてフル稼働状態の日々でした。

そのため国松長官狙撃事件の特捜本部を主導することになったのが公安部でした。

刑事部と公安部の違いは何か?

刑事部は、聞き込みや物証を基に犯人を捜査するのに対し、公安部は反社会的な思想を持つ人物や団体を調べて犯罪を未然に防ぐのが仕事です。

同じように見えて、捜査方法は全く違います。

公安の場合は怪しいとみられる人や団体の行動を徹底的に監視するのですから、刑事部と比べると捜査がピンポイントなんですね。

そしてこの時に公安部が目を付けたのが「オウム真理教」だったのです。

最初、国松長官狙撃事件が起こったとき、どのように思いましたか?

当時捜査にあたった元公安捜査員
地下鉄サリン事件や、その前年の松本サリン事件、そのほかにも全国各地でオウムと住民とのトラブルが起こっていた。

だからこの事件はオウムによる捜査のかく乱を狙った組織的な犯行ではないかと思いました。

最初公安では、どのような捜査を行っていましたか?

当時捜査にあたった元公安捜査員
オウムの在家信徒や元・出家信徒に面接を行いました。

そしてその人物が、麻原彰晃の信頼を勝ち得ているかどうか。

あるいは犯人の潜伏先に直結するような情報を持っているかどうかなど、さまざまな捜査をしました。

公安部は実行犯の残した痕跡を探すために、徹底した現場検証を行いました。

そして、犯人の遺留品と思われるものを2つ発見。

ひとつは人民軍記章・・・北朝鮮の軍人が身に着けるバッジ。

もうひとつは韓国のウォン硬貨。

さらに国松長官の体内に残っていた銃弾から、弾は火薬量が多く、先端が丸くカットされたタイプであり、使用された銃はコルト社製バイソンであることが判明。

マンションの住人の中に一人だけ、長官が狙撃の瞬間を目撃した人がいました。

女性は当時、犯人から80メートルほど離れたマンションに住んでいました。

目撃住人
ベランダに置いてあるネギを取りに行ったんです。

そうしたら音がして、その方向を見たら、目の前にピストルをかまえて撃っている姿が見えたんです。

テレビの制作現場になったのかなとしか思わなかったです。

犯人の動きが非常にスマートな印象を受けました。

慣れた感じがあったので、映画を見ているようだった・・・私にはそう見えました。

逃走する犯人を見たという人たちの目撃情報によると、国松長官を狙撃した犯人は自転車に乗り、アクロシティの敷地内を大通りに向かって走り去り、犯人は身長170センチ以上、年齢は20~30代だったといいます。

犯人像が絞られていく中で公安部が一番重要視したのは、やはりオウム信者への取り調べでしたが、犯人に結び付く特定の証拠が挙がらず、捜査は難航しました。
 
 
スポンサーリンク



 
 

1996年10月14日、衝撃の告発!長官狙撃犯はオウム信者の警視庁警察官

有力な証拠があがらず、捜査が行き詰ったと思われていた1年半後、公安捜査員さえも驚愕する事態が起こりました。

1996年10月14日、マスコミ各社に匿名の告発文が送られました。

その内容が衝撃的だったのです。

■国松警察庁長官狙撃の犯人は警視庁警察官(オーム信者)

■すでに犯行を自供している。しかし、警視庁と警察庁最高幹部の命令により捜査は凍結され、隠蔽されている。

犯人は公安の現役警察官K(元巡査長)である。

警視庁内部にオウムに精通している警察官がいて、捜査状況などの情報漏えいをしていたことが発覚したのです。

k元巡査長の生い立ち

k元巡査長は1965年(昭和40年)5月、静岡県榛原郡相良町生まれ。

地元の高校を卒業後、東京の専門学校電子科に進学。

1987年3月に警視庁の警察官に採用され、警視庁警察学校に入校し、翌1988年に研修を終了し、警視庁元富士警察署に配属され、交番勤務についています。

そしてこの年にオウム真理教へ入信。

入信のきっかけは 体が弱いので健康のためにヨガをやろうと思ったことでした。

1995年3月には同署の警備課の公安係員をしていて、地下鉄サリン事件などの捜査にも当たっており、地下鉄サリン事件発生時には地下鉄丸ノ内線・本郷三丁目駅に出動し、ここでk元巡査長自身も軽いサリン中毒にかかり、通院治療を受けています。

この後築地警察署の地下鉄サリン事件の特捜本部に応援部隊として派遣され、被害者に聞き取り調査を行っていました。

k巡査長は教団が起こした大事件のど真ん中にいて捜査に当たりつつも、その情報をオウム真理教教団に洩らしていたのです。

捜査の過程でk巡査長がオウムの在家信者であることが判明し、警視庁が身辺調査をし、本人に事情聴取を行い、kは4月21日付で捜査部門から外されています。

k元巡査長はオウムの諜報省大臣だった井上嘉浩と定期的に連絡を取り合っていたこともわかっているのですが、これらの情報漏えいが発覚したにもかかわらず、すぐに懲戒免職にされることはありませんでした。

彼は江東運転免許試験場に左遷されただけで、この時点では地方公務員法違反で立件されることもなく、情報漏えいの調査内容も封印されてしまっていたのです。

なぜ封印されたのか?

正式に処分されるとなれば、マスコミに発表しなくてはならない。

また当時は微罪であっても、オウム信者を次々と検挙していた中で 警視庁内にオウム信者がいて地下鉄サリン事件捜査に携わり、情報を洩らしていたことが露見したりしたら、警視庁は激しい非難にさらされることになる。

その責任はk元巡査長の上司のみならず、警視庁のトップにまで及ぶことになる。

それを避けたくてk巡査長を処分せずに放置した可能性が高かった、警察が身内の犯罪を隠そうとした!?のかもしれません。

その後も捜査員はK元巡査長の事情聴取を秘密裏に行っていたところ、1996年5月、k元巡査長は自白。

k元巡査長
自分が長官を撃ったような記憶があるんです。

そしてこの衝撃の告発文がマスコミ各社に1996年10月に送り付けられ、発覚したのです。

マスコミは公安幹部に取材を申し込みますが「そんな事実はない」と一笑に付されてしまいます。

報道機関に動きがないことをじれったく思ったのか、告発文の投書の主は 第二の告発文を送り付けます。

今度はマスコミだけでなく東京地検や、公安部以外の警察庁・警視庁幹部に宛てて。

これにより警察内部は大騒動になり、前回の取材で「そんな事実はない」と全否定した公安幹部は、事実の存在を認めるほかはありませんでした。

k元巡査長の供述内容

1995年3月30日(国松長官狙撃事件当日)

国松長官が住むアクロシティに近い某駐車場で、「救済」という大義の元、k巡査長は教団幹部から狙撃を指示された。

雨の中 自転車をアクロシティまで走らせ、国松長官が出てくるのを待っていた。

「あとはお願いします」と言って教団幹部は立ち去ったが、その時に捜査をかく乱するため、植え込みの近くにバッジ(人民軍記章)とコインを置いた。

そして犯行に及んだ。

翌日、k巡査長は神田川に拳銃を投げ捨てて、その時着ていたコートはクリーニングに出した。
 
 

この供述を受けて特捜本部は 神田川で拳銃を捜索したのですが、2か月近く捜索を続けたにもかかわらず、凶器の獣は発見されませんでした。

警視庁は情報漏えいをしていた巡査長を懲戒免職にする一方で、取り調べは続けていました。

取調官
警察官だから銃の扱いは知っているにしても、よく21メートルも離れた位置から正確に狙撃できたなあ。
k巡査長
事件の前日に、練習しましたから
取調官
練習?どこで?
k巡査長
霞が関界隈から車で30分ほど走ったあたりに、野球場が3面か4面ある河川敷があります。

そこに看板が立っていたので、それを狙い、射撃訓練を行いました。

帰り際に看板をよく見ると「自動車のドアはロックしてください」と書いてありました

後日、特捜本部はその河川敷をつきとめ、看板を特定したのですが、そこには銃弾の痕などありませんでした。

それどころかその看板は、長官狙撃事件が起こった1年後に設置されたものだと判明したのです。

つまり、「自分が国松長官を狙撃した」というk巡査長の供述の裏付けは取れなかったのです。

また、k巡査長が共犯として名指ししたほかの信者は、地下鉄サリン事件の関与は認めても、国松長官狙撃事件の犯行は一貫して否認していました。

長官狙撃事件の犯人だと思っていたk巡査長に対する決定的証拠が得られず、捜査は完全に行き詰っていましたが、このあとまた信じられない急展開が起こります。
 
 
スポンサーリンク



 

2002年11月22日、名古屋・現金輸送車襲撃事件

2002年11月、愛知県名古屋市のUFJ銀行押切支店で、現金輸送車襲撃事件が起こりました。

かつらをかぶって変装していた犯人を確保してみると老人だったのです。

その犯人は何を訊かれても黙秘するため 名前も年齢も全く分からなかったのですが、指紋の照合でこの男に前科があることがわかりました。

中村泰(なかむらひろし) 当時72歳

46年前の1956年、東京・吉祥寺で警察官から職務質問を受けた中村泰は警察官を射殺していました。

そして無期懲役の刑を受けたものの20年くらいの獄中生活を千葉刑務所で送った後に出所。

それ以降の彼の足取りが全くつかめなかったのです。

三重県名張市に中村泰のアジト

中村泰は相変わらず黙秘を続けるので捜査は進みませんでしたが、愛知県警が地道に捜査を続けていく中で、中村の身辺を知る鍵となる人物が浮上してきました。

大坂で経営コンサルタントをしていたSという男はかつて殺人事件を起こし、中村と同じ刑務所に入っていたことがあるため、その後も中村と交流があった模様。

警察はSを探し出し接触し、中村泰のアジトを突き止めることに成功・・・三重県名張市にアジトがありました。

2003年7月、名張市の中村泰のアジトの家宅捜索をしてみると、偽名パスポート、偽造運転免許証、偽造指紋、防毒マスク、防弾チョッキなどが出てきました。

さらに中村泰が借りていた銀行の貸金庫の中からは16丁の拳銃、ライフル、手りゅう弾など、さまざまな銃器類が保管されていました。

中村泰は銃器への異常な執着を見せていたため、銃が使用された未解決の重大事件との関連なども捜査も行われました。

例えば 中村は1995年に発生した「八王子スーパーナンペイ殺人事件」への関連性も疑われましたが、内定調査の結果、中村にはアリバイがあったため、この件はシロと断定されました。

中でも捜査員が最も驚いたのはアジトから見つかった段ボールで、中にあったスクラップブックには国松長官狙撃事件の切り抜きが多数貼られていました。

さらにフロッピーディスクには中村が書いた、狙撃をにおわせるような詩がありました。

これ↓が書かれたのは1995年3月30日(長官狙撃事件当日)

金のためでなく 名を売るためでもなく

恨みもなく 誰にも強いられず

ただ この世のことは今生で片付けよと

内なる声に迫られて

戦いの場に赴いた無名の老鎗客(ろうそうかく)

※老鎗客・・・老いたスナイパー

押収したフロッピーディスク14枚のうち8枚に自作の詩が収められ、900ほどある詩の中で約30編が長官狙撃事件にまつわる内容のものでした。

これを機に、公安部とは別に、警視庁刑事部・捜査一課が長官狙撃事件の中村捜査にひそかに動き始めたのです。
 
 
スポンサーリンク



 
 

中村泰(なかむらひろし)の生い立ち

>>中村泰の画像はこちら

1930年(昭和5年) 東京で、中村泰は三人兄弟の長男として生まれました。

成績が優秀で、複数の外国語を習得し、東京大学の教養学部理科二類に合格。

中村泰の弟
兄は子供のころから変わっていました。

いつも家にいて本ばかり読んでいた。

一言でいえば天才ということ。

勉強しているところを見たことがないのに、学校でいちばんだった。

語学も得意で、英語、中国語、スペイン語が堪能。

ドイツ語やフランス語も少しできる。

人とは理解力が違うんです。

秘密主義者で、親にも知らせず、東大を受験していました。

そしてフラッと家出してしまい、その後自宅に合格通知が来て、皆 東大受験を知ったんです。

東大時代に共産党に入党し、機関誌の活動に関わったり、学生運動で警察と衝突したような話を本人から聞いたことがあります。

via:警察庁長官を撃った男

中村泰は1951年4月にはペニシリンなどの薬品や現金、高級外車の窃盗を重ねて、懲役1年執行猶予3年の判決を受け、中村の親と大学側で話し合いを持ち、結局彼は大学を2年で自主退学しています。

この窃盗も単なるドロボウではなくて、思想的な背景があったようです。

母親が大学教授に会いに行ったときには「ノーベル賞をもらえるような稀有な頭脳の持ち主なのに」と惜しまれたそうです。

その後中村は「世界平和の実現のためには、国を戦争に導く政権首脳を暗殺するのが近道」という思想を抱くようになりました。

心の中に芽生えたゆがんだ正義感の目的を果たすべく、中村は国内でテロ活動を模索し始めたのです。

武器を調達するだけでなく、活動資金を得るために金庫破りなどの犯罪にも手を染めていたといいます。

警官を殺害した前科も、所持していた武器の発覚を恐れての犯行でした。
 
 
スポンサーリンク



 

ジャーナリスト鹿島圭介と中村泰の出会い

鹿島圭介氏(警察庁長官を撃った男の著者)は国松長官狙撃事件とスナイパーの関連を、週刊新潮でどこよりも早く記事にしていたのです。

鹿島圭介
警察の動きを取材すればするほど、警視庁刑事部の捜査一課が中村泰をホシ(犯人)だと思っている状況がわかったので、当時、週刊新潮で記事にしました。

それについて、実際に当事者は何と言うのか?

こちらの取材内容を彼にぶつけて、感触をとろうと思ったんです

そして2003年11月、鹿島さんは名古屋拘置所を訪れ、中村泰に面会をしました。

中村泰
(週刊新潮のスーパーナンペイ事件と中村との関連性を取り上げた記事に対して)

八王子の件はまったく根拠がない。

それなのに私の実名と顔写真をだし、あれだけのことを書いたのは、言葉による暴行ですよ

中村泰
私のことを 長官狙撃事件と結び付けて書いたのは週刊新潮が初めてで、一誌だけですから、そのことについてはスクープとして認めてあげます
鹿島圭介
では、あの記事に書いていたこと。

長官を狙撃したのは自分自身であると認めるのですね?

中村泰
長官狙撃事件の特捜本部にはプロというか、分析できる者がいない。

当事者の立場に立って分析しないと、この事件は理解できません。

私にはそれができる。

鹿島圭介
では長官狙撃事件をご自身の口から・・・
中村泰
長官狙撃事件については 否定も肯定もしません。

刑事部と公安部の捜査は依然平行線のまま

中村泰の犯行を匂わす数々の状況証拠については、刑事部から公安部にも伝えられていました。

しかし公安部は、中村泰を重要な容疑者とは考えていませんでした。

それはなぜなのか?

当時捜査にあたった元公安捜査員
まず、中村泰はオウム信徒ではない、と。

公安部は、容疑者をオウム信者一本に絞っていました。

それに狙撃事件の目撃証言とも、身長・年齢が食い違っていたので、重要な容疑者とは見ていませんでした。

目撃証言によれば、犯人の身長は170センチ以上で、年齢は20~30代。

ところが中村泰の身長は160センチ、年齢は犯行当時65歳・・・まったく食い違っているのです。

ちなみに、k元巡査長は身長が170センチほどで 年齢は事件当時は30才であり、目撃証言に合致していました。

公安部は中村泰に興味を示しませんでしたが 刑事部はその後も彼の取り調べを続けていきました。

刑事部捜査一課
それなら銃刀法違反の捜査から本当に関連性がないかどうか、自分たちが見極めてやる!
 
 
スポンサーリンク



 
 

2004年7月7日(事件から約9年後) k巡査長を含むオウム幹部を再逮捕

公安部の特捜本部は、k元巡査長を含むオウム元幹部ら三人を、長官狙撃事件の殺人未遂容疑で逮捕しました。

1996年にk元巡査長は「実行犯」として挙がっていたにもかかわらず、今回の逮捕では「実行犯の支援役」にすり替えられていました。

じゃあ狙撃の実行犯は誰?と思いますが、逮捕者の中には狙撃の実行犯とされる者がいないというおかしな展開となっていました。

支援役だけを逮捕したけど狙撃役は特定しない・・・そんなあやふやな状況の中で強制捜査に踏み切ったのです。

なぜこんな無謀な逮捕を強行できたのか?

以前には供述の裏が取れずに、k元巡査長の逮捕・起訴することができなかったのですが、今回は事件への関与を裏付ける決定的な物証があがっていました。

それは射撃残渣(しゃげきざんさ)…発砲の際に銃弾から出るごく微量の火薬や金属成分。

k元巡査長が犯行当時に着ていたコートから射撃残渣(火薬成分)が検出されたのです。

コートの裾に、拳銃発射時に飛び散った火花でできる溶解穴があり、そこに微物成分が付着していることがわかりました。

しかもその成分は事件直後の発砲現場の壁から採取されていた射撃残渣のサンプルと一致したというのです。

そこから、事件当日に犯行現場にいて長官を狙撃したのはk元巡査長であるという裏付けとされたのです。

事件発覚から9年、ついに国松長官狙撃事件に終止符が打たれるという まさにその時。

中村泰
とんでもないことを!

これは完全な誤認逮捕ですよ。

今後公安部はどうするつもりでしょうか。

当然起訴はできず 決着がつけられないですよ。

取調官
どういうことだ?
中村泰
彼は犯人じゃないということです。
取調官
じゃあ、長官を撃ったのはお前だと認めるんだな?
中村泰
そのことについては否定も肯定もしません。

ここまで言っておきながら、中村泰は狙撃事件の関与について、相変わらず具体的に証言をしないのです。

中村
では、刑事部長さんたちが安心できるようにしてあげましょう。

私は事件の2日前(1995年3月28日) あの現場に行きました。

あの日は風の強い日でした。

おかしいなと思いました。

その日、長官の車のナンバーが変わっていたんです。

迎えに来る車が黒い日産プレジデントであることは変わりありませんが、ナンバーが違っていました。

調べてごらんなさい。

それともうひとつ。

この日、長官宅を二人の男が訪ねています。

私服でしたが、おそらく警察の人間でしょう。

それから長官宅の集合ポストには「国松」としか書かれていませんが、オートロックのドアの中に入り、●階までいくと、自室の扉には「国松孝次」とフルネームの表札が出ています。

後日、中村泰の証言に間違いなかったことが判明しました。

少なくとも事件の2日前に犯行現場にいたことは事実で、これは明らかに「秘密の暴露」になる証言でした。
 
 
スポンサーリンク



 
 

2004年9月17日 k巡査長を含むオウム幹部が不起訴に

逮捕から2か月後、k元巡査長らオウム真理教関係者・三人が長官狙撃事件で不起訴となりました。

理由は嫌疑不十分。

他にも逮捕されていたオウム信者たちも、国松長官狙撃事件については完全に否定していました。

確かに当時の最新鋭技術によって、k元巡査長のコートからは射撃残渣は検出されていたのは事実です。

でもあまりにもサンプルが微量だったために 壁から検出された射撃残渣と完全に一致したと断定できなかった可能性が高かったのです。

オウム真理教問題に詳しいジャーナリストの江川紹子さんは 国松長官狙撃事件について こう言っています。

江川紹子
私が、これはオウムの犯行ではないのではないかと思ったのは、オウムの犯罪の特色とちょっと違ったんです。

オウム犯罪は基本的に凶器が手作りなんです。

最初にテロを考えたときも、生物兵器を時間をかけて作ろうとするわけで、それで失敗して化学兵器を作る。

ところが今回の事件は既製の銃で行われているのが、オウムの犯罪とはずいぶん違います。

k元巡査長の嫌疑が薄れる中、それでも公安部はオウム真理教の中に犯人がいないか徹底捜査を続けており、有力な情報が得られないまま、時間だけが刻々と過ぎていきました。

2008年3月(事件から13年) 中村泰が長官狙撃を自白!

国松長官狙撃事件の時効まであと2年と迫った2008年3月。

中村泰は突然、刑事部の人間に衝撃の告白をします。

中村泰
私が長官を撃ちました。

「否定も肯定もしない」と言っていた中村泰が、ついに犯行を認めたのです。

1995年3月30日に犯行現場に到着した中村泰は、捜査をかく乱するために北朝鮮人民軍のバッジを足元に置き、エントランスホールに向かってウォン硬貨を投げたと中村は言いました。

そして物陰から長官に向けて銃を構えた・・・長官との距離は約21メートル。

中村泰
1発目は長官の背中に命中しました。

長官が地面に倒れ込む寸前に、2発目を撃ちこみました。

秘書官が長官に覆いかぶさったので、3発目はかろうじて露出していた長官の右足の付け根あたりを狙いました。

4発目を浴びせようとは思いませんでした。

しかし、私服警官が視界に入ったので、追撃を防ぐために威嚇射撃を行いました

それから止めておいた自転車に飛び乗り、猛然と現場を後にしたといいます。

取調官
逃走用に使った自転車は、その後どうしたんだ?
中村泰
マンションから出て数百メートルほどのところにある喫茶店のわきに乗り捨てました。

中村泰は自転車を止めるとき、スタンドを使わず、立てかけたままにしていったというのです。

それにしても、なぜ中村泰は突然犯行を認めたりしたのだろうか?

鹿島圭介
本人にとってはメモリアルな事件で、それまではこのまま墓場まで持っていくと、歴史には残さないと思っていたが、k元巡査長の犯行説が出たことで、横取りされるような悔しさがあったようです。

それで時効が迫る中で長官狙撃事件と自分との関係をどこかで誇示したいという思いがあったと思います。

 
 
スポンサーリンク



 
 

国松警察庁長官狙撃事件の犯人しか知りえない「秘密の暴露」とは?

アクロシティから600メートル離れたところに、中村泰が自転車を乗り捨てたという喫茶店があります。

そこに自転車がとめられることは珍しくはないのですが、自転車はどれもスタンドを立てて止められているものです。

ところが中村は自転車をスタンドを立てずに、建物に立てかけて放置して去りました。

また、中村が放ったウォン硬貨。

当時のテレビや新聞の報道では、コインは人民軍のバッジと一緒に植え込み近くに落ちていた…とされています。

でも実際にはバッジとコインは別々のところ・・・コインはマンションのエントランスに落ちていたのです。

植え込みに置かれていたとしか報道されていなかった遺留品の正確な場所を、中村泰は供述しています。

■事件2日前の供述

■ウォン硬貨の遺留地点

■放置自転車の遺棄状況

これらが実行犯しか知りえない「秘密の暴露」だったのです。

これらを知りえた中村泰が長官狙撃事件の実行犯だと思うのは、当然の成り行きだったでしょう。

私もこの説が真実なのだと思っています。

中村泰の犯行動機。中村はなぜ国松長官を撃ったのか?

中村泰
国松長官は、ある種「犠牲」だったんです。

オウムから日本を守るための、やむを得ない犠牲だったんです。

中村泰がこう考えるきっかけは、地下鉄サリン事件9か月前の松本サリン事件が発端となっています。

1994年長野県松本市の住宅街でサリンがまかれ、多くの人たちが命を失った松本サリン事件。

当時の警察は住民の一人に容疑者としての目を向けていたため、オウム真理教をこれと結びつけることがありませんでした。

その半年後、山梨のオウム教団施設付近からサリン残留物が検出されたとき、中村は「松本サリン事件はオウムの仕業である」と確信したといいます。

それにもかかわらず、なぜ警察はオウム真理教への強制捜査を行わないのか?と危機感を募らせた中村はこう考えました。

中村泰
このままでは一般市民がさらに犠牲になるかもしれない。

自分が何とかしなければ!

中村泰
一時は自分がオウムを壊滅させようと思いましたが、到底太刀打ちできないほど、オウム真理教は巨大化していました。

教団の壊滅は個人ではどうにかできる問題ではないと考えていたときに 警察によるオウムの強制捜査が始まったため、中村はそれに期待をかけていたらしいのです。

ところが再び悲劇が起きてしまいました・・・それが 地下鉄サリン事件です。

松本サリン事件で強制捜査を行っていれば、地下鉄サリン事件は未然に防げたのではないか?

そう考えたとき、中村泰はある作戦を思いつきました。

中村泰
1発の銃弾で歴史を変えようと思ったんです。

今このタイミングで警察のトップを暗殺すれば、時節柄、オウムの仕業だと思いこむ。

しかも警察の幹部連中は「次に狙われるのは自分だ」と危機感を持ち、躍起になってオウム制圧に動くはずです。

鹿島圭介
だから長官を狙った・・・
中村泰
日本の平和を守るには、彼に犠牲になってもらうしかなかったんです。

当時の警察はオウムの強制捜査に入っていましたが、彼らがオウムを壊滅させるほどの危機感があるとは、中村には思えなかったのです。

それで中村自身が何とか警察を奮起させ、教団をつぶす作戦はないものか?と真剣に考えたのです。
 
 
スポンサーリンク



 
 

中村泰の供述と公安部の実況見分の矛盾点

中村は刑事部の取り調べではこう語っていました。

中村泰
私服警官が視界に入ったので、追撃を防ぐために、威嚇射撃を行った

しかし公安部の実況見分では、この時、銃声を聞いた護衛の私服警官は、慌てて長官のところへ駆けつけるも、間に合ってはいなかったのです。

国松警察庁長官狙撃事件で使われたレアで入手困難な凶器を洗い出せ!

実況見分との矛盾から供述と信憑性が揺らぐ中、刑事部は狙撃事件の凶器の洗い出しに精力を注いでいました。

凶器の拳銃はコルト社製パイソンで、銃弾はナイクラッド弾。

実はコルトパイソンはそう簡単に手に入る銃ではないのです。

津田哲也(銃器ジャーナリスト)
日本国内で選べる銃の中では、バイソンは最大限に殺害に向いた銃であった可能性があります。

ただし、一般市民ではほとんど手に入らないものですから、日本国内で拳銃を入手するのは困難を極めます。

また「ナイクラッド弾」はかなり特殊な縦断でした。

通常の銃弾は先端がとがっているため身体を直線的に貫通します。

ところがナイクラッド弾は着弾すると先端がマッシュルーム上に潰れることで、内臓にかなりのダメージを与える殺傷能力が高く、レアで入手するのが非常に困難でした。

それらの凶器について、中村泰は鹿島圭介氏との手紙の中で、拳銃と銃弾の入手ルートを明かしています。

■テルオ・コバヤシの名義で アメリカのウェザビーという銃砲店で コルトパイソンを購入した

■ナイクラッド弾は ガンショー(銃の展示会)で購入し、モリオ・アマノという名義で A-Americanという貸倉庫に保管していた

その後 銃はバラバラに分解し、バッテリー充電器などに隠して輸入し、日本で再び組み立てていました。

銃弾も同様に、様々な機械に隠して、国内に持ち込んでいました。

長官狙撃事件で使われた凶器は、事件の2週間後に、銃や実弾を伊豆大島に行く船から海に捨てたと、中村は供述しています。

当時の警察の捜査でも■昭和62年9月18日に ■テルオ・コバヤシという顧客に ■コルトパイソンを ■ウェザビー社が販売した・・・という裏付けがとられていました。

ナイクラッド弾については、中村は現金輸送車襲撃事件で逮捕されていたために貸倉庫の賃料が払えなかったため、すべて処分されてしまっていて、中村が銃弾を保管していたという証拠が挙げられませんでした。

ところが

鹿島圭介
中村泰は複数の偽名を使っていました。

その中で、モリオ・アマノという名義で、アメリカ・ロサンゼルスで貸倉庫を借りていたんです。

そこの社員たちが、中村の荷物を撤去したとき、中に入っていたもののメモを取っていたんですが、その中にナイクラッド・ネイビー・ブルー●発という表記があったんです。

長官狙撃事件の時の目撃証言と中村の風貌は異なっていたものの、当時の刑事部は中村泰がテルオ・コバヤシ名義でウェザビー社からコルト・バイソンを手に入れていた事実の裏付けをとっていたのは事実です。

にもかかわらず、捜査員の努力むなしく、中村泰犯行説の捜査が進展していくことはなかったのです。

それなのに それから1年後・・・
 
 
スポンサーリンク



 
 

2010年3月30日、国松警察庁長官狙撃事件の時効成立!事件は迷宮入り

公安部長
警察庁長官狙撃事件について発表します。

平成7年3月30日、警視庁管内で発生した警察庁長官狙撃事件につきましては、本日午前0時をもって時効に至りました。

中村泰は長官狙撃事件で逮捕されることはなく、事件は迷宮入りしてしまったのです。

いったいなぜ長官狙撃事件が時効になってしまったのか?

時効成立の3か月前・・・鹿島圭介氏は公安の主要ポストを務めたことがある元警察幹部と接触して、なぜ中村が逮捕されないのか、直接理由を問いただしたそうです。

鹿島圭介
刑事部は相当な証拠を積み上げています。

私は中村泰が犯人だと確信しています。

これだけの証拠を、現場は苦難の末に集めてきたんです。

それなのに!おかしくないでしょうか?

元警察幹部
君のいうこともわかるよ。

ただな・・・刑事部がどれだけ証拠を積み重ねたとしても、この事件がオウムでゴールすることは決まっているんだ

強制捜査にしろ、書類送検でお茶を濁すにしろ、そのまま時効にしてしまうにしろ、いずれにせよ、事件はオウムの犯行だったという印象を残して、2010年3月30日に最後の日を迎えるんだ。

それで捜査本部は解散となる。

鹿島圭介
どういうことですか?

そんなのおかしいですよ!

元警察幹部
おかしいと思わないのが上の連中だ。

威信をかけて捜査してきたのは、刑事部だけじゃない!

公安部もオウムの犯行だと信じて捜査してきたんだ。

みんな死ぬ気で捜査してきたんだよ

長官狙撃事件をオウムで立件するためには、公安は中村泰の容疑を断じて認めるわけにはいきませんでした。

公安上層部は中村泰の捜査をそれ以上進めることは認めない・・・つまり切り捨てることにしたのでしょう。

元警察庁長官・国松孝次さんの現在は!?

救急現場へいちはやく向かい、患者に医療行為を行うドクターヘリ。

ドクターヘリの普及推進活動をしているNPO法人「救急ヘリ病院ネットワーク」会長、國松孝次さん。

お名前を聞いて、日本中が震撼した、警察庁長官時代に遭遇した卑劣な狙撃事件を思い出す方も多いことでしょう。

國松さんは奇跡的に一命を取り留め、わずか2か月後には公務に復帰。

救急体制が産んだ奇跡ということで、誰よりも身をもって救急医療の必要性を体験された國松さんは、命の恩人でもある医療スタッフからの要望もあり、2003年に現在の団体の理事長に就任。

ドクターヘリの機動性の肝は、搬送もそうですが、いち早い医療行為です。

ドクターヘリにはさまざまな医療設備を常備してあります。

とにかく現場に急行し、すぐさま医療行為を施し搬送するのがドクターヘリです。

via:くにまるジャパン

国松元長官は現在、ドクターヘリの普及推進活動をされています。
 
 
スポンサーリンク



 
 

立件できないのにオウムを名指し・・・法治国家にあるまじき行為!?

時効の翌日から30日間、警視庁はHPに「警察庁長官狙撃事件の捜査結果概要」を掲げました。

その結論に記されていたのは、時効会見でも語られたとおりの内容でした。

公安部長
この事件はオウム真理教の信者グループが、教祖の意思のもとに、組織的計画的に敢行したテロであったと警察は認めました。

これは異例の会見で、物議をかもしました。

オウム関与の確たる証拠がなく立件もできなかったにもかかわらず、警察が「オウム真理教信者グループ」を名指し・断定したのです。

警察がこんな発表をしたのには、こんな大義名分がありました。

「国民の命を守り、テロの悲劇を二度と繰り返さないため」という正義からだと、会見では語られています。

民事訴訟で警視庁が完敗

しかしこの行為は法治国家にあるまじき行為だ!と、識者や各メディアから批判を浴びました。

翌年、「名誉棄損にあたる」として宗教団体アレフ(オウム真理教が後に改称した団体名)は東京都を相手取り 損害賠償を求める裁判を起こします。

そして「刑事司法制度の基本原則を根底からゆるがすもの」として、アレフの名誉棄損を認定しました。

東京地裁は一審判決で警視庁公安部による捜査結果の公表を「重大な違法性を有する行為」と指摘し、アレフに対して100万円を賠償し、都知事名で謝罪文を出すように命じました。

中村泰(なかむらひろし)の現在は!?

現在87歳になった中村泰は、岐阜刑務所に収監されています。

ちなみにこの狙撃事件は中村泰の単独犯行ではなく、「特別義勇隊(トクギ)」の「ハヤシ」という同志がいたことが警察庁長官を撃った男 で明かされていますので、詳しく知りたい方はそちらをお読みください。(このブログには書いていない関与の警察上層部の役職や実名なども載っています)

国松警察庁長官狙撃事件に導入された捜査員の数は延べ50万人以上・・・にもかかわらず、発生から22年経った今でも、真相は闇に包まれています。

国松警察庁長官狙撃事件という未解決大事件のキーワードは「正義」・・・つまり 容疑者の中村泰も、公安部も、刑事部も、それぞれの正義を貫き通して迷走してしまったのです・・・時に自分たちのメンツのために事実を隠ぺいしながら。

中村は一般市民を巻き込む無差別テロを行ったオウム真理教教団を壊滅させるために 警察トップに鉄槌を下した。

これは確実にゆがんだ思想ですし、目的のために誰かを犠牲にするなんてとんでもない大間違いであることも承知していますが、個人的にはこれもある意味 ひとつの「正義」の形のような気がしないでもないです(爆)

 
スポンサーリンク


        [via]   戦後ニッポン犯罪史   日本凶悪犯罪大全   戦後事件史データファイル   現代殺人事件史   昭和・平成 日本の凶悪犯罪100   殺しの手帖   日本殺人巡礼