宮﨑勤(みやざきつとむ)の真実と最期【東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件】


 

宮﨑勤事件とはなんだったのか?

 
宮崎勤の部屋の大量のビデオ、雑誌、漫画。

今田勇子の犯行声明と告白文。

「犯行は覚めない夢の中でやった」
「ネズミ人間が現れた」
「犯行は死んだ祖父を復活させるための儀式」
「少女の遺体を焼いて食べた」などの奇怪な発言の数々。

通算3回の精神鑑定が行われ、宮﨑勤の一挙手一投足が注目される中、当時のマスコミは戦後の犯罪史上類を見ない劇場型犯罪を大々的に報じたが、精神医学の専門家さえ、彼の本当の姿を知ることはできなかった。
 
 

『衝撃スクープSP 30年目の真実~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯 宮崎勤の肉声~』(フジテレビ)

 


  
2017年10月7日土曜よる9時~放送!
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人、宮崎勤元死刑囚の取り調べ室での「肉声」をフジテレビ報道局が独占公開!
事件から30年目の今年、あの事件の真相は…。
当時の捜査員など関係者への徹底した取材を基に完全実録ドラマ化。
逮捕から自供までのすべて、知られざる刑事たちの戦いが明らかになる。

『30年目の真実 宮崎勤の肉声』公式サイト

「衝撃スクープSP 30年目の真実~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤の肉声」の平均視聴率が11・4%

 

10月7日に放送されたフジテレビ系土曜プレミアム「衝撃スクープSP 30年目の真実~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯・宮崎勤の肉声~」(後9時)の平均視聴率が11・4%を記録したことが10日、分かった。

昭和と平成にかけて世間を震撼させた連続幼女誘拐殺人事件のスクープを放送。

当時の報道映像も使用しながら、ミュージシャンで俳優の金子ノブアキ(36)主演で事件をドキュメンタリードラマ化した。

瞬間最高は午後11時1分、金子演じる刑事が公園で立ち尽くし事件を振り返るドラマのクライマックスシーンで16・8%を記録した。(数字は関東地区、ビデオリサーチ調べ)

 

「創」編集長・篠田博之氏の宮﨑勤ドラマの感想

宮﨑勤

フジテレビと産経新聞がキャンぺーンで報じたのは、その宮崎の逮捕後の取り調べの肉声テープが見つかったというニュースだ。

取調官が保存していたものだが、相当の長時間の肉声テープだった。

10月7日の放送では、そのテープの音声をふんだんに流しながら、宮崎事件についてドラマ仕立てで紹介した。

宮崎と刑事と、テレビレポーターにそれなりの配役をあて、力の入れ具合を示していた。

刑事役の金子ノブアキやレポーター役の秋元才加、宮崎勤役の坂本真など、なかなかの好演だった。

フジテレビに音声テープを提供した元刑事の思いは、逮捕当時の宮崎は、その後の裁判で主張した「ネズミ人間」や「もうひとりの自分」についても語っていなかったし、印象が全く違う、そのことを知ってほしいと考えたのだろう。

だから全体としてのテーマは「どちらの宮崎勤が本当の姿なのか」ということだった。

ニュース番組の方では元刑事たちははっきりと、宮崎の公判での様子は「詐病」だと思うと語っていた。

実は宮崎勤はいまだに、精神病に冒されていたのかそうでないのかはっきりわからないのだ。

元刑事たちは詐病説なのだが、私はそれを否定してきた。

私とて、わずか何回か彼に取材して程度の印象でそう言っているのではない。

12年間つきあってきて、宮崎が全て計算づくで病気を装っていたという見方は明らか無理があると思う。

ただ今回のフジテレビは、全体としてそれについてもバランスがとれていたと思う。

ただ私も、最初に取り調べの肉声テープを聞いた時には、「え?」と驚いた。

私が知っている宮崎とかなり違っていたからだ。

逮捕されて取り調べを受けている局面だから、宮崎自身も必死だったのだろう。

防戦のために次々と刑事の追及に反応する。

そんなふうに次々と言葉を発する宮崎というのは、私には想像もできなかった。

私は相当回数接見しているが、いつも頬杖をついてボーッとしており、反応も「うん」とかポツポツと答えるのみだ。

法廷でもそうだった。

裁判長に質問をされても返事をするまでに間があいて、裁判長からもっと迅速に答えるようにと注意されたほどだ。

刑事たちが宮崎が病気という疑いを全く持たなかったのはある意味では当然かもしれない。

彼らは宮崎から自供を引き出し、その自供によって遺骨などが発見されていくというプロセスだから、事件の背景や宮崎の深層心理を探るといった問題意識はもともとない。

実は今回の肉声も何度か聞いて確認すると、相当おかしな内容が少なくない。

例えば宮崎は、幼女を誘拐した動機について「あくまで理性として、かわいがりたい。そばに置く間は自分の子供であると…」と語り、刑事が「なんで自分の子供がほしいんだ」と畳みかけると「相手にされないから」と答える。

そこで番組では、大人の女性に相手にされないから幼女に手を出した、というわかりやすい解説がなされる。

でもその後、宮崎は「自分で子供を持ちたいと思っているのか」と聞かれ、「はい」と答えている。

告白文の「今田勇子」になりきっているのだ。

よく聞いてみると宮崎の答えはわけがわからないのだ。

でも、刑事は自分なりのストーリーにあてはめて理解していく。両者の応酬はそういう連続だ。
  
宮崎は確かに「ネズミ人間」の話はしていなかったかもしれないが、その後の法廷では、公判で述べたことも取り調べ中に話していたのに刑事が取り合ってくれなかったと証言している。

つまり、宮崎なりに法廷と同じような話をしていたのに、刑事が取り合ってくれなかったというのだ。

私は宮崎の肉声テープを最初に聞いた時、刑事の追及にすぐに反応している宮崎におおいに驚いたものの、内容を考えるとそれが詐病説を裏付けるものとは受け取らなかった。

「宮崎勤とはいったい何者なのか」という問いは、いまだに残されたままなのだ。

「宮崎勤の肉声」は“流失”したものだった!? 警視庁がフジテレビに激怒!?

フジテレビ系で10月7日に放送されたドキュメンタリー特番『衝撃スクープSP 30年目の真実~東京・埼玉連続幼女誘拐殺人犯 宮崎勤の肉声~』

平均視聴率11.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、同局にしては健闘し、視聴者からも「フジを見直すほどの出来だった」などと好評価を得ている。

中でも反響があったのは、番組で初公開された犯人・宮崎勤元死刑囚の肉声だった。

テレビ誌ライター
本人が取り調べに応じる音声で、動機や自供、偽装工作などについて語る内容でした。
肉声を交えたドキュメンタリードラマにはリアリティがあり、不快感を示す視聴者も少なくなかったものの、『フジにしてはしっかりした作りの番組』『フジでこんな良質な実録ドラマが見られるなんて驚き』など、局を評価する声も多数寄せられました。

確かに、近年のフジは低視聴率を連発し、注目を浴びても、「番組内容が炎上した」など、悪いニュースばかり。

それだけに、今回の番組は大成功といえるかもしれないが、実はこの肉声データは取り調べ中の音声が“流出”したもので、警視庁内では番組内容が大問題になっていたという。

テレビ誌ライター
流出させたのは警視庁OBで、退官後すぐに、フジだけでなく、ほかのメディアにも音声を流したそうで、本人もこのことを認めているといいます。
録音データの中で放送に乗ったのは、宮崎死刑囚の声のみで、捜査関係者の音声は再現ドラマで差し替えるという“配慮”こそありましたが、それでも警視庁はフジが全てを知った上で放送したとあって、怒り心頭のようです。
もちろん、そもそもは“身内の不祥事”ではあるんですけどね。

 フジが珍しく大金星を上げたかと思いきや、ミソがついてしまったようだ。

 
 

宮﨑勤事件(東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件) 年譜

19628/21宮﨑勤、誕生
196610月「先天性橈尺骨癒合症」と診断される
19863年間勤めた印刷会社を退職し、9月から家業を手伝う
19885/16入院していた祖父が死去
8/22入間市の今野真理ちゃん(4歳)が行方不明になる
10/3飯能市の吉澤正美ちゃん(7歳)が行方不明になる
12/9川越市の難波絵梨香ちゃん(4歳)が行方不明になる
12/15名栗村の山林内で絵梨香ちゃんの全裸死体が発見される
12/18宮﨑勤が父親に暴行し、大怪我で入院、翌年2月に手術
12/20絵梨香ちゃん宅に「絵梨香 かぜ せき のど 楽 死」と書かれたはがきが届く
19892/6今野真理ちゃん宅前に置かれた段ボール箱から歯や骨、拡大コピー紙片が見つかる
(拡大コピー紙片:真理、骨、焼、証明、鑑定)
2/7狭山署が「骨は真理ちゃんとは別人のもの」と誤発表する
2/10骨は今野真理ちゃんのものだとする今田勇子の犯行声明文が朝日新聞東京本社に届く
2/11同じ犯行声明文が真理ちゃん宅にも届く
3/11今田勇子の告白文が届く
6/6東京・江東区で野本綾子ちゃんが行方不明になる
6/11宮沢湖霊園のトイレ脇で野本綾子ちゃんのバラバラ死体の胴体発見
7/23八王子市内で幼女に対するわいせつ行為で、宮﨑勤が現行犯逮捕される
8/7宮﨑勤がわいせつ容疑で起訴される
8/9野本綾子ちゃんの誘拐殺人を上申書で自供
8/10宮﨑勤の自供に基づき奥多摩町山林から野本綾子ちゃんの頭蓋骨が発見される
8/11警視庁が宮﨑勤を再逮捕し、身柄を深川署へ護送
警視庁と埼玉県警の合同捜査本部設置
8/13宮﨑勤が今野真理ちゃん、難波絵梨香ちゃん誘拐殺人を自供
8/24宮﨑勤が簡易精神鑑定を受ける
9/1東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を警察庁広域重要指定117号事件に指定
9/5宮﨑勤が吉澤正美ちゃん誘拐殺人を自供
9/6宮﨑勤の自供に基づき五日市町の日向峰で吉澤正美ちゃんの遺骨と衣類を発見
9/8埼玉県警が宮﨑勤を今野真理ちゃん事件で逮捕し、身柄を狭山署へ護送
9/13宮﨑勤の自供に基づき今野真理ちゃんの遺骨を五日市町で発見
10/19宮﨑勤の身柄を東京拘置所へ護送
19903/30第1回公判
「幼女の両手は自分で食べた」と陳述
1991.1~1992.3第一次精神鑑定
1993.1~1994.11第二次精神鑑定
199411/21宮﨑勤の父親が多摩川で投身自殺(65歳没)
199610/7第36回公判で死刑求刑
19974/14第38回公判で一審(東京地裁)で死刑判決を言い渡される
即日控訴
20016/28東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却の判決
7/10上告
2004奈良小1女児殺害事件の小林薫容疑者の「第二の宮﨑勤」の発言に対し「精神鑑定も受けずに、“第二の宮﨑勤”は名乗らせません」と批判
20061/17最高裁判所が弁護側の上告を棄却
5/1弁護側は判決訂正を求めたが、再度棄却
20086/17東京拘置所で宮﨑勤の死刑執行。45歳没
 
 

宮﨑勤事件(東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件)概要

宮﨑勤

第1事件~今野真理ちゃん事件

1988年8月22日、午後3時過ぎに今野真理ちゃん(当時4歳)が自宅から外出した。
宮崎元死刑囚は埼玉県入間市の歩道橋で「涼しいところに行かないかい」などと言って真理ちゃんを自動車に乗せて誘拐し、午後6時半頃、五日市町(現あきる野市)の山林で首を締めて殺害した。

同じ頃、真理ちゃんの行方がわからないことから母親が110番通報。
身代金目的誘拐事件の可能性があるとして、その日の夜に所轄の狭山署員が私服に着替えて自宅に秘匿潜入し、脅迫電話に備えて録音機設置するなどしたが、電話はなかった。

翌日、埼玉県警本部から捜査一課員も招集されたが電話はなく、周辺の捜索など行ったものの手掛かりが無かったことから、狭山署内に「入間市春日町内における幼女失踪事案捜査班」を設置、公開捜査に切り替えた。

宮﨑勤事件

宮崎元死刑囚はその頃、遺体の様子をビデオで撮影していた。

第2事件~吉澤正美ちゃん事件

1988年10月3日、午後3時ごろ吉澤正美ちゃん(当時7歳)が行方不明になった。
宮崎元死刑囚は第一の事件と同じように、埼玉県飯能市の路上で正美ちゃんに「道がわからなくなったのでおしえてくれるかい?」などと話し、車に乗せ誘拐。
その後、午後5時ごろ、五日市町の山林で首を締めて殺害した。

午後10時40分、正美ちゃんが帰ってこないことから、父親が110番通報。
今野真理ちゃんとの失踪事件との関連や、身代金目的誘拐事件の可能性があるとして、その日の夜、所轄の飯能署員が私服に着替えて自宅に秘匿潜入し、脅迫電話に備えて録音機設置するなどしたがやはり電話は無かった。

埼玉県警本部から捜査一課も招集されたが、そのまま動きはなく、翌日には今野真理ちゃん事件と同様に捜査班が設置され公開捜査となった。

第3事件~難波絵梨香ちゃん事件

1988年12月9日、午後4時30分ごろ、宮崎元死刑囚は川越市難波絵梨香ちゃん(当時4歳)に「あったかい所によっていかない?」などと言って車に乗せ誘拐した。
名栗村(現飯能市)の県立少年自然の家まで移動し、絵梨香ちゃんを全裸にして写真を撮ったが泣きやまないため、午後7時過ぎ、首を絞めて殺害、その後遺体を山林に捨てた。

遡ること数時間前、母親は絵梨香ちゃんの行方がわからないことから、110番通報をしていた。
埼玉県西部で3人目の行方不明事案ということもあり、今野真理ちゃん、吉澤正美ちゃんの事件と同じく、川越警察署から難波絵梨香ちゃん宅に署員が秘匿潜入、脅迫電話の警戒で録音機を設置したが、連絡は無かった。
埼玉県警は、わずか半年で3人の少女が行方不明となる異常事態に「幼女連続行方不明事案総合対策本部」を設置した。

12月13日、県立少年自然の家の職員が施設付近の河原で絵梨香ちゃんの着衣などを発見。2日後、職員は警察に通報し、警察が秘匿で捜索を開始。
名栗村地内の山林から全裸で手足を縛られた状態の絵梨香ちゃんの遺体を発見し、県警は川越署、飯能署に「難波絵梨香ちゃん誘拐殺人事件合同捜査本部」を設置することとなる。

今田勇子の犯行声明と告白文

宮﨑勤 今田勇子 犯行声明

宮崎元死刑囚は3件の犯行後、真理ちゃんと絵梨香ちゃんの自宅に、本や新聞の文字をコピーしたものを切り取り、「魔がいるわ」や「絵梨香 かぜ せき のど 楽 死」と書かれたはがきを送りつけた。
翌年には、今野真理ちゃんの遺骨を自宅に持ち帰り、裏庭で頭蓋骨を破砕したうえ遺体を焼き、<真理 遺骨 焼 証明 鑑定>と書かれた紙片と遺骨をダンボールにいれて、2月に今野真理ちゃんの家に届けた。
その後2月10日、真理ちゃん事件に関する「今田勇子」の名で犯行声明文が朝日新聞東京本社に届く。

その内容は、常軌を逸したものだった。

【犯行声明】
真理ちゃん宅へ、遺骨入り段ボールを置いたのは、この私です。
この、真理ちゃん一件に関しては、最初から最後まで私一人がしたことです。
私が、ここに、こうして真実を述べるのには、理由があるからです。
まず、あの段ボールに入った骨は、明らかに真理ちゃんの骨です。
その証かしを立てます。
まず、どうやって連れ去ったかを述べましょう…
〈中略〉
あの骨は、本当に真理ちゃんなのですよ。
その翌日、同じ犯行声明文が真理ちゃん宅にも届いた。

真理ちゃんの葬儀が行われた3月11日には、「今田勇子」名の告白文が朝日新聞東京本社と真理ちゃん宅に届く。

【告白文】
御葬式をあげて下さるとのことで、本当に有難うございました。
御陰様で、私の子、共々、やっと「お墓」に葬ってやれることができました。
〈中略〉
私は、神に斗いを挑まなくてはなりません。
神に対し、「15年は捕まりたくない」といウ「願い」をぶっつけて、「私の会いたい子供に私は会いたい」という「望み」を死守するつもりでおります。
人間が、神と斗う術は、それしかありません

15年とは当時の殺人罪の公訴時効である。
世間は騒然とし、メディアも連日報道合戦を繰り返し、宮崎元死刑囚自身も報道を注視していたという。

第4事件~野本綾子ちゃん事件

1989年6月6日午後6時ごろ江東区東雲の団地に住む野本綾子ちゃん(当時5歳)が行方不明に。
宮崎元死刑囚は綾子ちゃんに「写真を撮らせてね」などと話しかけ、これまでと同様に車に乗せ、午後6時20分ごろ、近くの駐車場で首を締めて殺害した。
その後、遺体を自室に運び込んでビデオ撮影するなどして、その2日後、宮崎元死刑囚は自宅で体をノコギリなどで切断。
6月10日に飯能市の霊園や五日市町の山林などに投棄した。

綾子ちゃんの母親は行方不明となった日の夜、交番に届け出た。
警視庁でも、身代金目的誘拐事件の可能性があるとして捜査をしていたが、埼玉の事件との関連も考え、事故と事件の両面で捜査を進める事となった。

6月11日、埼玉県飯能市内にある宮沢湖霊園内の簡易トイレの裏側で首、両手足が切断された幼女の全裸遺体が発見された。
警視庁は、死体が野本綾子ちゃんである可能性が高いとみて捜査にあたり、司法解剖後胃の内容物が直前の昼食内容と一緒で、血液型、右膝下のアザ、死後経過時間、遺族の確認などから死体は野本綾子ちゃんと確認された。

相次ぐ少女の誘拐と遺体の発見に世間は恐怖し、警察はわいせつ事件の被疑者を片っ端から調べるという地道な捜査を続けていくこととなる。

▼▼▼以上は宮﨑勤事件の概要で、この続きと詳細はこちら▼▼▼

宮﨑勤(みやざきつとむ)東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件 (117号事件)

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宮﨑勤の祖父復活の儀式

宮﨑勤が起こした連続幼女誘拐事件は、マスコミの扱いや裁判では 幼女に対するわいせつ目的の誘拐殺人事件で片付けられているが、実際にはそんな単純な事件ではなかったといえる。

最初の幼女誘拐が起こったのは、宮﨑勤の祖父がなくなってから3ヵ月後のことだが、この祖父の死が重要な意味を持っている。

両親が共働きで忙しく、乳幼児の頃から母親の手で育てられてこなかった宮﨑勤にとっては、祖父は特別な存在だった。

宮﨑勤の生い立ちと狂気【東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件】

1988年5月、その祖父が犬の散歩中に脳卒中で倒れ、意識が戻らずそのまま急逝してしまったことは、宮﨑勤にとって衝撃的な体験だった。

祖父の死を受け入れらせず、宮﨑勤はその後も祖父がずっと存在していると思い続けていた。

祖父が荼毘に付されても、棺桶からおじいさんが抜け出してどこかに行ってしまったくらいの感覚しかなかったのだ。

一連の幼女連続誘拐殺人の要因のひとつが、姿を消したおじいさんを復活させるための儀式や捧げものだった。

幼女を殺すたびに祖父復活の儀式を執り行ったと、宮﨑勤は裁判で主張していた。

祖父復活の儀式とは、自宅に藁人形を置いて部屋を暗くし、頭に鉢巻きをして蝋燭を数本付け、黒っぽい服を身に付け手を上げ下げし、祈りながら円の周りを回るというもの。

宮﨑勤の様子が明らかにおかしくなったのは祖父が亡くなってからだと両親とも供述している。

実際には、宮﨑勤は高校が終わる頃から幻聴が聞こえるようになったと言っているので 祖父の死の少し前から精神病質だったのかもしれないが、動物を虐待したり、家族に暴力を振るうような奇行が出始めたのは、祖父が亡くなったあとのこと。

そして1件目の幼女誘拐殺人の今野真理ちゃん事件が起こったのは 祖父の死からわずか3ヵ月後の1988年8月22日である。

そしてそれを皮切りに、10月3日、12月9日と、宮﨑勤による幼女誘拐殺人は続いた。

1989年になってからは、2月6日に最初に行方不明になった幼女の自宅前に骨や歯が入った段ボール箱が置かれ、2月10日には「今田勇子」を名乗る犯行声明文が被害社宅や新聞社宛てに郵送された。

3月11日には再び「今田勇子」からの告白文が送られ、世間が騒然となった。

そして6月6日には第4の幼女誘拐殺人が起こった。

5歳の幼女が姿を消し、6月11日に宮沢湖霊園のトイレ脇にバラバラ死体の胴体部分が捨てられていたのが発見された。

宮﨑勤(みやざきつとむ)東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件 (117号事件)

裁判では、宮﨑勤が殺害した幼女の遺体を解体したり、一部を焼いて食べていたことも明らかにされ、さらに世間に衝撃が走った。

宮﨑勤は遺体のことを「肉物体」 遺骨のことを「骨形態」と呼び、宮﨑勤的世界観では 人間が死ぬことを「肉物体」と「骨形態」という言葉で表現するのだ。

宮﨑勤は殺害した幼女の姿をビデオに録画し、遺体が時間とともに変化していくのを観察していた。

こういった一連の「人間の死」についての強烈な興味は、祖父の死から来ている可能性が否定できない。

宮﨑勤は祖父の火葬場で下に落としてしまったお骨をこっそり持ち帰ったり、墓を空けて骨壷から骨を取り出したりして食べたとも言っていた。
 
 

宮﨑勤は精神障害ではなく人格障害!?

 
25歳にもなっている大のオトナが突然祖父がいなくなった現実を受け入れられないということにも驚くが、そういう面を考えると、やはり宮﨑勤という男はかなり精神を病んでいたのではないか。

──おじいさんが亡くなった後、おじいさんをよみがえらせようとしていたようですが、死んだ人はどうすればよみがえるのですか。

宮﨑勤
「よみがえる」と「生き返る」とは違う。
おじいさんは実際のところ死んだのか見えなくなったのか分からないのです。
最近、その辺はっきりしてほしいと思うようにもなった。
死んだんなら死んだでいい、はっきりしてほしい。
見えなくなったのなら見えなくなったとはっきりしてほしいと思うようにもなった。
実際のところ、おじいさんが見えなくなったのか死んだのかさっぱり判明していないのです。
 
幼女を4人も殺害し、「肉物体」を執拗なほど解体したり血を飲んだりしたことも、おじいさんを甦らせるためであり、おじいさんに捧げるためという宮﨑勤。

そして彼は収監後も独房にしばしばおじいさんが現れると話していた。
 

4人も殺害していても、精神科の通院歴があれば 宮﨑勤は「心神喪失」や「心神耗弱」などで死刑を免れたのでは…と個人的には思っている(が、あれだけの社会的大事件、おそらくそれは世論が許さなかっただろうなとも思う)

いずれにしても、マスコミからわいせつだのロリコンだのオタクだのと揶揄され、変質者による事件のように扱われることが多かった宮﨑勤事件の本質や病みは事件発生から30年目となる現在でも全容が解明されていないように思う(専門家による解釈がバラバラなままだ)

「自分が自分である」といういわゆる自己同一性がさまざまなレベルで障害される「解離性障害」については、その完成形ともいえる解離性同一性障害(いわゆる多重人格)が司法の場でしばしば問題になることがある。

鑑定医の意見が分かれたことが話題となった幼女連続殺人事件の宮崎勤死刑囚の精神鑑定書のひとつにも、この診断名が記されていた。

解離性障害は、躁うつ病や統合失調症のような精神疾患、つまり「脳の生物学的な不調」とは違い、基本的にはトラウマに対する心の防御反応として起きる反応性の障害である。

わかりやすく言うと、トラウマを与えられたとき、人間の心は完全な崩壊という致命的事態を防ぐため、より軽度な障害を起こしてバリアを張ろうとするのだ。

「こんなひどい目にあったのは私ではなく、別人のナンシーさんだ」と別人格を作り出してトラウマを「他人事」にしようとするのが、解離性同一性障害だ。

via:香山リカ(月刊「創」2007年11月号)

取調べのときはふつうに「狡猾な凶悪犯」というイメージだった宮﨑勤は 裁判に入ってから特異性と猟奇性の片鱗をあらわにし始めたが、これが意図的なものだったのか、多重人格によるものだったのかはわかっていない。

その点を争点にすべく、簡易精神鑑定のほかに 弁護側の請求により2度にわたり複数の専門家に委嘱するという前代未聞の長期精神鑑定が行われて 宮﨑勤の刑事責任能力が問われた。

しかし最終的には「人格障害」として宮﨑勤の刑事責任能力を裁判所は全面的に認め、死刑を言い渡した。

そして、2006年2月、最高裁は被告側の訂正判決申し立てを破棄して死刑が確定、2008年に刑が執行された。
 
 
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「おじいさんが死んで、まとまらなくなった」

宮﨑勤は精神鑑定の中で、祖父の葬儀について、こんな風に語っていた。

宮﨑勤
(火葬されると)一瞬にして骨もないので、あれーっ!?と思って気持ちが一転した。
今までの考えが180度ひっくり返る思いだった。
おじいさんが見えなくなっただけで、姿を隠しているんだと思った。

祖父の死を境に宮﨑勤の精神世界の崩壊を思わせる奇行が現れるようになった。

5月16日、祖父が病院で亡くなった時、宮﨑勤は 祖父の愛犬ペスの鳴き声をテープに吹き込み、遺体の耳元で流し続けた。

5月29日、親族が形見分けをしている席に飛び込んだ宮﨑勤は、こう叫んだ。

宮﨑勤
みんな出て行け!これはおじいさんのものだ。
おじいさんが戻ってきたとき、そのままの状態でないと大変だ!

7月3日、祖父の四十九日に、宮﨑勤は父親に向かって湯飲み茶碗を投げつけ、ガラスを割った。

これは、突然 父親に襲われるという恐怖に駆られて、わあっ!となって力任せに茶碗を投げたのだという。

12月8日、父親に暴力をふるい、大怪我をさせた。

このときにも父親に襲われると思って、わあーっとなったという。

翌年2月には父親は怪我が元で頭の手術を受けたが、宮﨑勤その頃に母親にも暴力を振るっている。

そのほかにはわざと車で犬を轢いたり(2回あったと言っている) 

冷蔵庫の裏に逃げ込んだ猫を引っ張り出そうとして鎌を持ち出したりとか、熱湯をかけたいう類の動物虐待。

宮﨑勤
パチンコで鳥を取って焼いて食べたり、ペスにやったこともある。

さらに宮﨑勤は 祖父の死後の1988年頃から 何の前触れもなく「あの両親はニセモノだ」という確信に至ったと言っている。

なので逮捕後には父親と母親のことを「父の人」「母の人」と呼び、1994年に父親が自殺したことを知った宮﨑勤は「胸がスーッとした」と言い切った。

祖父の墓をあけ、骨壷から骨を取り出して食べたということもあったと本人が告白している。

宮﨑勤
火葬場で、おじいさんが焼かれて出てきた後、骨上げをしていたとき、下に落ちたおじいさんの骨(1~2センチくらいの大きさ)を拾って部屋に戻って食べた。
 
また、夜間にペスを連れておじいさんの墓に行き、墓の石のフタを横にずらして骨を取り出して食べた。
骨を食べに行ったのは1年くらいの間に3~4回はあると思う。
 
食べた骨は薄べったく、少し曲がっていて、1回行くたびに2~3度つまんで食べた。骨を食べたときにはざぎっというような感触があった。
 
骨を食べたのは おじいさんに「肉物体」を送るためで、おじいさんが見えないから、実体を現すというか、見えるようにするためである。
2つ目の方法というか、骨を全部食べておかないと、戻ってきたとき二人分になってしまうからだぶってしまう。
 
このことを取り調べのときに言わなかったのは、おじいさんのことを取っておきたかったからである。
宮﨑勤
おじいさんがなくなる前からたまにビデオテープの万引きをやっていたが、おじいさんが亡くなってから、回数が多くなった。
宮﨑勤
こういうことは、おじいさんが死ぬ前はなかった。
おじいさんが死んで、まとまらなくなった。心の支えがなくなった。

「まとまらなくなった」というのは宮﨑勤的には 感情がすっぽり抜け落ちたという意味合いである。
 
 
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第35回公判の被告人質問

宮﨑勤
事件については、別の島のことのように思う。
最初の公訴事実に対する認否の歳に「さめない夢の中のようだ」と述べたが、今でも同じような気持ちである。
事件について何も感じるところはない。
どの事件も漠然としか認識していない。
殺している状況は記憶にない。
宮﨑勤
どの事件も、同じ風体で、同じかさで、だいたい10人くらいで同じ人数で、全身がネズミ色で、皮膚がネズミ色なんだか、ネズミ色のタイツをはいているのか、着てるのか、よくわからないが、周りの木の陰からぬうっと出てきた。
信頼していた子が急に泣き出して裏切ってきたとき、おっかなくなって、そのとき出た。
 
もう恐怖の中に叩き込まれて、わあっとなって、あとはわからない。
気がつくと自分が地面に倒れていた。
逃げ帰るとき、その子も倒れていたような気がする。
 
4つの事件を前半と後半に分けると、後半の2つは車の中に倒れていた。
子供の首を絞めた覚えはない。
日常の時には出てこない。
「ネズミ人間」の話は警察でも取り調べの早い時期から言っていたが、取り合ってくれなかった。
宮﨑勤
ビデオに撮ったり、写真に撮ったりしたのは、命令に従ってやった。
おじいさんに捧げるという気持ちも一部ちょっとあった。
 
私をおっかない目に遭わせた張本人のこいつをおじいさんに捧げちゃうぞという、そういうのも考えたと思う。
でもやっぱり、恐怖の中で、おっかないほうが先で、どうしようもなくなって、わあっとなった。
宮﨑勤
子供を殺したあと、ビデオで撮影したり、性器をいじったりしたのは、私の前に出てきたもう一人の私の姿をしたやつが 直接触ったりしているようだった。
私の視界にはそいつの背中が目に入って、前で何をやっているか あまりよくわからない。
 
このことも取り調べのときに話したが、取り合ってくれなかった。
 
 

ネズミ人間ともう一人の自分

宮﨑勤が描いた「ネズミ人間」 via:https://matome.naver.jp/
宮﨑勤 ネズミ人間

-誰が女の子を襲った、倒したということになるのでしょうか?

宮﨑勤
ネズミ人間か、もう一人の自分、またはその両方。

-ネズミ人間という可能性はまだ残っているんですか。

宮﨑勤
あります。

-それはどうしてですか。

宮﨑勤
人を怖がらせて平気でいるようなやつだからです。

-現れたネズミ人間が女の子を襲ったんじゃないかという話の中で、あなたとしてはネズミ人間が近づいてきて、とてもおっかなくなって その後わけがわからなくなったと言ってるでしょう。

宮﨑勤
ええ。

-訳がわからなくなったというのは、この間全く記憶がないんですか。

宮﨑勤
ごく断片的にものを見たことがあります。
目の前が真っ暗になって。

-目は開いているの?あいているのに真っ暗なんですか。

宮﨑勤
ええ。
先ほども行ったように、断片的に数回目に飛び込んできたものがあります。

-何が視界に飛び込んで来ましたか。

宮﨑勤
もう一人の自分の後姿です。

-もう一人の自分というのは、あなたそっくり同じ姿、形をした人物のこと?

宮﨑勤
ええ、以前、万引きのときにも出てきたやつです。

-見えたのは、もう一人の自分の後ろ姿だけですか。

宮﨑勤
あと、その子の一部です。

-もう一人の自分は背中を見せて、どんな格好をしていたんですか。

宮﨑勤
そいつが立ち上がっているところです。

-そいつというのは、もう一人の自分?

宮﨑勤
ええ。

-子供はどうしていましたか。

宮﨑勤
上半身を起こしていました。

-もう一人の自分とその子は何をしているんですか。

宮﨑勤
その子は座っている恰好で、そいつは蹴っていました。

-もう一人の自分が何を蹴っているのですか。

宮﨑勤
その子をです。

-その子のどのあたりを?

宮﨑勤
心臓あたりです。

宮﨑勤

via:夢のなか、いまも p211

 
 
-蹴られてその子はどうなりましたか。

宮﨑勤
倒れました。
そいつがその子の上におっかぶさっていました。
馬乗りのような恰好です。

-そういう光景を目にして、あなたはどういう気持ちでしたか。

宮﨑勤
そいつがその子を気を失わせるか何かして、あとで解剖するつもりじゃないかと思いました。

-もう一人の自分がその子を押さえつけている状態はしばらく続いたのですか。

宮﨑勤
そんなに続いていないと思います。
そいつが立ち上がる光景が見えて・・・消えました。

-子供はどうでしたか。

宮﨑勤
倒れているまんまです。

-あなたは解剖行為という言葉を使うけれど、解剖行為ってどういう意味ですか。

宮﨑勤
人の体や肉物体に手を加える。

-あなたが言う肉物体ってなんですか。

宮﨑勤
生きていない状態の体。
死体と呼ばれているもの

-もう一度、今の時点であなたの理解を聞きますけれども、誰が女の子を襲ったということになりますか。

宮﨑勤
ネズミ人間か、もう一人の自分、またはその両方。

-子供が仰向けになって倒れている場面で、ネズミ人間の姿が視界に入ってきていませんよね。
そしてもう一人の自分が子供に覆いかぶさるようにしたのを見ている。
けれども、あなたは、ネズミ人間ともう一人の自分のどちらが女の子を襲ったのかは断定できない、ということですか。

宮﨑勤
ええ。

-それはどうしてですか?

宮﨑勤
両者かもしれません。

-どうしてそう思うのか理由を聞いているんですよ。

宮﨑勤
ネズミ人間は私をリンチ以上の目に遭わせるために出てきたからです。

-でも動かなくなっちゃったのは女の子でしょう?

宮﨑勤
ええ、私より先に、矛先を買えて、その裏切った子を先に始末しちゃおうと思ったんです、ネズミ人間が。

-どちらかというとネズミ人間ではなくて、もう一人の自分じゃないかなと、そういう考えはないですか。

宮﨑勤
その子にいちばん近づいていたのがもう一人の自分だから、そうかもしれません。

-そうかもしれないと、推測する程度ですか。

宮﨑勤
ええ。
 
 
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「解剖はよいこと」「解剖せよ」と啓示が降りてきた

-あなたが呼ぶ「肉物体」に対して、どういう気持ちを持っていましたか。

宮﨑勤
日ごろ、たまに思っていたことは、自殺でも事故でも何でもいいんですけど、子供の肉体が落っこちていないかな。
落っこちていたら、ひんやりした肉物体に解剖行為ができるんだがな、とか思っていました。

-子供の肉物体ですか。

宮﨑勤
ええ。

-どうしてですか。

宮﨑勤
子供以外の肉物体は、胸が膨らんでいてうざったいなとか、ふくらみが邪魔で ちつとも解剖的じゃなくていやだなとか、そういう風に思いました。

-胸が膨らんでいてうざったいということなんですけれども、そうすると、性別でいうと、今言っている肉物体は女性のことを指しているのですか。

宮﨑勤
ええ。

-そうすると、子供の肉物体といっても、女の子の肉物体ということですか。

宮﨑勤
そうです。

-それが落っこちてたらいいのにな、と?

宮﨑勤
ええ。

-いつごろからそういうことを思うようになった?

宮﨑勤
高校の終わりか、大学1年の春ころです。

-何かきっかけがありましたか?

宮﨑勤
ありません。

-急に思ったんですか?

宮﨑勤
啓示がありました。

-啓示って、神の啓示とかいうときの啓示ですか。

宮﨑勤
ええ。
あっ、大学1年の10月頃です。思い出しました。

-どんなことを思い出したんですか。

宮﨑勤
中野区内を歩いていたときに、急に啓示が来ました。
短大の2年間を序盤・中盤・終盤で分けると、序盤のうちで、道を歩いていたときに、日中ですけど、男の声で啓示がありました。

-具体的に言うと?

宮﨑勤
「解剖行為はよいこと、解剖せよ」という啓示です。

-解剖行為という言葉の意味が、あなたにはすぐにわかりましたか?

宮﨑勤
思念で伝わってきました。

-女の子供の肉物体に対して、という意味はなかったんですか。

宮﨑勤
思念で伝わってきたと思います。

-たとえばロリコン雑誌などを本屋で見て、ああ解剖行為をしたいなという風に思ったことはないですか。

宮﨑勤
ロリコン本が世の中で流行りだしたのは大学の終盤の、夏で、私が20歳になってから後です。
だから、私が大学2年の8月です。
本屋でたくさんそういうのが売られていて、なんだこんな本があるのかということをはじめて知って、たくさん売られているので、流行っていることがわかりました。

-そういう本には小さい女の子の裸の写真とかも写っていたわけですか。

宮﨑勤
ええ。

-そういうのを見て、何か思ったり感じたりしたことはありますか。

宮﨑勤
こういったものが肉物体で落っこちていたときに解剖行為をすることはよいことなんだということがわかりした。

-なぜそういう風にわかったのですか。

宮﨑勤
以前に啓示があったからです。

-それを見て解剖行為ということに関連して、何か他に感じたことはなかったですか。

宮﨑勤
女性の■■はまっすぐな線でできていて、すでに解剖のメスが入っているようで、解剖的でいいと思いました。

-子供の■■の写真を見て、まっすぐな線が入っていると。

宮﨑勤
ええ。

-先ほど子供の肉物体、それから大人の肉物体、前提としては女性だということなんだけれども、女性はよくないということでしたね。

宮﨑勤
要するに、大人は、ということです。

-大人は何でダメなんですか。解剖的じゃないんですか。

宮﨑勤
ええ。

-どういうところが?

宮﨑勤
女性の場合は黒っぽくなっているとよく言われます。

-それが解剖的ではないのですか。

宮﨑勤
ええ。

-もう一人の自分が子供に対して何かをしていた。そのときに、あとで解剖行為をする為だとピンときた。
そのピンときたときのことですが、あなた自身、この子が肉物体になれば解剖行為をしたいという気持ちは持っていたのですか。

宮﨑勤
考えたこともありません。

-その出来事があった翌日、ビデオカメラを借りに行ったと一審のときに述べていますね。
前日のこと(連れ出した幼女が亡くなったこと)が夢か本当かわからなかったので、行ってみればわかるだろうと。
それでもし本当に死んでいて、生き返っていなければ肉物体があり、これを映像にできるから、一応ビデオカメラを借りていけばいいと思った、とあなたが言ったのを覚えていますか。

宮﨑勤
ええ。

-ビデオカメラを借りたのはもう一人のあなたではなくて、あなた自身が借りたのですか。

宮﨑勤
ええ。

-ビデオを借りたのは、肉物体を映像化できるのではないかと思って借りたということでいいですか。

宮﨑勤
ええ。生き返ってこなければ映像にできると思いました。
 
 
-ビデオカメラを借りて現場の山に行ったわけですね。

宮﨑勤
ええ。

-山林の中に入っていって、そして見つかった?

宮﨑勤
ええ。

-何があった?

宮﨑勤
倒れているもの。

-何が?

宮﨑勤
人間の恰好をしたもの。

-昨日倒れて動かなくなった女の子と同じ姿・形ということですか?

宮﨑勤
ええ。

-倒れている状態のものが肉物体になっていたかどうか、わかりましたか。

宮﨑勤
わかりました。

-なぜわかったんですか。

宮﨑勤
軽く顔をはたいてみました。

-はたいてみて、どんな感じでしたか。

宮﨑勤
温かみのようなものがありませんでした。

-で、その子が死んでいるとあなたは思ったわけですか?

宮﨑勤
肉物体になってた。
生き返ってなかったなと思いました。

-子供が肉物体になっているのを確認したとき、子供は洋服を身に着けていましたか。

宮﨑勤
ええ。

-あなたはビデオカメラを持っていったんですが、それが使用されて撮影がなされたことはあったのですか。

宮﨑勤
・・・・・。

-何者かがやったのかはわかりませんが、あなたが持っていったビデオカメラを使って誰かが撮影したということはあった?

宮﨑勤
ええ。

-その撮影は誰がしたのですか。

宮﨑勤
そいつです。

-そいつって、誰?

宮﨑勤
もう一人の自分と名づけた者です。

-ビデオカメラを持って現場に行くときは、あなた一人だったんですよね。

宮﨑勤
ええ。

-で、現場に行ってみたら、肉物体があって、そしてあなたがいた、ということですよね。

宮﨑勤
ええ。

-そうすると、もう一人の自分というのは、いつ現れたんですか。

宮﨑勤
顔をはたいて、あったかみがないなと思って、肉物体だなと思ったときからです。

-肉物体になっているなと思ったときから、もう一人の自分が現れたんですか。

宮﨑勤
ええ。

-どんなふうに現れたんですか。

宮﨑勤
急に現れました、目の前に。

-急に出てきたもう一人の自分は、立っていたということですが、その後、何かしましたか。

宮﨑勤
撮影具に触れていました。

-それで?

宮﨑勤
上からカメラを向けていました。

-何にカメラを向けていたんですか。

宮﨑勤
肉物体です。

-あなたが最初に確認したとき、肉物体は衣類を身につけていたんですよね。

宮﨑勤
ええ。

-で、もう一人の自分が撮影を始めるときはどうでしたか。

宮﨑勤
衣類を脱がせていました。

-どの時点で脱がせていたのか、今の話ではわからないけれども。

宮﨑勤
上から撮影する前です、脱がせたのは。

-あなた自身は脱がせたりしていないんですか?

宮﨑勤
そういうふうなことはしていません。
 
 
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最高裁での死刑判決

 


 
一審の東京地裁で死刑判決が言い渡されてから、控訴・上告を経て、宮﨑勤に最高裁で死刑判決が下されたのが2006年1月17日。

その日 最高裁の前には 世間を震撼させた凶悪事件の判決公判の傍聴を希望する人の長蛇の列ができた。

ずっと「自分は無罪になって、いずれ出所する」といい続けていた宮﨑勤は死刑の確定を聞いても、本人の感想は相変わらずの他人事だった。

「創」編集長・篠田博之氏に、宮﨑勤は死刑判決についての感想をこう答えている。

宮﨑勤
「あほか」と思います。
「その裁判官、あとで泣くことになるぞ。ばかだなあ」と思います。

宮﨑勤死刑囚は、もしかしたら最期まで死刑判決の意味や自分の置かれた状況を理解できていなかったのかもしれない…と思えるようなセリフである。

宮﨑勤の口からは殺害された4人の幼女や遺族に対する謝罪は一切ない。

むしろ自分は良いことをしたから、被害女児たちが夢にでてきて「ありがとう」という…なんて被害者感情を逆なでするような発言をしていた。

何よりも、自分が無罪になって出所することを本気で信じていたから、一審・二審と死刑判決を喰らっても、宮﨑勤は全く動じることなく、どこ吹く風だった。

そしてそれは最高裁で死刑判決が出ても変わらない。

最高裁で死刑判決が確定したとき、世間では、さすがに今度ばかりは宮﨑勤もうろたえるだろう…と思っていたが、そんなことはなかった。

死刑判決と前後して、頻繁に連絡を取っていた篠田氏に宮﨑勤が依頼してきたのは「今年の夏のコミケ(コミックマーケット)はいつどこで開かれるのか、調べてほしい」というものだったという。

コミケなんて、明日の命さえ知れない立場の者が気にかけることではない・・・これは演技しているとは思えないと、個人的には思っていた。

自分が明日にも刑場の露と消えるかもしれないという立場を理解できない精神状態だったのではないか。

…とすると、宮﨑勤の奇妙でありえない言動の数々が あながち詐病ではなかったのではないかと思えてくる。

とはいえ、死刑確定後の宮﨑勤は複数の弁護士に再審請求の協力を求める手紙を送っていたのだ。

そんなところをみると・・・何もかも承知していた!?

もはやそれを確かめるすべはない。
  
  

宮﨑勤の死刑執行


 
2006年1月17日に死刑が言い渡され、2月2日に死刑が確定した宮﨑勤は再審請求をすべく、請求を担当してくれる弁護士を見つけるために手紙を様々なところに送っていたが、彼の再審準備が本格的に動き始めたのは2008年になってからである。

弁護士は2008年5月末に、近々再審請求を起こすので、執行はしないでほしいという通知を法務省に送っていた。

しかし法務省はそれを無視する形で 2008年6月17日に宮﨑勤に対する死刑執行を断行した。

宮﨑勤元死刑囚、45歳没・・・抵抗することなく静かに刑は執行されたといわれている。

なぜ宮﨑勤の死刑執行が早かったのかが、その後明らかになった。

当時、法務大臣に就任していた鳩山邦夫議員が、死刑執行は法律に則って迅速に進められなければならないという方針を打ち出したからだ。

そして死刑確定者リストを見て、凶悪事件として名前が知られていた宮﨑勤を選び出した・・・とテレビで語ったのだ。

当時100名ほどいた死刑囚の仲から、そうやって宮﨑勤が選ばれたのは、運命としか言いようがない。

凶悪事件として世間を騒がせたから、法務大臣の目に留まったのだろう。
 
 

死刑執行の翌日、篠田博之氏の下に 宮﨑勤の母親から電話があったそうだ。

宮﨑勤の母親
宮﨑勤の母です。長い間、お世話になりました。

篠田氏と宮﨑勤は12年もの付き合いで、その間に篠田氏は宮﨑勤の著書を2冊出版している。
 

 

 
 
これらの出版は篠田氏から宮﨑勤に出版を持ちかけたのではなく、「本を出したい」と宮﨑勤のほうから持ちかけてきたのだ。

宮﨑勤が逮捕され、東京拘置所に移された直後の1989年秋に、篠田氏は面会を求める手紙を数通 宮﨑勤に出していたが、それに関しては宮﨑勤から断りの手紙が届いた。

それ以降7年間、篠田氏は宮﨑勤と音信普通だったというが、それがある日突然、宮﨑勤のほうから「本を出したい」と持ちかけてきたのである。

それから12年間にわたり、彼らは300通以上の文通をし、宮﨑勤に最高裁で死刑が確定したときに 二人ははじめて面会した。
 
 
宮﨑勤が確定死刑囚となって2年後の 2008年6月17日。

死刑が執行された。

執行後に宮﨑勤の母親がお礼の電話を篠田氏に入れてきて、彼女が最初に口にしたのは、篠田氏が長年 息子と付き合っていたことへのお礼だった。

篠田博之氏
せめてお線香をあげさせてもらえませんか。

宮﨑勤の母親は一瞬戸惑ったような間を残し、

宮﨑勤の母親
もう全てお任せしましたから・・・。

宮﨑勤の母親は遺体との対面後に、遺体の処理については拘置所に任せたのだ。

マスコミに知られずに遺体を搬出して埋葬するのは大変なことで、拘置所に任せて荼毘に付したのだろう。

宅間守の死刑が執行されたとき 宅間守自身が「死刑執行されたら、遺体のまま外に出してほしい」と望んでいたので、獄中結婚した5番目の妻はかなり大変だったようだが、彼の希望通り、宅間守元死刑囚は遺体のまま運び出され、妻による葬儀が執り行われた。

宮﨑勤の家族は追われるように五日市町(現・あきる野市)の自宅を手放して引越し、姓を変えて 世間にわからないように暮らしていたので、さすがに自分たちで葬儀をだすのが無理だったのか、周囲の反対があったのか・・・あるテレビ局が宮﨑勤の母親の家を直撃したことはあるらしいが。

宮﨑勤の家族歴と辛酸をなめた加害者家族のその後【東京 埼玉 連続幼女誘拐殺人事件】


 
 
いずれにしても、死刑囚の場合、遺体を引き取る関係者がおらず、拘置所が火葬するケースは少なくない。

遺骨・遺灰の引き取り手のない場合は、拘置所のある行政地区の墓地に行旅死亡人と同様に無縁仏として納骨されることになる。

その死刑囚に支援団体があれば、団体では死刑囚の遺体なしの葬儀を執り行うようだ。

ちなみに、宮﨑勤が収監されていた東京拘置所で死刑が執行された場合、その死刑囚に身寄りがなかったり、遺族が引き取りを拒んだ場合は 雑司ヶ谷霊園の一角にある東京拘置所の納骨堂に収められる。

あの大久保清も雑司ヶ谷霊園の納骨堂で眠っているので、宮﨑勤もあるいは・・・。
 
 
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【via】夢のなか-連続幼女殺害事件被告の告白/夢の中、いまも(宮﨑勤元死刑囚)