宮﨑勤事件(連続幼女誘拐殺人事件/警察庁指定117号事件) 概要

宮﨑勤 連続幼女誘拐殺人事件 117号事件

1989年(平成元年)7月23日午後、宮﨑勤(当時26歳・印刷業手伝い)は、A子ちゃん(6歳)を自分の車に乗せ、八王子郊外の山林に連れ込んだ。

A子ちゃんを裸にしてビデオを撮ろうとしていたところを、尾行してきたA子ちゃんの父親に捕まり、警察に引き渡された。

この逮捕をきっかけに宮﨑勤の一連の犯行が明らかになっていき、連続幼女誘拐事件の容疑者として逮捕されたのは、1989年8月11日だった。

◆1988年8月22日夕方、入間市内の歩道橋を歩いていたB子ちゃん(4歳)に、宮﨑勤は涼しいところに行こうと声をかけ、車に乗せて八王子市内の山林に連れ込んだ。

B子ちゃんが泣き出したので絞殺し、遺体をビデオに撮ってから 衣服を持ち帰った。

1989年2月6日、宮﨑勤は B子ちゃんの骨片や歯を入れたダンボールをB子ちゃんの家の玄関に置いた。

その後、朝日新聞社宛てに「今田勇子」の名前で手紙を書いた。

その手紙には「ダンボールを置いたのは私です」と前置きし、誘拐、殺害の詳細が約4800字に渡ってつづられていた。

2月10日に手紙とB子ちゃんの写真を入れた封筒が、東京本社に届いた。

◆1988年10月3日、埼玉県飯能市の小学校のそばで遊んでいたC子ちゃん(7歳)に 道を教えてと近づき、誘拐して殺害した。

◆1988年12月9日、埼玉県川越市の団地の近くで遊んでいたD子ちゃん(4歳)を、温かいところに行こうと誘って殺害した。

>>大島てる

◆1989年6月6日、東京・江東区の公園で遊んでいたE子ちゃん(5歳)を誘拐していたずらし、殺害した。

1日目は E子ちゃんの遺体を自宅に持ち帰ってビデオ撮影した。

2日目になると異臭がしてきたので、遺体を切断したあと、飯能市の宮沢湖霊園などに捨てた。
 
 
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弁護側意見陳述
宮﨑勤は片手が不自由だったせいもあり、幼時から自分の殻に閉じこもり、現実との接触が少なかった。

中学に入ってからはテレビ、ビデオの映像世界にのめりこんでいく。

自室にはロリコン、アニメ、ホラーなど6500本以上のビデオがあったと言われているが、これが自我の形成を阻み、情緒の形成をも奪っていくことになった。

事件を起こしたときも母胎回帰の願望の下で、異常な閉鎖的世界に生きてきた。

宮﨑勤には被害者が生命を有する自然人であることの認識がなく、従って殺意はもちろん、性的欲望を満たす目的もなかった。

宮﨑勤事件の裁判の争点は、被告の責任能力の有無だった。

9人の鑑定人が6年間に渡って宮﨑勤の分析を続け、1992年には「人格障害」1994年には「多重人格」と「精神分裂病」という3つの結果が出た。

「人格障害」では責任能力を認め、「多重人格」「精神分裂病」では心神耗弱のため責任能力が減退しているとされた。
 


 
そして1997年4月、東京地裁は宮﨑勤に死刑を言い渡した。

2001年6月28日、東京高裁は宮﨑勤の控訴を棄却。

宮﨑勤の精神状態を鑑定人は、彼には「宮﨑勤本人」「殺人者の今田勇子」他、彼の中には全部で5つの人格が見られると証言し、この多重人格と犯罪責任能力の有無が最高裁での焦点になっていた。

2004年1月17日、最高裁は一審・二審をを全面的に支持して上告を棄却。

最高裁
被告に責任能力があるとした一・二審の判決は正当として是認できる。
 
自己の性的欲求を満たすための犯行で、動機は自己中心的で非道。
 
酌量の余地はない。

ここに宮﨑勤の死刑が確定した。

死刑確定判決後に面会した臨床心理士に宮﨑勤は「何かの間違いです」と話したというが、彼の頭の中は本当にいつも「夢の中」だったのだろうか!?

その真実は宮﨑勤にしかわからない。

そして2008年6月17日 宮﨑勤の死刑執行。

45歳没。
 
 
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