宮﨑勤の家族歴と辛酸をなめた加害者家族のその後【東京 埼玉 連続幼女誘拐殺人事件】

宮﨑勤

via:https://www.asahi.com/

 

宮﨑勤事件(東京埼玉連続幼女誘拐殺人事件) 年譜

19628/21宮﨑勤、誕生
196610月「先天性橈尺骨癒合症」と診断される
19863年間勤めた印刷会社を退職し、9月から家業を手伝う
19885/16入院していた祖父が死去
8/22入間市の今野真理ちゃん(4歳)が行方不明になる
10/3飯能市の吉澤正美ちゃん(7歳)が行方不明になる
12/9川越市の難波絵梨香ちゃん(4歳)が行方不明になる
12/15名栗村の山林内で絵梨香ちゃんの全裸死体が発見される
12/18宮﨑勤が父親に暴行し、大怪我で入院、翌年2月に手術
12/20絵梨香ちゃん宅に「絵梨香 かぜ せき のど 楽 死」と書かれたはがきが届く
19892/6今野真理ちゃん宅前に置かれた段ボール箱から歯や骨、拡大コピー紙片が見つかる
(拡大コピー紙片:真理、骨、焼、証明、鑑定)
2/7狭山署が「骨は真理ちゃんとは別人のもの」と誤発表する
2/10骨は今野真理ちゃんのものだとする今田勇子の犯行声明文が朝日新聞東京本社に届く
2/11同じ犯行声明文が真理ちゃん宅にも届く
3/11今田勇子の告白文が届く
6/6東京・江東区で野本綾子ちゃんが行方不明になる
6/11宮沢湖霊園のトイレ脇で野本綾子ちゃんのバラバラ死体の胴体発見
7/23八王子市内で幼女に対するわいせつ行為で、宮﨑勤が現行犯逮捕される
8/7宮﨑勤がわいせつ容疑で起訴される
8/9野本綾子ちゃんの誘拐殺人を上申書で自供
8/10宮﨑勤の自供に基づき奥多摩町山林から野本綾子ちゃんの頭蓋骨が発見される
8/11警視庁が宮﨑勤を再逮捕し、身柄を深川署へ護送
警視庁と埼玉県警の合同捜査本部設置
8/13宮﨑勤が今野真理ちゃん、難波絵梨香ちゃん誘拐殺人を自供
8/24宮﨑勤が簡易精神鑑定を受ける
9/1東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を警察庁広域重要指定117号事件に指定
9/5宮﨑勤が吉澤正美ちゃん誘拐殺人を自供
9/6宮﨑勤の自供に基づき五日市町の日向峰で吉澤正美ちゃんの遺骨と衣類を発見
9/8埼玉県警が宮﨑勤を今野真理ちゃん事件で逮捕し、身柄を狭山署へ護送
9/13宮﨑勤の自供に基づき今野真理ちゃんの遺骨を五日市町で発見
10/19宮﨑勤の身柄を東京拘置所へ護送
19903/30第1回公判
「幼女の両手は自分で食べた」と陳述
1991.1~1992.3第一次精神鑑定
1993.1~1994.11第二次精神鑑定
199411/21宮﨑勤の父親が多摩川で投身自殺(65歳没)
199610/7第36回公判で死刑求刑
19974/14第38回公判で一審(東京地裁)で死刑判決を言い渡される
即日控訴
20016/28東京高等裁判所で一審支持・控訴棄却の判決
7/10上告
2004奈良小1女児殺害事件の小林薫容疑者の「第二の宮﨑勤」の発言に対し「精神鑑定も受けずに、“第二の宮﨑勤”は名乗らせません」と批判
20061/17最高裁判所が弁護側の上告を棄却
5/1弁護側は判決訂正を求めたが、再度棄却
20086/17東京拘置所で宮﨑勤の死刑執行。45歳没
  
 

東京新聞の宮﨑勤の父親単独インタビュー

宮﨑勤の父親の単独インタビューを取った記者がいた。

元東京新聞記者でジャーナリストの坂本丁次氏である。

幼女4人を連続殺害して日本中を震撼させた宮﨑勤事件を連日マスコミが取り上げていたころ、坂本氏は宮﨑勤の父親に単独インタビューをしていた。

そして、罪を犯した以上に苦しむ家族の様子を、坂本氏は目の当たりにした。
 
 
坂本丁次氏が宮﨑勤の父親の単独インタビューを取り付けられたのは、坂本氏と宮﨑勤の父親が知り合いだったからだ。

宮﨑勤の父親と坂本丁次氏の兄は小学校の同級生で、父親は坂本家によく遊びに来ていたらしい。

宮﨑勤の父親が経営する「秋川新聞」発刊当時、学生だった坂本丁次氏は宮崎宅を週に一度訪れて、編集のアルバイトをしていたのだ。

そんな縁があり、宮﨑勤の父親は「このままでは自分の心情を伝える機会がない」ということで 約1時間半にわたり東京新聞・坂本帰社の約1時間半のインタビューに応じてくれたのだという。
 
  
宮﨑勤の父親は坂本氏に会ったとたんに「こんなことになってしまって・・・」と泣き崩れ、「死にたい」と口走り、その苦悩を語った。

宮﨑勤の父親
仕事の鬼だった自分が、勤の気持ちを汲み取れなかったのは残念だ。

宮﨑勤の生い立ちと狂気【東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件】


 
 
1989年8月22日付・東京新聞朝刊では、宮﨑勤の父(当時59歳)の単独インタビューを掲載した。

ただ、よく読んでみると、この東京新聞に掲載されたインタビューの内容と、捜査当局への供述調書は異なった部分も見られる。

殺人に至った経緯については「どうしてそうなったのかわからない」としながらも、宮﨑勤が生まれつき手に障害があったことを気にしていた事実を指摘し、幼年時代から凶行に至るまでの勤に、その事実がかなり影を落としていたことは認めている。

単独インタビューの宮崎の父
勤は幼いころから手が不自由なのを気にしていた。
実際4歳の時には手術も考えた。
でも手術をして身障者になったらと将来を考慮して、そのまま暮らしてきた。
勤は以降、様々なことがうまくいかないのはすべて手のせいにしていたようだ。

・・・とインタビューでは述べているが、捜査当局への供述調書には「日常生活には支障はないから、家族は気にしなかった」と答えている。

宮﨑勤自身は幼稚園児の頃に両親に手のことをいろいろ尋ねたのだが、両親はそれに答えてはくれず、父親に対しては「せせら笑った」とまで言っている。

せせら笑ったのが事実かどうかはわからないが、子供がこんな風に感じるということは、親が子にまっすぐに向き合ってこなかったことは事実だろうと思う。
 
 
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の発生直前に、宮﨑勤には大きなショックを受ける出来事があった。

大好きだった祖父の死である。

この祖父の死については

単独インタビューの宮崎の父
勤の祖父が犬好きだったため、臨終の歳、勤はテープに録音した犬の鳴き声を遺体にしばらく聞かせていた。
このときは「ちょっと変わっているな」と思った。
それから祖父の葬式後、趣味だった骨董品を遺族で分配の相談をしていたところ、勤がなだれ込んできて集まった人に「出て行け!」と叫んだこともあった。

・・・とインタビューでは述べているが、捜査当局への供述調書では、勤が怒鳴り込んできたのは「妻が勤に言わせたことだ」と言い切っていた。

宮﨑勤の両親の夫婦仲は冷め切っていたというが、捜査当局で嘘を供述したとはとても思えない。

宮﨑勤の父親はPTA会長などを務めた人物ではあるが、息子に対する教育は妻に丸投げしていた感があるので、「妻が勤に言わせた」と思いこんでいたのは事実なのではないかと個人的には思う。

インタビューの最後に宮﨑勤の父親は苦しみ悶えるように声を絞り出して、こういったと言う。

単独インタビューの宮崎の父
被害者の遺族に申し訳ない。
できる限りのことをさせていただくつもりです。
でも、どんな子供でも子供なんです。
 
 
スポンサーリンク



 
 

宮﨑勤の家族歴

宮﨑勤の祖父

1899年(明治32年)生まれ。

機織業を営む代々の資産家で、宮﨑勤の祖父は町会議員を務めたこともある町の名士だった。

長男(宮﨑勤の父親)が印刷業の「新五日市社」を興してからは機織業を廃業して、骨董品の売買を始めた。

多趣味で社交的な人で老人会の会長を勤めるなど地域活動を活発に行うと同時に 女性関係も派手な人であり、雇った織物工の女性に手を出し、子供を産ませて認知したことで妻とは不仲だったという。

1988年5月11日に犬の散歩中に脳溢血で倒れ、公立病院に搬送されたが、意識が戻らないまま16日に亡くなった。

宮﨑勤の祖母

1905年(明治38年)生まれ。

1927年8月に宮崎家に嫁いたが、勝気な性格で、夫婦けんかが絶えなかったという。

長男(宮﨑勤の父親)がはじめた新五日市社を積極的に手伝い、取締役を務めていた。

宮﨑勤の父親

1929年(昭和4年) 五日市町で宮崎家の長男として誕生(7人兄弟)

1954年に印刷業の新五日市社を興し、1956年に有限会社として登記し、代表取締役に。

1957年ににタブロイド版の週刊「秋川新聞」を創刊した。

1961年に見合い結婚をして、一男二女の父親になる。

子供が就学してからはPTA役員やPTA会長を引き受け、家事と育児は妻に任せきりだった。

1989年2月に息子(宮﨑勤)から暴行を受けて脳内出血を起こし、大学病院で手術を受けている。

宮﨑勤の父親についての証言

宮﨑勤
父の人は「義理の父」のような感じで、自分が逆らわないのをいいことに、何事も命令口調で押し付けてくる(員面調書より)
妻(宮﨑勤の母親)
わがままな性格で、自分の命令ひとつで家を思うように動かせると思っている。
新五日市社工場長
奥さんや子供に、頭ごなしに傲慢な命令をする人。

宮﨑勤の母親

1934年(昭和9年)五日市町生まれ。

1961年に結婚し、翌1962年に勤を出産している。

宮﨑勤が3歳のころに両手に障害があることがわかり「手術をしても99パーセントは元の状態に戻る」と言われ、日常生活にはさほど支障がないとの判断から、夫と相談して手術を断念した。

勤が高校へ進学したころ、長女が通っている中学のPTA活動で、夫が女性役員と親密な交際をしていると察してから夫婦仲が険悪になった。

このことでは夫が妻に暴力を振るうこともあった。

宮﨑勤の母親についての夫の証言

夫(宮﨑勤の父親)
(夫婦仲の険悪について)本来の性格が出た。
妻は私とは大きく次元が違うというか、足手まといになる。
私が前進しようとすることに対し、足を引っ張る形。
自分以外の女の人には、皆に敵愾心をもっている。(立川簡易裁判所の尋問より)
夫(宮﨑勤の父親)
私の妻は自己中心的な性格で社会常識に欠ける。

勤の祖父が死んで形見分けの席上で「何をしているか。触るな、出て行け!」と勤が怒鳴ったのは、妻が言わせたのだ。

宮﨑勤の上の妹(3歳下)

1965年生まれ。

都立高校を卒業し簿記専門学校に2年通った後、家電販売会社に3年勤め、さらに専門学校でレタリングの技術を学び、大手スーパーに入社しレタリングを担当していた。

積極的なタイプで友人が多く、1989年秋に挙式の予定だったが、兄が逮捕されたあと婚約を破棄して、勤務先も変えた。

宮﨑勤の下の妹(8歳下)

1970年生まれ。

私立高校を卒業して準看護学院に進学し、病院に勤務していた。

おとなしく優しい性格で皆についていくタイプ。

兄が逮捕されたあと準看護学院も病院も辞めて、会社の事務員になった。
 
 
スポンサーリンク



 
 

宮﨑勤の家族のその後

宮﨑勤

via:wikipedia

宮﨑勤の父親は1994年に「疲れた。ゆっくり眠りたい」という遺書を残して 多摩川の橋の上から投身自殺した。

母親は宮崎家の敷地などを抵当に800万円を工面し、謝罪のために遺族4人に200万円ずつを送金した。

そしてそのあとに宮﨑勤の死刑判決が最高裁で下っているが、判決の中には母親が遺族のために800万円を慰謝料の一部として送付したことが情状酌量すべきこととして書かれている。

情状酌量しても「死刑」ではあるけれど。
 
宮﨑勤事件 連続幼女誘拐殺人事件

via:宮﨑勤の実家跡(大島てる)

 

五日市町(現・あきる野市)の宮崎家には、宮﨑勤の逮捕後「お前の家族も同罪だ!死ね!」「娘と同じように殺してやる!」などと書かれた差出人不明の手紙や香典袋が同封された封書が続々と届いたという。

宮﨑勤の家族はいたたまれなくなり、翌年住み慣れた家をそっと去り、他の地の集合住宅に移り住み、姓を変えたりしながら ひっそりと暮らした。

世間の目を避けての生活に家族の会話は日ごとに少なくなっていき、心がすさみ、口げんかが絶えなくなったという。

上の妹は結婚が破談になり、下の妹は看護師への夢を絶たれた。
 
 
宮﨑勤を精神鑑定にかけるという話が出たとき、宮崎家から精神異常者が出たとあっては親戚まで累が及ぶとして、反対する親族もいた。

宮﨑勤の父親は7人兄弟だったが、他の兄弟は事件の余波から会社役員を辞任したり、勤務先を依願退職するなど、親族までもが混乱の日々を送った。
 
 
加害者側だけでなく、被害者遺族の側にも家庭が崩壊したところがある。

また事件から受けた精神的ダメージから精神病院に入院した遺族もいたというのだから、この前代未聞の凶悪事件から受けたダメージは第三者には計り知れないほど苛烈だったに違いない。
 
 
特に加害者側は・・・刑法上は犯罪の累は他人には及ばないことになっているが、現実社会ではそんな建前どおりにはいかない。

加害者の家族がなめる辛酸は想像以上のものなのだと思う。
  
  

スポンサーリンク



 
 

夢のなか、いまも・・・宮﨑勤インタビュー(2005年当時)

-母親は今、どのくらいのペースで接見に来ていますか?着替えなどの差し入れは頻繁なのですか?

宮﨑勤
母の人(母親のこと。宮﨑勤は両親を実の親だと思っていないので 母の人・父の人と呼ぶ)は月に一回くらいの頻度で面会に来ます。
東京拘置所の指定の売店で私への食べ物を買って差し入れするために面会に来るのです。
 
母の人は脳の病気で通院を余儀なくされているので、着替えの差し入れは頻繁ではなくなっています。

-家族があなたの面倒を見るのももう長いことになりますが あなたの家族への気持ちに変化はありませんか?

宮﨑勤
変化はありません。その気持ちも変わりません。

-亡くなったおじいさんや父親について思い出したりすることはありますか?

宮﨑勤
おじいさんと将棋をさしたことを思い出します。
父の人に対しては「もらったか拾って、私を 私に内緒で育てていやがった」と憎んでいます。

-世間の見方は、あなたの事件のせいで、妹も含めて 家族が大変な苦労をしたはずだと同情的なのですが、そういう見方をあなた自身はどう思いますか?

宮﨑勤
何も思ってません。

-あなたは自分のせいで家族が大変な目にあった、父親は自殺したし、残された家族もつらい思いばかりしてきたと思いませんか。

宮﨑勤
思っていません。

-家族に申し訳ないなと謝罪、ないし感謝することはありませんか。

宮﨑勤
ありません。

-両親が本当の親ではないとか考えるようになったのは、いつころからですか。

宮﨑勤
本当の両親がいると知ったのは、おじいさんが倒れてからだったように思いますが、いつ頃から知ったのか思い出せません。

-学校を卒業して、家の手伝いをしていた頃、親からあれこれ言われて、うっとうしいと反発するようになったのでしょうか。

宮﨑勤
いいえ。

-母親以外の妹さんとかは、あなた宛に手紙をくれたり、接見したりという事はないのでしょうか。

宮﨑勤
私は妹とされる者と接見していません。

-以前、あなたは、妹たちがどうしているか知らないと言っていましたが、今もそうですか。

宮﨑勤
今もそうです。

-あなたの事件で殺害された4人の女の子の遺族も、その後たいへんな思いをしてきたと思いますが、娘を失った遺族に、申し訳ないと思うことはありますか。

宮﨑勤
ありません。

-あなたは4人の女の子が夢に出てきて「ありがとう」と言ったと書いていたことがありますが、殺されて感謝するというのがよくわかりません。説明してもらえますか。

宮﨑勤
子供が夢に出てきて「おじいさんにやさしいことに使ってもらってありがとう」と言っているのです。

-今田勇子の犯行声明については自分が書いたとは思えないと証言していましたが、その記憶は今でも変わりませんか。あなた自身あるいはもう一人のあなたが書いたと考えると、つじつまが合うように思えるのですが。

宮﨑勤
今でも変わりありません。

-来年には最高裁の判決が出るのではないかと言われていますが、裁判所にはどんな判断を期待していますか。

宮﨑勤
期待するしない、というものがありません。

-判決はどうなると思いますか。

宮﨑勤
無罪だと思います。

-以前、自分は絶対無罪だから、出所したらどうするか考えているようなことを書いていたと思いますが、いまはどんなふうに考えていますか。

宮﨑勤
出所したら、絵を描きます。

-一審二審の判決は死刑でした。死刑について賛成・反対いろいろな意見がありますが、あなた自身は死刑制度についてどう考えているのですか。

宮﨑勤
私には関係ありません。

-先日も大阪拘置所で死刑が執行されたようですし、昨年の宅間守元死刑囚の執行もありました。このところ毎年のように死刑が執行されていますが、そういうニュースを聞くことはありますか。気になりませんか。

宮﨑勤
私はラジオをあまり聴かないので、よく知りません。気になりません。

-よく世間の人は自分の身近な人が死んだときに、人間は死んだらどうなるのだろうかとか、死について考えるものですが、あなたは死について考えたことはありますか。やはりおじいさんの死がいちばん自分にとってつらい死でしたか。

宮﨑勤
考えたことはありません。言語化できません。

-父親の死についてはどうだったのでしょうか。

宮﨑勤
胸がスーッとしました。

via:月刊「創」2005年12月号

 
 
スポンサーリンク