松代大本営跡地下壕の心霊!宿までついてきた寂しい念の正体は?
30代女性の寄稿
第二次世界大戦末期に本土決戦に備えるため、天皇陛下の御座所と大本営の移転場所としての計画があった長野県松代の地。
松代町の象山・皆神山・舞鶴山の3か所に巨大地下壕建設の計画があり、象山の地下壕跡は現在でも見学に入ることが出来ます。
夏になったので、松代大本営跡を見学してきました。
本土決戦に備えて皇居、大本営、政府中枢機能を移すべく、密かに構築された松代大本営は今もその姿を山中に。
見学できるのは約500mほどですが、実際には総延長約10kmにも及ぶ巨大地下坑道群です。 pic.twitter.com/NsENNizg6i— Hikotaro@ヒコ太郎 (@torihikolife) July 22, 2023
終戦間際、天皇を中心とした軍部を含む政府の中枢大本営を米軍の攻撃から逃がすため、敗戦前年から長野県の松代では巨大地下壕の建設が倉庫という名目で秘密裏に行われていた。東京大空襲の間も、沖縄に米軍が上陸した後も。
このことが知られていなさすぎて驚愕する戦後78年の敗戦記念日。 pic.twitter.com/oEB0wnaAhr— のらくら者こと むらなかじゅん (@ehon_konohata) August 14, 2023
松代大本営跡(まつしろだいほんえいあと)は、太平洋戦争末期、日本の政府中枢機能移転のために長野県埴科郡松代町(現長野市松代地区)などの山中(象山、舞鶴山、皆神山の3箇所)に掘られた地下坑道跡である。
太平洋戦争以前より、海岸から近く広い関東平野の端にある東京は、大日本帝国陸軍により防衛機能が弱いと考えられていた。そのため本土決戦を想定し、海岸から離れた場所への中枢機能移転計画を進めていた。1944年7月のサイパン陥落後、本土爆撃と本土決戦が現実の問題になった。同年同月東條内閣最後の閣議で、かねてから調査されていた長野松代への皇居、大本営、その他重要政府機関の移転のための施設工事が了承された。
via:Wikipedia
私は2021年夏に主人と一緒に松代大本営跡地下壕を訪れました。
少し離れた象山神社に車を停めて参拝してからそちらに向かうとき「こんなのどかな場所なのに、そんな殺伐とした歴史があるのか」…と静かな田舎とのギャップに驚きました。
長野も8月はかなりの暑さで「地下壕の中は涼しいかな?」と和んだ気持ちで主人と連れ立って歩いていました。
案内板に従って進んでいくと、係のおじさんが1人で番をしている管理小屋に着きました。
入口前にはヘルメットが並ぶ棚のある東屋があり「危険なのでヘルメットは必ず着用するようにね。いってらっしゃい」とおじさんに見送られ、ギリギリ2人並べるくらいの入口へ入っていきました。
中へ入ると狭い通路ですが木製の道が設けられています。
電灯も一定間隔でついていて薄暗いものの外に比べると格段に涼しく、私たちは滑らないように気をつけながらゆるやかな下り道を進んで行きました。
下り坂がほぼ平坦になったところで道は土と砂利に。
ゆるく右にカーブする坑道のすぐ先に右に折れる曲がり角が見えた時、急にその場の空気が変わったことに気づきました。
入口より天井は高いのに、上からの圧迫感と両肩に何かが乗ったような重量感を感じて、私は黙り込みました。
粗削りの壁や天井を興味深く見回しながら「どうやって掘削したのかな?」などと想像をめぐらしながら軽快に喋っていた主人も、ほぼ同時に黙り込みました。
その時の私は、左耳のあたりに妙な温かさの空気を感じて、気持ち悪さで卒倒しそうでした。
その場から走って逃げだしたい気分に駆られたのですが、右手を主人にぎゅっと握られたので、深呼吸をして心を落ち着かせ、主人と足並みを揃えました。
角を右に曲がると道は奥へ奥へと続いているのが見え、道幅も十分に拡がりました。
黙って進んでいくと肩に感じていた重みが背中に滑り落ちた感覚がし、重みは腰から足へと移ってふっと消失しました。
まるで…後ろに誰かが立って私の両肩に腕を乗せていたのが、その存在は進むことができないかのように 私が進むにつれて触れている場所が変わっていって、やがて手が届かなくなったような…そんな感覚です。
重い圧迫感が消えるのとほぼ同時に、主人が深くため息をつきました。
自分が感じている感覚をこの場で口に出してはいけない気がして、こちらを向いた主人と目が合いましたが、何も言わずに進み続けました。
普通は入口から離れるほど不安になりそうなものですが、奥に行くほど「空気が」楽になる…そんな妙な感じでした。
所々に横道がありましたが崩れる危険があるのか金網が張られていて、主人はその奥に目を凝らしていましたが、私の手を強く握ったまま離しませんでした。
やがて地下壕は最奥部で行き止まり 「これより先は危険のため進めない」との掲示が。
私は「さっきの最初の角をもう二度と通りたくないんだけど!」と強く思いながら、来た道を戻り始めました。
そして次第にあの角が見えてきたところで、私はいくつかの電灯の下に黒くぼんやりとした影を見ていました。
突っ立っている複数の影…それらからじーっと見つめられているのをひしひしと感じたのです。
そして最初に重圧感を感じた場所付近で、再び上からの圧迫感に襲われました。
腰に加わった重さ…見てはいけない!と思えたので頑として目線は落としませんでしたが、誰かに抱きつかれたような感覚。
次の瞬間、私が蹴ってしまったのか?足元で石が転がるような音がした途端、鼻の奥で焦げくさい、花火が消えた後のような匂いを感じました。
私は半ば目を瞑って、主人に引かれるまま左に曲がりました。
そう思っていると、腰の重みが一層強くなり、何かが聞こえました。日本の言葉ではない…男の人のさびしそうな声。
思わず「誰!?」と声に出しそうになった瞬間に、圧迫感と重さがフッと消失し、足元は木の道の感覚になり、主人の「出よう」という声がしました。
主人の手はいつの間にかひどく冷たくなっていました。
目を開けると出口はすぐそこ、主人は私の後ろに立って、軽く背中を押しながら私を先に外に出し、自分は向きを変えると地下壕の中をじっと見つめながら、後ろ歩きで外に出てきました。
私は東屋のベンチに座り、しばらく立ち止まって中を見つめている主人を、ぼんやりと眺めていました。
やがて主人は入口の横に立つ看板に目を向けました。
この地下壕がなぜ作られたのかの所以が記された案内板を読み終わったらしい主人が私のそばにきて再び「行こう」と促しました。
神社の駐車場へ戻る最中に、削られた壁がどうとか、ダイナマイトの跡がどうとか話ながら歩きましたが、あの曲がり角付近のことは、2人とも一切話しませんでした。
男性の霊が露天風呂に!?ただならぬ空気に声が出せなくて
その夜、私たちは県内の山の中にある古民家を改造した宿に泊まりました。
食事を終えて温泉に行くと、先客はおらず貸切状態。のんびりと露天に浸かっていると引き戸の開く音がしました。
他の泊まり客が来たのかな?と思って湯に浸かったまま何となく振り返った私は、訳がわからず静止してしまいました。
内風呂と露天の境はガラスの引き戸と壁一面の窓。内風呂の洗い場と脱衣場には段差があるだけで仕切りはありませんでした。
なのでやや湯気で曇っているものの、暖簾のかかる出入口の引き戸も見通せたのですが、暖簾を右手で上げながら中を見渡しているのは男性だったのです。
入浴中の女性客がいるかもしれない女湯に、男性が立ち入って中を見渡しているって一体…!?
しかも、あまりにも堂々としているのでのぞき目的には見えず、誰かを探しているそぶりのようでした。
男性の服装は湯煙でよく判別出来ませんでしたが、肩に白っぽいものを引っ掛けているように見えました。
この状況…よく考えれば「のぞきよ~!」「不審者!誰か来て!」と声をあげていそうなシチュエーションにもかかわらず、私はどういうわけか身動きが取れず、自分でも説明できない違和感を感じて黙っていました。
口元までお湯に身を沈めて、辺りを見渡す男性を呆然と見ているだけでした。
男性は私に気づかなかったのか、こちらを全く見ずに暖簾を下げて姿は見えなくなり、それと入れ替わるように小さな女の子を連れたお母さんが入ってきました。
あのタイミングなら男性と鉢合わせしているはずなのに、親子連れに特に変わった様子は見られませんでした。
私は親子連れの入浴する音を聞きながら、腑に落ちない違和感を抱えたまま、身支度を整えて廊下に出ました。
廊下の隅の椅子に主人が座って待っていました。
大本営の狂気が産み落とした負の戦争遺跡
部屋に戻ると、主人は松代大本営地下壕の案内板に書いてあったことを話してくれました。
多くの朝鮮人労働者が強制されて、地下壕の掘削に関わっていたこと。
ダイナマイトで掘削していく危険な工事だったため、あの場所で亡くなった人がたくさんいたこと。
これはすごい❗
「動員朝鮮人2600人の名簿」
松代大本営などに従事
(信毎朝刊) pic.twitter.com/A0Jf1sqfHv— 山本宗補 (@asama888) June 21, 2018
松代大本営地下壕跡は、70年前に敗戦となったアジア太平洋戦争を遂行する最高決定機関の大本営(大元帥である天皇を頂点とする最高統帥機関)の狂気を、静かに後世に物語る戦争遺跡で、その貴重さは他に類がない。
なぜ、「狂気」と表現するかといえば、それは大本営が、日本本土をくまなく空襲する米軍相手に、勝敗は決したにも関わらず、自分たちの延命だけを図っていたことをわかりやすく示しているからだ。
戦争末期に本土決戦を想定した大本営は、国民も国土も壊滅しようとも、天皇制だけは死守する「国体護持」を狙い、広島と長崎に原爆投下され、降伏するまでの時間稼ぎをした結果の巨大な地下壕群である。
私的に解説を加えると、44年8月にマリアナ諸島(サイパン、テニアン、グアム島)が米軍に陥落した時点で、日本の絶対国防圏は失われ、対極的には勝負がついた。米軍はこれら3つの島をB29出撃拠点として整備し、日本本土の大空襲は、44年11月から本格的に開始された。松代大本営地下壕の建造が始まったのはこの時期だ。
その後の敗戦までの流れを思い出してほしい。45年3月の東京大空襲を皮切りに、本州の主要都市は敗戦までにことごとく焦土と化す。米軍による本土上陸の時間稼ぎのために沖縄戦が戦われ、6月末に終結。そして広島と長崎に原爆が投下され、その段階でやっと大本営は連合軍に降伏したという流れだ。
たった9ヶ月で5.9キロも掘ることができたのかと思うと、とても人間業とは思えないほど説得力を感じることだろう。戦争末期の食糧難のとき、国民の命も財産も、将兵の命もまったく顧みることのなかった大本営が、逃げ出すこともできない朝鮮人や、勤労動員を拒否できない日本人にどれほど苛酷な使役労働を強いていたのかは、想像にかたくないと感じるほかはなかった。松代大本営地下壕は、大本営の狂気が産み落とした負の戦争遺跡そのものだ。
via:山本宗補の雑記帳
テレビ好きな主人が、この夜は部屋に戻ってもテレビをつけずに、しんみりとした様子で部屋に置かれていたその土地の歴史を記した古い本を読んでいました。
忘れられない記憶と押し潰されそうなさびしさが残されて
旅行から帰宅してから主人が
…と言ったので、私も「そうかもしれないね」と答えました。
主人も何かを強く感じ取っていたのは確かですが、お互いに何を見たのか・感じたのかは詳しく話しませんでした。
なぜかわかりませんが、憚られるというか、お互いにそれはタブーのように思えたのでしょう。
宿のお風呂のことはしばらくしてから主人に話したのですが、
…とぽつりと言いました。
私はその男性のことを幽霊だとは一言も言っていませんが、主人はそれを「生きている男性の悪事」とは受け取らなかったようでした。
私が地下壕の中で聞いた男性の声は、異国の言葉だったのだろうと思います。
異国の山に掘られた地下壕の中で、きっと思いがけず亡くなった男性…その人の母親か、それとも近しい女性を思い出させる雰囲気でも私にあったのでしょうか。
帰宅してからは私の目の前にあの男性は現れませんし、あの時のようないやな感覚を感じることもありません。
ただ、あの日感じた「押し潰されそうなさびしさ」だけは、今でも忘れることができません。
心霊スポット?に行ってもらいたいです
長野県にある松代大本営跡という場所です防空壕らしいです
学生時代に社会見学に行った際にクラスメイトが18人中5人ほどが具合が悪くなりました
シルクさんに行ってもらいたいです
実際どうなのか調べてください— アルト@はくさい (@kamosuzo28) September 27, 2019
#夏だしフォロワーさんの怖い話教えてください
高校2年生の時松代大本営について学年で学習して実際の大本営跡地に2年生全員でバスで見学へ・・・
すると霊感強い女の子が突然髪を掻き乱しながら泣き叫び出して騒然とした。
彼女が泣いていた場所は少し奥まって千羽鶴が沢山飾られていた所だった— りょーや (@ryouya_KI) June 24, 2018
part3
家族みんな「え?」ってなってさ。3才だから嘘つくわけもないし、幼いから戦争のこととかも知らない…勿論そんなとこに兵隊らしき人物はいない…一体兄貴は何を見たんだろう…そいやジサマ(祖父)も昔、故郷の温泉行ったときにロビーの四隅に鎧を着た武将が睨み付けてたんだと。 part4に続く— 最弱陸上部 (@Nakamura_Seijou) February 16, 2022
「除霊」「霊障害」対応の鑑定師
美鈴(みれい)先生
に幼少期から感じていた霊障について相談しました。母の実家の風景まで見てくださり、今まで感じていた疑問が少しずつ、そういうことだったんだとスッキリしました(家の作りや、伝えていない過去の出来事、今わたしが感じていた体調不良などまでみてくださり驚きでした)自分自身のガードの張り方を先生に教えていただいたので実践していきたいと思います。
娘の体調不良は霊障によるものなのか聞きましたが、そうは見えない、とはっきりと簡潔に答えて下さいました。確信が持ちたくて、そのあと2人の先生にみてもらいましたが、やはり、霊障ではないと言われました。美鈴先生が仰っていた自律神経のこと、思い当たることだらけです。
不思議な事が2日立て続けにあり鑑定お願いしました。祖母を心配させないように感謝して過ごして行こうと思うと同時にメンタルが落ちていた私にはとても活力剤になりました。霊的な事でどう伝えたら良いかと悩んでいましたが、祖母からのメッセージを伝えて下さり感謝しています。
霊障、除霊、霊感について電話で相談させていただきました。藁にも縋る思いで人生で初めてこのような所を利用させていただきましたが、美鈴先生に相談して良かったです。本物の方っていらっしゃるんですね…夜中にどったんばったんする見えない不審者をどう追っ払うかと来訪された原因も分からず困っていたんですが、先生に教えてもらった特徴で後で家系を調べたらぴったり該当する人がいてびっくり。家で騒ぎ立てている霊に対する対処は勿論、少し霊感があるけど全くそんな物には関わりたくない私が今後すべき事や対応についてなど具体的にアドバイスいただきました。実行したその夜から家は静かです。
先日、徐霊していただいたTです。自分でコントロールするにはまだまだかかりそうですが、今まで得体が知れず恐ろしかったものが、不思議なほど怖くなくなり、より色々な事がクリアに分かるようになりました。過信せず、冷静に対処していけるよう、心掛けていきたいです。又、自分の手に負えないときは、力を貸して下さい!
先程体調不良の件で鑑定して頂きました。霊障との事でしたがこちらが言わない状況も話の途中で視えていらして話半ばで鑑定結果を聞く事が出来ました。先生の鑑定は2回目ですが、変わらす短時間の素早い鑑定で、しかもここまで視えるの?と本当にビックリするくらいお力は本物の先生です。言葉を濁さずハッキリとてきぱき鑑定して頂ける鑑定はこちらも気持ちよく、お財布にも優しいので実力、鑑定内容、金銭的な部分でも非常に納得出ます。
早速、お風呂に入りました。まさかアドバイスで「汚い」って言われるとは思わず、ゆっくり湯船につかり、自分で自分を苦しめている体をきれいにしました。自分の生き霊が自分を苦しめていたなんて思いもしませんでした。でも、言われてみたらその通りだと思います。
美鈴先生の数々の透視、霊視で驚かされることばかりでしたが、中でもスゴイと思ったのが、好きな彼と大バトルを展開している時に腰に痛みを感じ動けなくなっていた時のことです。先生に助けを求めると『彼の生き霊が憑いてるから除霊してあげる』とおっしゃられ、待つこと数分…。それまで、這って歩いていたのが嘘のように、腰の痛みがとれ、普通に歩けるようになりました。それと同時に気持ちもすごくすっきりしました。
引用元:美鈴(みれい)先生の口コミ