松永太死刑囚と緒方純子無期懲役受刑者の北九州監禁連続殺人事件 概要

 
松永太 緒方純子 北九州監禁連続殺人事件

北九州監禁連続殺人事件主犯の松永太は、被害者たちに恫喝を繰り返して金を巻き上げ、監禁して電気ショック(通電)などで暴行と虐待を繰り返し、最後は被害者の家族同士の殺し合いをさせた生来の詐欺師、殺人鬼、サイコパスである。

松永太

via:https://matome.naver.jp/

 

少女の逃亡で北九州監禁連続殺人事件が発覚

17歳の少女Aが北九州市門司区に住む祖父の下へ逃げ込んできたのは2002年(平成14年)3月6日の朝だった。

Aの右足親指の爪ははがされ、首を紐で絞められた痕やあざが全身にあった。

祖父の通報で小倉北署は3月7日、Aを連れ戻しに来た男女を監禁と傷害容疑で逮捕したが 連行された男女は完全黙秘を続けた。

この男女が松永太(まつながふとし・当時40歳)と 緒方純子(おがたじゅんこ・当時40歳)である。

そしてAの供述から、一緒に暮らしていたAの父親Bが この男女に殺害された疑いが浮上し、この後、犯罪史上稀にみる残虐非道な連続殺人事件が発覚するのである。

松永太と緒方純子は高校の同級生という間柄で、内縁関係にあり、二児をもうけていた。

松永太は福岡県柳川市で布団販売業など数社を経営していたが、1992年前後に相次いで倒産。

緒方純子は元幼稚園教諭で、幼稚園を辞めてからは松永太の会社に勤めていたが、倒産したときに松永太と一緒に夜逃げしていた。

松永太の布団販売会社は5万円前後の安い布団を50万円前後の高額で客を恫喝し押し売り販売するという乱暴なもので、松永太と緒方純子は詐欺と恐喝容疑で指名手配をされ、夜逃げを余儀なくされていたのだ。

逃避行中は偽名を使って住所を転々と変えて生活をしていた。
 
逃亡先で松永太は不動産会社に勤めていたB(=逃亡した少女Aの父親・当時34歳)と知り合い、Bに架空の投資話を吹き込み、小倉北区のBのマンションに緒方純子とともに同居した。

Bが会社の金を着服した事実を掴み、その弱みを握った松永太は、それをネタにBに対して虐待と恫喝を繰り返し、1000万円を作らせて全て取り上げた。

松永太は布団販売業時代から、ノルマを達成できない従業員に対して剥き出しの電気コードで体にショックを与える拷問(通電と呼んでいた)を繰り返していたが、Bをはじめ、娘のAも、緒方純子も、この後に全員殺される緒方家の親族6人にも、この通電をしばしば行っていた。

1996年2月、度重なる通電や監禁により体調が悪化していたBが死亡。

始末に困った遺体は松永太の示唆により バラバラにされて独特の処理を施され、捨てられた。
 
松永太 北九州連続監禁殺人事件

via:人殺しの息子と呼ばれて

 
遺体を解体するときには、当時小学生だった娘のAにも手伝わせて、彼女にも共犯意識を植え付けて、逃走できないように精神的に支配していった。
 
 
スポンサーリンク



 
 

親族同士が殺し合い、純子以外の緒方一家が全滅

松永太が次なる金づるに目をつけたのは緒方純子の実家だった。

緒方純子の父親・誉(たかしげ)さんに、純子がBの殺害に関与していると話して 資金を調達させた。

娘をかばいたかった誉さんは自宅を担保にして農協から3000万円の融資を受けて、全額 松永太に渡した。

また、緒方純子の妹夫婦も一緒に呼び出されてサラ金から金を借りさせれらた。

その後は緒方純子の父母、妹夫婦、甥と姪の6人が、小倉北区の殺人マンションでの同居を余儀なくされた。

>>大島てる(小倉北区のマンション)
 

ここまで金を巻き上げてきた松永太にとっては、緒方純子の親族の「金づる」としての役割はすでに終わっており、役目を果たせば同居人たちに用はない。

1997年12月、緒方純子の父親・誉さん(当時61歳)が通電の電気ショックで死亡した。

遺体は家族により解体され、独特の処置をされ捨てられた。

1998年1月、ショックで発狂した緒方純子の母親・静美さん(当時58歳)が、松永太の示唆を受けて、緒方純子と妹夫婦によって絞殺された。

1998年2月、理恵子(当時33歳・緒方純子の妹)を殺害。

緒方純子
松永は私(理恵子の姉)、主也さん(理恵子の夫)、彩ちゃん(理恵子の娘)に「これから理恵子をどうするか話し合いしろ。俺が起きるまでに結論を出しておけ」と指示しました。
 
松永が起きてくるまでにきちんと殺し終わっていなければ、通電等の制裁を受けるという強迫観念が襲ってきました。
 
たとえ一時的に殺害を回避できても、最終的には殺さなければならないし、時間が延びればその分、ひどい虐待を受けている妹がつらい思いをするんじゃないかって、妹の殺害を自分で納得しました。
 
それを主也さんにいうと「それだったら自分がやります」と言って彼が殺害役を引き受けました。
 
母親に最後のお別れをさせる意味で、彩ちゃんに理恵子の脚を押さえつけさせた。

1998年4月、主也(当時38歳・理恵子の夫=緒方純子の義弟)を殺害。

1998年5月、優貴(当時5歳・緒方純子の甥)を殺害。

緒方純子
松永は「子供に情をかけて殺さなかったばかりに、後々復讐されたという話もあるからな。そうならないために早めに口封じをしなければならない」と言って、彩ちゃんに弟殺害を命じました。
 
松永のシナリオ通りに 彩は「優貴、お母さんに会いたいね」とやさしく声をかけ、「うん」と優貴がうれしそうにいうと「じゃあ、ここに寝なさい」と台所の床を指差しました。
 
優貴は素直に従い、仰向けに寝て、彩はその横にしゃがみこみ「お母さんのところに連れて行ってあげるね」と言いながら、電気コードを優貴の首に・・・

1998年6月、彩(当時10歳・緒方純子の姪)を殺害。

緒方純子
松永は理由もなく彩の顔に通電を加えるようになりました。
 
通電の後、松永は彩を洗面所に連れて行き、ドアを閉めて何らかの話し合いをしていました。
 
数日間このパターンを繰り返した後、洗面所から出てきた松永は「彩ちゃんもそうすると言ってるから」と。
 
「そうだろ?」と松永は隣にいた彩に確認を求めると、彩は何も言わずに小さくうなづき、彩は自ら歩いて、優貴の殺害場所と同じところに行き、仰向けに寝て目を閉じました。
 
私が首に電気コードを巻こうとしたとき、彩はわざわざコードを通しやすくするために少しだけ首を上げました。
 
そして苦しそうな声も上げず、体もまったく動かさず、眠るように・・・

遺体は松永太の示唆を受けて そのとき残された親族によって解体されたあと、独特の処理をして捨てられた。

こうして1997年12月から1998年6月までの約半年間のうちに、緒方家の6人が犠牲になった。

北九州監禁連続殺人事件の公判と判決

北九州監禁連続殺人事件は松永太の示唆により 緒方純子やその家族たちが 足がつかないように遺体の始末に万全を期していたことと、事件が発覚するまでに時間がたっていたために、物証がほとんど残っていなかった。

被害者たち全員をマインドコントロール下に置いた主犯・松永太がすべての殺人・遺体損壊・遺棄を主導していたのは間違いないが、

松永太
何とかしろ!自分らで考えろ!

こう言って緒方純子たちに殺人を示唆しただけで、松永太自身が「殺せ」と命令をしてもいなければ、自分が殺人には手を下してもいない。

ただその現場を見て、楽しんでいた。

緒方純子の証言を松永太は全面否認し、公判では一貫して無罪を主張し、すべての責任を緒方純子に負わせようとした。

松永太
自分は指示、誘導を一切していない。
 
緒方一家の殺害は、緒方純子固有の動機で行われた

確かに殺人行為の実行犯は緒方純子の家族たちと少女Aだったため「自分は何もしていない」ということなのだ。

緒方純子の10歳の姪・彩ちゃんまでが殺人・死体損壊などの実行犯に駆り出させる現実は信じがたいほど残酷で、恐ろしく感じてしまう。

逮捕当初の緒方純子は黙秘を続け、公判のときに松永太に顔を合わせる機会があると笑顔で声をかけていたというし、捜査員からは「鉄の女」と呼ばれていた。

それだけ黙秘を貫いた鉄火面だったということらしい。

ところがその後半年ほどで 緒方純子は徐々に松永太のマインドコントロールから抜け出していった。

そして「死刑になってもかまわない」と覚悟を決めてすべての供述を始め、緒方純子の証言により 北九州監禁連続殺人事件の全貌が解明されることになった。

北九州監禁連続殺人事件の一審判決では、松永太・緒方純子両名に死刑が言い渡されたが、2007年2月の二審では 松永太には検察の求刑通りそのまま死刑、緒方純子には無期懲役の減刑判決が言い渡された。

緒方純子の刑はここで無期懲役が確定。

松永太は上告したが、2011年12月12日に棄却され、ここに松永太の死刑判決が確定した。

2017年8月現在、松永太56歳は、福岡拘置所に収監されている。
  
 
スポンサーリンク



 
 

松永太と緒方純子の共同正犯!?北九州監禁連続殺人事件の全貌 1


 

松永太と緒方純子の判決と現在!北九州連続監禁殺人事件の全貌 2


 

人殺しの息子と呼ばれて【松永太と緒方純子の息子インタビュー】北九州連続監禁殺人事件


消された一家・北九州連続監禁殺人事件




松永太