人殺しの息子と呼ばれて【松永太と緒方純子の息子インタビュー】北九州連続監禁殺人事件

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北九州連続監禁殺人事件

【前編予告】
北九州連続監禁殺人事件 松永太と緒方純子の息子 

自分の正体を隠して生きる一人の青年がいます。

北九州市に住む会社員の男性、24歳。

彼の両親は、日本の犯罪史上、類を見ないと言われた、あの「北九州連続監禁殺人事件」の犯人。

父親は、松永太死刑囚。

母親は、無期懲役の緒方純子受刑者。

命を奪われたのは、親族ら7人。

その殺害方法が残虐すぎて、メディアも報道を差し控えたほどでした。

両親が逮捕され、息子が保護されたのは9歳の時。

その後、息子を待ち受けていたのは、冷たすぎる社会でした。

今回、メディアとして初めて取材が実現。

10時間に及ぶインタビューの中で語られたその内容は、私たちの想像をはるかに超える壮絶なものでした。

殺人犯の息子に生まれてしまったがために日陰の人生を歩まざるを得なかった24歳青年のあまりに悲しき人生の告白です。

 
 

北九州連続監禁殺人事件

【北九州連続監禁殺人事件】via:事件現場(大島てる)

 

 
 

松永太と緒方純子の共同正犯!?北九州監禁連続殺人事件の全貌 1


 
 

松永太と緒方純子の判決と現在!北九州連続監禁殺人事件の全貌 2


 
 

松永太死刑囚と緒方純子無期懲役受刑者の北九州監禁連続殺人事件 概要


 
 

消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

豊田 正義 新潮社 2009-01-28
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松永太死刑囚と緒方純子受刑者の子供たちの現在は!?

 
「死刑になってもかまわない」と覚悟を決めてすべての供述を始めた緒方純子の証言により 北九州監禁連続殺人事件の全貌が解明されることになったことで、一審で死刑を言い渡されたが緒方純子受刑者には二審で無期懲役が確定した。

主犯の松永太は一審・二審とも死刑が言い渡され、これを不服として上告をしたが2011年12月12日に棄却されて死刑判決が確定した。

松永太死刑囚は現在 福岡拘置所に収監され、死刑執行を待つ身である。
 
 

松永太と緒方純子は内縁関係ではあるが、二人の子供をもうけていた。

2人の逮捕後、監禁されていた少女の供述により3か所のアジトは突き止められており、子供たちは7人の被害者を監禁していたアジトとは別の場所で 子どもたちだけで生活をさせられていた。

事件発覚当時、監禁殺人マンションとは別の メインアジトから5分ほどの小倉北区内にあるアパートの1階の部屋に捜査員が踏み込んだとき、そこには4人の男児がいた。

双子を含む4人は、5歳、6歳が二人、9歳で、捜査員が名前を聞くと しっかりした口調で偽名を答えている。

このときの9歳の男児が、今回フジテレビのインタビューに答えている松永太と緒方純子の子供である。

ここで生活をしていた4人の子供たちはほとんど外出をすることもなく、この室内に閉じこもる生活を送り、世話は監禁されていた少女がしていたという。

9歳の長男は当時 小学校にも通わせてもらっていなかった。

それは子どもたちが出生届けを出されていなかったため戸籍がなく、幼稚園にも小学校にも通えなかったから。

しかし、4人のうち双子を除く5歳と9歳の男児が DNA鑑定で松永太と緒方純子の息子であることが判明している。

両親の逮捕後、子どもたちは児童相談所に緊急保護されていた。

松永太と緒方純子の子どもたちについて、法廷で緒方純子は検察官の尋問のときにこう答えていた。

検察官
逮捕されていなかったら、あなたはどうなっていたと考えますか
緒方純子
親子心中に望みをつないで生きていたので、子供たちと死んでいたかもしれないです。

松永からは「お前の子どもなんだから、お前が処分して、そのあとに自殺しろと言われたことがあります。

検察官
でもあなたはそれを実行しなかった。なぜですか?
緒方純子
子どもたちが私の言うことをきかないので、連れ出せませんでした。

松永は子供たちに、私が悪い母親であると吹き込んでいたのです。

松永は子供たちに「もしお父さんが殺されたら“この女は指名手配の緒方純子です”と言って助けを求めろ」と言い含めていました。

検察官
今、子供たちは施設で暮らしていますが、それについてどう考えますか?
緒方純子
子どもたちにとってはよかったと思います。

人格がこれ以上ゆがむことはありませんから。

FちゃんやGくん(この事件の被害者である緒方純子の姪と甥)のことを思うと、大変申し訳ないことではありますが。

両親が逮捕されたため、残された子供たちは当然施設に送られることになったが、母親である緒方純子はそれをよかったと言っていたのだ。

この尋常ならざる状況下でのこのセリフを緒方純子はどんな思いで吐き出したのか・・・。

無類の子ども好きで幼稚園教諭になった緒方純子にとって、わが子まで洗脳してなつかせようとしない松永太の仕打ちは かなりつらいものだったに違いない。

松永太と緒方純子の間に生まれた子供たちは、「人殺しの息子と呼ばれて」世間のどんな冷たい仕打ちを受けながら生きてきたのか。

すべての真実を知ったとき、息子は父親と母親に対して どんな思いを抱きながら生きてきたのか。

それが今回 はじめて、テレビで明かされる。

ザ・ノンフィクション 人殺しの息子と呼ばれて・・・
【前編】フジテレビ 10月15日(日)14:00~14:55
 
 
 
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10/15 前編【人殺しの息子と呼ばれて】松永太と緒方純子の息子インタビュー

 
松永太

via:https://matome.naver.jp/

 

24歳青年の悲しき人生の告白

息子
生まれて記憶のある時からの話をします。

両親が逮捕され、子どもたちが保護されたのは9歳のとき。

監禁生活からようやく解放された息子を待ち受けていたのは、冷たすぎる社会の洗礼だった。

何で生きてるんだ、人殺しの息子が!

周りの全員が敵に見える。誰も信用できない。

愛情のない生活を強いられたために、気がついたら感情のない少年になっていた。

息子
好きって言われたことがあっても「好き」という意味がぜんぜんわからなくて。

楽しみにしていた小学校生活も、親がいない寂しさから、息子の心を追い込んでいく。

息子
運動会がいちばんしんどかった。
施設組で固まってご飯を食べるので、周りの目が気になって。

成長するとともに、あの人殺しの両親と同じ血が流れているという恐怖心と闘いながら、生きていくことになった…。

これは殺人犯の息子に生まれたために、日陰の人生を歩まざるを得なかった24歳青年の、悲しき人生の告白である。

2017年6月にフジテレビで放送された「追跡!平成オンナの大事件」で北九州連続監禁殺人事件が取り上げられた後に プロデューサーに1本の電話が入った。

相手は松永太と緒方純子の息子だと名乗った。

息子
なぜいつまでもこの事件を取り上げるのか?
番組のせいで、自分までネット上で非難されている。
どうしてくれる?

そこでは2時間にも及ぶ電話が1週間続き、プロデューサーは次第に「彼に会ってみたい」と思うようになったという。

そして交渉の末、松永太の息子は取材を受ける約束をしたのだが、そこに3つの条件を挙げていた。

◆本名は公表しない ◆顔を隠す ◆肉声をそのまま使う

プロデューサーは、声をそのまま出せるのであれば彼の感情や本音を伝えることができると判断し、条件を受け入れることにしたという。

8月21日に松永太の息子へのインタビューは、福岡県北九州市のホテルの一室で行われた。

そして10時間にも及ぶ松永太の息子とのインタビュー取材が始まった。
 
 
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松永太の息子が取材を受けた動機とは?

―なぜ今回、取材を受ける気になったのか?

息子
ネットなどで自分のことがいろいろ書かれていて。
その息子は今、まともになっていないだろうなとか、知りもしない人たちが自分のことを悪く言うのに納得ができなくて。
 
だったら、自分のほうから発言してみようと思った。
 

息子の告白「あの殺人事件を見ていた」

―事件を、幼いあなたは見ていたのか?

息子
記憶の中にお風呂場が出てくる。
そこに誰を入れていたのかは覚えていないけれども、風呂場に誰かがいた。
ずーっとその人を風呂場の中に放置していたんだと思う。
息子
あと、記憶に残っているのがペットボトルと船と公園
後に事件のことをいろいろ自分で調べていったら・・・。

松永太の息子
松永太の息子 インタビュー

息子
(ペットボトルの中身を)トイレに捨てたり、海に捨てたり。
あ、全部つながった!と。これだ!と思って。
 
みんなでやっていましたよ、そこに何人かいました。
確実にわかっていることは、母親はそこに絶対いました。
でも、他の人が誰なのかは、ぜんぜんわからないけれど
 
殺人の痕跡を消すために、緒方純子と被害者たち(=当時の共犯者である親族たち)は 遺体を処理したものをペットボトルにつめて 公園のトイレなどに流して捨てていた。

だから、松永太の監禁殺人アジトの排水溝からは被害者7人の肉片はおろか、髪の毛一本も見つからなかったのである(殺人の証拠が出なかったのは、配水管の総取替えやタイルの張替えなども完璧にしていたせいもある)

緒方純子の全面自供がなかったら、北九州連続監禁殺人事件は完全犯罪が成立していたのでは?と思うくらい、その始末はパーフェクトだった。
 

松永太の息子インタビュー
松永太の息子インタビュー
 

なぜ親族たちは松永太から逃げられなかった?

―なぜ監禁されていた人たちは松永太から逃げなかったのか?

松永太は監禁した人たちの自由を奪っていた。

食事や排泄まで厳しい制限をかけ、寝るのは台所でのざこ寝。

松永太の決めたおきてを破ると「通電」という拷問で痛めつけられていた。

息子
通電装置があって。よくあんなの作ったなと思うけれど。
コンセントから電源を取って、先にクリップ銅線をクリップにまきつけて。
そのクリップを体につけてつなぐと体に電気が流れる。

松永太は親族たちが互いに通電や暴力を振るうように仕向けていた。

互いを傷つけ合わせるのは仲間意識を持たせないためである。

息子
何かあると、親父(松永太)はどっちが悪いかを徹底的に言わせるんですよ。
「白か黒かはっきりしろ!」と。
 
そこで本当のことを言うのならまだいいけれど、お互いにだんだん嘘をつくようになる。
自分を守るため。自分を正当化するために。自分がやられないために。
 
親父はそれを見て喜んで楽しんでいる。

なんだかまるで、連合赤軍の総括みたいに思えてくるのは私だけだろうか!?

監禁された人たちは松永太の機嫌を損ねないことだけを考える日々を送るのに必死だった。

心身ともに疲れ果てて奴隷のようになり、松永太に抗う気力も体力もそがれ、逃げられなくなっていった背景がそこにあった。

息子
本人たちは必死だったんです。

ある日、息子の目の前で 母親である緒方純子が松永太から通電をされたときに、通電装置がコンセントが刺さっていなかったことがあった。

当然電流は流れないので苦痛が起こるはずはないのだが、緒方純子はスイッチオンに合わせて通電されているふりをしていたという。

息子
でも、あいつ(松永太)が通電をつなげると、母親はものすごく痛そうにしていた。
当時はそれが理解できなくて、思わず言ってしまったんです「コンセント繋がってないよ」と。
 
そうしたら親父がぶち切れて「何でそんな演技してるんだ、この女は!」
それでその晩は一晩中通電されてたみたいです。
 
母親はどっちかの足の指がくっついてたと思うんですけど、通電されすぎたせいで。
それくらい母親は執拗に通電されてました。
奴隷みたいな感じです。
 
 
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松永太の息子たちの監禁生活

息子によると、監禁殺害現場から5分ほどのマンションに、子どもたちだけで住まわされていたという。

息子が覚えているのは「ひもじさ」

息子が5~6歳の頃に 松永太から言われた忘れられない言葉があるという。

息子
食パン一枚渡されて「この一枚でどうやったら一日生活できるか考えろ」と。
朝昼晩にご飯があるというのは知っていたので、3分割するしかないなと考えて、そうやって食べていた。

息子は与えられたものを黙って食べるしかなかったという。

息子
母親がビニール袋にいっぱい、ご飯を入れて持ってきていた。
1週間分くらいはあったかな。
 
それでも終盤になると「もう食べものがこないんじゃないかな」と思う。
あの人(母親)持ってくるんだろうか、という、漠然とした不安があった。

―どんなものを食べたか覚えてる?

息子
納豆ご飯とか、みかんとか、豆腐、うどん、食パン…。

―うどんはお母さんが作ってくれた?

息子
いや、自分たちでしていた。

―その家にはお父さんとお母さんは寝泊りしていなかった?

息子
いない。いなかったです。

―子どもたちだけ?

息子
親はいなかった。
お風呂も、今考えたらスイッチ押せばとか、水とお湯を出せばいいとわかるけれども。
当時は使い方が全くわからないから、冷たい水風呂に入っていた。

息子たちの住む部屋には監視カメラが取り付けられており、録画できるもので、四六時中 功道を見張られていたという。

息子
ドーム型の天井につけるカメラが1個。
それが家のテレビに映るようになっていた。
親父が帰ってきてそれを見て「●●をしていない!」「■■ができていない!」と怒られる。

「カメラが映る所で生活すること」「寒い日でも短パンとTシャツ一枚で過ごすこと」が決まり。
暑くても冷房が効いた部屋では寝かせてもらえなかったし。
 
他にもいろいろあったけれど、絶対的だったのは「親父に逆らうな!」
ものすごく怒るんですよ。

 

松永太の子どもたちへの虐待

息子
親父が俺の頭を浴槽に沈めていた。
水を飲むと頭の後ろが痛くなるじゃないですか。
そうなっている俺を見て、親父が喜ぶんですよ。
 
でもあいつ(松永太)と一緒に風呂に入るとなると それが当たり前だったので。
でも風呂に入らないと気持ち悪いじゃないですか。
 
俺が自分から風呂に入るというまで、あいつ(松永太)は待つんですよ。
そして風呂に入ると俺の頭を浴槽に沈める。
 
それが気持ち悪くて。

子どもたちに対する虐待の中で息子が最も怖れていたのは「通電」だった。

息子
僕は顔と手と足に通電されたことがあるんです。
ものすごく痛い。早く終わってほしい。

―どれくらいの時間、通電された?

息子
10数秒とかは当たり前にあって。
親父はそれがやりすぎだと思ったのか、そのうち回数でやるようになった。
だいたい平均6回。
 
あいつ(松永太)の機嫌を損ねたら、その場で6回、「すぐあれ持って来い!」で通電。
それをおかしいとか、変とか思うこともなく、自分はそれが当たり前なんだと思っていた。
 
この人を怒らせたから、自分が通電されるんだって思っていた。
今考えたら、ゾッとするけれど。

息子はひたすら我慢し、時が過ぎ行くのを待つしかなかったという。

両親が支配する監禁部屋から逃れる術が、幼い息子にはなかった。

息子
人間として扱われてなかったという表現がいちばん近い。
動物にしつけをするみたいな。
 
どうしてそれがダメなのか、ちゃんとした理由も説明もなく。
とりあえず親父がしてほしくないことや、自分(松永太)がされたらバツが悪いことをしたら、ものすごく痛くて苦しい思いをするぞ!というしつけのされ方をずっとしてきた。

―「通電」をあなたはしたことがあるか?

息子
弟に、あります。

―それはお父さんから言われて?

息子
やれ!と言われて、やったことがある。
逆もあった。弟が僕に。
 
 
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母親・緒方純子が大嫌いだ!

松永太 緒方純子

via:https://matome.naver.jp/

インタビューが母・緒方純子の話になったとき、息子は異常な反応を示し、感情を剥き出しにした。

息子
僕は母親がすごく嫌いなんです。
今となってはどうでもいいんですけど、母親のことなんか。

虐待されるとき、母親は僕のことを押さえつけていました。
「押さえつけとけ」と親父が言うので。

―そのときのお母さんの表情は?

息子
もう、必死に押さえてましたね。
親父に言われたことを守るためだけに。
だから僕は母親がすごく嫌いなんですよ。

―虐待が終わったときお母さんから「ごめんね」の一言とかは?

息子
あったような気がします。
でもなんと言われても「お前も一緒だ!」と思っていたので。
 
母親から背中に包丁を突き立てられた事もあった。
何でそうなったかは覚えていないけれど、倒されて。

今となってはどうでもいいんですけどね、母親のことなんか。

息子は、父親の言うなりになって自分を傷つけた母親・緒方純子を許していない。

松永太の息子インタビュー
松永太の息子インタビュー
 
しかし、父親・松永太に対しては、母親とは異なる感情を抱いている息子。

松永太の食卓に並んでいたのは、寿司やステーキなどの豪華な食事。

息子
あいつ(松永太)は目の前でめちゃくちゃおいしそうなご飯を食べてるんですよ、お酒を飲みながら。
僕たちはいつもと変わらないご飯ですけど。
 
インスタントラーメンなんか「栄養がない」とか何とか言って、ラードを入れて食べさせられてました。
ぜんぜんおいしくないけど。

松永太の怯える姿を息子は見ていた

そんな父親が何かに怯える姿を息子は覚えていた。

松永太と緒方純子は息子が生まれる前に、指名手配されていた。

息子
誰かから隠れていることはわかってました。
カレンダーに何回ピンポン鳴らされたとか、何時に誰が来たというのを書いていたんです。
 
壁に聴診器を当てて外の音を聞いていたりとかを親父がやっていて「大丈夫だ」「大丈夫じゃない」という話をしていた。
今思えば、近隣の人からどう思われていたとか、気にしていたのかなと。
 
「隠れとけ」「静かにしとけ」と言われていたので、誰かから逃げているんだなとは思っていた。
 
さらに松永太は 子どもたちから足がつき、警察に感づかれることを怖れて、息子たちに偽名を使わせていた。

息子
親父(松永太)から「お前には名前が3つある」と言われた。
本名と偽名が2つ。

―それはどういうときに使い分けていた?指示はあったのか?

息子
知らない人に会ったら偽名を使えと言われた。

―名前が3つあることを疑問に思わなかった?

息子
思わなかった。
僕の中では親父が絶対だったので。

実は松永太と緒方純子の息子には戸籍がなかった。

両親が出生届けを出さなかったからで、そのために子どもたちは幼稚園や小学校に通わせてもらえなかった。

両親は息子に 家にい続けることが当たり前のことだと、信じ込ませてきたのだった。

息子
親父から「学校に行きたいか?」と聞かれた。
幼稚園はわからなかったが、テレビで小学校が出てくる番組を見て「それ学校と言うんだよ」と言われて。
 
「行ってみたい」と答えたんですけど、それを親父は何も言わなかった。
あの子達はあの子達、お前たちはお前たちと言われていたので「何で行けないのかな?」と考えたことは一度もなかった。

―文字はどうしてた?

息子
あいうえお かきくけこ カタカナくらいまでは教えてもらっていた。

事件当時の世の中はポケモンが流行り、アムラーが街を闊歩していた時代、息子に「好きだったものは?」と問いかけると。

息子
好きな歌はあった。岡本真夜さんの「TOMORROW」
 
 
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監禁生活からの解放

2002年3月4日、松永太と緒方純子を逮捕。

両親が逮捕されたとき、本来なら子どもたちは自由の身になれるはずで喜ぶべきことではあったが、世間は冷酷だった。

その時、息子は9歳で、身よりも金もなく、世間に放り出されることになった。

警察に保護された息子がまず連れて行かれたのは、北九州市内にある児童相談所だった。

そこで息子は、生まれてはじめて両親以外の大人と接することになった。

息子
妙に周りの人が優しくて、気持ち悪いと思った。

―お父さん、お母さんはどこに行っちゃったんだろう?というのは?

息子
それは聞いてました。
「両親は今は違うところにいる」「これからどうなるかわからない」と。

―さびしくなかった?

息子
半々だったんですよね。
やっぱり親だと思っていたのかなという気持ちと、「この人たちには何もされない」というほっとした気持ちと半々。

ーそこではじめて世間を知るわけですよね。

息子
こんなに食べていいのかなあ?と。
いちばん最初に食べさせてもらったのが、夜遅かったんですけど、レトルトのカレーか何か出してもらって、食べて…。
 
「もう大丈夫だからね」とか言われたけど、何が大丈夫なのか全然わからなくて。
とりあえず、今日はここで寝ていってと言われて。

その後息子は、児童相談所から児童養護施設に移された。

息子
児童養護施設に行くときにうっすら何となく、周りの人が距離を置くような、腫れ物に触るような、扱い方がわからないというか。
微妙な距離感や温度差を感じて「俺、何かしたのかなあ?」
「またこの人たちからも、何かされるのかなあ?」と思った。

「何もされない」「何かされる」という強迫観念

息子にはそれまでの異常な生活がしみこんでいるから、誰かから「何もされない」「何かされる」という感覚がしみこんでいたのかもしれない。

だからどんなにやさしくされても、心は閉ざしたまま。

しかし養護施設に入った息子は、はじめて小学校に通えるようになったのだが、楽しみにしていた小学校でも地獄が待っていた。

息子
その時、本当は小学4年生のはずだったけれど、3年生から行こうと言われて。
当時はそれがおかしなことだということもわかっていなくて。 
でも「学校」が楽しみだったので、「わかりました」と言った。

笑うのは、気がついたらできるようになっていた。
最初はずっと引きつったような笑い方だったと思うんだけど。
「笑ったら不細工だね」とよく言われていたので。

―でも笑うようになった?

息子
それは周りの友達のおかげだと思う。
どこからどこまでを友達と呼んでいいのかわからないけれど、遊びに誘ってくれる子はいた。

一緒にドッチボールしようとか、バスケしようとか。
でも、全然面白くないんですよね、遊び方がわからないので。
ただ目の前でボール投げられて、当てられたら終わりねって意味がわからんなと思った。
 
バスケしようと言われて「あの輪っかのなかに入ったら勝ちだよ」と言われても、全然その意味がわからなくて。

  
 
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「好き」という感情がわからない

両親から愛情なき9年間を送ってきた息子は、思春期になっても「人を好きになる」気持ちが全く理解できなかったという。

―クラスに1人くらい気になる女の子とか好きな子はいた?

息子
「好き」って言われたことはあったんですけど、何が「好き」なのか全然わからない。
何の「好き」なのかがわからなくて。
 
人として友達として、彼氏彼女としてという感情が、自分の中では「友達として好き」しかなかったから。

―「好き」と言われて嬉しいという気持ちは?

息子
まったくないですね。
「ありがとう」とは思うけれども。

―バレンタインのチョコは?

息子
もらいました。

―それに対しての感情もない?ありがとうで終わってしまう?

息子
うん・・・。
 
今は理解できるんですけど、時間と気持ちをこめて作ってもらったと言うのが。
でもその当時の俺には「食べ物もらった、ありがとう」くらいしかなかった。
 
1人から怒られたことがある「何でそんなそっけないの?ほかに言うことないの?」と。

「人殺しの息子」のレッテル

そんな中、クラスメートは次第に息子の正体に気づき始めていた。

息子は必死で正体を隠そうとしたが、悪い噂は広まっていく。

一部の生徒からは冷たい目で見られていたという息子。

息子
養護施設は門限の5時までに帰らなくてはいけなかった。
他の皆は学校終わって遊びにいったりするけれど、僕たちはそういうのができないんです。
 
そうなると、若干温度差があるんですよ、学校の中でも。
で、自然に噂されるようになる。

―どういう噂?

息子
あの子はいろんな理由があって、施設に入っていると。
僕が施設から通っていることをみんな知っている。もう隠しようがないので。

―直球で「お前の父ちゃんは犯罪者だ」とか?

息子
ありましたよ。

―「殺人者」だとか「人殺しだ」とかも?

息子
何人かからは。

―そういう時、どう返す?

息子
「したのは俺じゃない」と言います。
「関係ない」とまでは言えないけれど、「したのは俺じゃない」って。

―小学校の参観日とかは?

息子
がんばって発表しようと思っても、親がいないんで。
一応、施設の職員が来るんですけど、施設の生徒が何人もいるので一人ひとり見れないから、がんばりがいがないなあと。
 
で、帰るときも、他の人たちは手をつないでみんなで帰るんですけど、僕はバラバラで1人で帰る。
 
運動会がいちばんしんどかった。
施設組みで固まってご飯を食べるので、周りの目がね。
他の人は家族でわいわいしながら食べるのに「俺たちってこれなんや」って。

―何を食べたか覚えてる?

息子
いつもとは違っていろんな料理が入っていたけど、やっぱり他の家に比べたら、内容が全然違うのもわかるし。
運動会はすごく嫌いだった。
授業参観も大嫌いだった。

感情爆発

次第に息子は自分の感情をコントロールできなくなっていったという。

息子
小5の2学期にクラスの1人の子と、内容は言いたくないけれど、親関係のことで文句を言われた。
どうして当時、その子がそのことを知っていたのかはわからないけれど、チラッと言われて。
それでカッときて、その子に思い切り椅子を投げつけたんです。
 
そうしたらみんなが離れて、何も言わなくなって。
それから周りの子が、俺に対してかかわり方を考えるようになったと思う。
 
それが僕の中では「あ、これでいいんだ」と思うきっかけになった・・・相手が黙ったから。
嫌なことをされたり、嫌なことを言われたら、今までは我慢することしか知らなかったけれど、そればかりじゃないんだ。
 
ほかにも方法があるんだと気づいて、暴力で自分の感情を示すようになって。
それでも表面上は付き合う友達もいたり、すっぱり切れる子もいた。
 
どちらにしても、自分にとってはそれが心地よかった。

1人でいることの方が気楽さを感じるようになっていった息子は、人を寄せ付けなくなり、向かってくる相手には暴力で黙らせるようになった。

そんな息子に、周囲の大人たちは手を差し伸べなかったのか?

―学校の先生はどうだった?

息子
1人、熱血教師みたいな人がいたけど、その言葉が全部嘘に聞こえた。

―たとえば?

息子
先生は『俺はお前のためを思って』と言う。
「いやいや、いいよもう。結構ですから」って。
「俺のためを思うのなら、そっとしておいてください」って。
 
『お前もきつかっただろう。大変だろう』と言われても、「いや、先生に何がわかるんだ?」と。
 
先生とはほとんど話していなかったですね。

―朝から晩まで、荒れに荒れていた?

息子
めちゃくちゃ疲れます、常に気を張ってないといけないから。
でもそれをやめたときに、「自分はどうなってしまうんだろう」という不安とか恐怖もあったし。
 
バカにしてくる子はとことんバカにしてくるし。
そうなると自分自身、我慢ができなくなって、どうしても手が出てしまう。
 
荒れてましたね、ものすごく。
全員が敵に見えるし、大人なんて信用していなかった。
 

一審判決~松永太・緒方純子両被告に死刑

 

両親が逮捕されて4年後、2005年9月28日に 一審で父・松永太と母・緒方純子に死刑に判決が下った。

このとき、息子は中学生・・・思春期の息子の心の中に、次第に恐怖心が生まれていった。

―お父さんとお母さんの血が流れているということに対してどう思う?

息子
自分も同じことをしてしまうのではないかなと。
どこかでリミッターが外れて・・・。
 
 

【人殺しの息子と呼ばれて】 後編に続く
10月22日(日) 14:00~14:55
 

【後編予告】

自分の身体に殺人犯の血が流れている…。

その恐怖と闘いながら生きる一人の青年。

北九州市に住む会社員の男性、24歳。

彼の両親は、日本の犯罪史上、類を見ないと言われた、あの「北九州連続監禁殺人事件」の犯人です。

両親が殺害したのは、親族ら7人。

その殺害方法があまりに残虐すぎて、当時、メディアは報道を差し控えたほどでした。

逮捕から15年。

当時、9歳で保護された息子は現在24歳。

今回、私たちは、息子に接触し、メディアとして初めてインタビューが実現しました。

10時間に及ぶインタビューの中で語られたのは、目撃した事件の真相と、両親から受けた自らへの虐待そして、私たちの想像をはるかに超える悲しき人生でした。

後編では、身寄りも金もなかった息子が、養護施設を出て自立するまでの地獄の日々を赤裸々に告白。

また、番組では、母・緒方純子受刑者から届いた手紙を初公開、そして、手紙に対する息子が抱いた意外な感情。

さらには、父・松永太死刑囚と面会し、どうしても自分に言って欲しかったこと…。

殺人犯である両親への愛憎をメディアで初めて語ります。

  
 
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勇気ある告白に大きな反響~取材者が明かす松永太の息子への衝撃インタビューの裏側

今回のインタビューが実現した経緯

インタビューが実現したきっかけは、同局で今年6月に放送された特番『追跡!平成オンナの大事件』

北九州連続監禁殺人事件を追跡取材したものだが、この放送に対して、息子がフジテレビに抗議の電話を入れてきた。

通常の視聴者センターでの対応では収まらず、担当プロデューサーの張江氏が、直接対話することになったのが、彼との出会いだ。

謝罪を受けて態度が変化

張江氏
彼は、平日昼の11時くらいから、延々と思いの丈を私にぶつけてきました。
 
『なぜあの事件をいつまでも取り上げるのか。ネット上で自分まで非難されて迷惑をしている。本気で番組を作るのであれば、どうして自分のところに取材班が来てくれなかったのか?』と言ってきたんです。
 
たしかに、あの番組は両親を知る人たちを中心に追跡取材することに多くの時間をかけましたが、当時9歳だった子供を取材するのは、事件を蒸し返すことになり、あえてやめようと判断したのです。
 
でも、私は、息子の言い分も分かりましたので、『ごめんなさい。本当に申し訳なかった』と謝ったんですよ。
 
そしたら、息子はまさか謝罪されるとは思わなく、とても驚いたようでした。
そして、そこから態度が変わったんです。

その後も電話で何十時間にわたって会話を重ねるが、息子はいつも二言目に

松永太の息子
大人は信用できない。
どうせあなただって、この電話が終わって縁が切れたら関係ない人になるし、深い付き合いなんかもできるわけないじゃないですか。
張江氏
相当人間不信で生きてきたんだなっていうのを電話口で強く感じました。

一方で、

張江氏
時折、理路整然とこちらを追い込んでくるようなしゃべり方もしてくるんです。
 
両親が逮捕される9歳まで、小学校には通わせてもらえなかったのですが、頭の回転はものすごく良いと感じました。

これは皮肉にも、被害者をマインドコントロールしていた父親に似ているところもあると、本人も認識しているようだ。

肉声を公開するリスク

1週間にわたるやり取りを経て、息子は覚悟を決め、「自分の人生をこのまま隠して生きるより、きちんと世間に伝えたい」という思いで、番組のインタビューを承諾。

その思いを伝えるために、音声加工はせず、肉声を公開するというリスクまで負った。

そんな彼の決意に対し

張江氏
動きのある映像は撮れないけれど、君の24年間の人生を1時間だけで伝えることはできないから、一か八かだけど2週連続で放送する覚悟でやってみせる。

取材を通して親子のような関係に

前編の放送では、息子が目撃した残忍な犯行の表現も語られたが、

張江氏
日曜日の昼間に流すことは躊躇しましたね。
実際に視聴者の方からのクレームもあったんですが、そこを抜きには語れない

後編では、母・緒方純子受刑者から届いた手紙を初公開し、父・松永太死刑囚との面会の様子も明かされる。

ここで不思議なのは、前編では母親に対して、比較的強い口調で「すごく嫌いなんです」と嫌悪感をあらわにしていたが、その母からの何十通もの手紙を捨てずに保管していたことだ。

張江氏はこの疑問に対して、「そこが愛憎ですよね」と解釈。

張江氏
最初は私に『捨てたからもう無い』って言ってたんですが、2回目に会った時にカバンから出して、『これを煮るなり焼くなり使ってください』って渡してきたんです。
 
でも、封筒の破り方がひどくて、そこに彼の感情がものすごく表れていると思いました。

両親にはいずれも面会に行っているが、回数は圧倒的に母親が多いという。

10時間にわたるインタビューを後編まで見ていると、息子のある変化に気づく。

張江氏に対して、だんたん”タメ口”で答えるようになっているのだ。

それは、心を開いていったことの表れで、最近では何かあるごとによく電話がかかってくるという。

今年50歳の張江氏とは、ちょうど親子ほどの年齢差。

父親の愛情を全く受けずに育ってきた彼にとって、まるで親代わりのような存在となっており、

松永太の息子
これをきっかけに、出版社とかから発信することがあったら、張江さん付き合ってくださいね。
すごい不安だから裏切らないでください。
張江氏
後編では、養護施設を出てから世の中のひどい仕打ちにあったことを語っていますが、またそんな経験をするんじゃないかという恐怖心があるんですよね。

張江氏は彼のことを、本名の下の名前で呼んでいるそうだ。

前編放送後の松永太の息子の反応

張江氏
放送が無事に終りました。Twitterの反響もすごいです。
松永太の息子
ありがとうございます。
どんな意見が寄せられているか教えてください。

それで、『見る限りでは共感が多いよ』と送ったら、彼がこんなことを言ってくるのは初めてだったが、驚きとともに、胸を締め付けられるメッセージが届いたそうだ。

松永太の息子
よかった。
本当にいい映像を作ってくれてありがとうございます。
やっと報われる
張江氏
この“報われる”というひと言は重いですね…。

今回のインタビューを受けた背景には、自身以外にもたくさんいるであろう、犯罪者の子供として”日陰”の人生を送ってきた境遇の持ち主に対して、自らがテレビに出て話すことで「少しでも勇気を与えたい。1人で悩まないでほしい」という思いもあったという。

これまで、メディアが犯罪者の子供に焦点を当てることもなかったことから、強い決意があったようだ。

 
 
 
 
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10/22 後編【人殺しの息子と呼ばれて】松永太と緒方純子の息子インタビュー

 

息子の気持ちが荒れていた理由

どこに行っても「人殺しの息子」というレッテルが付きまとう日々。

松永太の息子
全員周りが敵に見えるし。
大人のことなんて、信用していなかった。
荒れていました、ものすごく。

荒れていたもうひとつの理由は「焦り」

いずれは養護施設を出なくてはならず、早く自立の道を見つけなければいけないという現実。

そんな時、運よく里親が見つかり、高校に進学できることになったものの、自分の力で行けるのは定時制高校だった。

-なぜ定時制を選んだ?

松永太の息子
昼間働ける。いちばんはお金がほしかった。
アルバイトをしてお金を稼いで、学校の費用も携帯代も、身の回りのことも、自分の稼いだお金だったら、誰も文句はないだろうと。
そう考えるとやっぱり定時制しかないなあと。

-どんな仕事をしていた?

松永太の息子
ガソリンスタンドで働いてました。週6日。
収入は、時間が時間なので、10万円ちょっとくらいもらっていた。
こんなに大変なんだなあと思いましたね。
これだけ働いて、もらえるお金がこれくらいなんだ、と思った。

しかし、お金を稼ぐことを優先させれば学校はおろそかになる。

息子は里親の元にもいづらくなり、家出し、住所不定の人生が始まった。

松永太の息子
ボストンバッグを2つ持って、何もいわずに家を飛び出したんです。
泊まるところもないし、ご飯どうしようとかいろいろあって、友達の家を転々としたり。
 
その後、住み込みで働ける仕事を見つけたんです。
そこで働くことになってから、学校の職員がやってきて「話は聞いている。里親の家を出たんだろう。ということは住所不定で、そういう生徒はうちの学校において置けないから」と。
 
たいした問題でもないなと、書類を書いて退学しました。

-社会の理不尽さ、不条理さを感じた?

松永太の息子
自分という存在が学校にとって面倒くさいんだろうなと。
早く片付けたいんだろうなというのはありました。
そのときは、今さら学校に通って卒業することを考えていなかったので。
とりあえずいちばん大事なのは仕事だなあと。
働きさえすればご飯は食べていけると思って。

世間は冷酷だった

息子は生きるために、住所不定でも雇ってくれる仕事を渡り歩いた。

住み込みで働ける飲食店やパチンコ店から農家の手伝いまで、やらせてもらえる仕事は何でも飛びついた。

松永太の息子
いろんな仕事を1ヶ月くらいで転々とするんですよ。
農業でスイカやさんもした。めちゃくちゃきつかった。
ひたすらスイカをポンポン投げる、1日500玉とか。

そんなとき、友人の紹介で住み込みで働ける解体業の仕事を始めた。

しかし、行き場も金もない息子は弱みに付け込まれることに。

松永太の息子
紹介されて行った所が土木関係と解体業の仕事だったんだけど、ものすごい汚いアパートだった。
鍵をあけて「今日からここを使っていいよ」と言われて、部屋の中に前に使ってた人のものがそのまま残っていた。
流しの中は汚いままだし、風呂場も汚いし、窓は割れてるし。
 
片付けて使えよと言われたけど「本当にここに住まなければいけないのか!?と思って。
最初の10分くらいは片づけをしていたけれど、電気はつかない、水道は出ない、ガスが来ていない。
結局何も食べられないし、そんなにお金があるわけじゃないし。
こんなしんどい思いをしなくちゃいけないのか、ホームレスと変わらないなと思ったんです。
そうしたら涙が出てきて。
 
こんな苦しい思いをして・・・。
他のヤツは当たり前に家があって、当たり前にご飯食べて、当たり前に遊んで。
何で俺だけこんな思いして生きていかなくちゃいけないのかなって。
 
結局 そうだ!親がいないからだ!ってなるんですよ、自分の中で。
 
中卒で、頼れる人が1人もいない息子は身分を保証してくれる人もいないため、まともな仕事にはつけなかった。

そんな人間に世間は冷酷だった。

松永太の息子
結局何をやっても、同じ壁にぶち当たる。
親がいないから。身寄りがないから。
どんなにがんばってやっても、結局はまたこれか!と思った。
 
携帯持つのも、免許取るのも、車を買うのも、家を借りるのも。
働くときでさえ保証人が要るじゃないですか。
何をするにしてもこんなに不便なんだって。
 
壁に当たるたびに自信をなくす。
これは俺がどうこういう問題じゃないよね?と。
 
 
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最高裁判所で松永太に死刑確定

2011年12月12日に最高裁判所による判決が下され、父・松永太には死刑が確定。

母・緒方純子には無期懲役が確定していた。

松永太に死刑が確定したとき息子は18歳、両親の判決を冷静に受け止めていた。

松永太の息子
当時の僕は死刑と無期懲役の違いが、あまり理解できなかった。
僕にとってはどちらもあまり変わらない。
死刑になって死んでも、無期懲役に減刑されても、結局僕の前に出て来ることはないんだから、その違いは何なんだろうと。
あまり変わりないな…という結論にたどり着いた。

-それはお父さんの死刑判決に対しても同じ考え?

松永太の息子
そうですね。
親父の判決に対してはちょっと安心しましたね、もう出てこないんだと。

母・緒方純子からの手紙

緒方純子の手紙

最高裁の判決後、息子の元に服役中の母・緒方純子受刑者から手紙が届くようになった。

その数は4年間で21通で、息子は全ての手紙を、今回見せてくれた。

緒方純子の手紙

乱暴に開けられた封筒・・・そこには母の手紙を素直に受け取れない息子の気持ちが現れているようだった。

-特徴的なのは、すごい破り方。どういう思いでこれを開けている?

松永太の息子
また来たな、と思う。
それでしばらく置くんです。
で、気持ちの整理がついてから「よし、見ようかな」と思って、気持ちが切れないうちに開けるので、結構 雑な開け方になるんです。
イライラして開けているというわけではないですけど。

母の手紙には息子を思う気持ちが綴られていた。 
 

これは↓いちばん最初に届いた手紙で、2012年のクリスマス頃に届いた。

緒方純子の手紙 緒方純子の手紙 緒方純子の手紙

緒方純子の手紙
 

お元気ですか。母は変わりありません。
貴方の生活を助けてあげることができなくて、本当にごめんなさい。

きちんと食事を摂ってね。
そして病気をしないように気をつけて。

楽しいクリスマスを。
そしてどうぞよい新年をお迎えくださいね。
メリークリスマス
 
 
緒方純子の手紙

緒方純子の手紙

緒方純子の手紙
 

母は自分を虐待し、ろくなご飯も与えてくれなかった一人の女・・・と思う息子の心には、これらの言葉は響かなかった。

松永太の息子
僕は現実と真実というフィルターを通してこの文が入ってくるので、どうしても「バランスが取れてない文だなあ」というふうにとれてしまう。
 
今までされてきたこと、いわれてきたことを踏まえたうえでこの手紙を見ているので、実際そうじゃないだろうって。
「あんなことあったよね、こんなことあったよね」って何を今さら言ってるの!?って。
だから素直に受け取れない。
 
 
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母・緒方純子受刑者との面会「私が死ねばいい?」「苦しんでもがいて生き延びろ」~母親としての自己満足感優先が息子にバレバレ

しかし息子は母・緒方純子の元に面会に行っている・・・母の本心が知りたくて。

-面接には何回くらい行った?

松永太の息子
20回くらいですかね。

-最初に会ったとき、どんな話をした?

松永太の息子
僕からは喋れないんです、何も。
何を話したらいいかもわからないし、何を聞かれても何もいえない、自分からは。
 
で、母親が「ごめんね」と。
「苦労ばかりかけて、親らしいことを何もしてあげられなくて申し訳ない」と言われたけれども。
 
それを言われた瞬間にカチンときて。
それを今、そんな場所から俺に伝えて、何かできるの?と。
 
人間誰だって、言うだけだったら何でも言えるし、誰でも言えるじゃないですか。
何もできない環境で自分に対して「建て前」じゃないけど、ありきたりな言葉を言うのが、すごくずるいと思った。
 
それをそのまま言ったんです。
そうしたら「私が死ねばいい?」と言われたから、僕は「苦しんで生きろ」と。
 
死ぬのは最大の逃げだと思ったので「自由が利かないその環境の中で、苦しんでもがいて生き延びろ」と言ったんです。

両親が自分にしてきた数々の虐待。

息子は面会のたびに「なぜあんなことができたのか?」と訊いてきた。

松永太の息子
たとえば、母親は包丁を突き立てて俺を殺そうとしたことがあったんですけど、あれは本心でやったのだろうか?と。
母親は「本心じゃない」と言ったんです。
 
「お母さんもあんまり覚えていないんだよ、ごめんね」と。
「あんまり覚えてないんよ、ごめんね」で殺されかけた人間がいるって、理不尽極まりないなと思った。
 
マインドコントロールされてどうのこうの…って母親はよく言うんだけれど、僕からしたらそんなの関係ない。
「やったことに変わりはないだろう」と。
 
そういう疑問に思ったことが溜まったときに面会に行って、逐一聞いていました。
ちゃんとした答が返ってきたことは、少ないんですけれどね。
ごまかして、当たり障りのない返事しか返ってこない。

-面会に行くとお母さんは嬉しそうな顔をする?

松永太の息子
毎回パターンがある。
最初は嬉しそうな顔をして、僕が今どうしているかを聞くんです。
最後は決まって、説教じゃないですけど「こういうことはしたらいけないよ」とか「それは駄目よ」と偉そうに言うんです。
事情も何も知らないくせに。
 
毎回この3パターンの、一連の流れがある。
言うことはそれっぽいことを言うんですよ、母親も。
でも散々なことを今までしてきて、今さら親づらするなよって。
 
いちばんいてほしい時期に、いちばん甘えさせてほしい時期に何もなかっただろうって。
 
誰の背中を見て育ってきたのかね?って自分で問いかけたり、誰かに問われたときにパッと顔が出てこない時点で、もう親じゃないと思った。

個人的には母親としての緒方純子の気持ちはとてもよくわかるのだが、それを受け入れられない息子の気持ちも理解できる・・・あんなことをした理由をマインドコントロールのせいにしちゃいけない。
 
 

父・松永太死刑囚との面会「父さんは悪くない」「署名を集めてくれ」「最後まで闘う」~まったくブレない悪魔の悪びれなさ

息子は父・松永太死刑囚に、3度、面会に行っている。

あれだけ恐れていた父になぜ面会に行ったのか。

松永太の息子
めちゃくちゃ緊張した。
第一印象は、ちっちゃくなったな。
こんなに小さかったかな、というのが第一印象で。
 
顔はにこやかに笑っているんですけど、目が笑っていないんです。
全然、当時のまんま。
 
僕が質問するというよりも、受け答えするという感じでした。
「最近調子どう?」とか「今何をしてる?」で「まあぼちぼちやね」「普通だね」とか、自分の今の生活を明かさない程度にしか話をしなかった。
 
親父から「署名を集めてくれ」と言われたんです。
「父さんは悪くない。実際、お前も見てるだろ。してないよね?」と。
「だから署名を集めてくれ!」と言われたんですけど。
 
今さら、最高裁まで終わってそれをして何になるのか?と言ったんです。
すると「いや、それでもお父さんは最後まで闘う」って言ったんです。
 
「自分がしてるところもあるやん、俺も見てるし」と言って、「それに対して申し訳ないとか、すみませんという言葉はないのかね?」と聞いたら、「そういう話をしに来たのなら帰ってくれ」と言われたんです。
 
それに対して「もう最後になると思うから、最後くらいはしっかり、せめて俺に対してだけは“悪かった”って言ってくれないのか、と言ったんですけど、親父は「帰ってくれ」の一点張りでした。

息子は死刑執行前に父親から自分に謝ってほしいと思っていたが、父は謝るどころか、死刑囚になった今もあの頃と少しも変わっていなかった。
 
 
今年7月、息子はテレビ番組の取材に応じることを、父・松永太に報告に行っている。

-テレビの取材に応えると言ったら、お父さんはどんな反応をした?

松永太の息子
「テレビは人を喰いものにする」と言ってました。
 
 
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続く「その日暮らし」の生活

両親の刑が確定した後も、息子のその日暮らしの生活は変わらなかった。

緒方純子の手紙

『朝早くから夜遅くまで(昼、夜とかけもちで)働いていると聞いて「すまない」という気持ちでいっぱいです』

息子は生きるために必死だったが、そんな中でようやく生活が安定しそうな仕事と仲間に出会った。

しかし後にそこが暴力団関係だったことがわかった。

松永太の息子
建築関係で日雇いの仕事で、住むところはありました。
ひとつのアパートに4~5人が一緒に生活していたんですけど、周りに人がいるし、なんだかんだ楽しいなと思ってました。
俺を拾ってくれた親父さんがとてもいい人で。

親父さんは建設現場に労働者を斡旋する手配士だった。

親父さんに息子はかわいがられ、息子にとってそれははじめてふれることのできた人の優しさだった。

松永太の息子
日当が6000円くらいだった。
でも食べるものがあって寝るところがあるから、まあいいやそれでもって。
金を貯めて早く独立しようと思った。
 
人夫出しで行った先の職人さんや親方と仲良くなって、事情を聞かれたら「お前、それ、ヤクザのところだぞ」みたいな話をされて、「そうなの?マジで?」と。

親父さんの素性を知っても、息子はそこを離れなかった。

そこには同じような境遇で育った仲間がいたから。

松永太の息子
居心地はよかったです。
本当に似たような環境で育った人もいれば、自分よりもっとつらい思いをしている人もいて、一緒に生活していたので、どこか心のよりどころというか…。

後々、暴力団の人たちだったということがわかったり、薄々気がついても、まあいいかなと。
拾ってもらって、世話してもらったのは事実だし。

世間からはみ出してしまった者同士、息子は親近感を覚えて、その事務所に頻繁に出入りしていたというが、そんなある日。

松永太の息子
急に、覆面パトカーに乗った警官が来て、僕の名前を呼んで確認が取れたら「ちょっと来い」と言われて。
「未成年保護法」と言ってました。

松永太の息子の結婚

そこでまた、仕事と仲間を失った息子だったが、そんなときに大きな転機がやってきた・・・結婚の決意。

家族を知らない息子が、家族を持とうとしていた。

相手は自分と似たような境遇の女性。

松永太の息子
小学校の頃のおさななじみ。
ちょいちょいやりとりはしていたけれど、そいつ(=彼女)が北九州に帰ってくるという話になった。

-彼女は何をやっていた?

松永太の息子
ずっと旅役者じゃないですけど、仕事を辞めて帰ってくるという話だったので、じゃあ会おうかとなって。
それからそいつの家に行くようになって、その母親が薬物で逮捕されたんです。
そいつはひとりで生活できないじゃないですか。
 
生活ができないから「居場所がない」と思ってるんだろうな、自分と似てるな、と。
何とかしよう、と。
自分とかぶったというのもあるけれど。

孤独な人生を送り続けた息子は妻を支えているということで生きる意味を見出しているようだった。

松永太の息子
結婚しようとは思っていなかったのだけれど、嫁の社会保険や年金とか、社会保障がまったく何もない状態だった。
親が何もしてなかったから、病院にも行けないし。
 
結婚したいからするという感覚ではなくて、とりあえず結婚して自分の扶養に入れようと。
そうしたら嫁に対して社会保障がつくからということで籍を入れたんです。

二人は夫婦となり、家賃4万円の賃貸マンションで静かに暮らしているという。

仕事を転々としてきた息子は5年前に、今の会社で正社員になった。

-仕事を転々としてきたのに、今の会社が長く続いているのはなぜ?

松永太の息子
こんな俺でも必要としてくれてる人たちがいる会社。
会社が僕を必要としてくれてる云々ではなくて、その会社で働いている人たちがみんな、何かあったら相談してきてくれたり、僕も何かあったら相談するし。
人間に恵まれているというのが長続きしている一番の理由だと思う。

-お子さんを作ろうという計画はない?

松永太の息子
ないですね。
子どもに対して、漠然とした不安しかないので・・・ちゃんと育てられるのかなという。
経済面ではなくて愛情のかけ方…愛情をかけてもらったことがないので。
 
自分の理想としては、甘やかすわけじゃないけれど、最低限あれが食べたい、これがほしい、あれを習いたい、どこに行きたいというのに応えられるだけの環境が整ってからでないと駄目だなと思っているんです。
今はその自信もないですし。
 
育て方というか、愛情のかけ方がわからないので。
俺がしたような思いを、子どもにしてほしくないので。

松永太の息子の抱えるトラウマ

両親の逮捕から15年たった今でも、息子はあるトラウマに支配されていた。

彼は現在、自宅に帰ると 部屋を暗くして生活しているという。

松永太の息子
光は苦手です。
明るいところに自分がいると、隠れる術がないじゃないですか。
基本、家では電気をつけないですし。
 
あと、無音か駄目です。
施設で育ったときもそうだったけれど…あの時は確かラジオを聴きながら寝ていた。
何か音がないと不安になる。

-その記憶はいつか消えるときが来るのだろうか?

松永太の息子
消えないと思います。
消えないでしょうね。
消えないけど回数が減ったり、それに対する自分の向き合い方によって自分の負担を減らしていければいいなと思います。

-お父さんとお母さん、あなたはどちらに似ていると思う?

松永太の息子
僕は多分・・・認めたくはないんですけど、親父に似ていると思います。

-お父さんとお母さんの血が流れていることに関してはどう思う?

松永太の息子
正直、ぞっとすることがありますし、気分が悪くなることもありますけど…同じ事をしてしまうんではないかなと。
そうするつもりがなくても、どこかでリミッターが外れて、気がついたらやってしまった…って、歯止めが利かなくて。
そこもまた葛藤するんですよね。

宿命を背負いながらも必死に生きてきた息子は、この番組に出演することでネット上でさらに叩かれることも覚悟しているという。

松永太の息子
ネットで書かれるじゃないですか。
息子は今、どうせろくでもない生活をしているんだろう、まともになってないだろうとか。
知りもしない人たちが僕のことを悪く言う。
 
今はもう、なんと思われてもいいと思っています。
逃げて好き勝手言われるよりも、真っ向から発言して、今の自分を知ってもらえた上で何か言われるのであれば、仕方がないなと思っています。
とりあえず逃げたくなかったから。

親の罪によって日陰を歩くことを余儀なくされた24歳の青年は、自らの足で光の差す場所に一歩一歩踏み出そうとしているように見えた。

10/23 ザ・ノンフィクション「人殺しの息子と呼ばれて…後編」日曜昼帯では異例の10%超え

10月22日の「ザ・ノンフィクション」(日曜後2・0、関東ローカル)の「人殺しの息子と呼ばれて…後編」が、平均視聴率10.0%(ビデオリサーチ調べ)を獲得したことがわかった。

同時間帯横並びトップで、瞬間最高視聴率は午後2時45分の12.4%で、日曜昼帯では異例の高視聴率をマークした。

「ザ・ノンフィクション」で10%以上を記録するのは 2010年5月の10.4%以来、約7年半ぶり。

 「人殺しの息子と呼ばれて」(前編は15日放送、6.3%)は、2002年に発覚した北九州連続監禁殺人事件の犯人・松永太と緒方純子の間の24歳になる息子が、初めてメディアのインタビューに答えたもので、前編放送後大きな反響があった。
 
  
 
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消された一家―北九州・連続監禁殺人事件 (新潮文庫)

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