松永太と緒方純子の共同正犯!?北九州監禁連続殺人事件の全貌 1

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事件 犯罪

北九州監禁連続殺人事件まとめ(2)公判の経過と考察はこちら
 

北九州連続監禁殺人事件に報道規制がかけられた理由

松永太

via:https://matome.naver.jp/

北九州連続監禁殺人事件・・・実はこれはあまりの陰惨さから報道規制がかけられたため、世間には意外と知られていません。

某テレビ局報道担当幹部
こんな言い方は被害者に申し訳ないけれど、この事件はテレビ向きじゃない。

あまりにも犯行内容がひどすぎて、映像にできない。

だから経過だけを粛々と報じていくしかなかったんです。

北九州監禁連続殺人事件の報道が難しいといわれた理由は2つあります。

ひとつめの理由は あまりにも内容が残忍で、文章や映像で適切に表現するのが難しかったこと。

この事件を紙面で積極的に展開した新聞社には「朝から気もちが悪くなる記事を読ませるな!」といったクレームがあったといいます。

昨今はかなり残酷な事件でもあけすけに報道がなされている感がありますが、この事件が発覚した当時は報道が規制されました。

もうひとつは、遺族がマスコミに対してノンアクションであったこと。

大きな事件には被害者の家族・遺族がマスコミに取り上げられたり、自らが登場したりして、加害者への嫌悪や憎悪に対するコメントを発したり、判決の不当性を世に問うような発言がなされることが多いですが、この事件は親類縁者が沈黙を守っていたのです。

家族同士でやりあい、最悪の結末を迎えた事件ということで遺族が少なくなっていたことや親類がコメントしづらい特殊な状況下であるため、報道の対象にはならないからです。

特に、消された一家である緒方純子宅は本家でしたから、分家の人たちは沈黙していたということがあったのかもしれません。

当時のマスコミ事情やそういった特殊な実情から、北九州監禁連続殺人事件の報道には一線が引かれ、ワイドショーでもあまり大きく取り上げられることはありませんでした。

そういったことから、大事件の割には 北九州監禁連続殺人事件の世間の認知度は意外と低いのです。
 
 
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北九州連続監禁殺人事件の概要をざっくりと

「北九州連続監禁殺人事件」

20年間、男に洗脳され続けた結果、家族ら7人を殺害し、ばらばらにして捨てた内縁妻の事件は、あまりに残虐すぎて当時メディアが報道を控えたほど。

取材班は、女を知る関係者に追跡取材、驚くべき実態が明らかになった。

再現VTRなども織り込み、主犯の松永太の異常性などを浮き彫りにしていく。

via:【フジテレビ】金曜プレミアム・追跡!平成オンナの大事件

北九州監禁連続殺人事件は 松永太が主犯とされていますが、彼は自分の手は一切汚していません。

松永太が関わった人間をマインド・コントロールし、お互いを反目させ、彼らに指示を与えることで 間接的に七名の命を奪っています。

北九州監禁連続殺人事件は殺害が露見して裁かれる対象になったのは7名に関してですが、松永太の余罪は他にも多く存在し、彼の周囲では「限りなく他殺に近い自殺」も含めた怪死が複数存在しています。

被害者たちの心を完全支配し、洗脳された人たちにお互いを滅ぼさせるという、まるで小説のような悲劇がここでは起こったのです。

松永太(まつながふとし)の命令で 内縁妻である緒方純子(おがたじゅんこ)と被害者たちに証拠の隠滅まですべてやらせています。

それも髪の毛一本の証拠も残さないほどの完璧なやり方であったため、本件は「遺体なき殺人事件」としての立件となりました。

だから松永太は死刑判決が出されても、この裁判を「司法の暴走」「魔女裁判」と呼び 「裁判がでたらめ」「私は殺人の指示はしていません」「私は無実である」とのうのうと言っていたのです。

確かに自らが直接殺人や死体遺棄に手を下していない状況下での死刑判決は非常にまれなケースではあります。

ですが、それを上回るほどの証言と状況証拠が残されているため、松永太には「死刑」以外の選択肢はないと、多くの人も考えるのではないでしょうか。個人的にもそれに対して全く異論はありません。

一審で検察側は 松永太と緒方純子のやってきた一連の行為を「鬼畜の所業」と言い放っています。

「鬼畜」「人の皮をかぶった悪魔」「サイコパス」・・・いろいろな呼び方がされていますが、個人的には、松永太は間違いなくサイコだと思いますねえ…正常な精神状態で、とてもあんな残酷なことはできないですよ。

この事件を知っている人は誰もが一度は「人間はここまで残酷になれるのだろうか?」と考えたのではないでしょうか。

あまりにも陰惨な事件だったので、当時も報道に規制がかけられた前代未聞の事件です。

より突っ込んだ事件内容が知りたい方は、下記の「消された一家 北九州・連続監禁殺人事件」の一読をおすすめします。

その男は「天才殺人鬼」であった。

マンションの一室に男性とその娘を監禁し、多額の金を巻き上げると同時に、通電や食事・睡眠・排泄制限などの虐待を与えた。

やがて家畜のごとく、男性を衰弱死させた。

その後、今度は七人家族を同じ部屋に監禁し、やはり通電や様々な制限を加え、奴隷のごとく扱った。

七人家族とは、その男の内縁の妻、妻の父親、母親、妹夫婦、甥、姪である。

男は、家族同士の殺し合いを命じた。

まったく抵抗も逃走もせず、一家はその指示に従い、一人また一人と殺し合いで数を減らしていった。

男はまるでチェスの駒を進めるかのように、その都度、殺すものと殺されるものを指示するだけで、自らの手はまったく汚さなかった。

ついに男の妻ひとりを残して、一家は全滅した。

 

松永太の共犯者とされる緒方純子の判決が死刑から無期懲役に減刑された理由をざっくりと

主犯の松永太は一審・二審で死刑判決が下り、これを不服として上告しましたが、最高裁でこれが棄却され、死刑が確定しています。

また、共犯とされる緒方純子は一審では松永太と同じ死刑判決が下りたものの、二審で無期懲役になり、これを不服とした検察が上告をしましたが、松永の上告と同様に最高裁で退けられ、ここに無期懲役が確定しています。

一審では両被告とも「死刑」判決を受けたにもかかわらず、二審で緒方純子だけが無期懲役に減刑された理由とは何なのか?

それは緒方純子が松永太によるDVを20年もの間受け続けていたことと それにより起こった解離症状が原因です。

松永太は緒方純子に、殴る・蹴る・通電の虐待を繰り返していましたが、純子はDV被害者特有の心理状態から「暴力の原因は自分にある」と思い込んでしまっていたことが悲劇の原点です。

ここに出てくる「通電」とは、人の体に100ボルトの電流を流す拷問・虐待法のこと。

通電虐待を何度も繰り返されたことで、緒方純子の右足の小指と薬指は、やけどでただれているといいます。

だったら逃げたらよかったのでは?という疑問が普通ならわきますよね。

緒方純子もはじめのうちは 松永太の元から二度逃げ出していますが、松永太が緒方家を懐柔することにより彼女は松永のもとに連れ戻され、より激しい通電と半殺しにされるほどの暴力を受けています。

緒方純子の声はかなりハスキーらしいのですが、これは松永太から喉にチョップを受けて声帯が潰されたせいだそうで・・・常識では考えられない暴力で、純子は20年間 松永に支配されていました。

そういった「もう逃げられない」というある種の諦めと虐待の恐怖心を植え付けられたために、以降 緒方純子は逃げ出すことはおろか、松永太の要求を拒絶できない心理状態に置かれてしまっていました。

一審ではこの辺りの心理状態や緒方純子をめぐる状況にはあまり触れられていなかったため、純子の判決は松永太と同様の「死刑」とされました。

ところが 顔ぶれが総入れ替えになった二審の弁護団はこの部分に焦点を当てて「緒方純子は無罪」を訴え、さすがに無罪判決は無理ですが、死刑を無期懲役に減刑させることに成功しています。

緒方純子の弁護団は虐待で洗脳下に置かれた人がどうなるか。

また松永太が緒方純子と彼女の一族らに施してきた支配方法を、純子の口から直接法廷で事細かに語らせています。

ジュディス・L・ハーマン医師の心的外傷と回復には、人を奴隷化させるのは、心的外傷をシステマティックに反復して痛めつけることだとある。

そのためには被害者の無力化のみならず、断絶化(すべての対人関係からの切り離し)をすることも必要不可欠である。

そしてハーマン医師は「心理的支配の最終段階は、被害者が自らの倫理原則を自らの手で侵犯し、自らの基本的な人間的つながりを裏切るようにさせてはじめて完了する」と述べている。

これは、緒方純子に対する松永太の支配方法と見事に合致する。

via:消された一家―北九州・連続監禁殺人事件

この「心的外傷と回復」は検察側が「松永太と緒方純子ならびに被害者七人との支配関係」を精神医学的に裏付ける証拠として、裁判所に提出されています。
 
 
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17歳の少女の脱走で北九州監禁連続殺人事件が発覚した!

17歳の少女(以下L子)が松永太の元を逃亡して警察に駆け込み 一連の監禁・暴行事件が発覚したとき、捜査関係者はこの事件がこれほどまで凶悪であると、誰一人として想像していなかったといいます。

L子は捜査員に父親が殺害されたことを訴え、「とにかく部屋を見てほしい」を繰り返していました。

そこで家宅捜索に入った捜査員の目に飛び込んできたのが、手練れの刑事も真っ青になるような 7人が亡くなった殺人部屋の痕跡でした。

家宅捜索の捜査員
2DKの部屋に入った時に 生まれて初めて霊感のようなものを実感した。

本当に恐ろしかった。

部屋の片隅には消臭剤が大量に積まれていて、臭いを消すためだと想像ができた。

部屋や風呂場やトイレなどあらゆるドアに南京錠がかれてあり、窓には全部つっかえ棒が打ち込まれていた。

何もかもが異様な光景だった。

 

アジトは3か所!松永太と緒方純子の間の子どもが二人いた。

逮捕後、松永太と緒方純子は完全黙秘を続けたので捜査は難航しましたが、L子の供述により、3か所のアジトは突き止められていました。

1つ目は小倉北区内の「マンションМ」の3階の一室で、ここが前述の 家宅捜索の捜査員に「入った途端に生まれて初めて霊感のようなものを実感した」と言わしめた部屋。

浴室のタイルは貼り直された痕跡があり、強力洗剤でピカピカに磨き洗いをされており、配管まで取り換えられて、事件の物証の抹消はパーフェクトでした。

2つ目のアジトはマンションМから歩いて15分ほどの「ワンルームマンションV」

L子は2度、松永太の元から逃亡していますが、最初の逃亡に失敗して松永に連れ戻されたときに この部屋に監禁されて 虐待を受けていました。

さらにL子は「勝手に外出しません」「もう逃げません」などと署名した血判状を書かされており、捜査員が踏み込んだ時にもそれがまだ生々しく貼られていたそうです。

3つ目は小倉北区内にあるアパートの1階の部屋。

L子はここで子供たちの世話をしていたと言っている通り、捜査員が踏み込むと そこには4人の男児がいました。

双子を含む4人は、5歳、6歳が二人、9歳で、捜査員が名前を聞くと しっかりした口調で偽名を答えました。

彼らはほとんど外出せず、この室内に閉じこもり、小学校にも通わせてもらっていませんでした。

この中の5歳と9歳が DNA鑑定で松永太と緒方純子の息子であることが判明しており、この時 彼らは児童相談所に緊急保護されています。

松永太と緒方純子の子どもたちについて、純子は検察官の尋問のときにこんな風に答えています。

これもまた、ちょっと常識では考えられないことです。

検察官
逮捕されていなかったら、あなたはどうなっていたと考えますか
緒方純子
親子心中に望みをつないで生きていたので、子供たちと死んでいたかもしれないです。

松永からは「お前の子どもなんだから、お前が処分して、そのあとに自殺しろ」と言われたことがあります。

検察官
でもあなたはそれを実行しなかった。なぜですか?
緒方純子
子どもたちが私の言うことをきかないので、連れ出せませんでした。

松永は子供たちに、私が悪い母親であると吹き込んでいたのです。

松永は子供たちに「もしお父さんが殺されたら“この女は指名手配の緒方純子です”と言って助けを求めろ」と言い含めていました。

検察官
今、子供たちは施設で暮らしていますが、それについてどう考えますか?
緒方純子
子どもたちにとってはよかったと思います。

人格がこれ以上ゆがむことはありませんから。

FちゃんやGくん(この事件で犠牲者になった緒方純子の姪と甥)のことを思うと、大変申し訳ないことではありますが。

via:消された一家―北九州・連続監禁殺人事件

 
 
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北九州監禁連続殺人事件の流れ

北九州監禁連続殺人事件に関わった人物と人間関係

■松永太(まつながふとし)・・・当時40歳。北九州監禁連続殺人事件の主犯(殺害に直接手を下していない)

■緒方純子(おがたじゅんこ)・・・当時40歳。松永太の内縁の妻。松永太の子どもを二人産んでいる。北九州監禁連続殺人事件の共犯(殺害や遺体処理に全て関わっている) 

■L子・・・当時17歳。犯行マンションから脱出・逃走し、祖父母宅へ助けを求める。これにより、一連の監禁殺人事件が発覚する。

①Aさん・・・当時34歳。L子の父

②Bさん・・・当時61歳。緒方純子の父親

③Cさん・・・当時58歳。緒方純子の母親

④Dさん・・・当時33歳。緒方純子の妹

⑤Eさん・・・当時38歳。緒方純子の妹Dさんの夫(純子の義弟)

⑥Fちゃん・・・当時10歳。DさんとEさんの長女(純子の姪)

⑦Gちゃん・・・当時5歳。DさんとEさんの長男(純子の甥)

松永太の生い立ち

主犯の松永太は1961年4月に、福岡県北九州市で畳店を経営する両親のもとに、長男として誕生。上に姉が一人います。

彼が7歳のとき、祖父が営んでいた布団販売業を父親が継ぐことになり、一家は福岡県柳川市に移り住んでいます。

松永太は地元の公立小・中学校に進みましたが、あまり勉強をしていないのに全学年を通して成績がオール5で、学級委員長を何度も務め、生徒会役員に就いたり、中学の校内弁論大会では、中学一年生で優勝したこともあるそうです。

ところが当時の同級生や担任教師たちの松永太に対する印象は非常に悪い。

中3の担任教師
松永太は目立ちたがり屋でワンマン、リーダー的存在だった。

周囲に有無を言わせないし、声が大きく威圧感を与えていた。

「俺はいつでも松下幸之助と連絡が取れる」などのホラを吹いていたし、取り巻き連中を作って、悪さを取り巻きにさせていた。

家庭訪問をしようにも「うちは話すことがないから」と断り続けるので訪問することもできず、両親がどんな人かも知らない

松永太は当時から自分より弱い者に対してのみ、横暴に振る舞う子どもだったらしく、後に松永太が起こした事件が発覚したときは同級生同士は「あいつならやりかねない」と話していたといいます。

主犯の松永太と共犯の緒方純子は久留米市にある公立高校の同級生でしたが、高校時代の彼らには接点がありません。

緒方純子は真面目な学生で、短大卒業後に幼稚園教諭になっていますし、松永太は高2のときに家出した女子中学生を家に泊めたことから不純異性交遊で公立高校を退学処分になり、久留米市内の私立高校に編入しています。

1980年に高校を卒業した松永太は、福岡市内の菓子店や親戚の布団販売店を転々とする、不真面目な働きぶりだったといいます。

その後布団販売の家業を手伝い始め、数年で父親から実権を譲り受け、のちに株式会社ワールドを設立、しかしワールドの実態は詐欺商法を繰り返す自転車操業でした。

暴力や背後に暴力団がいるという脅しなどの手法を使って、松永太は従業員たちを恐怖で支配していたのです。

従業員の身内や知り合いに安布団をシングル25万円、ダブル30万円で売り付け、暴利をむさぼり、松永太はワールド時代に少なく見積もっても1億8000万円を荒稼ぎしたと考えられています。

仕事がないという男性に「ならうちで働けばいい」と 松永太は強引に自社ビルに連れ帰る・・・。

そして彼らは「生け捕り部屋」で寝泊まりさせられ、残飯のような食事しか与えられず、相互監視を強いられ、命令に従わないものは殴る・蹴るの暴行や通電虐待を受けていました。

後の「マンションМ」での7名の監禁連続殺人のひな型は その当時の会社ワールドで作られたものだったのです。

 
 
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松永太と緒方純子との出会い

1980年に、緒方太ははじめて緒方純子と外で会っています。

松永がたまたま自分が退学になった高校の卒業アルバムを見て、当時交際していた別の「ジュンコ」と同じ名前だというだけで 緒方純子にふざけて電話をしたそうです。

松永太
在学中に君から借りていた50円を返したいんです

緒方純子の方は全く身に覚えのないことでしたが、電話で話しているうちに松永太の言葉巧みな話術に乗せられ、「家の近くまで行くので、会ってくれませんか」という誘いに乗ってしまいます。

二人はほとんど面識がなかったですが、それがきっかけで出会ったのが、松永太と緒方純子のなれ初めです。

二回目に二人が再開するのはそれから1年後のこと。

再開時の松永太は、自分が会社を経営して成功しているとか、音楽の才能を認められているなどの大風呂敷を広げ、純子に対して好印象を残していますが、この時にもまだ二人の関係はただの知人でした。

その直後に19歳の松永太は、別の「ジュンコ」と結婚しています。

1981年5月から松永太は父親の会社を引き継ぎ、翌1982年に布団訪問販売会社「ワールド」を興しましたが、まともな会社ではなく、詐欺的商法で事業を拡大していきました。

緒方純子が20歳の秋、松永太との三度目の再会をし、緒方純子が勤務先の幼稚園でのトラブルを松永太に相談したことから、ふたりの関係は親密になります。

松永太の妻の妊娠中に 松永と純子の不倫も進行していました。

松永は妻と不仲だと純子に話していましたが、純子が妻の妊娠を問いつめると 松永は決まってこう答えます。

松永太
あれは俺の子じゃないんだ

これだけでも最低の男だ・・・。

緒方純子が叔母に松永太との交際を話したことで彼女の両親に不倫がばれてしまい、純子は身内の者たちから すぐ別れろと叱責されます。

この頃、松永太は緒方家の資産状況と純子の母親の実家の資産状況まで調べ上げていたことを叔父が察知し「松永の狙いは財産だ」と純子に説教したといいます。

ところがそのことを知った松永太は、巧妙に緒方純子の母親に近づき、だまし 母親に松永に対する好印象を植え付け、「早く奥さんと別れて純子と一緒になってほしい」と母親が松永に頼み込むほど、松永太は緒方純子の母親に取り入っていたらしいです。

その後、松永太流「悪魔の」プロセスを駆使し、緒方純子を実家から絶縁させ、幼稚園の仕事も辞めさせ、純子の家族や親類や友人に、因縁をつける電話を掛けさせ、松永は純子を社会から孤立させることに成功します。

純子から誰かに電話で因縁をつけさせるとき、純子の隣には松永がいて、会話を聞きながら松永が紙にセリフを書いていき、純子をそれを読んで相手に罵詈雑言を浴びせかけたという。

これにより緒方純子は社会はおろか身内からも完全に孤立状態になっていき、行く当てのない彼女は松永の妻もいる布団会社で事務員として働くこととなります。

この時の松永太は他にも愛人を抱え、妻と緒方純子に日常的に暴力をふるっていましたが、それに耐えかねた妻は長男を連れて警察署に駆け込み、DVの被害申告をし、紹介された婦人相談所に仮住まいをし、離婚調停を申し立て、2か月後に離婚が成立しています。

その後20年 緒方純子は内縁の妻という立場に置かれ、実質的に松永太の共犯者となり、松永の指示を受けて家族や親せきに対して詐欺商法を仕掛けて、金を巻き上げています。

その絆は共犯者であることではありませんでした。

緒方純子は松永太との間に二人の男児をもうけています。

松永太は緒方純子に妊娠中絶をすすめましたが、元幼稚園教諭で子供好きの純子の出産の決意は堅く、反対を押し切って彼女は男児を二人出産しています。

でも、松永的には それほど強く出産を反対しなかったのかもしれません。

それは松永は支配の道具に子供を利用することを常套手段にしていたからです。

松永にとって子供はその親から金を巻き上げるための道具であり、愛情の対象ではないのです。

実際に松永は 純子との離縁と子どもの親権をだしにして緒方家から大金を巻き上げており、そのことが緒方家が松永に弱みを握られる原因となっています。

その後も松永太は「子供のために」という母親が弱いフレーズを多用し、何度も緒方純子をそのフレーズで翻弄しつづけます。

例えば北九州監禁連続殺人の容疑で逮捕された後も 松永太は弁護人を介して「子供のために事件のことは黙秘しろ」というメッセージを緒方純子に送っているの

松永太と緒方純子、詐欺の指名手配で逃亡生活に入る

1992年、悪質な布団販売による詐欺罪で指名手配された二人は逃亡生活に入っています(この指名手配は時効が成立している)

松永太と緒方純子の逃走資金中の捻出は「金主」(金を奪い取る対象を松永はこう呼んだ)からだまし取る手口で、判明している被害者だけでも4名。

その四人のうち二人は死亡、一人は精神病院に入院しています。

亡くなった二人のうちの一人は「限りなく他殺に近い自殺」であり、もう一人は第一の犠牲者になったAさん(L子の父親)

小倉で逃亡生活を送ることを決めた松永太は、住まいを探すために不動産会社を訪れましたが、この時に対応したのがL子さんの父親・Aさん。

松永太は逃亡生活の隠れ家として数か所の賃貸物件を借りていましたが、彼らが偽名を使う事に対しても、契約に他人名義(松永の愛人など)を使用することに対しても、Aさんは文句を言わずに便宜を図り続けたそうです。

そんなこんながあり「Aは金のためならできる範囲のことをする」と考えた松永太は Aさんを緒方純子のように取り込もうと企てます。

Aさんは娘のL子を松永に預け、その支配下に置かれ、後に北九州監禁連続殺人事件の第一の犠牲者になってしまったのです。
 
 
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北九州監禁連続殺人事件の第一犠牲者・Aさん(L子の父親)

最初の犠牲者となったのはL子の父親Aさん(当時34歳)

前述のとおり 北九州市で不動産会社に勤めていたAさんは、松永太とは「客の知人」として知り合っていますが、松永に社内での不正行為の弱みを握られたために勤務先を退職。

娘のL子とともに犯行マンションでの同居を強要され、そこで松永太によるAさんへの暴力や通電が繰り返されました。

浴室に監禁され、食事・睡眠・排せつまで制限され、虐待を繰り返されるうちにAさんは徐々に衰弱していき、1996年2月26日、L子の目の前で亡くなりました。

緒方純子からこの報告を受けた松永太は「ザ・殺人術」という本を参考に 遺体を純子とL子に命じて処分させています。

このとき、L子は12歳、緒方純子は臨月でした。

緒方純子が湯布院へ。逃亡と勘違いした松永太の制裁で解離(かいり)症状に陥る

最初の被害者(Aさん)が出た後、緒方純子は松永太から金を要求され 大分県湯布院まで行っています。

金策を実家の母に頼んだものの断られたため、なんとか自分でお金を工面するために温泉地を選んだのですが、これを松永太は「純子が逃げた」と勘違いし、緒方家に向かいます。

そして緒方の両親と妹に、純子がAさんを殺害して遺棄したと告げ、純子の家族に「松永が亡くなった」と嘘をつかせて純子を連れ戻させました。

実家に戻った純子は家族と松永から激しい暴行を加えられ、その後、ずっとL子に監視されていました。

純子は数日間にわたる松永太の制裁を受けたのですが、あまりにもすさまじかったためその間の記憶が喪失しているそうです。

人は犯罪や事故などに遭遇して耐えられない苦痛を受けると感情や近くが麻痺して苦痛を感じなくなったり、記憶喪失に陥ります。

これが解離症状と呼ばれるもので、ここまでの精神状態に陥るほどの松永太の暴行とはどんなものだったのか…想像ができません。

緒方純子の両親は彼女を守るために松永に言われるままに財産を処分し、土地を担保に借金をし、松永太に貢ぎました。

その額は少なく見積もっても6300万円に上ります。

そしてその後、緒方一家7人は「マンションМ」で監禁され、一連の事件に巻き込まれていきます。

緒方純子の湯布院行きは本人だけでなく、その後の緒方一家の地獄の始まりとなったのです。

北九州監禁連続殺人事件の第二犠牲者・Bさん(緒方純子の父)

1997年12月にBさんは通電によるショックで亡くなっています。

Bさんの反抗的な発言に起こった松永太が、緒方純子に銘じてBさんを通電させたため。

松永太の命令で 緒方純子とL子さん、純子の妹夫婦(D・E)とFちゃん(純子の姪)の5人でその後の処分。

北九州監禁連続殺人事件の第三犠牲者・Cさん(緒方純子の母親)

緒方純子の父親Bさんの死後、松永太はCさんへの通電を集中的に行ったという。

するとCさんは精神に異常をきたし奇声を上げ、食事を拒絶するようになったため、L子の父Aさんと同じように浴室に閉じ込められ、1998年1月、松永太の命令で、緒方純子の妹夫婦(D・E)がCさんを殺害。

緒方純子とDさん、Eさん、Fちゃん(孫)の4人でその後の処分。
 
 
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北九州監禁連続殺人事件の第四犠牲者・Dさん(緒方純子の妹)

その後、松永太によるランク付け最下位となったDさんの通電虐待が集中しました。

そのためCさんと同じようにDさんも奇声を発するようになり、1998年2月、松永太から殺害を示唆された緒方純子とEさん(Dさんの夫)が話し合い、Eさん(夫)とFちゃん(娘)でDさんを殺害。

緒方純子とEさん・Fちゃんでその後の処分。

この時 Eさんは「とうとう嫁まで・・・」とすすり泣いたという。 

北九州監禁連続殺人事件の第五犠牲者・Eさん(緒方純子の義弟)

元警察官だったEさんの体力を奪うため、松永太は彼の食事を制限し、通電を繰り返したところ、Eさんは衰弱して水も受け付けなくなってしまいます。

1998年4月、浴室に閉じ込められたEさんに松永太が「眠気覚まし剤だ」と500mlのビールを飲ませたところ、一時間後に死亡。

緒方純子とFちゃん(Eさんの娘・純子の姪)の二人でその後の処分。

北九州監禁連続殺人事件の第六犠牲者・Gちゃん(緒方純子の甥)

Eさん(緒方純子の義弟)の死後、松永太は緒方純子に「G(当時5歳)は大人になったら復讐するかもしれない」と殺害を指示。

そしてFちゃんには「Gはお母さんになついていたから、弟をお母さんのところに返してあげたら」と遠回しに説き伏せ、Fちゃんに殺害を了承させ、1998年4月、緒方純子とFちゃんでGちゃんを殺害し、二人でその後の処分。

北九州監禁連続殺人事件の第七犠牲者・Fちゃん(緒方純子の姪)

松永太は次はEちゃんに通電を集中。

食餌制限もしたことから、Eちゃんは2歳児のおむつがはけるほどに痩せていた。

1998年6月、緒方純子とL子さんがEちゃんを殺害しその後の処分も二人で。
 
 
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緒方一家を全員消した後の松永太と緒方純子の生活

一家が全員消された後も、松永太と緒方純子は平然と生活していました。

しかし、緒方家から搾り取った資金が底をつくのは時間の問題だったので、松永太は新たな獲物(金主)を求めて動き始め、1999年の夏、双子の男児を持つ三十代の主婦に狙いを定めます。

夫との不仲に悩み 離婚を考えている主婦に近づき、言葉巧みに悩みを聞きだし、離婚して自分と一緒になるように迫り、今までの被害者たちと同様のやり方でその主婦にも家出をさせ、新規で借りたアパートに住まわせます。

松永太は緒方純子が「逃し屋」に扮してその費用を要求する詐欺行為を指示しましたが、松永はなぜかこの女性には虐待を加えなかったといいます。

この女性は風俗店で働いて、緒方純子=逃し屋に支払いを続けていましたが、松永太が 緒方純子を通してこの女性から詐取した金額は、約二年半で3300万円に上ります。

L子が松永太の元を脱走し北九州監禁連続殺人事件が発覚したときに アジトのひとつから保護された双子の母親がこの女性です。

L子の2度の逃走

そんな折り、17歳になっていたL子が一度逃亡をしています。

この時に松永太はL子の伯母(Aさんの姉)とも付き合っており、彼女を通じて逃亡したL子を連れ戻し、すさまじい暴行をを加えています。血判状まで書かせるほどの…。

それでもL子さんはあきらめず 再度の逃亡を試みて今度は警察に保護され、北九州監禁連続殺人事件が発覚。

彼女の逃亡が成功していなければ、松永太と緒方純子による凶行が表面化することはなかったかもしれないし、さらなる被害者が増え続けていたであろうと考えると、戦慄が走ります。

最初、警察はL子の証言を信じなかった!?

警察はL子に対する監禁致傷により、松永太と緒方純子を逮捕しましたが、「お父さんが監禁されてが殺された」というL子さんの証言をはじめは信用しなかったようです。

もしそれが本当だったら、前代未聞の事件だという理由で。

この時L子はまだ、自分の父親意外に7人が殺害されているという事実を告白していなかったし、そもそもが「遺体なき殺人」であっただけに捜査は難航したのです。

それを逆手に取り、松永太と緒方純子は「L子には虚言癖がある」とコメントを出し、逃げ切るためにお互いに黙秘を続けていました。

ところがその後のL子に告白により 捜査は振り出しに戻ります。

L子
お父さんが亡くなったマンションМで、四人と大人と二人の子どもが監禁され、虐待され、殺害された
 
 

北九州監禁連続殺人事件(2)公判の経過と考察へつづく

松永太と緒方純子の判決と現在!北九州連続監禁殺人事件の全貌 2


 
 
 
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城丸君事件 北海道男児行方不明事件