奈良小1女児誘拐殺人事件!小林薫・元死刑囚は第二の宮﨑勤!?

 
小林薫 奈良女児誘拐殺人事件

2004/11/17 小1女児・有山楓ちゃんの失踪

2004年(平成16年)11月17日午後2時頃、奈良市富丘北小学校1年生の有山楓ちゃん(7歳)の行方がわからなくなった。

楓ちゃんはこの日、授業が終わった午後1時過ぎには学校から約1.4キロ離れた自宅まで歩いて帰る途中で姿を消していたが、失踪直前に、楓ちゃんが車を運転する男と言葉を交わし、その車に乗ったところを下校中の女児が目撃していた。

午後8時過ぎ、楓ちゃんの携帯電話を使って「娘はもらった」というメールが母親の携帯に届いた。

そこには楓ちゃんらしき女児の死体の写真も添付されていた。

そして11月18日午前0時頃、奈良県平群町(へぐりまち)の道路脇側溝に女児が倒れているのを通行人が見つけ、110番通報した。

警察の調べで、その女児の遺体が有山楓ちゃんであると判明した。

>>大島てる(遺棄現場)
 
 
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犯人はすぐ近くにいる!

奈良西署に捜査本部がおかれ、懸命の捜査が行われた結果、犯人が楓ちゃんの母親に送ってきたメールの発信地は、半径5キロ圏内であることがわかった。

楓ちゃんの携帯にはGPSがついていたのだ。

さらに楓ちゃんの死因は水死であるとわかった。

犯人は楓ちゃんを風呂などにつけて溺死させ、服はその後で着せたものとみられた。

これらのことから犯人は近所に住み、女児に異常な関心を持つ変質者と考えられた。

遺体に残っていた毛髪から犯人の血液型はB型であると判明したが、その後の捜査は難航した。

1000人もの警官を動員して捜査が行われたにもかかわらず、犯人につながる情報も被害者の遺留品も発見できなかったのだ。

そうした捜査をあざ笑うかのように12月14日未明、再び犯人が楓ちゃんの携帯を使って、母親にメールを送ってきた。

「次は妹をもらう」という文面とともに、妹の写真と、楓ちゃんの別の写真が添付されていた。

犯人は異常な残虐さと自己顕示欲を持つ男だが、ここで犯人は墓穴を掘った。

犯人は楓ちゃんの携帯から自分の携帯に画像を転送していたのだ。

2度目の脅迫メールが送られてきた後、携帯電話会社の通信記録を調べた捜査本部は犯人にたどり着いた。

そして2004年12月30日、小林薫(36歳・奈良県三郷町・毎日新聞配達員)が逮捕された。

小林薫の自宅マンションから、楓ちゃんの携帯電話やランドセル、ジャンパーなどが見つかった。

>>事件現場(大島てる)
 
 
小林薫の取調べの供述によると、小林は新聞配達が休みの日、女児を連れ去ってイタズラしようと、友人から借りた車で幼女を物色していた。

そして、たまたま歩いていた楓ちゃんに「送ってあげる」と声をかけ、自分のマンションに連れ込んだ。

宿題の手伝いなどをして遊んでいたが、午後4時頃風呂場に連れて行き、湯船に顔をつけて溺死させた。

それから服を脱がせ、体に傷をつけるなどした後、死体を遺棄した。

母親にメールを送ったのは世間を驚かせようと思ったからで、騒ぎが大きくなって満足した…。
 
 

強制わいせつで二度の逮捕歴がある男

小林薫には幼時への強制わいせつ罪で二度の逮捕歴があった。

一度目は1987年(昭和62年) 箕面市で幼稚園児ら8人にわいせつ行為を働いたが、初犯ということで執行猶予つきの判決を受けた。

二度目は1989年、大阪市内の公団住宅で5歳の女児の首を絞め、殺人未遂で逮捕され、懲役3年の刑に服している。

出所後はトラック運転手や産経・朝日などの新聞販売所を転々とし、2004年7月から奈良県河合町の毎日新聞販売店に勤務していた。

自室からはロリコンビデオや雑誌数十点が押収されているが、その中にはスクール水着に女性用の下着や女の子の服を詰め込んだ人形(自分だけのフィギュア)まであったという。

犯行後、小林薫は携帯に取り込んだ楓ちゃんの画像を行きつけの居酒屋のママや、スナックのホステスに見せびらかしていた。

逮捕後も小林薫は反省の態度を一切見せず、こううそぶいていた。

小林薫
悪いことをしたとは思わない。
 
宅間守のように死刑になってもかまわない。
 
 
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2006/9/26 小林薫に死刑確定

2005年4月18日に小林薫の初公判が開かれた。

小林薫は初公判では起訴事実を全面的に認めていた。

検察官
(小林薫の供述)反省の気持ちも更生する自信もない。
 
早く死刑判決を受け、第二の宮﨑勤か宅間守(附属池田小事件の死刑囚)として世間に名を残したい。

月刊「創」の編集長・篠田博之氏が「埼玉東京連続幼女殺人事件(警察庁指定117号事件)」の元死刑囚・宮﨑勤に、小林薫について尋ねているが、そのときの回答。

篠田博之
奈良で幼女を誘拐して殺害した小林薫被告が今、東京拘置所にいるようですが、彼と手紙のやり取りはしていませんか?
宮﨑勤
小林薫被告との手紙のやり取りはしていません。
 
小林被告は警察官に「第二の宮崎勉になりたい」と述べていたことが明らかになっているのですが、精神鑑定を受けずに「第二の宮崎勉」は名乗らせません。
 
 
ところが小林薫から今度は「第二の宮﨑勤になりたい」という発言についての報道は違っているという手紙が届いた。

小林薫
私が「第二の宮﨑勤になりたい」といったのは、警察での取調べの中で「死刑」を宣告されたいと思っての発言で他意はありません。
 
一部週刊誌では私が「宮﨑勤被告」や「宅間守死刑囚」を崇拝する気持ちからの発言と書いていましたが、そんな気持ちは少しもありません。

via:ドキュメント死刑囚

 
 

2006年2月14日には小林薫被告の情状鑑定書が提出されている。

その中では小林薫の性格を「顕著な自己中心性と対人理解の不足、道徳感情の希薄さ、虚言傾向など深刻な偏りがある」とし、「反社会性人格障害」と診断した。

さらに生活環境の悪化による焦燥感や児童ポルノの影響があったことを背景としている。

検察側
小林薫被告はわいせつ目的で被害女児を誘拐し、犯行隠ぺいのために窒息死させた。
 
(自宅に誘い込んだ後)宿題をしている様子を見てしっかりしており、帰せば逮捕されると思い殺害した。
  
無防備の女児を躊躇することなく水中に沈めて溺死させたことは残虐極まりない。
 
(約1ヶ月後に母親に「次は妹だ」というメールを送信したことについて)これほど人倫にもとる犯行はかつてなかった。
 
「反社会性人格障害」と判断した情状鑑定結果は意味がない。
 
更生の意欲が欠如しており、矯正は不可能であり、幼い女児への欲望と支配欲から事件を起こし、再犯の可能性は極めて高い。

弁護側は最終弁論で小林薫被告の計画性を否定するも、当人はあくびをしながら「早く死刑を言い渡してほしい」と言う…。

裁判長
強制わいせつ致傷罪などの前科があることなどを踏まえ、根深い犯罪傾向を有し、真剣に反省しておらず、更生の意欲もない。
 
抵抗することもままならない幼少の女児で、性的被害にも遭っていることを考えると、被害者の数だけで死刑を回避すべきとは言えない。
 
被告の生命でその罪を償わせるほかない。
 
2006年9月26日、小林薫被告に求刑通り死刑判決を言い渡された。

なお、死刑は永山基準以降、犠牲者1人では適用されない事が通例であったものの、この事件自体の悪質性や被害者家族の心情を反映して、死刑判決とされた。

大方の予想は「無期懲役」だったから、死刑判決が出たことに驚いた人が多かったと思う。

小林薫被告が死刑判決を望む発言をしていなければ、十中八九は「無期懲役」だったのではないだろうか。

主文の言い渡しが後回しにされた(=死刑判決)ことで、公判が始まってすぐに死刑判決が出されることがわかったとき、小林薫被告は思わず拳でガッツポーズをとったという。

小林薫
死刑は覚悟していた。

この判決を不服として弁護側は控訴したが、10月10日に小林薫自身が控訴を取り下げ、死刑が確定した。

(判決翌日に、篠田博之氏宛てに書かれた手紙)

私が死刑を望んだ理由は、何度も言っている通り被害女児への償いの気持ちがあるからです。

死刑判決に異議を唱えるつもりはないのですが、判決理由は納得のする内容ではないので、納得のする理由を求め、控訴審に臨むべきなのか。

警察・検察による国家権力を行使した関係者の供述調書には事実ではない嘘や、責任を私に擦り付ける部分が多々あり、偽証罪として告訴するべきなのか。

(中略) あと1ヵ月半ほどで私が罪を犯した日であり、女児の命日。

その前後までには、(控訴するかどうかに)答えを出したいと思います。

via:ドキュメント死刑囚

 
そして10月10日、小林薫は控訴を取り下げ、一審の死刑判決を自ら確定させた。
 
 
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大どんでん返しの控訴取り下げ無効申し立て

2007年1月に死刑廃止論者の弁護士が小林薫に接見して説得したことにより、小林薫は控訴取り下げを無効とする申し立てを裁判所に行うことに同意した。

一審の判決理由で自分の主張が全て退けられたことに不満を持っており、その点について争う意向を固めたのだという。

しかし、一度死刑が確定したあとにそれを覆すのは容易なことではない。

奈良地裁は2008年4月に申し立てを退け、5月には大阪高裁が抗告棄却。

弁護側は最高裁に特別抗告したが、7月7日に棄却された。
 
 
小林薫はこれを納得せず、2008年12月に奈良地裁に再審請求を行った。

しかし2009年5月1日に棄却。

被害女児の両親のコメント
私たちをさらに苦しめる請求が棄却されたことは当然であり、一日も早い刑の執行をお願いします。

小林薫はこの棄却決定を不服として、今度は大阪高裁に即時抗告をしたが棄却。

その後、最高裁でも棄却された。

小林薫
私は第一審中、月刊誌「創」において、又、その記事を引用した検察官の被告人質問の際、「この裁判は茶番だ」と発言しました。

理由は、裁判長、左右の陪席の裁判官、検察官、それに唯一被告の味方であるはずの弁護人2名のうち、誰一人として、警察供述調書を頭から信じ、検証を行わず、人一人を「死刑」という厳罰に処するには、あまりにもお粗末で、いい加減な審理の末の死刑判決を下したのです。

つまり死刑判決は真実に基づいていないという主張である。

さらに2008年12月4日、小林死刑囚は獄中から名誉毀損訴訟を提起した。

訴えられたのは「週刊新潮」2008年1月3・10日号の記事だった。

見出しは「もっと生きたいと言い出した少女誘拐「死刑囚」小林薫」

本人は拘置所で読んだ新聞の広告でその記事を知り、憤ったらしい。

記事の趣旨は、小林死刑囚の控訴取り下げ無効の訴えは命が惜しくなったからだというものだった。

背後には光市母子事件の弁護団に属する中道弁護士が控えているとも書いていた。

自ら死刑台へのボタンを押した彼にとって「結局、お前は命が惜しいんじゃないか」といわれることは許せないことだった。

小林死刑囚は「週刊新潮」と、記事中にコメントを掲載したフリージャーナリスト、法律専門の板倉宏教授の三者を名誉毀損で訴えたのだった。

via:ドキュメント死刑囚

2010年10月に第2時再審請求が行われたが、2011年6月にこれも棄却。

その後恩赦申し立てを行ったが、2012年2月7日、恩赦不相当となった。
 
 

2013/2/21 死刑執行

2013年2月21日に小林薫死刑囚の死刑が執行された。

死刑判決確定後、6年4ヶ月が経過していた。

44歳没。

小林薫死刑囚の近くの房にいた獄中者は、小林薫がその朝、どんな状況だったかを見ていた。

先日2月21日木曜日、私の居室から3監房隣の小林薫さんが朝の点呼のあとすぐ、午前7時45分頃、刑場に引き立てられていきました。

彼は新聞やテレビで報道されている写真とは別人で、色白で小太りのよい男でした。

収容生活も非常にまじめで、ほとんど声も出さないとても静かな死刑囚だったので、私はいつも偉いなあと思っていたのです。

たぶん、心の底から悔悛したのだと思います。

この日は彼がいちばん風呂だったのです。

彼は自分がいちばん風呂であることを知っていたので入浴の準備をしていたのか、洗面器がキャリーバッグの上に置かれたまま死に逝きました。

また、この日はとても寒い朝だったのにはんてんも着ず、刑場へと歩みを進めていったのです。

彼の独房にはハンガーにかけられたはんてんが寂しそうにしていました。

via:ドキュメント死刑囚

 
 
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小林薫が語る事件の真実

 


 

【被害者の本当の死因】検察側は、女児を自宅に連れ込んだものの、犯行発覚を恐れて、女児が入浴中に頭を押え込んで湯船に沈めて殺害したとした。

K(=小林薫)は逮捕後も検察の主張を否定しなかったが、それは「もう死刑で早く死んでしまおう」という意向によるものだったと後に雑誌に手記を寄せている。

Kによると真実は、「悪戯をするために女児に睡眠剤を大量に飲ませたのちに入浴させたところ、気が付いたら湯船の中で死んでいた」というものであった。

弁護人や精神鑑定をする鑑定医にも同様の話をしたが、当時は罪を認めた上での情状酌量を得るために情状鑑定の最中で、全てが振り出しに戻る仰天の新証言は誰もマトモに取り上げてくれなかったとしている。

法廷でそのことに言及しなかったのは、「判決で認定された殺人を自分は犯していないのだが、もう死にたいから法廷では一切争わないことにする」という理由によるものであった。

via:wikipedia

小林薫が法廷で話すつもりがなくなったという「真実」とはいったい何なのか。

それを「創」で発表したいと小林薫が書いてきたのは1月21日付の手紙だった。

【真実】まず被害者である少女の司法解剖の結果に私は不満を持っていることから書きます。

確かに死亡原因は風呂の湯を飲んだことによる溺死に間違いはないのですが、実は私は少女に大量の睡眠薬を服用させているのです。

ですが、司法解剖の結果には睡眠薬は検出されていないのです。

(中略) 彼女がトイレに入っている間に私は「昼間やし、いたずら目的で体に触ると声を出される」と思い、睡眠薬を持っていることを思い出して「飲ませて眠らせてからイタズラしよう」と考え、睡眠薬を薬包から5~6錠取り出しコップに水を入れ、彼女がトイレから出てきたときに渡し、服用させたのです。

(中略) 睡眠薬によって酩酊状態で服を脱ぐことすらできない状態だったので、私が脱がせたのです。

そして風呂場の浴槽まで抱きかかえて連れて行き、部屋へ引き返し「いよいよいたずらができる」とどきどきする気持ちを落ち着かせるためにタバコを一本吸い、風呂場へ向かったのです。

そして風呂場の扉を開けたら、彼女は浴槽の中で湯船に顔を下にして浮かび、溺れ死んでいたのです。

via:ドキュメント死刑囚

2017/11/17 有山楓ちゃん事件から13年。父親の手記

 
奈良小1女児誘拐殺人事件

via:ANN

 

今年で楓が被害にあってからもう13年という思いもありますが、まだ13年しか経っていないのだと改めて感じます。

楓の写真を見ても笑顔は小学生のままで、私の時間もあの日から止まっているかのようです。

今月11日には楓は二十歳の誕生日を迎えるはずでした。

楓はどんな風に成長しているんだろう、看護師になりたかった夢を叶えることができたのか、それとも新しい夢に向かって突き進んでいるのか、色々な想いがこみ上げてきます。

来年1月には母親が成人式で着た着物で成人式を迎えるはずでした。

7歳の七五三でその着物を着ましたが、楓のはにかんだ笑顔が今でも忘れられません。

もう見ることが出来ないと思うと守ってやれなかった悔しさでいっぱいになります。

今でも楓と再会した時の表情が鮮明に頭の中をよぎります。

本当に怖くて苦しかっただろうし、助けを求めていたはずです。

楓や私たちのような思いはもう誰もしてほしくはありません。

二度と子どもたちが被害にあわない社会を心より願います。

 
 
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