岸谷香が関ジャムでプリプリ「М」誕生秘話!名曲Мは復讐ソング!?

「関ジャム」記念すべき第1回目のゲストは岸谷香さんと西野カナさん

実は 関ジャム支配人の古田新太さんはプリンセスプリンセスが大好きだったんです。

で、岸谷さんの前でド緊張気味。

関ジャニ「じゃあ、西野さんの印象は?」

古田新太「申し訳ない。全然わからない。だから勉強させてもらおうと思って」

一同、苦笑・・・お~い、支配人、大丈夫か!?


 
1989年、CD売上年間1位したのがプリンセスプリンセス(以下プリプリ)

89年年間1位の「Diamonds」は約81.5万枚を売り上げる大ヒット。

実はプリプリはこの年の売り上げランキング1位2位を独占していました。

1位が「Diamonds」B面「М」で約81.5万枚。
2位が世界でいちばん熱い夏 約75.9万枚

ちなみに3位がとんぼ(長淵強) 
4位は太陽がいっぱい(光GENJI) 
5位は愛が止まらない(WINK)

プリプリはこのヒットを皮切りに伝説のガールズバンドとして大ブレイクしました。

さらにプリプリは、女性バンドで初めて武道館コンサートをやりました(1989年1月)

岸谷さんは当時21歳。

プリプリのCDトータルセールスは1200万枚越えという、まさにJ-POP回の頂点に上り始めました。

関ジャム支配人古田新太が語る1989年頃のプリンセスプリンセス

古田新太「プリプリはすっごい人気があったよ。

(当時は)まだカラオケボックスとかがなくて、カラオケパブみたいなとこで歌ってたんだけど。

後輩の女の子とか、ほぼプリプリ歌ってたね」

一同「あ~~~(納得)」

古田「一学年下のヤツに、奥居(岸谷さんの旧姓)香に似てるやつがいるってんで、見に行ったのね、俺。」

関ジャニ「それくらい、かっこいいとかかわいいとかの、女性の代名詞になるような」

村上信五「西野さん、もちろんプリプリの曲はご存じだと思いますが」

西野カナ「はい」

村上「当時の音楽活動されてるのとかPVはなかなか」

西野「リアルタイムではなかったですよね」

岸谷「生まれた時だもんね。お母さまとか(の世代だよね)」

西野「はい。お父さんお母さんの」

関ジャニ「(世界でいちばん熱い夏の)PVがすごい個性的な(探検隊みたいな恰好をしてる)これがすごい気になりますよね」

岸谷「そうとういやでしたね、あれは。

やってる時。あの頃はまだ若くて、文句言っていいのか。

イヤだとか言っていいのか。どこまで言っていいのかわからなくて」

一同「あ~」

岸谷「しかも、まだ全然売れてないときで。プロモーションビデオもわりと地味に、浜松あたりの砂丘に行って」

一同爆笑「砂丘!?」

岸谷「鳥取まで行く予算がなかったから、浜松で(笑)」
 
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1989~1990年 プリンセスプリンセス全盛期&カルチャー変遷

楽屋でゲーム機に夢中

1990年当時、プリプリのチケットは即日完売。

岸谷「よく、電話がパンクしたとか。」

90.1.23の大阪城ホールのライブ直前。

サインに追われつつ、楽屋で夢中になっていたのが 当時大流行したゲームボーイ。

89年に消費税3%が導入された当時のゲームボーイの価格は12,500円。


 

プリンセスプリンセスはカセットテープのCМソングでミリオン達成

ソニーの「NEW HF-X CDノーマルポジション」(カセットテープ)のCМで 「diamonds」が起用され、縦長シングルCDとしては業界初の初ミリオンを達成。

さらに観客総動員数が190万人で、これは女性バンド最高記録。

この記録は未だに破られていません。

大流行の髪形を何とばっさり!!


 
岸谷「恐ろしい、これ(=髪型)が。とっても(笑)」

当時の岸谷さんの髪形はロングヘアのソバージュがかなりインパクト強かったです。

西野「ソバージュ。なつかしい~」

80年代後半から90年代初頭に流行したのがソバージュ。

毛先までウェーブをかけるパーマを使ったヘアスタイルです。

しかし、その流れに逆らうように・・・当時の奥居香さん「もう、長い髪、サヨナラ~。」で、バッサリ髪を切り、超ベリーショートに大変身!

一同「みんなと同じじゃいやだというのがあったんですかね~」

古田新太「ソバージュね。ソバージュ、好きやったあ~」

関ジャニ「ソバージュ、好きそうだもんね」

古田「ソバージュ好きだった。つき合う女、全部ソバージュにした」

村上「世の女性たちはほぼみんなソバージュだったんですよね」

杉本哲太「ワンレン、ソバージュっていう感じだった」

関ジャニ「ワンレンってどんなんですか」

岸谷「全部同じ長さにする感じ」

古田「浅野温子さんとか」

一同「あ~~~(納得)」

村上信五「長い髪さよなら~。あれはどんな心境から」

岸谷「反抗的な時代で。

“髪の毛切りたいな~”っていったら “ちょっと待ちなさい”みたいな。」

村上「スタッフが?」

岸谷「それで“髪の毛ひとつも、自分の自由で切れないわけ!?”みたいになっちゃって。

だから当時はもう、“めちゃめちゃに切ってやる!”みたいな感じで切ったんですよ。」

一同「あ~」

岸谷「それで最初は“自分で切ってやる!”って、ハサミでバツッて切って」

一同「え~~~!」

岸谷「そうなんです。で、メンバーもおもしろいから、断髪式みたいに“いいよ。切って切って”とか言って。

で、みんなで髪をチョキチョキ切っちゃって」

村上「スタッフ、きっと泣いてましたよ~」

岸谷「それで、ファンの方も、みなさん続々と切られて・・・という感じ」

関ジャニ「社会現象だもん。みんなソバージュしてたりとか」

村上「1989年当時、杉本さんは何をやってらっしゃったんですか」

杉本「24でしたけど。24の頃は・・・女の人と同棲してましたね」

一同「(爆笑)生々しい」

関ジャニ「役者はされてたんですか?」

杉本「役者の仕事は16の時からやってたから。」

岸谷「バンドをやっていたのに、どうやって役者さんに?」

杉本「全然、芝居をする気は、最初はなかったんですけど。僕は横浜銀蠅というバンドが好きで」

横浜銀蠅というのは、80年代前半に台頭した、当時大人気だったツッパリ系ロックバンド。

若いころ、本物のツッパリだった杉本さんは、横浜銀蠅が憧れでした。
 

 

杉本「もう、銀蠅になりたくて」

村上「銀蠅さんになりたくて」

杉本「蠅になりたかった!」

村上「そこだけ言うとおかしくなりますよ。」
 
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プリプリの名曲「M」の誕生秘話。そこには失恋の仕返しがあった!

関ジャニ「これは作曲は岸谷さん?作詞はどなたが?」

岸谷「当時のプリプリのドラマの富田京子さんが作詞だったんだけど。

彼女がある夜、男の子にフラれたと言って、うちに転がり込んできて。

泣きながら来たから「どうしたの?」と聞いたら「男にフラれた」「なぬ!?」って。

で、いろいろ話を聞いてるうちに、仕返しに歌詞書いちゃいな!って言ったの。」

関ジャニ「歌詞にして 残してやろうぜって」

岸谷「そう! で、どうせだったらそれで歌ってやんなよ!みたいな感じで」

関ジャニ「その一言がきっかけで?

ということは、その振った男性は、自分の曲ってわかってるんですか」

岸谷「わかってるでしょうね。頭文字もそうだから」

関ジャニ「Мさん、わかってるんですか!?

じゃあ、これ見てたら、“また俺の話してる”みたいな。

何年いじられてると思ってます?いや~、名曲だからずっといじられるよ^^;」

岸谷「だからほんとに、これは大仕返しですよね」

関ジャニ「こわ~!」

岸谷「そのせいで何十年も・・・」

関ジャニ「だから今、テレビの前で観てたら“もう、ちょっと、やめてくれよ”と」

岸谷「そうですよね」

関ジャニ「俺ら全員、ここにいる人、みんないなくなっても残りますよ、名曲だから」

岸谷「仕返し大成功ですよね(笑)」

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