秋葉原連続通り魔 加藤智大(かとうともひろ)【秋葉原無差別殺傷事件】

加藤智大 秋葉原無差別殺傷事件

2008年 秋葉原無差別殺傷事件

加藤智大

via:https://matome.naver.jp/

2008年(平成20年)6月8日、白昼の歩行者天国を狙った通り魔殺人は、7人殺害、10人重軽傷という、被害者数でいうと大阪池田小児童殺傷事件に並ぶ凶悪事件だった。

>>関連動画①

>>関連動画②

犯人の加藤智大(かとうともひろ・当時25歳)は青森県の進学校を出た後、自動車整備関係の短大を卒業し、警備会社や自動車工場などで派遣社員として働いていた。

犯行当時は静岡県裾野市の自動車工場で、塗装ラインの仕事に就いていた。

加藤智大が当時熱中していたのが携帯サイトの掲示板への書き込みだった。

サイト名は 【友達できない】不細工に人権なし【彼女できない】

友達も彼女もいない孤独感をうかがわせるサイト。

加藤智大の孤独を理解してくれる(かもしれない)と思わせたのが、サイトに書き込まれる投稿と、メールのやり取りをする仲間だけだ、と加藤は思い込んでいた。

ところが自分の居場所を荒らされ、嫌がらせを受けて、サイトを閲覧者が減っていき、それに伴って加藤智大の携帯サイトへの書き込みに狂気が現れ始めた。

加藤智大6月4日
俺が何か事件を起こしたら、みんな「まさかあいつが」って言うんだろ。
加藤智大6月5日
誰でもよかった。
 
なんかわかる気がする。トラックで行くのは無謀かもしれん
加藤智大6月6日
やりたいこと…殺人 夢…ワイドショー独占
 
彼女がいれば、仕事を辞めることも、車をなくすことも、夜逃げすることも、携帯依存になることもなかった。
 
希望があるヤツにはわかるまい。
 
買い物。通販だと遅いから福井まで出てきた。ナイフを5本買ってきました。

犯行の2日前、加藤智大は福井県福井市のミリタリー輸入雑貨販売店で、ナイフを購入していた。

加藤智大6月7日
無事(レンタカーを)借りれた。
 
準備完了だ。
 
「死ぬ気になればなんでもできるだろ」死ぬ気にならなくても何でもできちゃう人のセリフですね。
 
もっと高揚するかと思ったら、意外に冷静な自分にびっくりしてる。
 
中止はしない。したくない。
加藤智大6月8日
【秋葉原で人を殺します】
 
車で突っ込んで、車が使えなくなったらナイフを使います。
 
みんなさようなら。
 
秋葉原ついた。今日は歩行者天国の日だよね?
 
時間です。

歩行者天国が始まるのを待って、加藤智大は2トントラックで歩行者天国になっている中央通に向かった。

その間、2度躊躇したが、3度目に交差点の歩行者の列に突入し、5人に衝突して、3人を跳ね飛ばした。

それから車を降り、ダガーナイフを持って歩行者、負傷者を救助しようとしていた人、警官などを次々と刺した。

>>関連動画(加藤智弘・逮捕の瞬間)

事件現場でわずか数分の間に 7人の尊い命が散ってしまった。
 
 
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加藤智大から被害者への手紙

加藤智大 秋葉原事件 手紙

このたびは本当に申し訳ございませんでした。

被害を与えたことについて、言い訳できることは何もありません。

おわびすることが皆さまの心情を害するのではないかと悩んでいるうちに1年が経過してしまいました。

遅々として進まない裁判に皆さまの怒りも限界ではないかと考え、謝罪すべきだという結論に至りました。

謝罪する意思は本当に自分の感情なのか、ということをいろいろ考えましたが、反省している自分が存在していることは否めません。

きれい事を並べた謝罪文のような形式だけの謝罪は皆さまへのぼうとくでしかなく、本心からの謝罪なのか、自問しながら書いています。

私には事件の記憶がほとんどありませんが、やったことに間違いはなく、罪から逃れるつもりはありません。

私の非はすべて私の責任であり、その責めはすべて私が受けねばなりません。

私の非は、皆さまに通常ではあり得ない苦痛を与えたことです。

人生を変化させたり、断ち切ったりしたことです。

皆さまの人生を壊してしまい、取り返しのつかないことをしたと思っています。

家族や友人を理不尽に奪われる苦痛を想像すると、私の唯一の居場所だったネット掲示板で、「荒らし行為」でその存在を消された時に感じたような、我を忘れる怒りがそれに近いのではないかと思います。

もちろん比べられるものではありませんが、申し訳ないという思いがより強くなります。

被害を受けてなお、私に同情を示してくれるような方を傷つけてしまったと思うと、情けなくて涙が出ます。

一命はとりとめたものの、障害が残った方にはおわびしようがありません。

どんなに後悔し、謝罪しても被害が回復されるはずはなく、私の罪は万死に値するもので、当然死刑になると考えます。

ですが、どうせ死刑だと開き直るのではなく、すべてを説明することが皆さまと社会に対する責任であり、義務だと考えています。

真実を明らかにし、対策してもらうことで似たような事件が二度と起こらないようにすることで償いたいと考えています。

いつ刑が執行されるか分かりません。

死刑の苦しみと皆さまに与えた苦痛を比べると、つり合いませんが、皆さまから奪った命、人生、幸せの重さを感じながら刑を受けようと思っています。

このような形で、おわびを申し上げさせていただきたいと存じます。

申し訳ありませんでした。

via:http://lacan-msl.com/akihabara/

事件から1年後、被害者の元には加藤智大から謝罪の手紙が送られてきた。

加藤智大からの手紙に、2人の被害者が返事を出している。

そのうちの一人、元タクシー運転手のYさんは現場で被害者を助けようとしていたところを 加藤智大にうしろから刺されたものの、九死に一生を得た人である。

Yさんが加藤智大にあてた手紙
二度と悲惨な事件が起こらないように、私のできることをやっていきたいと思います。
 
もっと君を見せてくれませんか?

Yさんは加藤智大にこう手紙で語りかけたが、加藤からの返事はなかった。
 
 
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動機なき殺人

加藤智大の公判は2010年1月から始まった。

7月27日から4回にわたり被告人質問が行われたが、その証言から浮かんできた通り魔の犯人像は、17人殺傷した凶悪犯とはほど遠い、ただの孤独な小心者の男だった。

加藤智大がゆがんでいった要因のひとつには 母親の存在があった。

子供の頃からすべての生活において、加藤智大は彼の母親の異常な支配下に置かれて育っている。

いたずらをすれば2階から突き落とされそうになった。

泣くと口にタオルを詰め込まれた。

食事を食べるのが遅いと母親はおかずを新聞チラシにぶちまけて、それを子供に食べさせた。

母親がどんなにひどいことをしても、父親は黙ってみているだけだったという。

わたしは、何か伝えたいときに、言葉で伝えるのではなく、行動で示して周りに分かってもらおうとする。

母親からの育てられ方が影響していたと思う。親を恨む気持ちはない。

事件を起こすべきではなかったと思うし、後悔している。

わたしは食べるのが遅かったが、母親に新聞のチラシを床に敷き、その上に食べ物をひっくり返され、食べろと言われた。

小学校中学年くらいのとき、何度も。屈辱的だった。

無理やり勉強させられていた。

小学校低学年から「北海道大学工学部に行くように」と言われた。

そのため青森高に行くのが当たり前という感じだったが、車関係の仕事をしたいと思っていた。

現場に近い勉強がしたい、ペンより工具を持ちたいと。母親に話したことはない。

中学時代に母親を殴ったことがある。

食事中に母親が怒り始めた。ほおをつねったり髪をつかんで頭を揺さぶられたりした。

無視すると、ほうきで殴られ、反射的に手が出た。

右手のグーで力いっぱい左のほおのあたりを殴った。

汚い言葉でののしられた。悲しかった。

大学進学をやめ、自動車関係の短大に行くことにした。

母親にはあきらめられていたと思う。

挫折とは思っていない。勉強をしていないからついていけないのは当たり前。

短大には失礼だが、無駄な2年。

整備士の資格は取るつもりだったが、父親の口座に振り込まれた奨学金を父親が使ったので、アピールとして取ることをやめた。

via:秋葉原事件

 
>>関連動画(加藤智大容疑者の両親謝罪会見)
 

何もかもが母親に牛耳られていて、進路さえすべて母親が決めて、加藤智大に選択の自由はまったくなかった。

しかしそういう環境で育ってきた加藤智大は、小学生まではそんな母親に抵抗することなく「悪いのはすべて俺だ」と受け入れていた。

母親を怒らせないために無理してよい子を演じながら、深層心理の中では母親への強い憎しみを抱き続けていたに違いない。

加藤智大にとっての家族は戸籍上存在するだけのもので、精神的なつながりはほとんどない。

父母と弟の4人家族はそれぞれが違う方向を向き、実質上は他人状態だった。

そんな加藤智大も思春期から母親への反抗心を募らせていくようになる。

それまでは母親の前でよい子を演じるために一生懸命勉強して成績はトップクラスだったが、母親が選んだ県内トップクラスの進学校である青森高校に入学してからまったく勉強しなくなっていった。

大学に進学させたい母親に反抗して加藤智大は自動車整備の短期大学に進学しているが、これは加藤が本当にやりたかったことであり、ここにきてようやく母親の押し付けに抗う態度を見せて、実家を離れている。

ところが加藤智大はこの短大でも整備関係の資格をわざと取らず(父親が奨学金を使ってしまったことに対してのアピールとして) 卒業後は仙台の警備会社でアルバイト生活を始めているが1年半で辞職。

その後は派遣社員として、自動車工場などを転々とする生活を続けていた。
 
 
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言葉よりも「アピる」

加藤智大は、自分の意思を相手に言葉で伝えることができない。

なので中・高校時代なども、気に入らないことがあると仲のよかった友達にも、まず手が出てしまう。

殴られたほうはなぜ殴られたのか、相手が何に腹を立てて手が出たのかがわからない…それは加藤智大が殴るだけで、理由を一切言葉にしないから。

でも殴っているのだから 加藤のほうは相手の何かに腹を立てているわけで、でもそれを相手に言葉で説明することができない。

つまり加藤智大は 言葉で他者とうまくコミュニケーションが取れない男なのだ。

これも実は母親のねじれた育て方や教育方針によるもののようだ。

子供の頃から母親に言葉で言っても通じないので、言葉で自分の意思を伝えずに、はじめからストレートな行動をとるようになった。

ストレートな行動といっても、相手に伝わっているかどうかを無視しているので、完全なる独りよがりである。

これを最近の若者は「アピる」というらしい。

加藤は言葉で自分の意思を伝えずに、アピール(=直接行動)をとって、相手にわからせようとする。

たとえば派遣先で加藤智大が正社員から「派遣のくせに黙ってろ!」と言われた場合、加藤の行動パターンだと 言葉で反論せずに いきなり仕事をやめてしまう。

加藤智大に言わせると これが加藤的「正社員へのアピール」である。

退職することで相手に対して自己主張をしているわけだが、それを正確に理解しているのは加藤智大本人だけで、その意思は周りの誰にも伝わっていない。

こんな風に、自己主張をすべてアピールで返すのが加藤智大の行動パターンなのだ。

ちょっと普通の人間には理解できない行動様式だが、これも加藤の母親の異常な教育方針の影響なのだと思う。

他者とのつながりを見出せなくなった加藤智大は、やがて携帯サイトの掲示板の中に人間関係を築いていこうとする。

仕事以外の時間はすべて掲示板に充てたほど掲示板の世界にのめりこみ、通信料が数十万円になったこともあった。

掲示板について加藤智弘はこう供述している。

加藤智大
掲示板は、自分が自分に帰れる場所だった。
 
返事をもらえると嬉しくて「一人じゃない」と感じられた。
 
私にとっては家族のようなもので、家族同然の人間関係でした。
 
掲示板は私にとっての居場所
 
 
ところがこの「私にとっての居場所」が「なりすまし」という迷惑メールによって荒らされるようになった。

「家族を失う」ことに焦った加藤智大は「なりすまし」に「警告」するために「大事件を起こす必要がある」と考えた。

これが加藤智大が「秋葉原無差別殺傷事件」を起こした動機である。

あくまでも「秋葉原事件を起こした動機」であって、殺人の動機とは違う。

大事件を起こすこと(アピール)によって「なりすまし」の相手に怒りを示そうというのは普通の人には理解できないことなのだけれど、言葉で警告できずにとんでもない行動(アピール)にでて相手に事の重大性を訴えようというのが、加藤智大にしみついた他者とのコミュニケーションスタイルだった。
 
検察官から「殺す相手は誰でもよかったのか?」と問われた加藤智大が「はい」と答えているように、加藤にとっては誰が相手でもよかった。

加藤智大の中で膨らんでいた孤独や怒りや悲しみが、掲示板荒らしによって限界を超えてしまい、爆発したのがあの秋葉原の通り魔事件だったのだと思う。

だから加藤智大はこう答えているのだろう。

加藤智大
事件を起こしたというより、起こさざるを得なかった。

2015年(平成27年)2月2日、最高裁は「動機に酌量の余地は見いだせず、死刑を認めざるをえない」として被告側の上告を棄却。

2月13日に判決訂正申し立てをするも、17日付で棄却。

これにより、加藤智大の死刑判決が確定した。

2017年8月現在、加藤智大は34歳、東京拘置所に収監されている。
 
 
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