重監房写真発見!ハンセン病の症状 原因 患者差別 黒歴史の解明へ

重監房の全体像写真の発見で構造が解明される!

群馬県草津町の国立ハンセン病療養所にあった重監房の建物全体が写っている写真が見つかりました。

重監房 ハンセン病
via:東京新聞

建物内部の一部を撮った画像は残っていたのですが、全体像が見える写真が出てきたのはこれが初めて。

写真を分析することで建物の構造や塀の高さなども特定できるので、重要な資料として注目されています。

写真の周辺の景色や、建物の倒壊具合が入所者の証言と一致・・・入所者(故人)が「昭和24年春に重監房の壁が崩れた」と書き残しているのです。

重監房を間近で見たことがある人にも確認してもらったところ、これは重監房の画像に間違いないだろうと断定されました。

重監房の壁が倒壊した時期が昭和24年であること。

この写真が寄贈されたのが昭和26年であること。

写真には積雪が見られないことから、おそらくこれは昭和24~25年ころに撮影されたものだろうと推測されています。

重監房とは、ハンセン病患者専用の「刑務所」です。

正式名称は「特別病室」ですが、「病室」とは名ばかりで、実際にはここでは治療は行われず、重罰に処すための監房として使われていました。
 
 
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ハンセン病とは?ハンセン病の原因・症状・治療について

ハンセン病の原因は「らい菌」なので、明治時代の日本では「らい病」と呼ばれていましたが、1873年にらい菌を発見したノルウェー人のハンセン医師から名をとって「ハンセン病」と呼ばれています。

らい菌が皮膚と神経を侵す慢性の感染症で、ハンセン病の症状は 痛くもかゆくもない皮膚の発疹から始まります。

その後 患部の感覚がなくなり(知覚障害) 知覚障害のけがややけどなどをした時に初めておかしいと気づく病気でした。

ハンセン病の症状は はじめは末梢神経に入り込んで 手足の運動麻痺や知覚麻痺が起こり、次に皮膚や粘膜に入り込んでいったり、身体が変形したりもします。

【閲覧注意】ハンセン病の症状【画像】
 

現在はハンセン病の治療法が確立されているので完治する病気ですが、かつては難病と恐れられてきました。

感染経路は未だによくわかっていませんが、ハンセン病の感染力は弱く、健康体であれば免疫で対抗できるため 感染し発病するのはまれです。

そのためハンセン病は「もっとも感染力が弱い感染病」と言われています。

現在のハンセン病罹患者は日本人と在日外国人を合わせて年間5~6名くらいで、その多くは60歳以上で20年以上前にらい菌に感染したことがある人だそうです。

そしてハンセン病が遺伝しませんから、今は滅多に出会うことのない病気と思って間違いありません。

現在 国立ハンセン病療養所は全国に13か所あり、入所者の高齢化が進んでいて 平均年齢が85歳を超えているそうです。
 
 
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ハンセン病患者の差別の黒歴史

ハンセン病はキリスト教の聖書や紀元前の古代中国やインドの文書などにも記述が残っている、かなり古くからある病気です。

日本では日本書紀(720年)にもハンセン病の記述があり、ハンセン病にかかると仕事ができなくなることから隠れて暮らしていたり、家族に迷惑をかけないために放浪の旅に出る患者(放浪らい)もいました。

昔は原因がわからず治療法もなかったために 不治の病として恐れられていたのでしょう。

明治時代になると 政府は外国から「らい病患者を放置している!」という指摘を受け、「らい予防法」が制定されました。

内容は、らい患者は療養所に入れて隔離するというもの。

隔離施設がつくられたことからますます「らい病はおそろしい伝染病だ!」という間違った考えが世間に広まりました。

医師や患者の中には強制隔離に対して反対意見をあげる者もいました。

でも法律の制定により、以降、ハンセン病患者の強制隔離政策と差別が続いていくことになります。

前述のとおりハンセン病は感染力が弱く、多くの人が免疫があるために発病することはないのですが、当時はそれがよくわかっておらず、ハンセン病患者は自由を奪われて、人権を侵害されていました。

この「らい予防法」が廃止されたのは1996年。

ほんの20年ほど前って…最近ですよね。

現在もハンセン病を患っている方はいますが、その多くが高齢者ですので、若い世代はらい病だのハンセン病だの言われてもわからないですが、高齢者の中にはいまだにらい病に対する差別や偏見を持っている人は多くいます。

そんな偏見に対して国は「らい予防法違憲国家賠償訴訟」が起こされていましたが、原告全面勝訴の判決が下されたことにより 2001年に「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が制定され、現在は国が患者と元患者に対して謝罪をし、ハンセン病問題の保障を行う政策がすすめられています。

日本ではこのようなハンセン病患者の名誉回復に対する動きがありますが、諸外国には今もなお差別が存在します。

現在も何千万人ものハンセン病患者とその家族が、ハンセン病に対する偏見で苦しんでいる現実があります。
 
 
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「重監房」…草津のハンセン病懲罰施設とは?

重監房 ハンセン病
via:重監房資料館

草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」

今回発見された写真は 患者を監禁した「重監房」を昭和24年前後に撮影したとみられる一枚↓です。

重監房 ハンセン病
via:東京新聞

重監房は1938年に国が設置したハンセン病療養所内の懲罰施設…と言えば聞こえがいいですが、早い話が刑務所同然です。

「刑務所」といっても裁判が行われていたわけではなく「懲戒検束権」(患者を罰する権限)を与えられていたハンセン病療養所所長の判断により 反発する患者が重監房に収監されていました。

ハンセン病隔離政策が出されたために多くの患者が強制的に療養所に入所させられましたから、逃げ出したり反抗したりする患者も中にはいて、そういう患者を監禁するために全国の各ハンセン病療養所には「監房」は作られていました。

この重監房はそれらの「監房」よりももっと「重い」ものとして作られました。

「特別病室」という名前を付けられていますが、より重い罰を与えるために作られたので「重い」「監房」→重監房と呼ばれたのです。

1947年に廃止されるまでの間、全国のハンセン病療養所で反抗的だとみなされたハンセン病患者を この重監房に収容していました。

重監房は1953年に解体されていて、現在は基礎部分だけが残っています。

重監房 ハンセン病
via:栗生楽泉園

重監房に収容されたのはのべ93名。うち23名がここで亡くなっています。

重監房の1室の広さは4畳半くらいで8室。

床と壁は板張りの寒々しい作りで、冬は氷点下15度以下になったといいます。

ここに収容された患者は十分な食べ物も与えられていませんでした。

収容患者の逃走を防ぐため、部屋の外は高いモルタル壁で囲われていて、その壁の高さは4メートルとされていましたが、これは入所者の証言によるものでした。

今回、重監房の全体像を見渡せる画像が出てきたことで、壁の高さや厚みなどは より正確な数値が割り出せるはずです。
 


 

〒377-1711 群馬県吾妻郡草津町草津464−1533
0279-88-1550

 
 
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重監房と門衛所の発掘調査と出土品

重監房 ハンセン病
via:栗生楽泉園

2017年3月22日~28日に重監房の「門衛所」は試掘調査がされており、そこからたくさんの出土遺物が出ています。

重監房の看守施設と言われている「門衛所」では、湯飲み茶わんや大がめの破片が見つかっています。

大がめはトイレとして使われていたと考えられています。

重監房 ハンセン病
via:栗生楽泉園

門衛所は栗生楽泉園の旧正門付近にあり、建物は木造平屋建ての約23平方メートル、宿直室やトイレがあったようです。

重監房の発掘では、扉に使われていたであろう南京錠が見つかっています。

重監房 ハンセン病
via:栗生楽泉園

これを見ると 重監房の隔離がいかに厳重だったかがわかりますね…だからやはりここは「刑務所」同然だったのでしょう。

逃亡したというだけでこんなところに閉じ込められていた人もいたとすると、終戦後まで理不尽な人権侵害が平然と行われていた日本の黒歴史・・・。

考えると目を背けたくもなりますが、今回の写真の新たな発見で 重監房のさらなる解明が進むことが期待されます。

2017.7.24 監禁室の鍵発見


 
 
 
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重監房 ハンセン病