城丸君事件 (北海道男児行方不明事件)

城丸君事件 北海道男児行方不明事件

この事件の犯人である毒婦・K藤は日高地方の海辺の町生まれ。

K藤は中卒後に集団就職で上京したが 間もなく北海道に戻り、登別のホテルで働いていた。

再び上京したあと水商売の世界に飛び込み、26歳で結婚したが、1年で離婚した。

1984年(昭和59年)当時、K藤は1歳の長女と札幌市豊平区内のアパートに住み、すすきのの高級クラブのホステスをしていた。

1984年1月10日、K藤の住まいから100メートルほど離れた福住一条一丁目の会社役員の次男・城丸秀徳君(当時9歳)が行方不明になった。

城丸君事件

via:現場(大島てる)

城丸家の電話が鳴り、たまたま近くにいた秀徳君が電話に出た。
 
電話に出た秀徳君は家族の誰とも電話を代わらずに電話口の話を聞いていたので、自分宛てにかかってきた電話であったようだ。
 
しかし 電話の相手が友達という雰囲気ではない。

「はい… はい…」と小声で返事をしている姿は年上の人に叱られているかのようだった・・・と家族は語った。

母親
誰からの電話?
城丸秀徳君
(誰とは答えずに)ちょっと出かけてくる。
母親
どこへ行くの?
秀徳君
ワタナベのお母さんが僕に物を知らないうちに借りたらしいんだ。
それを返したいといっている。
函館に行くと言っている。
車で来るからそれを取りに行くんだ。

このセリフはその場にいた家族全員にとって意味不明だった。

母親
寒いからジャンパーを着て行きなさい。

秀徳君はジャンパーをはおると玄関から飛び出していった。
 

母親
(不審に思ったので秀徳君の兄に)秀徳のあとをつけて。

秀徳君が小走りで 二楽荘というアパートの交差点で左に曲がったが、後をつけていた兄が秀徳君を確認できたのはこれが最後だった。
 
兄が交差点を左に曲がったときには 秀徳君の姿はどこにも見えなくなっていた。
 
二楽荘の隣には「ワタナベ」という表札のかかった家があったので、兄はそこで待ってみたが、いつまでたっても秀徳君が出てこない。

兄はいったん母親に報告するために帰宅した。
 
母親はワタナベさんの家を訪ねてみたが、高校三年生の娘が出てきて そんな子は来ていないと言う。

母と兄は周辺を捜しまわったが秀徳君は見つからず、午後12時半頃に交番に捜索を依頼した。
 
警官が周辺の聞き込みを行ったところ、すぐに秀徳君の目撃者が見つかった。

目撃者は二楽荘の階段を上っていく城丸君を見たという。

そこで、二楽荘の二階に長女と暮らしているK藤というクラブホステスに話を聞いた。
 

K藤
今日の午前中 小学生くらいの男の子が近づいてきた。
 
「ワタナベさんの家は知りませんか?まっすぐいって階段を上る家だと聞いたのですけど」と尋ねられて「隣にワタナベさんの家があるけどそちらじゃないの?」と返事をした。
 
少年は「どうも」といって立ち去ったので自分もアパートに戻った。
 
他の家と間違えたらしく、すぐに帰りましたよ。

警察はこの後、ワタナベ家にも事情聴取をするが、女子高生が同じ証言をするだけで、任意で家宅捜索もしたが 秀徳君は見つからなかった。

いろいろと不審な点があるK藤にも捜査の手は及んだが 確たる証拠がなく、事件は迷宮入りするかに思われた。

そして事件から3週間後、K藤は何食わぬ顔でどこかに引っ越していった。
 
 
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秀徳君の失踪から2年後の1986年、K藤は再婚した。
 
相手は寿美雄さん、当時35歳で 郊外で農家を営んでいた。

水商売の世界にいたK藤と農家一筋の寿美雄さんではあまりに生活が違いすぎるということで、当初からこの結婚は親族に反対されていたという。
 
しかしその反対を押し切って寿美雄さんは「農業の手伝いはしなくてよい」という約束で K藤との結婚を強行する。

K藤は農作業を手伝わないばかりか 食事の用意もろくにせずパチンコ通いしたり、娘連れで一週間以上も遊びに行って帰らないこともあった。

しかも遊ぶ金を渡さないとK藤は怒鳴りだす有様だった。

寿美雄さんは保険金の受取人も加寿子にさせられ、家を建てるために蓄えていた貯金2000万円もいつのまにか加寿子に引きだされ使われてしまっていたという。
 
K藤と寿美雄さんは過ごす部屋も別々で家庭内別居状態だったらしい。

結婚から1年ほどたった1987年12月30日未明、突然の火災で全焼し、焼け跡からは寿美雄さんが焼死体で発見された。

火災の調査では加寿子の不審な様子が次々と明らかになった。
 
午前3時という真夜中の出火であったのに K藤と長女は外出着で髪もきちんとセットされていて、足にはブーツをきっちりと履いていた。
 
その時間帯にそこまで身支度ができていたことも驚くが、火事に気づいても自宅の電話を使わず、一番近い隣家ではない、300mほど離れた2番目の隣家に助けを求めに行っていた。

しかも一刻を争う事態のときに悠長にチャイムを鳴らして 家人が出てくるのをのんびり待っていたという。

焼け残った納屋の前にはK藤と長女の衣装箱が積み上げられていて 寿美雄さんのものはひとつもなかった。

寿美雄さんの死後、彼に1億9000万円もの保険金がかけられていることが判明。

保険金殺人が疑われ、警察も事件を疑い捜査を開始したが、放火の証拠が見つからないことで立件は断念せざるをえなかった。

だが保険会社は保険金の支払いを拒否し、K藤は裁判を起こしたが、後に訴訟を取り下げ、新十津川町を去っていった。
 
 
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火事から半年後の1988年6月、焼け残った納屋を整理していた義弟は 棚の上にビニール袋が置かれているのを発見した。
 
それは茶色く変色していたが、骨のように見えた。

寿美雄さんの死はK藤が企てた保険金殺人だと疑っていた義弟は、あの女はほかにも殺人を犯しているのでは?と考え、これを警察に届けた。
 
鑑定した結果、それは火葬された子供の人骨であることが判明した。

血液型や歯の大きさなどからみて、それは行方不明の城丸秀徳君のものはないかという疑惑が強まった。
 
城丸秀徳君が行方不明になってすでに4年の年月が流れていた。
 
届けたものが骨であること知り、義弟はこのときはじめてK藤が城丸秀徳君行方不明事件の容疑者としてマークされていたことを知ったという。
 
そして捜査が行き詰まっていた城丸秀徳君行方不明事件が再び動き出した。
 
 

捜査の結果、城丸君行方不明事件当時、K藤容疑者には多額の借金があったことが判明した。
 
城丸秀徳君の父親は資産家であるため、金に困ったK藤容疑者が身代金目的で秀徳君を誘い出し誘拐したものの、秀徳君の兄が尾行していた結果、警察の追及が予想していた以上に早くやってきたため、身代金の要求を断念したのではないかと思われている。
 
さらに秀徳君が行方不明となった1月10日の夕方、K藤容疑者は大きなダンボールをアパートの部屋から運び出している姿を目撃されていた。
 
その後 そのダンボールは嫁ぎ先の農家で燃やされたが、そのときに一帯に鼻をつくような異臭が漂っていたことを 近所の人間が覚えていた。
 
警察は静内町に引っ越していた(3度目の結婚をするも離婚)K藤容疑者を拘束し 事情聴取したものの、k藤は「そんな骨の存在は知らない」と突っぱね、黙秘を貫いた。

警察は東大医学部にDNA鑑定を委託したが、時間が経過しすぎていたため、当時の技術力ではその人骨が城丸秀徳君のものであるという証明は出来なかった。

それによりK藤容疑者は釈放されることとなったのである。

しかし、警察もそれで諦めたわけではなかった。

日進月歩の科学技術の中、白骨発見から10年後にようやく、DNA鑑定で人骨が城丸秀徳君であることが明らかになったのである。

そして1998年11月、ついに警察はK藤容疑者を逮捕したが、そのとき 犯行から14年10ケ月の年月が流れていた。

時効まで残り2ケ月というギリギリのラストチャンスに警察は滑り込んだのだが、予想に反してK藤の裁判は難航した。

K藤と城丸君の接点や殺害の動機、方法などは、K藤の自供を持つ以外に知る方法はなかったからだ。

たが、k藤は一筋縄ではいかない女だった。

ホステス時代、借金トラブルで取り立て屋に脅されたとき、自分の小指に包丁の刃を当てて、

K藤
金の代わりにこれを持っていけ!

・・・とすごんで、取り立て屋を追い返したという話もあるくらい、K藤という女は強かった。

そんなK藤は取り調べに対し、完全黙秘を通した。

タバコを要求し断られると、10日も口を利かないこともあり、調書がまったく取れない。

そんな中、検察は1998年12月、K藤を殺人罪で起訴している。

城丸秀徳君の死因が特定できないために、K藤容疑者の殺意などを認定することが難しかったにもかかわらず。

なので起訴状には動機が書かれておらず、殺害方法も「不詳」となっていた。
 
つまりK藤容疑者が城丸秀徳君を殺したことは間違いないが、殺意をもって本当に殺した殺人なのか、過って殺してしまった過失致死なのか、怪我させるつもりで殺してしまったのは傷害致死なのか・・・その点が争点となった。

しかし、結果的に、14年以上の時間経過が仇になった。
 
傷害致死、過失致死、死体損壊の罪は、すでに時効が成立してしまっていた。

もはや殺人罪でしか立件はできないが、この裁判でもK藤容疑者は沈黙を貫き、口を割ろうとしなかった。

K藤
お答えすることはありません。

K藤のこのセリフが裁判中 400回にわたって陳述された。
 
そして2001年5月30日、札幌地裁はK藤容疑者に無罪を言い渡した。
 

札幌地裁
被告人が何らかの行為により城丸秀徳君を死亡させその後遺体を保管したり遺骨を処分したこと、取り調べの最中事件とのかかわりをほのめかすような供述をしたことなど被告人が秀徳君を死亡させた疑いは強い。
 
しかし殺意を持って秀徳君を死亡させたと推定するにはなお合理的な疑いが残る。
 
つまりK藤被告が城丸秀徳君を殺したのは間違いないが 提出された証拠が殺意をもって殺したとする証拠とは言えない、と。
 
新たな証拠やK藤が自白の可能性は極めて低いと見込まれたことから、検察は上告を断念し、ここにK藤の無罪が確定した。
 
2002年5月、K藤は拘束されていた928日分の日当と弁護士費用を請求した。

これに対し世論は非難轟々だったが、一応この要求は法的に正当なものである。

よって2002年11月に札幌地裁はK藤に1178万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
 
城丸君を殺したことがあきらかであるにもかかわらず無罪となり、さらには賠償金まで請求する。

K藤の完全犯罪は 彼女の完全勝利で幕を閉じた。
 
 
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