【飯塚女児殺害事件】冤罪処刑!?久間三千年 元死刑囚の再審請求

飯塚事件 久間三千年 冤罪

飯塚女児殺害事件

 


 

1992年(平成4年)2月21日午後、国道322号線沿いの山中で、2人の女児の遺体が発見された。

第一発見者
崖下に小さなマネキンのようなものが棄ててある。

通報を受けて福岡県警甘木署員が駆けつけたところ、マネキンのように見えたのは、2人とも飯塚市内の小学校に通う7歳女児の遺体だった。

現場周辺は山林に囲まれた険しい峠道で、交通量はほとんどない。

そんな国道脇の斜面に投げ捨てられていた2女児の遺体の首には絞められたような跡があり、上半身は服を着ていたものの、下半身は何も身につけていない半裸状態だった。

2人の女児は前日の2月20日の朝、飯塚市内の自宅を出て、一緒に小学校へ投稿する途中で姿を消し、学校や両親から捜索願が出されていた。

その2人が自宅や学校から20キロほど離れた峠道沿いの斜面で発見されたのである。

福岡県警は直ちに捜査本部を立ち上げて、大々的に捜査に乗り出したところ、2月22日、遺体発見現場から数キロはなれた八丁峠沿道の山中から、2人のランドセルや洋服・下着などが捨てられているのが見つかった。

2女児が通っていた飯塚市の小学校では、1988年12月にも7歳の小学1年生女児が行方不明になっていた。
 
 

有力容疑者

 


 

ほどなくして、福岡県警は1人の男を有力容疑者としてマークし始めた。

飯塚市内に住んでいた久間三千年(くまみちとし・当時54歳・無職)さんである。

久間三千年さんは山田市役所の職員として市長公用車の運転手などを20年ほど勤めていたが、1977年に市役所を依願退職してからは定職についておらず、事件当時は仕事を持つ妻の送迎をしながら、母親・妻・長男と共に飯塚市内の住宅街にある一軒家で暮らし、久間宅は2女児の自宅にも近かった。

久間三千年さんが警察に目をつけられるのには理由があった。

3年前に発生した女児失踪事件の際に「失踪直前に女児が久間宅で遊んでいるのを見かけた」という情報があったからだ。

さらに県警は「遺留品が見つかった八丁峠の現場近くで、久間三千年さんを有力容疑者として疑うに足る目撃証言を得た」という。

目撃者は八丁峠を偶然通りかかった地元・甘木市(現・朝倉市)の山林組合の職員。

目撃者
1992年2月20日午前11時ごろ、遺留品発見現場の近くで不審なワンボックスカーと男の姿を見た。

八丁峠は昼間でも車の往来が少ない場所なので、この目撃証言が事実ならば、犯人が女児たちの遺留品を棄てている最中だった可能性が高かった。

飯塚事件 久間三千年

via:日テレHP

目撃者
車は標準タイプのワゴン車で、やや古い型で、色は紺色。
車体にラインなどは入っていなかった。
確か後部タイヤは左右二本ずつのタイヤがついた「ダブルタイヤ」型だった。
窓ガラスは黒く、車内が見えなかったように思うので、ガラスにフィルムを貼っていたのではないかと思う。

これと同じタイプのワンボックス車・・・マツダのボンゴステーションワゴン・ウエストコーストを久間三千年さんも所有しており、やはり後部の窓ガラスにスモークフィルムが貼られて、車体のカラーが目撃証言と同じ紺色だったのである。

目撃証言にも、警察による誘導の疑いが!?

目撃証言にも重大な疑惑がある。

被害者の遺留品が見つかった場所で目撃されたワゴン車と人物の特徴が一致したことで久間氏が捜査線上に浮上したが、一瞬、車ですれ違っただけのその目撃談は、日を追うごとに詳しくなっていったのだ。

目撃者の証言が得られたのは事件から11日後のことだったが、最初は「紺色のワゴン車」としか話していなかった。

それが事件から13日後には「紺色ボンゴ車で後輪はダブルタイヤ」と言い、18日後には「ガラスにフィルムが貼ってあった」と追加された。

それは、まるで久間氏の車の特徴に寄せていっているかのような証言だ。

さらに番組では、注目すべき点は目撃者が「車はトヨタや日産ではない」「車体にはラインが入っていない」と語っていることだとする。

久間氏の車には、銀色の細いラインが入っている。

しかし、番組の調査によると、もともと久間氏が所有していたワゴン車は銀色のラインだけではなく黄色とオレンジ色のラインが入っているもの。

久間氏はこの派手なラインを剥がし、銀色のラインが残った状態で乗っていたのだ。

目撃者はこの銀色のラインが残った状態の車を目撃したことになるが、そのため番組は、「黄色とオレンジのラインの存在を知らなければ、銀色のラインを無視して『ラインはなかった』という証言はできないのではないのか」と疑問を呈する。

しかも、こうした疑問を裏付ける当時の捜査資料を入手。

こんな疑惑も明らかにしている。

「事件の日から18日後、警察は目撃者A氏の目撃調書を作成した。これによって久間氏に捜査の的を絞ったはずだった。ところが、A氏の目撃調書をつくる2日前に捜査員自ら久間氏の車を確認していたという。その日の捜査資料には、すでに『車にラインはなかった』などの特徴が書かれていたのだ」

ようするに捜査員は、あらかじめ「黄色とオレンジのラインが剥がされていた」ということを知っていた、ということだ。

さらにこの捜査員こそが、車の目撃者から聞き取りをおこない、調書を書いていたというのである。

これは目撃証言を誘導した結果ではないのか。

http://lite-ra.com/2017/09/post-3445.html
 

 
1992年3月下旬、県警は久間三千年さんの参考人聴取をはじめ、ポリグラフ(嘘発見機)にかけたり、数本の毛髪と指紋を任意提出させた。

ポリグラフ検査では際立った反応は出なかったものの、DNA型の鑑定のために提出させた毛髪の方からは驚くべき結論が出た。

警察庁の科警研で鑑定を実施したところ、女児の遺体に残されていた血痕と、久間三千年さんの毛髪のDNA型が「ほぼ一致する」との鑑定結果が出たのである。

捜査本部はただちに久間三千年の逮捕に踏み切ろうとしたが、福岡地検がこれに難色を示した。

当時、デオキシリボ核酸(DNA)から個人を識別するDNA鑑定は警察庁が導入し始めたばかりだったため、この鑑定結果だけでの立件には不安が残ると考えられたのである。

実際、県警が同じ試料で 東大と帝京大の法医学教室など別々の第三者機関に再鑑定を依頼してみると「女児の遺体に残された血痕から、久間三千年のDNAは検出されなかった」という結果が伝えられたのだ。

そこで県警も逮捕を見送らざるを得なかったのだが、それでも福岡県警捜査本部は久間三千年さんを徹底的にマークし続けた。

捜査本部
東大や帝京大の鑑定でDNAが検出されなかったのは、科警研の鑑定で試料の大半を使ってしまって、残量が少なかったのが原因だ。

1992年9月、久間三千年さんが新車購入のためにワゴン車を北九州市内の中古車業者に売り払った。

福岡県警は直ちにその車を押収して車内を微細に捜索したが、女児に関する手がかりを見つけることはできなかった。
 
 




 
 

久間三千年さんに狙いを定めた捜査本部は、朝から晩まで久間宅を監視し、尾行を続けた。

通常「尾行」というのは相手に悟られないように細心の注意を払うものだが、久間三千年さんに対するそれはあからさまなもので、まるで久間さんを精神的に追い詰めることが目的だったかのようなやり方だったという。

近隣住民
警察は早い段階から久間さんが犯人だと決めてかかっていたから、この辺の人はみんな知っていたと思う。
昼も夜も警察官が張り込んでいて、久間さんが出かけると、私たちから見てもわかるように尾行していた。

捜査本部のあからさまな捜査で、ついに久間三千年さんがキレて反撃に出たこともあった。

1993年9月29日朝、2人の巡査長が久間宅のゴミ袋を無断で持ち去ろうとしたことに腹を立てた久間三千年さんが巡査長らに抗議し、もみ合いになって、手にしていた剪定ばさみで相手に全治5~10日の軽傷を負わせたのだ。

傷害容疑で久間三千年さんは現行犯逮捕され、略式起訴されて、罰金10万円の刑が確定した。
 
 

1993年末、捜査は突如として大きく動いた。

捜査本部は1992年9月押収したワゴン車内の微物鑑定を再度行い、1年前には発見できなかったのに今回は微物を発見できたのだという。

後部座席シートの裏面などから微量の血痕や尿痕を新たに検出したと発表したのである。

車を押収した直後の捜査で見つからなかった痕跡が1年以上も経ってから発見されるというのは奇妙であるとしか言いようがない。

そして、このとき検出された血痕と尿痕が女児の一人の血液型と一致し、血痕は科警研の鑑定で女児のDNA型と符合したという。

さらには、女児の衣服に付着していた微量の繊維片が久間さんのワゴン車に使われていた座席シートの繊維とほぼ一致する、という科学鑑定結果も出された。

これらの新証拠を受けて、福岡地検はようやく逮捕にゴーサインを出し1994年(平成6年)9月23日に捜査本部は死体遺棄容疑で久間三千年容疑者の逮捕に踏み切った。

西日本新聞
捜査当局は「容疑否認でも起訴できるだけの物証を」という検察庁の指示を受け、DNA鑑定、血液型、そして繊維の一致という3つの物証を重ね 死体遺棄容疑での逮捕に踏み切った。
しかし、本件の殺人容疑に結びつく直接証拠には乏しく、容疑者の死体遺棄容疑の認否が最大のポイントとなる。
 
 
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死刑判決

しかし福岡県警は 久間三千年容疑者が犯行を頑強に否認し続けたため、自供を引き出すことができなかった。

1994年10月14日には久間三千年容疑者を殺人容疑で再逮捕したが、それでも久間容疑者の態度は変わらなかった。

その態度は福岡地裁の公判でも一貫しており、久間三千年被告は初公判でも起訴事実を否定した。

久間三千年被告
私は起訴事実のようなことを絶対にしていません。

1999年(平成11年)9月29日、福岡地裁は検察側の主張をほぼ全面的に認める形で、久間三千年被告に死刑判決を言い渡した。

陶山博生裁判長
本件において被告人と犯行との結びつきを証明する直接証拠は存在せず、情況証拠によって証明することのできる個々の情況事実は そのどれを検討してみても 単独では被告人を犯人と断定することができないのである。
 
しかしながら、情況証拠によって証明された個々の情況事実は これらをすべて照合して総合評価する必要がある。
福岡地裁判決が列挙した情況証拠
(1)目撃証言などから、本件犯行で犯人が使用していたと疑われる車はマツダ社製の後輪ダブルタイヤのワゴンタイプ車で、リアウィンドーにフィルムが貼ってあるという特徴を有していた。

(2)被害女児の着衣に付着していた繊維片が、被告人車と同型のマツダ社製ステーションワゴン・ウエストコーストに使用されている座席シートの繊維片である可能性が高い。

(3)被告人車の後部座席シートから血痕と尿痕が検出され、血痕については 被害児童のうちの一人と血液型が同じO型である。

(4)被害児童の遺体及び周辺から採取した血液の中に、被害児童以外の犯人に由来すると認められる血痕ないし血液が混在しており、血液型とDNA型が被告人のそれと一致している。

陶山博生裁判長
以上のような諸情況を総合すれば、本件において被告人が犯人であることについては、合理的な疑いを超えて認定することができる。
 
こうして久間三千年被告に死刑が言い渡されたが、被告側は判決を不服として即日控訴。

2001年10月10日、福岡高裁は被告側の控訴を退け、一審判決を支持。

2006年9月8日、最高裁も上告を棄却し、久間三千年被告の死刑判決が確定。
 


 

2008年10月28日、福岡拘置所で久間三千年死刑囚の死刑が執行された。70歳没。
 


 
森英介法相
法の求めるところに従い、粛々と自らの職責を果たしました。
遺族にとって痛恨極まりない事件であり、慎重かつ適切な検討を加えたものです。
 
 



 
 

東の足利、西の飯塚

2008年9月、再審請求の準備をしていた弁護人らが福岡拘置所を訪問し、久間三千年・死刑囚は面会室で再審請求準備についての報告をした。

死刑囚の判決確定日と執行日が記載された一覧表を手に、久間死刑囚は「自分はまだ5~6年先だから」

弁護団も同じ見解を持っていたのだが、その約1カ月後の2008年10月28日、久間三千年死刑囚の死刑が執行された。

死刑が確定したのが2006年10月8日なので2年余りのスピード執行。

10年以上執行されない死刑囚も多い中、2年ほどで執行されるのはかなり早い執行といえる。

それと同時に この執行のタイミングはある種の「疑惑」を呼んだ。

なぜなら執行の11日前…10月17日に、足利事件の再審請求・即時抗告審でDNA型再鑑定が行われる見通しがすでに報じられていたからだ。

足利事件の鑑定方法は飯塚事件と同じ、科警研による「MCT118型」検査。

鑑定が行われた時期もほぼ同じころで、犯罪捜査に導入された直後だったのだ。
 
 

そして、久間三千年・元死刑囚の死刑が執行されてから約半年後。

2009年(平成21年)6月4日、有罪立証の柱となった科警研のDNA鑑定をめぐる大ニュースが。

足利事件で無期懲役刑が確定していた菅谷利和さん(62歳)の冤罪が決定的となり、服役中の千葉刑務所から17年半ぶりに釈放されたのである。
 

菅家さんも科警研のDNA鑑定を最大根拠として有罪が言い渡されていたのだが、再審請求の中で鑑定の信用性が根底から覆され、検察当局は刑の執行停止に追い込まれた。

足利事件で冤罪の原因を作った科警研のDNA鑑定結果が示されたのが1991年11月。

そして科警研で久間三千年・元死刑囚のDNA鑑定が行われたのは、1992年6月…足利事件の鑑定からわずか7ヵ月後。

さらに、当時の鑑定方法や鑑定メンバーまでがほぼ同一だったこともわかっている。

足利事件の鑑定結果が完全に覆った当時、飯塚事件を巡る鑑定の信頼性に疑念が生じるのは当然のことである。

ましてや、足利事件の鑑定試料は1人分の体液だったが、飯塚事件は複数人の体液が混ざり、当時の技術水準では鑑定がより困難だったとされているのだ。
 
足利事件では、即時抗告審での再鑑定によって犯人の体液と元受刑者のDNA型が一致しないことが明らかになり、2010年の再審判決は「鑑定が科学的に信頼される方法で行われたと認めるには疑いが残る」と証拠能力を否定。

こうした経緯を受け、飯塚事件の弁護団は久間三千年・元死刑囚の執行について「足利事件が再審開始に大きく傾く中で、臭いものに蓋をしたのではないか」と疑いの目を向けている。
 
 
2009年6月4日、足利事件での冤罪発覚を受けた最高検察庁は、古い方式で実施されたDNA型鑑定に関係する証拠品を保全するよう、全国の地検に通知した。

その理由について最高検は、類似の再審請求が起こされる可能性に備えた措置だと説明している。

しかし、これより前に久間三千年・元死刑囚の弁護人は、地元捜査当局に対して再審のための証拠保全を促していた。

被害女児の遺体に残されていた血痕はなくなっていたにしても、ワゴン車の座席シートや繊維片、血痕や尿痕などのほかの証拠品を残されているはずだったし、再審実現に向けた可能性を模索していたからである。

ところが弁護人の元には、福岡地検から2009年5月14日付で こんな通知が郵送されてきた。

福岡地検
いずれも廃棄処分、あるいは還付済みであり、当庁には保管してありません。

足利事件の先行きを見越した証拠隠滅…と思われても仕方がない返答だったのである。
 
 
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2018/1/13 飯塚事件弁護団の徳田弁護士、死刑執行に深い後悔

飯塚事件に関し、再審弁護団が本を出版した。

題名は「死刑執行された冤罪・飯塚事件 久間三千年さんの無罪を求める」(現代人文社)


 
弁護団で共同代表を務める徳田靖之弁護士に話を聞いた。

――出版の意図は?

再審請求してから、私たちは繰り返し会見を開き、自分たちの主張を記者の人たちに説明してきましたが、なかなか大きく報道されませんでした。

そこで世間にもっと私たちの主張を伝え、広めたいと考えていたところ、出版社の人から出版の話を頂いたのです。

――本で伝えたいことは?

1つは、久間さんは無実だということ。

もう1つは、死刑の問題を考えてもらいたいということです。

死刑制度の存廃には色々な意見がありますが、この事件のように無辜の人の生命を国家が奪うこともあるという点から死刑制度を根本的に考え直すべきだというのが私たちの意見なのです。

――いつ頃から久間さんが無実だと思っていたのですか。

私が弁護人になったのは裁判の控訴審からですが、私たちは弁護活動の際、先入観を持たないようにしますので、久間さんのことも当初は無実だと決めつけないようにしていました。

しかし、控訴を棄却され、最高裁に提出する上告趣意書をつくっていた頃には、証拠からしても、人柄からしても「彼は絶対にやっていない」と確信するようになっていました。

――死刑制度には反対ですか。

私は、死刑は廃止すべきだと思っています。

理由は大きく2つです。

1つは、この事件のように冤罪で死刑になる人がいること。

もう1つは、人は変わりうるということです。

私はこれまでの弁護士としての経験から、どんな凶悪な罪を犯した人でも更生できると思っています。

――本には、再審可否の審理で争点になっているDNA鑑定、血液型鑑定、目撃証言などについて網羅的に弁護側の主張が書かれていますが、全部で88ページとコンパクトですね。

再審請求即時抗告審で私たちが福岡高裁に提出した総括的な主張の書面を出版社の人がわかりやすくまとめ直してくれ、それを改めて私たちが見直して完成させました。

コンパクトにしたのは料金を考えてのことです。

研究者のような人たちだけではなく、色んな人に読んでもらいたいので、ブックレットにして値段を抑えたのです(※本の価格は1200円+税)。

――捜査機関の不正を告発したような記述も多いですね。

こんな捜査で人が死刑にされたのだということも私たちが伝えたいことだからです。

たとえば、科警研(警察庁科学警察研究所)が行ったDNA鑑定の鑑定書では、添付された鑑定写真はポジの一部が切り取られたうえ、暗くプリントされていました。

科警研はなぜあんなことをしたのか。

切り取られた部分に写っていた久間さん以外の人物のDNAを隠すためだと考えないと説明がつかないのです。

――本では、久間さんが獄中から奥さんに出した手紙も紹介しています。

久間さんがどんな人かを知ってもらいたいからです。

こんな事件の犯人とされてしまいましたが、本当の久間さんは非常に優しい人で、近所の子どもたちにも色々遊びを教えていたりして、「ザリガニのおじさん」と呼ばれて好かれていました。

自治会の活動も一生懸命やっていました。

いま、地元では再審を支援する会ができていますが、その会をつくったのも久間さんと一緒に自治会の活動をしていた人たちです。

――奥さんへの手紙では、久間さんが死刑判決を受けた大変な状況の中、冷静に家族のことを心配している様子が窺えました。

私と主任弁護人の岩田務弁護士が最後に面会に訪ねた時も久間さんはそういう感じでした。

死刑確定から2年経っていたので、私たちは「早く再審請求しなければ、死刑を執行されてしまうのでは」と焦っていました。

しかし、久間さんはニコニコしながら、「大丈夫ですよ」と言っていました。

久間さんはこの時、死刑が確定した人のリストをつくっていて、「自分より先に死刑が確定して執行されていない人がまだこんなにいますから」と見せてくれました。

それでも、私たちは「内容が乏しくなっても、とにかく早く再審請求をしよう」と話をして別れたのですが、それから1か月ちょっとで久間さんは死刑を執行されたのです。

――死刑執行を知った時はどんな思いでしたか。

どう言ったらいいのか…。

「しまった」というか、自分たちの怠慢で久間さんを殺させてしまったというか、早く再審請求をしていれば、死刑を執行されずに済んだのではないかという後悔の念でいたたまれない思いになりました。

しばらくは立ち上がれませんでした。

――再審請求したのは死刑執行のちょうど1年後でしたね。

私たちは当初、自分たちに再審請求の弁護人をやる資格はないと思っていました。

しかし、岩田弁護士と一緒に久間さんの奥さんと息子さんにお会いし、お詫びしたところ、奥さんから「夫は先生方をとても信頼していました。引き続き、お願いします」と言われ、私たちは立ち上がれたのです。

それから他の弁護士に呼びかけて弁護団をつくりました。

そんな中、足利事件の再審で動きがあり、本田克也先生(足利事件の再審で弁護側のDNA鑑定を手がけた法医学者)を知りました。

そこで本田先生に相談したところ、本田先生のDNA鑑定の鑑定書を新証拠として再審請求することができたのです。

――本には、久間さんの奥さんの手記も掲載されていますが、久間さんの無実を信じて疑っていない感じが伝わってきます。

久間さんの家は、奥さんが働き、久間さんが家事をやるという普通と異なるスタイルでしたが、久間さんはしょっちゅう家族をドライブに連れて行くなど家庭的な人だったようです。

久間さんの逮捕以来、家族は家に石を投げられたり、息子さんが学校で「クマの子、オニの子」と言われ、仲間外れにされるなど凄まじいイジメを受けていましたが、それでも久間さんに対する家族の信頼はゆらぎませんでした。

――報道では、久間さんはサングラスをかけた無表情の写真で紹介されることが多かったですが、本の裏表紙では、息子さんを肩車した笑顔の優しそうな写真が掲載されています。

あれが久間さんの素顔です。

久間さんは我々弁護人のことも信じ切っているというか、すべてを任せてくれていました。

死刑判決が出ると、弁護人は被告人の人から色々批判や注文を受けることが多いのですが、久間さんはそういうことが一切ない人でした。

――再審請求即時抗告審では、近く再審可否の決定が出るとみられています。

再審については、久間さんに対し、私たちがどう応えられるかということだと思っています。

自分たちの犯した過ちからすると、私たちは再審で無罪判決を受けることでしか久間さんに応えられないと思っています。

仮に今回、福岡高裁の即時抗告審で再審が認められなかったとしても、私たちは生きている限り、何回でも何年でも再審を求め続けます。
 

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飯塚事件・再審請求の行方

2009/10/28 妻が福岡地裁に再審請求申し立て

2009年10月28日、久間三千年・元死刑囚の妻が遺志を継ぎ、福岡地裁に再審請求した。

その審理では、女児に付着した「犯人の血痕」とされるDNA型鑑定の信用性などが焦点となった。

現場で採取された試料は残っておらず、再鑑定はできない。

弁護団が科警研のDNA型鑑定の分析を依頼した本田克也・筑波大教授(法医学)は、当時の鑑定データを撮影した写真のネガフィルムを解析し「犯人と元死刑囚とのDNA型は一致しない」とした。

さらに本田教授は科警研の血液型検査を批判。

本田教授
確定審でB型とされた犯人はAB型で、B型の元死刑囚と異なる。

弁護団はこれらの分析などを新証拠として提出していた。

2014/3/31 再審棄却

そして福岡地裁の決定は、科警研の血液型検査に関する本田教授の分析を「再鑑定に基づかず、抽象的な推論に過ぎない」と一蹴している。

さらにDNA型鑑定については本田教授の分析を踏まえ、判定方法が異なればDNA型が一致しない可能性もあるとして「当時の判定方法で一致したからといってただちに有罪の根拠にはできない」

足利事件の再審判決で同じ鑑定法が証拠能力を否定された点は「当時の科警研によるDNA型鑑定の一般的な信頼性に影響するわけではない」と ことごとく退けた。

その上でDNA型鑑定を除いた状況証拠だけでも「元死刑囚が犯人であることについて合理的な疑いを超えた高度の立証がなされている」と判断。

弁護団の新証拠に有罪を覆すだけの明白性は認められないと結論づけ、2014年3月31日、福岡地裁は再審請求を棄却した。

袴田事件とちがって、飯塚事件では鑑定試料が残されておらず、DNA型再鑑定がかなわなかったことや、弁護団が請求審で証拠開示を求めた科警研の実験ノートなどは廃棄されたという事実なども敗因の要因だと思われる。

弁護団
科警研は、自分たちの鑑定が正しいかどうかを第三者が検証する道を全部断っている。
科学の命ともいうべき再現性が保証されていない。
こんなことで一人の命が奪われたことに衝撃を覚える。
 


 

2014/4/3 福岡高裁に即時抗告

弁護団は地裁決定を不服として2014年4月3日に福岡高裁に即時抗告した。

近年はDNA型の再鑑定が再審開始の有力な根拠となるケースが相次いでいるが、飯塚事件にはもはや再鑑定の道がなく、高裁での逆転決定を得るにはハードルはあまりにも高すぎるかもしれない。
 

 
 

2017/5/18 即時抗告審の3者協議(実質的な審理終了)

 


2017年5月18日、久間三千年・元死刑囚の再審請求即時抗告審の3者協議が福岡高裁であり、実質的な審理を終えた。

協議後に記者会見した弁護団によると、高裁は再審の可否を決定する時期については示さなかった。

即時抗告審で弁護側は、被害女児の体内などから見つかった血液のDNA型鑑定で久間元死刑囚のDNA型は検出されておらず、この血液の血液型鑑定の手法も誤っているなどと主張。

弁護団
それなりの手応えを感じた。
高裁は再審開始に向けての良い決定を出してくれるのではないかと思う。

2018/1/29 福岡高裁が2月6日に再審の可否決定

飯塚事件の再審請求を巡る即時抗告審で、福岡高裁が2月6日に再審開始の可否を言い渡すことを決定したことを、死刑を執行された久間三千年・元死刑囚(当時70歳)の弁護団が1月29日に明らかにしました。
 
 
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2018/1/30 再審請求審に死刑下した裁判官が関与!?識者「公正さ疑問」

久間三千年・元死刑囚を死刑とした一審・福岡地裁判決(1999年)に関与した柴田寿宏裁判官が、福岡高裁での再審請求即時抗告審の「結審」時に裁判体(裁判官3人で構成)に加わっていたことがわかりました。

一審や二審の裁判官が再審請求審に関わっても違法ではないとした最高裁判例があるが、識者は「一審判決を書いた裁判官の関与は公正さに欠け、避けるべきだった」と疑問視しているということです。

柴田裁判官は1995年2月に始まった飯塚事件の一審の審理に1996年5月から加わり、1999年9月に死刑判決を出した裁判官3人のうちの1人。

福岡高裁によると、2017年4月に高裁に赴任し、飯塚事件の即時抗告審を担当する第2刑事部に5月末まで所属し、6月から職務代行裁判官として那覇地裁で勤務、9月にそのまま同地裁へ異動しています。

関係者によると、第2刑事部時代の2017年5月18日には検察側、弁護側との最終の3者協議に他の裁判官2人と共に出席。

弁護団共同代表の徳田靖之弁護士が20分にわたり、有罪判決の根拠となった目撃証言などに信用性はないとする最後の意見陳述を行い 岡田信裁判長が手続き終了を表明して事実上結審しています。

再審請求の審理は通常の公判とは違い非公開で実施され 裁判体は3者協議で検察、弁護側双方から意見を聞いたり、証拠開示を勧告したりして、最終的な再審開始の可否を判断します。

刑事訴訟法は一審や二審の公判を担当した裁判官が上級審の審理に関与することを禁じていますが、最高裁は1959年、再審請求審はこの規定の対象外としました。

神奈川大の白取祐司教授(刑事訴訟法)は

白取教授
1975年の最高裁『白鳥決定』は、疑わしきは被告人の利益にという刑事裁判の鉄則は再審請求にも適用されると判断し、再審は無辜(むこ)の救済制度として生まれ変わった。
 
1959年の古い判例は見直されるべきだ。
 
今回のケースも 一審判決に関わった裁判官の心証は白紙でなく、再審請求審で中立公正な判断はできない。

福岡高裁は取材に対し、柴田裁判官の具体的な関与や審理の公正さへの影響について「個別の事件についてコメントしない」と回答しました。

第2刑事部を2カ月で離れたことは「那覇地裁の裁判長の健康上の理由に伴うもの」と説明しています。

2018/2/6 飯塚事件 福岡高裁は再審認めず

飯塚事件の久間三千年・元死刑囚は一貫して無実を訴え、家族が再審を請求しましたが、平成26年(2014年) 福岡地方裁判所は再審を認めない決定をし、弁護団が決定を不服として抗告していました。

これについて、福岡高等裁判所の岡田信裁判長は再審を認めない決定をしました。

これまでの再審の手続きでは、犯人のものとされる血液のDNA鑑定が正しかったかどうかや、被害者の所持品が捨てられた現場近くで元死刑囚の車と同じ特徴の車を見たという目撃証言の信用性などが争点になっていました。

元死刑囚の弁護団は、2月6日の決定を不服として最高裁判所に抗告する方針です。

弁護団
裁判官が真相を見極めることを回避した。
それ以外、棄却される理由は思いつかない。
徳田靖之弁護士
(司法が)死刑にしてしまった事件の壁は大きかった。

2018/2/13 再審開始を認めない福岡高裁決定を不服として 弁護団が最高裁に特別抗告

弁護団は2月13日、殺人などの罪で死刑が執行された久間三千年元死刑囚(執行時70歳)の再審開始を認めなかった福岡高裁決定を不服として、最高裁に特別抗告しました。

2月6日の高裁決定は、久間元死刑囚が事件に関与したことを推認させる複数の状況証拠に基づき「犯人であることは合理的な疑いを超えた高度の立証がされている」とし、2014年の福岡地裁決定に続き、裁判のやり直しを認めませんでした。

弁護団は、法医学者の鑑定書などを新証拠として提出し、女児の遺体に付着していた血液から元死刑囚と同じDNA型や血液型が検出されたとする鑑定結果などの信用性を争ったが、全面的に退けられる結果となりました。

岩田務弁護士
高裁決定は、鑑定や状況証拠の評価が判例に反している。
最高裁できちんと判断してほしい。
 
 
 
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