畠山鈴香の生い立ち 解離性健忘と彩香ちゃん事件の謎!秋田児童連続殺害事件

畠山鈴香 解離性健忘

畠山鈴香の生い立ち

 


 
1973年、秋田県二ツ井町(現在の熊代市)で畠山鈴香は長女として生まれた。弟が一人いる。

父親は運送会社を経営し、自らもダンプカーを運転していた。

母親は当時、地元のスナックでホステスをしていた。

畠山鈴香はいつもいじめられていた!?

1979年に畠山鈴香は地元に小学校に進んでいるが、そこでつけられたあだ名が「心霊写真」

このあだ名の件には小1の担任が関わっており、鈴香の母親はこのことで校長に抗議をしているが、実際には友達から「心霊写真」とは呼ばれてはいなかったようだ。

同級生
鈴香は普通に「スズカ」と呼ばれていた。

心霊写真とは彼女なりの自虐ネタなのでは?

彼女にはそういうズレたところがあった。

給食を食べきれずに机の中に隠していてそれが腐って臭っていたから、みんなから「臭い」と言われていじめられていたり。

畠山鈴香が小学四年生の時の担任が給食指導に熱心な女教師だった。

たとえ時間がかかってもすべての子どもに給食を全部食べさせることを指導していたという。

しかしそんな中で鈴香はほとんど給食を食べることができない子供だった。

どうしても食べられない鈴香に対し、その教師はこう言い放った。

担任教師
両手を出して。食べ物を入れるから

差し出された両手に食べかけの給食が入れられていく。

そしてあろうことか、その教師は汁ものまで手に入れていった。

担任教師
さあ、全部食べなさい!

鈴香は両手に顔をうずめるようにしていたところを見ていた男子が「犬みたいだ!」

指の間からこぼれ落ちる汁で鈴香の服が汚れるのを見た女子が「きったなーい!」

この件があってから、畠山鈴香には「ばい菌」というあだ名がつけられるようになった。

ばい菌は汚いから洗ってあげるという理由で、鈴香はトイレの個室に閉じ込められ、上からホースで水をかけられるいじめを受けていた。

おそらくそれに気づいていたであろう先生たちも、いじめを見て見ぬふりをしていたらしい。

また鈴香は小学生のころから何度も万引きを繰り返し、何度見つかってもそれをやめようとはしなかった。

だから物がなくなると必ず皆が「鈴香がやった」と思っていたし、事実その通りだったようである。

万引きしたものは自分がほしかったからではなく、いじめていた子たちに取り入るような目的で渡していたという。

その後鈴香は地元の中学に進学したが、中学での畠山鈴香の境遇も小学校時代とあまり変わることはなかった。

さらにこの頃には、畠山鈴香の父親による家族への暴力が激しさを増していったという。

やがて地元の高校に進学した畠山鈴香は、不良生徒とつるむようになる。

高校では小・中学時代のような目立ったいじめはなかったものの、相変わらずクラスメイトから疎外される存在だったという。

同級生
鈴香は時々「お金を持ってるから奢る」と言い出すんです。

そんな時は誰かの財布がなくなるということが何度かあった。

その場の状況からすると犯人は彼女しかいないのに「絶対に私じゃない」と否定する。

鈴香は使い走りさせられていたので、逆に奢ることでいい恰好をしたかったんだと思う

鈴香の高校の卒業文集には、彼女を罵倒する寄せ書きが残されている。

「もう二度と秋田の地に帰ってくるな」

「いじめられた分強くなったべ。俺たちに感謝しなさい」

文集には「いろいろな意見で有名になりそうな人」という項目があり、そこに畠山鈴香の名前が挙げられていた。

有名になる理由は「自殺・詐欺・強盗・全国指名手配・変人大賞・女優・殺人・野生化」

ある種、鈴香の本質をズバリ見抜いていたといえなくもないが・・・文集のような後々まで残るものにこういうことを書くなんて、周囲もちょっとやり過ぎではないかなと思う。
 
 
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鈴香はなぜ給食が食べられなかったのか

鈴香はくだんの小4の給食事件がきっかけで、ますますいじめられるようになったという。

それでも何も言えずに黙っているだけだったので、周囲は彼女を「傷ついていない」と見ていたようだ。

鈴香はなぜ給食が食べられなかったのか?

それは彼女は物心ついたころから暴力の支配の中で生きていたことが原因の一つのようだ。

父親の暴力は母親だけでなく、娘にも及んでいたのだ。

父親の暴力は最初は平手だったが、次第に拳が飛んでくるようになった。

やめてほしいと懇願すると暴力が自分に向かってくるので、修羅場の中では黙ってそれが終わるのを待つしかない。

心理的にはその苦痛から逃れるために苦痛を「感じない」ようにすることと相手に「抵抗しない」ことしか、彼女の防衛策はなかった。

父親の暴力に対して最初は母親がかばってくれたらしいが、かばうと余計に父が激昂するので、見て見ぬふりをしてやり過ごすしかなかったという。

こうして鈴香もその母親も 次第に「逃げる」か「助けを求める」という保身能力が奪われていったと考えられている。

鈴香は父親から棒で殴られて鼻の骨を折ったこともあるが、病院に行かせてもらえなかったという。

そんな家庭の中で食事の時間は「もっとも気を遣わなければいけない」場だったらしい。

些細なことで父親が暴力をふるうので、父親の神経を逆なでしないように常に神経を集中しているため、食べ物の味などわからず、食べ物を口に入れても思うように喉を通らなかったという。

これが原因で鈴香は、人がいる場面では食事ができなくなっていった。

強い給食指導をする教師が担任になったときに、鈴香は教師が父親と重なって見えたのかもしれず、それが給食を食べられない原因になったのではないかと推測される。

鈴香がいじめられてもそれに抵抗しないのは、家庭内暴力の修羅場をやり過ごす術を学校でも再現していたからかもしれない。

加害者としての畠山鈴香は絶対に許すことができない大罪人ではある。これはもう間違いない!

その一方で この事件の原因が彼女のゆがんだ人格形成にあって、人格形成が彼女の尋常でない子ども時代に直結しているとしたら・・・

個人的にはかなり同情してしまう部分もあるし、生きるのが精神的につらい人生だったろうなという点においては、やはり同情せざるを得ない気がする…。
 
 
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畠山鈴香 高校卒業後就職するも 長続きせず

1991年3月に畠山鈴香は高校を卒業すると、栃木県の鬼怒川温泉のホテルで仲居の仕事に就いた。

1992年12月にホテルを辞めて地元に戻った鈴香は、地味だった高校時代とうって変わり、髪を染め、ミニスカートなどの肌を露出する服をよく着るようになっていた。

当時働いていたパート先には、男が車で迎えに来ることもあったという。

1993年の夏、20歳の畠山鈴香は能代市内の結婚式場の喫茶店でアルバイトをしていた。

ミニスカートにベレー帽といういでたちの鈴香にクラブのママが声をかけたところ「店で働いてみたい」と自ら志願し、そのクラブで働くようになる。

クラブのママ
鈴香は当時はスリムでスタイルが良かったし、見た目が悪くなかったので働いてもらうことに。

でも口のきき方や行儀がまるでなってないので、お客さんの横につけることはできなかった。

だから彼女にはカウンターの中でボーイと一緒に飲み物を用意する仕事をしてもらった

クラブのママ
4、5回店に出てもらったところで、鈴香の父親から「娘が無理やり水商売をやらされた」と怒鳴られた。

きっと彼女がそう説明したのでしょう。

だったら来なくていいと伝えました

すると1か月ほどして畠山鈴香は「父親と話をつけました」と言って、店に舞い戻ったという。

クラブのママ
態度の悪さは相変わらずでした。

客の前で足を組んだり、注意するとチッと舌打ちしたり。

そのあとほかの店から、鈴香が店のお客さんと関係を持っているという話が入ってきた。

それも一人ではなく十人近くいるというし、店のボーイとも付き合っていたので、さすがにこのままでは店の評判が落ちるので辞めてもらった。

この頃、畠山鈴香は彩香ちゃん(畠山鈴香が殺害した娘)の父親である前夫と能代市内のナンパで知り合っている。

1994年1月から彼を誘って栃木県の川治温泉に移り住み、鈴香は住込みのコンパニオンとして働く。

ところが愛想がなく、やる気がなく、仕事もしない態度で、2週間ほどでこの仕事をクビになっている。

クビになった理由は、畠山鈴香がシンナーの吸引をしていたことが直接原因である。

いつも鈴香は薬品の匂いをぷんぷんさせていて、本人にもそれを問い詰めたがガンとして認めなかった。

この頃、前夫と同棲していた部屋の中にはカップラーメンの空容器が散乱し、掃除をした形跡がなかったらしい。
 
 
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畠山鈴香の結婚・出産・離婚

1994年6月、栃木を離れて秋田県に戻ってきた畠山鈴香と前夫は入籍。

前夫は鈴香の父親の経営する砂利運搬会社で働き、鈴香はスーパーのレジ打ちバイトをしていたが、8月9月には頻繁に腹痛を訴え、毎回診断書を取っていたという。

診察した医師は詐病の可能性を指摘しており、これは仕事を休むための口実だったと推測される。

間もなく仕事を辞めた鈴香は、夫婦でパチンコで浪費し、前夫が新車を購入したことから、二人の借金が増えていった。

そのため鈴香の父親の勧めで、事件を起こした藤里町の町営住宅に引っ越した。

鈴香が妊娠したときにコンビニの店長が声をかけると 鈴香はこう答えたという。

畠山鈴香
できてしまったとや。堕ろす金がねぇて、仕方ねぇす。

1996年11月、畠山鈴香は彩香ちゃんを出産。

翌年の春には鈴香が前夫の浮気に気づき、責め立てるようになると、前夫はGW前に家を出、その後二人の離婚はあっさり成立した。

離婚した鈴香は彩香ちゃんを実家に預けて、生命保険会社のセールスレディーを始めたがここでもトラブルが尽きず、1年経たないうちに辞めさせられている。

先輩女性の持っていた男性客にちょっかいを出してもめた末の退職だったという。

畠山鈴香の自己破産と生活保護生活

そのころの畠山鈴香の家計は厳しく、離婚前からの借金が約370万円に膨らんでいた。

2003年3月に畠山鈴香は自己破産し、以降、生活保護を受給する生活を送っていた。

父親の会社が借金を抱え、不渡り手形をだし、その後父親は脳こうそくで倒れて半身不随に。

さらに鈴香の自己破産の前年には母親が、前々年には弟が立て続けに自己破産している。

鈴香の団地の自宅前には日によって別の車が停められており、どうやらそれで生活費を稼いでいた様子…。

男が来ているときは彩香ちゃんが家の外で待たされている姿が度々 近隣住民に目撃されていたという。

畠山鈴香のネグレクト(育児放棄)

ある隣人は、彩香ちゃんが半分泣きべそをかいていたのでどうしたのか?と訊いたことがある。

彩香ちゃん
私の家、ガスが止められているんです。

だから・・・お湯が出ないんです。お湯をもらえませんか?

そう言って彩香ちゃんは カップヌードルを差し出した。

ガスが止められていたのは鈴香が自ら「もう使わないので外してください」と 2001年末の支払いを最後に契約を解除したものである。

それ以降、畠山家はガスのない暮らしが続いていた。

鈴香が彩香ちゃんに食べさせるのはカップヌードルかコンビニ弁当で、そのゴミが部屋の中に散乱していたときに、同級生が「ダメじゃない」と諌めると 鈴香はこう言い訳していた。

畠山鈴香
子どもが苦手だから仕方がない

彩香ちゃんが寝返りを打って転がってきたりして肌がふれることも鈴香はものすごく嫌がっていたので、一緒の布団で寝ないと同級生にも言っていたという。

自分の子どもの寝汗が嫌だ!気持ちが悪いなんて言う親はほとんどいないだろう…。

畠山鈴香は薬漬けの毎日だった!?

2003年の自己破産後の鈴香は「団地の人の視線が気になる」と家族に相談したりして、鈴香がさらに精神的に不安定になっていった時期だったようだ。

団地の人間関係にもなじめず孤立していたところに 幼少期に受けた虐待の後遺症に子育てのストレスが加わり、かなり精神的に追い詰められていたのかもしれない。

そして精神科で処方される薬の量がどんどん増えていったという。

TVディレクター
鈴香は普段は静かだが、時々ヒステリックになって、周囲に当たっていた。

そうなったときは「普通じゃないな」と思っていた。

鈴香は毎日すごい量の薬を飲んでいて、中には睡眠導入剤が含まれていると話していた。

 
当時受診していた精神科のカルテには、普通の人が服用すると丸一日起きていられないほどの薬が処方されていた記録が残っている。
 
 
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第一の事件 彩香ちゃん殺害

 


 
生活保護を受けるようになって3年後の2006年4月9日。

小学四年生の畠山彩香ちゃんが行方不明になった。

午後7時45分頃に鈴香が110番通報して警察も動いたが、行方は知れなかった。

翌日午後になって、自宅から約10キロメートル離れた藤琴川の中洲で、彩香ちゃんの遺体が発見された。

川で流されたにしては着衣に汚れがほとんどついておらず、靴も脱げておらず、目立った外傷もなかったと、能代警察署は発表していた(※後に彩香ちゃんの頭部と頸部には骨折の痕跡があったと報じられた)

納棺に居合わせた人
遺体は川の上流に頭を向ける形で、左側を下にして浅瀬に浸っていたらしい。

10キロメートルほど流されたにしては小さな擦り傷もなく、きれいな遺体だった。

だから川を下って流れ着いたのではなく、発見場所にそっと置かれたのではないかという印象を持った

この時は彩香ちゃんの死は事故として片づけられてしまった。

彩香ちゃんが自宅の近くの藤琴川で遊んでいるときに、誤って川に転落したということで事故として結論付けられ、処理されてしまったのだ。

後に彩香ちゃんの殺害場所として特定されたのは、当初に川に落ちたとされた場所ではない。

公式の犯行状況は 藤琴川にかかる大沢橋で 魚を見たいといった彩香ちゃんを畠山鈴香が殺意をもって橋の欄干に乗せ、落下させたというものだ。

でも、地元の人は、大沢橋が殺害場所だとは思っていないという。

遺体発見場所にたどり着くまでには堰堤や浅瀬があるため、多少水位が増していたとしても普通に流れ着くはずはありえないらしい。

仮に流れ着いたとしても、彩香ちゃんの体には擦り傷がつき、藻がこびりつき、靴が脱げてしまうはずである。

しかしながら、彩香ちゃんの着衣には汚れも目立った外傷もなし。靴も脱げていなかった。

近隣住民
最近の子どもは川でなんか遊ばない。

ましてや4月はまだ水が冷たいし雪が残っているし、川原まで女の子が一人でいくとは思えない。

川原から発見現場までは二か所の堰堤があるから流れ着くのは難しいし、もし流れ着いたとしても、遺体は傷だらけになるはず。

団地ではみんなが「事故ではない」と噂していた

近隣住民
下流で発見されたと聞いたときは本当に驚いた。

川周辺を捜索していた人たちも最初の堰堤までは探したが、まさかそれより下まで流されているとは思っても見なかった。

もし川に落ちたとしても、最初の堰堤で引っかかるだろうと考えるのが普通だからね

近隣住民
彩香ちゃんは風呂とかで殺されて遺棄現場に運ばれた可能性もあるのに、最初に川での水死にしたもんだから、秋田県警はどうしても川で死んだことにする必要があったんじゃないの!?

畠山鈴香は当初、警察にこう語っていた。

畠山鈴香
9日の午後4時頃、彩香は私が買ってあげたピカチュウの人形を持って自宅を出たまま帰宅しなかった

秋田県警が彩香ちゃんを事故死だと断定した根拠は主にこの2点。

■川原にある苔の生えた石に、小さな靴跡が残っていた。
■石を並べて遊んだような跡が川原に残っていた。
 
 
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悲しみに暮れる悲劇の母の奇行

通夜と葬儀のときには 悲しみに暮れているはずの母親である鈴香は妙な行動をとっていたという。

近隣住民
彩香ちゃんの顔に傷はなく、今にも起き出しそうで、とても一日中水につかっていたとは思えなかった。

通夜のとき、彩香ちゃんは実家の座敷に布団を敷いて寝かされていたが、鈴香はそこに一度も寄り付かなかった。

さらに驚いたのは、葬式で住職がお経をあげているときにはコクリコクリと居眠りをしていたこと。

何でこんな席で居眠りができるのか・・・

4月12日には豪憲のお父さんの米山さんが鈴香の実家に弔問に行っている。

その時に米山さんは、長男と豪憲君と彩香ちゃんが三人で映っているビデオを鈴香に渡したところ

畠山鈴香
ありがとうございます。良い記念になります

・・・と泣いて喜ぶ姿を見せたという。

また、司法解剖後に畠山鈴香の実家に戻った彩香ちゃんの弔問に訪れた同級生の母親たちは、その時の鈴香の様子に違和感を感じていたという。

同級生の母親
私たちが弔問に行ったのは午後7時半頃。

鈴香は少し涙ぐんでいたが、服装はミニスカートの黒のスーツ姿で、髪型も化粧もばっちりだった。

子どもが遺体で帰ってきて、もう二度と目を覚ますことがないと考えたら、普通はとても身なりなどかまっていられないんじゃないですか

4月14日に実家で行われた彩香ちゃんの葬儀では、鈴香が涙を見せることはなかった。

葬儀中に伸び上って参列者を眺めていたり居眠りをしたりして、どこか他人事という雰囲気だったと、葬儀に来ていた人は話す。

そして葬儀後に同級生たちを祭壇の前に並ばせて、記念写真を撮影するという奇行も見られた。

そして4月19日頃、鈴香は彩香ちゃんの足取り情報を求めるビラを配り始めた。

悲劇の母の暴走

彩香ちゃんの水死について、畠山鈴香は娘の死は「事故」でなく「事件」だと主張し始めた。

当時、未解決事件の情報提供を訴える民放のテレビ番組に 鈴香は連絡を取り、2006年4月19日に「被害者の母」として取材を受けている(放送は見送りとなった)

4月28日、畠山鈴香は彩香ちゃんの顔写真の入ったA4大のカラーコピーのビラを制作し、近隣に配布した。

ビラの上部には大きな赤い字で「知りませんか?」と書かれていた。

同パート先で働いた女性
「絶対に事故のはずがない」って繰り返していた。

じゃあ誰が何のために殺したの?と聞くと口を閉ざして「だけど彩香は殺された」と言い張る。

周りが何と言おうが、そうとしか考えられないと断定した口調だった

「知りませんか?」「畠山綾香 9才 140㎝前後 水色のジャンパー 水色のジーパン くつ23㎝」「4月9日(日)藤里町粕毛の団地から午後4時以降行動がわかりません。当日以外でも こんなところで遊んでいた、見かけた等、少しの事でもいいので下記まで連絡お願いします。 畠山鈴香」

まるで現在も行方不明中のわが子を探すかのようなビラの内容。

「解離性健忘」とされている鈴香には本当に、自分が彩香ちゃんを殺めた記憶の断片もなかったのだろうか!?

そして彩香ちゃん事件から1か月後、鈴香はビラの裏面にこう書き加えて、団地内に配り直している。

朝日ヶ丘団地の皆さんへ。

彩香がいなくなった時は力を貸して頂きありがとうございました。

見つかって早1か月がたとうとしていますが、もう一度力を貸してもらえないでしょうか?

警察もまだ事件事故両面で捜査していますが、私のところへは情報が来ません。教えてくれないのです。

私の知らない行動範囲等あると思うので、なんでもいいので教えてもらえませんか?

お願いします。まだ終わってないんです。 畠山

 
 
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畠山鈴香の二転三転する供述

誰かが彩香ちゃんを殺したと思いこむ畠山鈴香の、秋田県警の捜査に対する不信感と不満はどんどん募っていった。

司法担当記者
彩香ちゃんのことを警察がきちんと捜査しないことに不満を抱いていた畠山鈴香は、もし子供が被害者になる事件が新たに発生したら、彩香ちゃんの件にも警察が本腰を入れるのではないかと考えた。

5月16日には無差別に子供をさらおうと計画し、車で物色していたことを、鈴香は証言している

彩香ちゃん事件についての鈴香の取り調べでも、

畠山鈴香
大沢橋の欄干から彩香が川に転落した

・・・と豪憲君のときと同様に、彩香ちゃんについてもはじめは殺意を否定していても、次には

畠山鈴香
殺すつもりで落とした

・・・と供述を翻している。

畠山鈴香
東京に行きたかったので彩香が邪魔になった
畠山鈴香
サクラマスを見せようとしたが暗くて見えず、帰ろうとしたらだだをこねられたので、苛々して突き落とした

4月9日の秋田の日没は午後6時11分。

犯行時刻は午後6時45分頃であり、近くには街灯がないので、あたりは真っ暗で、魚など見えるはずはないが「サクラマスを見せようとした」と言っている。

鈴香はその場の思い付きを嘘をつき、矛盾を指摘されてぼろが出る。するとまた適当な嘘をつく・・・が何度も繰り返されてきた。

突然頭痛が起こったりめまいがするなどの体調不良を訴えたり、再び「悲劇の母」を演じ続けて、自分はやっていないことを信じ込んでしまったり、「記憶にない」と言い出したり。

捜査本部は鈴香に振り回されっぱなしだったという。

捜査幹部
鈴香は「家族に会いたい」「私はこれからどうなるんだろう」とは言っていたが、豪憲君の家族に直接謝りたいという発言は、ついに出てこなかった

畠山鈴香の精神鑑定

秋田地検は畠山鈴香に簡易精神鑑定を実施した。

その結果は「自己中心的で反社会的な人格傾向は認められるものの 精神面の問題はなく、刑事責任能力はある」と判断されている。

そしてもうひとつ、鈴香は「解離性健忘」が認定されている。

人は強いストレスを受けると「闘う」か「逃げる」かどちらかの行動に走るもの。

それが極限状態に近ければ、痛みの感覚も麻痺させて 筋力を最大限に活用することに脳機能を集中させるのだ。

これが非力な子供の場合には「闘う」も「逃げる」もできないことが多いので、攻撃を受けながらひたすら時が過ぎゆくのを待って耐えるしかない。

このときに「耐えられない事実は認識しない」という働きが自動的に起こる・・・これは自分の心が壊れてしまわないための防衛本能のようなもの。

そういう事態のときに「覚えていない」とか「全く別のことを空想していた」という感覚が起こるらしく、その際記憶が失われてしまっているケースを「解離性健忘」という。

畠山鈴香は精神鑑定でこの「解離性健忘」に認定されている。

それは娘の彩香ちゃんが亡くなったときのことをよく覚えていないからである。

これは彩香ちゃんが亡くなったときの出来事が、鈴香にとって想像以上にショッキングだったことかを物語っている。

鈴香の記憶が回復しているのは、一人で大沢橋の上にいることに気づいたところから。

一緒にいたはずの彩香ちゃんがいないことに慌てて「探さなくては!」と急いで家に帰り、皆で総出で捜索を始めている。

普通の人はある程度大きなストレスを受けても記憶が失われるわけではない。

でも鈴香の場合は子供のころから 苦痛にさらされ続けてきたことを「解離させる」ことによって心が壊れるのを防いできた。

だから、彩香ちゃんの時にも解離性健忘が起こり、その部分の記憶がすっぽり抜け落ちてしまっている可能性がある。
 
 
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畠山鈴香は「反省していない」のではなく「反省」というものがわからない

(2007年10月21日の日記)

苛々する。泣きたいのに泣けない。

のどの奥に何か詰まる感じがする。苦しい。

書いてもいいのか判らないが書くことにした。豪憲君のことです。

豪憲君に対して後悔とか反省はしているけれど、悪い事をした罪悪感というものが、彩香に比べてほとんどないのです。

ご両親にしても、何でそんなに怒っているのか判らない。

まだ2人も子供がいるじゃない。

今まで何もなく幸せで生きてきてうらやましい。私とは正反対だ。

良かれと思って何かしても裏目裏目に出てしまった。

正反対の人生を歩いてうらやましい。

そう思ってしまうことは悪い事なんだろうか?

(臨床心理士長谷川博一氏に宛てた畠山鈴香の手紙)

彩香や豪憲君の人生と一緒に、私の人生も終わりました。

米山さんの気持ちも私にはわかりません。

いちばんわからなくてはいけない人間が何もわからないのです。

どういう気持ちでそこに住んでいるのか。

更地になった私の自宅あとを通る時どんな気持ちなのか。

私に対してどう思っているのか。

何もわからないのが悔しくてもどかしい。

訓練や努力をすれば判るようになるのでしょうか。

via:殺人者はいかに誕生したか

彩香ちゃん事件の不可解な点と謎な部分

大沢橋が彩香ちゃん事件の現場だということは、鈴香の解離性健忘によりわかっていない。

ただ、犯行時刻に白い軽自動車とその脇にしゃがんでいる母子を見かけている目撃者がいることから、大沢橋が事件現場だと結論付けられているが、目撃者はたった一人。

目撃証言に信憑性があるのは複数の証言が一致している場合で、今回の目撃証言は唯一であったため、信憑性という点では弱さを感じさせるを得ないものがあるのは事実。

唯一の目撃者は裁判では証言しているが、その後は一切を語ろうとしていないとか…。

大沢橋から川面までは約6メートルの高さがあり、落下したとすれば相当の衝撃がある。

さらにこの川は浅瀬が多く、あちこちに石やコンクリートブロックが露出しているので、ここを流れていくとなるとあちこちにぶつかってかなり体に傷がつくはず。

ところが彩香ちゃんの体には 見た目にはほとんど傷がなかった(頭部には陥没骨折があったが、県警はしばらくの間それを隠していた)

公式には彩香ちゃんは川を流されていったはずなのに靴は脱げておらず、衣類にもこすれた跡や藻の付着もなし。

そもそも発見されたときの彩香ちゃんの姿勢が「流されてきた」ものではなく、その場に置かれた格好で硬直していた。

しかも彩香ちゃんが横たわっていたのは その場の水深が10センチあるかないかという浅瀬である。

 

人の体は簡単に川を流れたりはしない

2006年4月10日の藤琴川の川岸には雪が残っていた。

これはその冬に記録的な大雪に見舞われたためである。

4月は雪解け水で川の水かさは増してくるものではあるが 上旬はまだ寒いために、それほど増してくることはない。

この日の藤琴川の遺体発見現場から300メートルほど上流地点の水位は63~68センチくらいだったという。

ここを彩香ちゃんは傷一つつかない状態で流されていたのかと考えると疑問が残る。

しかも人の体が川を流れていく場合は、川底を転がることが多く、そう簡単には流れていくものではないこともわかっている。

川底を転がるだけでも傷や藻やごみが絡みついてくるはずなのに、そういった形跡が彩香ちゃんにはなかったのだ。

彩香ちゃんが川に向かって歩いていったとされる時間帯はそろそろ薄暗くなってくる頃であり、そんな時間帯に川に遊びに行くことは考えられないし、彼女が歩いていくところを目撃した人もいない。
  
彩香ちゃんの遺体は二ツ井交番で検視されたあと、秋田大医大で司法解剖が行われ「死因はでき死」「死亡推定時刻は9日夕方ごろ」と断定されている。

その発表当時、某社の取材に対して秋田県警は「高いところから落とされたのであれば、それなりの損傷があるはずだ」と答え、橋から落下した可能性をそれとなく否定していた。

どうしても彩香ちゃんを水死にしたかったから 彼女の頭や頸部の骨折などを隠していた!?

彩香ちゃん事件の2日前、能代署は管内で起こったコンビニ強盗事件の捜査に追われていたため、子供の変死の件を手薄にしてしまった…という声が関係者からはもれ聞こえてしたらしいが・・・。

こちらに続きます。

畠山鈴香は今!?失われた記憶を取り戻すカウンセリングで見えたものとは?秋田児童連続殺害事件


 
 
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