【筥崎宮のお守り】災難除け効果抜群!隣人トラブルが自然消滅した
30代女性 わが家のお隣には、主人と同じ会社の若い夫婦が、少し先に新築して住んでいました。
その奥さんが20代前半の美人で、近所の旦那さんたちとベタベタした感じで話しているのを頻繁に見かけていました。
近所の奥さんたちとも子どもを周辺で遊ばせながら数時間話し込んでいることも多く、口が軽い感じと噂好きな雰囲気に、私は「ちょっと気持ち悪いな」と思っていました。
私の主人もお隣のご主人も、万一漏洩があると大ごとになる職種に就いていました。そんな事情から主人から厳しく守秘義務について言われていたので、ご近所ではプライベートなことや余計な話はしないようにと気をつけていました。
お隣の奥さんは近所の人と会うと自分から井戸端会議を始めるのを見た私は
…と感じていましたが、その予感は的中しました。
我が家に宅配便が届いたある日、インターフォン越しに配送業者と話した後、インターフォンがオンになった状態のまま、うっかり放置してしまったことがありました。
それに気づいたので、すぐにオフにしようと思った時、隣の奥さんが近所の人たちに主人の職場の話を暴露しているのを、インターフォン越しに聞いてしまったのです。
お隣のご主人の仕事のことだけでなく、うちの主人の仕事のことまで洗いざらい喋っていました。
さらに後日わかったことは…隣のご主人が知り得た我が家のプライベートを、奥さんが近所の人に言いふらしていたことが判明。
職場の守秘義務を口外するのも言語道断ですが、我が家の内情を第三者に平然と話していたことに対して私はショックと怒りを覚え、このことは主人に報告しました。
うちの主人は隣のご主人より秘密が厳重な部署にいるので(隣人より立場も年齢も先輩)主人が隣の旦那さんと奥さんに直接そのことを厳重注意しましたが、近所に漏れた個人情報は他人の記憶から消えないと思うとイライラしてきました。
筥崎宮の伏敵守に災難除けを祈らずにいられなくて…
福岡に出張に行った主人が筥崎宮(福岡の神社 日本三大八幡)を訪れる機会があり、ストラップ型の「敵国降伏」と書かれた災難除けの伏敵守を買ってきました。
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。
創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。
江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。
引用元:筥崎宮
お守りの台紙には その当時の私の心情にぴったりの言葉が綴られていました。
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この伏敵守を手にした時には
…と 強く願わずにはいられませんでした。
3か月後隣人宅に人の気配がしなくなり…
それから3ヶ月が過ぎ、そのお守りの存在を忘れかけていたころ、隣人宅に人の気配を感じることがなくなり、引っ越し業者がやってきて、たくさんの荷物を積み込んでいきました。
主人と隣人のご主人の部署が離れていたため、引っ越しの理由はわかりませんでしたが、某不動産サイトでお隣の家が売りに出されているのを目にしました。
挨拶ひとつなかったので詳しい事情はわかりませんが、隣のトラブルメーカーがいなくなったことに心の底からホッとしました。
その時にふと思い出したのが筥崎宮の伏敵守(災難除け)でした。
お守りの「敵国降伏」の意味することと「心のありかた」の提示から、筥崎宮の災難除けのお守りの効果だけではなく、天命を待つためには人事を尽くす事も大切だと、深く考えさせられるきっかけになりました。
あらためて「国や人々が誠の道を歩んでいれば」この言葉が心に響いた出来事でした。