30代女性の寄稿 新興住宅街に新築したわが家のお隣には、偶然にも主人と同じ会社の若い夫婦が少し先に新築し、住んでいました。
その隣人は私たちの新築直後に 我が家の塀に車をこすって謝りに来た時の微妙に失礼な言動から、私は
…と直感しました。
筥崎宮お守りの災難よけ効果!隣人トラブルが自然消滅した体験談
お隣の奥さんが20代前半で若くきれいな人なので、周辺の旦那さんたちから お近づきになりたそうにベタベタした感じで話しかけられていたりするのをよく見かけていました。
また我が家から丸見えの屋外で 人目に触れる場所にいるにもかかわらず 奥さんはご近所の旦那さんたちから身体の距離を30センチ程度まで接近させられても なんら抵抗がない様子を見せていました。
そんな状況で数十分、時には一時間以上もの長時間、子供を周辺で遊ばせながら話し込んでいることもありました。
そのお喋り好きな感じと ちょっと尋常ではない雰囲気に私は
…という印象を持ったのです。
嫌な予感的中!会社の守秘義務と我が家の内情を隣人が言いふらして…
どこの会社でも例外なく仕事上の守秘義務は大変厳しいものです。
そんなご多分に漏れず、私の主人もお隣のご主人も 万一漏洩があると大ごとになる職種に就いていました。
そういった関係から私自身は主人から厳しく「守秘義務」について言われていたので、ご近所ではプライベートなことやあまり余計な話はしないようにと気をつけていました。
お隣の奥さんの元には いつもお友達やご近所さんや親せきといった来客があっておしゃべりが絶えず、わいわい騒がしいことが多い感じでした。
また近所の人と会うと 自分から積極的に余計な井戸端会議をしたがるところもあったため、私は彼女を見ていて
…と胸騒ぎすることもありました。
そしてやはりその予感は的中しました。
我が家に宅配便が届いたある日、私がインターフォンで運送屋さんと話した後に、しばらくインターフォンがオンになった状態のまま、うっかり放置してしまったことがありました。
外の音が聞こえるようになったままだったことに気づいたので、すぐにオフにしようと思ったそのとき…。
隣の奥さんがご近所の旦那さんに、隣人の主人の仕事の話と うちの主人の仕事の話を暴露しているのを インターフォン越しに聞いてしまったのです。
さらにその後わかったこと・・・お隣の奥さんは 旦那さんが仕事先で知り得た我が家のプライベートまでも、近所の人に言いふらしていました。
守秘義務について口外するだけでなく、我が家の内情を第三者に平然と話していたことに対して、私は大変ショックと怒りを覚えました。
そしてそのことは直後に主人に報告しました。
うちの主人はお隣のご主人よりも更に秘密が厳重な部署で仕事をしているので(つまり隣人より立場も年齢も先輩ということです)
主人が隣人の旦那さんと奥さんにそのことを直接注意してくれましたが、近所に漏れた情報は他人の記憶から消えるはずはありません。
そう思うと毎日いらいらの連続で 気が病みそうになりました。
そして主人ともそれが原因で大ゲンカとなり、家庭内にギスギスした嫌な空気が流れることも度々ありました。
筥崎宮の伏敵守に災難除けを祈らずにいられなくて
その後、福岡に出張に行った主人が筥崎宮(福岡の神社 日本三大八幡)を訪れる機会がありました。

そしてそこでストラップ型の「敵国降伏」と書かれた災難除けの伏敵守を買ってきました。
筥崎宮は筥崎八幡宮とも称し、宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。 御祭神は筑紫国蚊田(かだ)の里、現在の福岡県宇美町にお生まれになられた応神天皇(第十五代天皇)を主祭神として、神功皇后、玉依姫命がお祀りされています。
創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(西暦921)、醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座したことになっております。創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、厄除・勝運の神としても有名です。後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など歴史に名だたる武将が参詣、武功・文教にすぐれた八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。
江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政、以下歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。明治以降は近代国家を目指す日本とともに有り、同18年には官幣中社に、大正3年には官幣大社に社格を進められ、近年では全国より崇敬を集めるとともに、玉取祭や放生会大祭などの福博の四季を彩る杜(もり)として広く親しまれています。
引用元:筥崎宮
「元寇」は蒙古襲来のとき、俗にいう「神風」が吹き、未曽有の困難に打ち勝ったことから厄除・勝運の神とされています。
たまたま気分転換にDVDを見ようと、過去に興味深く見ていた大河ドラマ「北条時宗」を思い出し、主人にも勧めて一緒に見ていたのですが、主人もDVDがおもしろかったらしく、北条時宗と鎌倉時代、元寇などに興味を持ちました。
それで出張で筥崎宮に行ける時間が取れた時に この災難除けの伏敵守が気になり、買ってきてくれたのです。
その台紙には
…と、その当時の私の心情にぴったりの言葉がつづられていました。
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私には霊感などまったくありませんし スピリチュアルには縁も興味もない生活を送っていましたが、この伏敵守を手にした時には
…と 強く願わずにはいられませんでした。
「口は災いの元」だったトラブル隣人が去っていって…
それから3ヶ月ほどが過ぎてそのお守りの存在を忘れかけていたころ、隣人の家に人の気配を感じることがなくなり、しばらくすると引っ越し業者の大きなトラックがやってきて、たくさんの荷物を運んでいきました。
その後不動産サイトで 新築間もないお隣の家が売りに出されているのを目にしました。
主人と元隣人のご主人の部署が離れていたため、具体的にどうして引っ越ししたのか?お隣に何があったのか?はわかりませんでした。
まあ挨拶ひとつなく引っ越ししていかれたので 知る由もありませんが、トラブルメーカーの隣人がいなくなったことにホッとしました。
何の前触れもなく振って湧いたお隣の転居のバタバタを 私も主人も「ぽかーん」として引っ越し業者のトラックを見送っていましたが、その後、ふと思い出したのが 筥崎宮の伏敵守(災難除け)でした。
「口は災いの元」だったトラブル隣人が去っていき、私はこのお守りの霊力・災難除け効果に大感謝しました。
さらにお守りの台紙にあった「敵国降伏」の意味すること、「心のありかた」についても具体的に書いてあったことによって、筥崎宮の由緒に由来する災難除けのお守りの強さだけではなく、天命を待つためには人事を尽くす事も大切だと 深く考えさせられるきっかけになりました。
あらためて「国や人々が誠の道を歩んでいれば」という言葉がとても心に響きました。