袴田事件謝罪は熊本裁判官一人のみ!冤罪とヤラセ関与は数十名

袴田事件 冤罪 裁判官

袴田事件の概要

静岡の一家四人の強盗殺人放火事件

1966年(昭和41年)6月30日未明、静岡県のみそ製造会社専務宅で一家四人が殺害され、金を奪われ、油をまかれて自宅が放火された。

四人は専務夫婦(41歳と38歳)と次女(17歳)と長男(14歳) 長女(19歳)は別棟で寝ていたので助かった。

被害者に刺し傷は合計で45か所以上あったが、現場から見つかった凶器と思われた小刀は刃こぼれさえしていなかった。

専務宅には多額の金品が置かれていたが、盗まれたのは8万円だけだった。

そして静岡県警は味噌会社の専務宅に近接した工場の二階寮に住み込んでいた従業員で元プロボクサーの袴田巌(はかまだいわお・当時30歳)さんを強盗殺人と放火容疑で逮捕した。

逮捕の決め手は袴田巌さんの部屋から押収したパジャマとされている。

パジャマから微量の血痕と油染みが検出され、その血痕が被害者の血液型と一致しただけ…当時の再審の科学捜査の成果だと高く評価されていたのだ(当時はまだDNA鑑定はない)

とはいえ、凶行が袴田巌さんの仕業と裏付ける物的証拠はなく、すべては袴田さん自身の自白(連日の厳しい取り調べで警察の筋書き通りに供述をとられたもの)だけだった。

袴田巌さんは元プロボクサーであったことから「あいつならやりかねない」という警察側の先入観が多分にあった逮捕と思われる。

逮捕する明確な物的証拠がないにもかかわらず、袴田さんは逮捕されてしまったのである。

猟奇的な火災現場

殺害された4人の被害者の中に、事件翌日のビートルズ来日公演を楽しみにしていた女子高生がいた。

彼女の遺体はこんな状況だったという。

ひどく焼けたにもかかわらず、頭部の下に板が敷かれ、その下にさらに板を支えるかのように被害者のパンティとハンガーがあった。

中央に焚きつけるかのようにマッチが5本、残っていた。

なんとも、おぞましい。「処刑」ではないか。

もし消火活動が遅れていたら、マッチに火が移り、頭部はさらにひどく焼けていたかもしれない。

当時に消防活動に当たっていた消防署長もこれを「猟奇的」と言っていた。

金目当ての犯行なら、ここまでのことはやらないから、この点に注目すると怨恨説の方が現実的に感じてしまう。

 
 
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暴力と拷問で自白を強要する捜査

警察は袴田巌さんの取り調べで彼に罵声を浴びせ、暴力をふるっていた。

警官が二人一組、三人一組になり、午前、午後、晩から深夜11時や午前2時まで交代で取り調べに当たり、殴る、蹴る、こん棒で殴ったこともあったという。

当時の取り調べは裏側でこんなすさまじい拷問が行われていた事実があり、その結果逮捕から20日後に、袴田巌さんは一連の犯罪を自白したのである。

ところが静岡地方裁判所の初公判で、袴田巌さんは犯行を全面否認した。

公判で法廷に提出された供述調書は45通あったが、暴力で自白させられた調書のうちに地裁が証拠として採用したのはわずか1通だった。

これは通常ありえない、異例の展開である。

そこで裁判長は 一日平均12時間、最長で17時間に上る長時間で過酷な取り調べによる自白の強要があったと判断し、検察・警察を厳しく批判している。

『自供を得ることに偏った手抜き捜査で 戦後 例を見ないお粗末なもの』と言い放っている。

1年2か月後に現れた新たな証拠

袴田事件から1年2か月が経過したころ、裁判はまだ一審公判中だったが、検察側から新たな証拠が提示された。

それは味噌工場のみそタンクから出てきた、大量の血痕が付いた衣類5点。

スポーツシャツ、ズボン、半袖シャツ、ステテコ、ブリーフ。

これが袴田巌さんの衣類だという根拠は、袴田巌が実家に預けた荷物の中から、このズボンを仕立てたときに余った端切れ(共布)が見つかったということだった。

それだけのことで検察は 犯行当時の犯人の衣類をこれに変更し、冒頭陳述も訂正した。

検察はこのみそタンクから出てきた血痕の付いた着衣は袴田巌さんのものであり、犯行当時に身に着けていたものであるとしている。

ところがこの5点のうち、ズボンは袴田さんのサイズに合っていなかった。

ズボンが小さすぎて、彼の太ももが入らなかったのである。
 
 
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あやふやなまま 袴田巌被告に下された死刑判決

このように確たる物証がない状況の中で、1968年(昭和43年)9月、静岡地方裁判所は 袴田巌被告に死刑判決を下した。

そこで証拠採用されたのは、犯行時にパジャマを着ていたとした供述調書である。

裁判長
家族とアパート住まいをする金欲しさに、一家四人を殺害して金品を強奪し、専務宅に放火した

・・・と断定し、裁判長は死刑判決を下したのである。

静岡地裁の担当裁判官三名のうちの一人(熊本典道氏)は袴田巌被告の犯行に懐疑的だったが、あとの二人の裁判官の多数決に押され、死刑判決を下さなければならなかった。

その裁判官・熊本典道は一審判決から41年後に「あの判決は間違いだった」と告白している。

袴田事件裁判官熊本典道41年目魂の告白!北村弁護士感動の魂の叫びと冤罪の真相とは?

1976年(昭和51年) 東京高等裁判所は一審の判決を支持。

1980年(昭和55年) 最高裁判所も上告を棄却したため、約14年にわたる裁判はここに決着し、袴田巌には死刑が確定。

弁護団が静岡地裁に再審請求

弁護団は判決の確定に当たって行われた事実認定はあまりにも不自然で不合理なものであるとして、静岡地方裁判所に再審を請求した。

日本弁護士連合会も「袴田事件委員会」を設けて、全面的にこれを支援した。

ところが 1994年(平成6年) 静岡地裁は「確定判決に合理的な疑いを生じさせない」として、この請求を棄却している。

弁護団は即時抗告したが 2004年(平成16年)に東京高裁もこれを棄却したため、特別抗告。

2005年(平成17年)には2880人の再審を求める署名を最高裁判所に提出。

以降、諸々の変遷を経て、2014年3月、静岡地裁が再審開始と死刑及び拘置の執行停止が決定され、袴田巌元被告は釈放された。

袴田巌元被告は30歳(1966年)で逮捕されてから2014年までの45年以上を 冤罪により東京拘置所に収監されていたことになる。

一人の人間の人生を狂わせ、日常を奪った警察の責任は重すぎるものだと思う。
 
 
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袴田事件の冤罪を作った人々

「犯人は袴田以外にない」という捜査当局の決めつけ

捜査当初の警察は、犯人は専務一家の顔見知りで 一家に恨みを持つ者の犯行ではないかと考えたらしいです。

それは隣家で叫び声を聞いたものがいなかったこと。

隣家との壁の距離はわずか40センチしかないというのに、隣人は彼らの叫び声を全く聞いてないのです。

それは専務の家族に近づいて行っても怪しまれない人物であるはずで、一介の従業員ってことはないのでは?

専務はそのときスーツを着ていて、腕時計もはめていて、内ポケットに財布を持っていたのですが、それには犯人は手を付けていない。

盗まれた現金はたったの8万円(当時、いくらあったかは不明ですが、専務宅には多額の金品があったのに)

強盗の犯行とは思えないやり方ですが、犯人として検挙したのは、会社の従業員である袴田巌元被告で、金欲しさで犯行に及んだと警察は断定して捜査してたわけです。

この事件のもっともおかしなところは、連日の拷問により袴田さんが自白したとされる供述調書以外に、物証が一つもなかったことで、袴田さんの強要された自白だけに頼って立件され、死刑判決まで下されていることです。

1年以上たってから多量の血痕が付いた着衣5点が出てきていますが、のちに行われたDNA鑑定では被害者の血痕と一致していないのですから、この着衣という物証は明らかにねつ造されたものでした(当時にはそれが証明できなかったけれど)

では、これを誰がねつ造した!?

真犯人がねつ造するわけがない・・・ということは行きつく先は 警察と検察がねつ造したという結論。

全国紙社会部記者
袴田さんは無実を主張し続けましたが、9月上旬に突然、自供。

その背景には一日平均12時間、最長17時間にもおよぶ過酷な取り調べがありました。

後に弁護団が入手した県警の捜査資料には『取調官は、犯人は袴田以外にない、袴田で間違いないと本人に思い込ませろ』という一文があったのです

via:現代ビジネス

客観的に見ても 弁護団以外の警察・検察・裁判官がすべてグルで袴田さんを死刑にしようと動いていました。
 
 
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袴田事件の捜査にかかわった面々

袴田事件裁判 警察
via:現代ビジネス

そもそも袴田事件は 新たな証拠が1年以上たってから見つかること自体がおかしいです。

警察は絶対に犯行直後にしらみつぶしに調べているはずで、その時に気づかずに1年2か月後に有力な物証が出てきましたなんて話が通用するわけないです。

しかも新たに出てきた証拠品のサイズが小さくて 容疑者がはけなかったというのもお粗末な顛末で、ねつ造したのがバレバレ。

このズボンの共布が袴田巌さんの実家のタンスから出てきたというのもおかしな話で、なんとか容疑者と新たな証拠品を結び付けなくてはという必死なねつ造感がひしひしと伝わってきます。

血痕の付いたズボンはみそタンクから発見されているので 当然変色していますが、実家のタンスから見つかった共布は変色していません。

なのにタンスから出てきた共布を一目見て「あった!これがあのズボンの共布だ!」と、М警部はすぐに見分けがついたそうですよ。不思議ですね~、超能力でももってるかのような^^;

実はそのあと、警察は袴田被告に疑惑の目を向けるために もう一芝居うってます。

5万円が入った差出人不明の封筒が清水郵便局に届くという猿芝居を。

封筒に入っていた1万円札のシリアルナンバーが焼き消されていて、その送り主の女まで現れて、こんな決めゼリフを吐きます。

送り主の女
袴田からこの金を送るよう頼まれた

この一件も警察によるでっち上げだったことが公判で判明していて、この女性の取り調べを行ったのがS警部補

袴田弁護団の一人が後にS警部補に接触したところ、面談を拒否されたそうです。

「覚えていない」「話したくない」と。 
 

袴田事件の裁判にかかわった面々

袴田事件ではこんなふうに袴田被告の犯行を裏付けるような証拠がナイスタイミングでゴロゴロ出てきて、まるでマンガみたいな展開を見せました。

それを裁判官は全く不自然なこととは考えず、袴田被告に死刑を言い渡していたわけです。

警察・検察・裁判官がグルというわけではないですけど、みんなで寄ってたかって示し合わせたようなこの結果はいったい何だろう・・・。

冤罪を一人で作り上げることは絶対にできません。

警察・検察・裁判官がそれぞれ持ちつ持たれつで 1つの目標(袴田巌を真犯人にして裁く)に向かって 自分の役目を全うした結果が この冤罪の正体です。

袴田事件に関与した人々がこんなにたくさんいて 週刊誌でも暴露されたりしているのに、袴田さんに謝罪した人は熊本典道氏、ただ一人というのがまた信じがたい。

事件から40年以上経過しているので当事者はみな高齢者で、その中の何人かはすでに他界していますから謝罪しようにもできないということはもちろんありました。

それにしても!ですよ。

熊本典道氏以外は、みんな着々と出世しながら 今まで良心の呵責を感じることなく、人生を悠々と送ってこられたのか?と不思議になります。

袴田事件裁判官熊本典道41年目魂の告白!北村弁護士感動の魂の叫びと冤罪の真相とは?


 

供述調書45通のうち44通が却下されているにもかかわらず、袴田元被告の強要された自白だけに頼って審理し、死刑判決を下すというのは、素人から見ても摩訶不思議に映ります。

証拠不十分で死刑判決を下すなんて、ありえません。

もうひとつありえないのは、一審で唯一証拠採用された調書の自白を取ったのは、袴田元被告が「悪魔のような男」と呼んで毛嫌いしていたY検事なのです。

「悪魔」と呼ぶほど嫌っている相手に 心を許して自白した?・・・そんな事は絶対ありえない。

でも結果としてはこの1通が証拠採用されたために 静岡地裁で死刑判決を下されているのです。

東電OL殺人事件で無罪判決が下ったゴビンダさんに対する、検察の勾留要請を退けたことがある、元東京高裁判事で弁護士の木谷明氏が解説する。

木谷明
これまでの経験から言って、警察や検察の捜査官は証拠の捏造やすり替えをやりがちです。

そこを裁判所がもっと、しっかり認識しなければなりません。

もしも捜査官が100%信用できるのならば、裁判官は要らないわけですから。

ところが、司法の現場では捜査官、とくに検事に対する裁判官の信頼は大きい。

『検事という立場にあるものが証拠の改竄などするはずがない』と平然と言う裁判官もいます

via:現代ビジネス

 

袴田巌元被告に責任を感じ謝罪したのは熊本典道氏のみだった

公判に直接携わり「袴田被告が真犯人であるはずがない」と思っていたものの どうしてもそれを覆すことができなかった元裁判官・熊本典道さんは、袴田さんに死刑判決を下してしまったことに対する良心の呵責に耐えかねて、裁判官を辞任しています。

辞任後 弁護士に転向したものの、常に頭の片隅から離れない袴田元被告に対する後悔の念にさいなまれて、酒浸りになったり、自殺を考えたり、結婚生活が破たんしたりと、熊本さんの人生も次第に転落していきます。

そして41年の年月を経て、熊本典道さんは袴田巌さんに対して謝罪し、これまでの経緯を報道陣の前ですべて告白したのです。

証拠のねつ造に加担したり冤罪を作っても、何の罪にも問われず、それどころかこの事件にかかわった刑事や検事や裁判官は昇進・栄転・叙勲など、その道のエリート街道をまっしぐらに上っていきました。

謝罪しないだけでなく、冤罪を「国家ぐるみの犯罪」と思わないこと、そしてそれがまかり通ってきたことが恐ろしいです。

まあ、今の警察も学校も大なり小なりその体制を引きずっているので、この辺りの本質が昔も今もあまり変わっていないのかもしれないのが本当に残念に思いますし、怖いことです。
 
 
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麻原彰晃 松本智津夫